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アメリカの神話伝説[Ⅱ]

目次

太平洋西北岸の神話伝説

  1. 日の光の期限
  2. 銀狐の世界創造
  3. 天上の老人と熊
  4. 人間創造
  5. 人間の命
  6. 火を盗む話(その一)
  7. 火を盗む話(その二)
  8. 火を盗む話(その三)
  9. 洪水の話
  10. 尾長狼はなぜ狡いか
  11. 鳥の頭
  12. 熊と羚羊
  13. 北極光
  14. 雷鳥の話
  15. 黄金時代
  16. トーテム柱の由来
  17. 子供の冒険
  18. 梟と鴉
  19. 鼠と兎
  20. 太陽と月との喧嘩
  21. タコマの吝嗇漢
  22. 泣く子
  23. 幽霊の話
  24. 巨人の子供
  25. 尾長狼と熊
  26. 尾長狼と竜
  27. 水牛国に行った尾長狼
  28. 尾長狼の最期

英領北アメリカの神話伝説

  1. 世界創造
  2. 光の起源(その一)
  3. 光の起源(その二)
  4. 太陽はなぜ輝くのか
  5. 罠にかかった太陽
  6. 月男
  7. 月はなぜ青白いか
  8. 七曜星の由来
  9. 星の狩人
  10. 大きな熊と狩人
  11. 虹の道
  12. 天上界に昇った姉妹
  13. 暖風の由来
  14. 鼬と東南風との戦い
  15. 北風の息子と東南風の娘との結婚
  16. 亀と雷鳥
  17. 罠にかかった風
  18. 雷の起源
  19. 雷鳥の失敗
  20. 人間の命
  21. 死の起源(その一)
  22. 死の起源(その二)
  23. ナネボジョと鷲鳥
  24. ナネポジョの冒険
  25. ウィスケ・ジャックと鷲鳥
  26. ウィスケ・ジャックと鷓鴣
  27. ウィスケ・ジャックと海狸
  28. ネネブック
  29. 尾長狼と狐
  30. 兎の冒険
  31. 大きな亀
  32. 世界火事
  33. 太陽と月
  34. 月の中の蛙
  35. 天上界の戦い
  36. 夏の由来
  37. 大火事
  38. 兎と蛙
  39. 鼬と岩
  40. 鴉の妹の嫁入
  41. 海狸と豪猪

アルゴンキン族の神話伝説

  1. 善神と悪神との戦い
  2. 善神の怪魔退治
  3. 四つの宝箱
  4. 怪童ワシス
  5. 黄金時代の消滅
  6. 冬の巨人と春の女王
  7. 神聖な川獺
  8. 星乙女
  9. 星の国への旅
  10. 男の恨み
  11. 冥府の花嫁
  12. 川獺の心臓
  13. 大鹿と貂(その一)
  14. 大鹿と貂(その二)
  15. 湖上のぶらんこ
  16. 玉蜀黍の精
  17. 七人兄弟
  18. 兄の悪計
  19. 神聖な熊槍
  20. 若犬踊り
  21. 狼の助け
  22. 傷顔物語
  23. 鳥の羽根と星
  24. 追いかける胴体
  25. ナピと水牛盗人
  26. 恩知らずの精

スー族の神話伝説

  1. イクチニケと兎
  2. イクチニケとみさご
  3. イクチニケと祖父
  4. 蛇になった戦士
  5. 三つの試し
  6. 食人鬼に追われた男
  7. 鹿の角の試し
  8. 水の中の声
  9. 魔法の指輪
  10. 白馬の救い
  11. 白羽の持主
  12. 罠にかかった太陽
  13. 人を食う岩

神名・登場人物

名前説明
ケムシュ人間を創造したとされる。
チヒー・サハレ天上界に住んでいる
チヤレヤアメリカインディアンの創造神で、動物の位を人間に決めさせた。
スコマルト白い背の高い巨人の女。
ヘンク七人兄弟の力の強い兄。島に流されて雷となる。
ナネボジョお祖母さんと暮らしている、鷲鳥を取ったり、狼をだましたり、うぐいに化けてインディアンをからかったりする。
グルースカップ善神で太陽や月や獣や魚、それから人間を造った。
マルスム悪神で山や谷や蛇、人間の困るものを造った
ワシスグルースカップを悩ませた子供。
エス・トネア・ペスタ寒天の主、雪のテントまたは黄色い小屋と呼ばれる住処に住んでいる。そこには水牛や雷鳥をかたどった絵が描かれている。貂の煙草入れと黒い石のパイプを持っている。吹雪や寒風を司っている。
ネミッサ若者を星の国へ連れて行った星乙女マニトウ神の妹
マニトウ神ネミッサの兄。星の国の神格。
川獺の心臓魔術師に両親を殺された姉と二人姉弟。その後善玉と悪玉と出会い、善玉と結婚する。
善玉川獺の心臓と結婚する。海狸を親類とする
悪玉性格が悪く川獺の心臓に嫌われる。狼の化けた者として現れている。
モンダミン
熊の皮熊と結婚して夫を殺される。その熊の皮を切り取って護符としたことでこの名がついた。
オキナイ熊の皮の9人兄弟の末の弟
シノパ熊の皮の9人兄弟の妹
戸のそば狼に助けられたブラックフィート族の乙女
傷顔
鳥の羽根
ナピブラックフィート族の創造神
クトイス老夫婦の夫が水牛に放った矢から生まれた。血の滴という意味。
名前
チェハリス・インディアン
オカノガン族肌の赤い
ウィアンドット族高い空の上の世界に住んでいたという。
ブラックフィート族

地名・道具など

名称説明
うねもじりの木詳細不明
老齢の鶴の盃聖杯のような雰囲気がある。この盃で熊は河の水を飲んでいる。
名称説明
タコマ山
オッタワ川
フロン湖
ミスーリ川

全体の感想

,p>北アメリカの神話では太陽と月、雷や雷鳥、兎、動物からの力の継承、天上界や、そこから地上につながる穴、風の起源、などがあり、他の太平洋地域の神話と密接な関係性を見いだせる。また、一部ロシアの神話とも密接な関係を表すものもあるようである。凡そ、第四の日から第五の日に掛けての性質を多く含む神話群となっているようである。これは大地と星の関係に大きくかかわっているし、動物の身体とも大きく関連し、最終的には認知に関する、近代的問題も多く含むものである。この点ではゾロアスター教との関連も意識したいところである。水牛や尾長狼をはじめ、マニトウやモンダミン、グルースカップなど、星や善に関する神格も現れる。神話を軸に包括すると、断片的に見えるが、創世記を軸に考究すると非常に一貫性を伴って見える。その他代表的な神話的問題を軸にしても同様に一貫した解決を促す内容を含んでいる。近代的な問題においてはユングの指摘する元型の派生原因のような認知問題の根源を醸し出す内容でもある。以上のような大きな要素を含んでいるため、今後も北アメリカの神話はかなめとなりうる。


太平洋西北岸の神話伝説

日の光の起源

あらすじ

大地が新しく若かったころ、どこも暗くて寒かった。その頃には、星もまだ真っ黒で、日の光というものは、少しもなかった。それは一羽の鷗(かもめ)が小さい箱の中に日の光を入れてしまって、誰にも盗まれないように、始終気を付けていたからだった。
鷗のいとこに一羽の大鴉がいて、その鴉は世の中が真っ暗いのに飽き飽きして来たため、どうにかして日の光を手に入れたいと思った。ある日、鷗と大鴉が一緒になって歩いていた。大鴉は、歩きながら、心の中で「鷗が脚に棘を踏み込めばいいな」と考えていた。すると、たちまち鷗が暗闇の中で、一本の棘を踏み込んだ。鷗が叫ぶと、大鴉は自分が抜くから見せてくれと言った。しかし、あたりが真っ暗なので、大鴉は、棘を見ることができなかった。そこで鷗に向かって、「箱を開いて明るくしてくれ」と言った。
鷗はほんの少しだけ箱を開いたが、日の光は僅かばかり出て来ただけだった。大鴉は「もう少したくさん光を出さなくてはだめだ」と言ったが、鷗は「痛い」というだけで、箱を開こうとしなかった。そこで、大鴉は棘が見えないふりをして、それを引き抜く代わりに、だんだんと深く突き込みながら、「もう少したくさんの日の光を出さなくちゃだめだ」と言い続けた。それでも鷗は「痛い痛い、脚が痛い」というばかりで、箱を開こうともしなかった。大鴉は、思い切って、深く棘を差し込んだ。鷗はたまりかねて、とうとう箱を開いてしまったので、日の光が大地中に広がるようになった。これが、世の中に日の光があるようになった理由である。

解釈

日の光について鴉が登場している点で、シベリアでのタンゲンの話が想起される。鴉によって日の光が奪われたということは間違いがないかのように多くの神話に記されている。そして、鷗が太陽の光を守っていたということであるが、この鷗はタンゲンだろうか。
また、箱という点で気になったのはパンドラの箱との関係であるが、微弱な手がかりである。世代は太陽が昇る前ということではあるが、すでに太陽は鷗によって箱に入れられている点では創世記第五の日以降の話であると判断ができる。タンゲンが鷗であるならば、太陽を守っていたのはタンゲンであると言えそうだ。

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銀狐の世界創造

あらすじ

世界のはじめには、水の他何にもなかった。その頃、尾の長い狼と銀狐が、天に棲んでいた。銀狐は、いろんなものを造ろうと気を焦っていたが、尾の長い狼がはいつも、そんなことをしてもなんにもならないからやめて置けと言って、押し止めていた。それで銀狐はとうとう狼が自分の側にいるのが嫌になって、ある日狼に、これから薪を取ってきておくれと言った。
そして狼が出かけていくと、銀狐は、一本の矢を取り出して、天上世界に穴をあけて、はるか下の方にある海を見下ろしていた。やがて、狼が帰ってきたが、銀狐は天上世界に穴を開けたことを隠していた。
翌朝になると、銀狐はまた狼を薪取りにやった。そして、その留守に、弓の矢を穴に突っ込んで下へ落とすと、弓の矢は遥か下の方の海に落ちて水の底に沈んでしまった。銀狐は穴から抜け出して、下へ下へと降りて行った。そして、水の面に近づくと、小さい円い島を一つこしらえて、そこに止まることにした。
暫くして、狼が帰ってくると、銀狐の姿が見えないので、あちこち探し始めた。そのうちに、天上世界に開いている穴を見つけ出して、そこから下をのぞくと、遥か下の小島に、銀狐が座り込んでいるのを見つけた。狼は「俺は一人で悲しくてたまらないよ、どうしてそこへ降りていくのかね」と声をかけた。しかし、銀狐は何とも返事をしなかった。狼は再び「そんなに意地の悪いことをするもんじゃあない、どうにかして、俺も下に降りられるようにしてくれ」と声をかけた。そこで、銀狐が、弓の矢を天の方に差し出したので、狼はそれを伝って下へ降りて来た。
銀狐がこしらえた島は、とても小さかったので、二人がそこに住むことになると、ほとんど足を延ばして寝ることもできないくらいだった。そこで、銀狐が脚に力を入れて、踏ん張ると、島は、だんだんと大きくなった。銀狐は最初に島を東に踏み伸ばして、それから北に踏み伸ばして、それから西に踏み伸ばして、最後はに南に踏み伸ばした。そんなことを、五晩ほど続けていると、その島が、今日のような大きな世界になった。
銀狐は島を踏み伸ばすたびに、狼に向かって、「島の周りを一走りして、どれくらい大きくなったか見届けて来てくれ」とと言っていた。そこで狼は、島の周りを一走りすることにしたが、始めのうちは、島が小さかったので、すぐに回ってしまっていたが、おしまいには、あまりに大きくなったので、元のところに帰って来ないうちにひどく年を取って、体中が灰色になってしまった。
世界が出来上がると、銀狐は、人間や動物や木や泉などをこしらえた。狼はそれを見ると、「こんなにたくさん生き物を造ったんだから、何か食べ物をこしらえてやらなくてはならない」と言ったが、銀狐は、なんとも返事をしなかった。狼は言葉を続けて「一年のうちで十か月を冬にしようじゃないか」と言った。銀狐は「そんなに冬を長くしたら、食べ物がたりないよ」と言った。狼は「食べ物のたくさんないほうがいいんだよ。人間は塵埃(ちりほこり)からお汁をこしらえることができるんだろうから」と言った。銀狐はやはり何とも返事をしなかった。しかし、暫くすると、「冬を十か月にするのは、よくないよ。二か月でたくさんだ。そしたら、人間は、向日葵草の種や木の根や果物を食べることができるんだから。」と言った。狼は「いや、いけないよ、やっぱり冬は十か月にしなくちゃだめだ」と言い張ったので、銀狐が、とうとう怒り出して、「お前はあまりしゃべりすぎるよ。私は、一年を四か月にするつもりだ。冬が二か月で、春と秋とが一か月ずつだ。それで結構だ。もうこのことについては、とやかく言わない出遅れ」と言った。
こうして人間世界ができ、一年が春秋冬の三つに分かれるようになった。

解釈

尾長狼はやはり第五の日のかなめとなっているようだ。ここで、気を付けたいのが、インドネシアの神話で世界創造の際に天から投げ棒を投げてそれが島となっていることだ。これが起こる前に銀狐が世界を造ったのだとしたら、同じ穴から投げ棒を入れている可能性がある。すなわち推測は、メラヘフェトに関しての問題を銀狐と尾長狼は弁証によって解決していたが、尾長狼は過去に、銀狐は未来についてみている。これは魂が未来を志向するという点について本来悪い存在をよく変える必要があるという点で、尾長狼の視点は矛盾するが、しかし神による裁きという点で尾長狼はそれを十全している。つまり魂が早急に解決すべき問題に無頓着であるというのが尾長狼の欠点であり、老化の原因であるが、銀狐は発展のゆえに魂が囁く声に無頓着である。そして、水辺がうるさくなったところに「投げ棒」が落とされた、ということではないだろうか。つまり天の穴は鴉が降りたところと、銀狐と尾長狼の降りたところと変わらないと考えられる。この天は第五の日によるのか、はたまたアダムが命名していたところにある天なのか不明である。この問いに答える言及があればいいのであるが。
そして、北アメリカでは一年が3つに分けられている。この点は非常に象徴的だと思う。そしてアメリカの神話には「弓矢」がよく出てくる。

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天上の老人と熊

あらすじ

昔アメリカインディアンの住んでいる家についている小さい煙出しの穴から、まだ煙が立ち上っていたころに大嵐が起こった。風が、煙を吹きまくって、煙出しの中に吹き返した。それを見ると、老人が小さい娘に向かって、「煙出しに登って行って、風に静かにしろというがよい。風に言葉をかけるときは、煙出しからただ腕だけ出すんだよ」と言った。小さい娘は、煙出しに登って行って、自分の腕を差し出したが、それと一緒に、頭までも差し出した。娘は、世間を眺めたい、川や木を見たいと思っていたのだった。それで老人のいうことを聞かないで、煙出しから首を差し出すと、風がたちまち娘の髪の毛を掴んで、煙出しから引き出して、遥か彼方の山まで吹きやってしまった。小さい娘は、滑らかな氷の上を超えて、大きな森の上を超えて、熊の住んでいる世界まで飛ばされた。そして、頭の毛を持つらして、がたがた震えながら、熊野住んでいる家の側に突っ立っていた。
間もなく熊が帰って来た。その頃の熊は人間と同じように日本の足で歩いて、人間と同じような言葉で話していた。熊は小さな女を見ると、殺して来た若い鹿を地面に置いて、女を抱え上げて、自分の小屋の中に連れ込んだ。すると、熊のお母さんが、小さい女を日の側に連れて行って、体を温めてやったり、食べ物を食べさせたりした。
やがて小さい女は熊のお嫁さんになって、たくさんの子供を産んだ。子供たちが大きくなると、熊野お母さんは、そのうち一人を老人のところに使いにやった。老人は、自分の娘が熊の世界に行って、そのお嫁さんになって、たくさんの子供を産んだということを聞くと、煙出しから這い出して、山を駆け下りて熊の世界に行った。熊は老人の姿を見るとたいそう喜んで、声をかけた。しかし、老人は自分の娘が、熊のお嫁さんになったことを怒っているので、「くどくどいってくれるな。今度、お前たちはまっすぐに立って歩いてはいけない。四つ這いになって、下を向いて歩かなくてはならない。」と言った。それで、今日では、熊は、下を向いて、四つ脚で歩く。そして、喧嘩をするときだけ人間のように、二本の脚で立ち上がって、残りの二本を手のように使うのである。

解釈

ここでいう老人とは月男だろうか。その娘となると月の娘だろうか。そして熊についてであるが、熊はこの神話においては重要な役割があるようだ。熊については韓国の神話伝説で天子の嫁となろうとする話があるが、関連がありそうだ。また、タンゲンが作った人間とは熊のことかもしれない。

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人間創造

あらすじ

銀狐と尾長狼とが一緒に住んでいた。ある時銀狐は、うねもじりの木の枝を集めて、小刀でそれを削り始めた。銀狐は、夜じゅう削り続けていた。夜が明けると、うねもじりの木でこしらえたたくさんの人形と、削り屑とを日の光に晒して、その周りを三度踊りまわった。すると、人形と木の屑とが、むくむくと動き出して、みんな人間になった。人形から出来た人間が酋長や戦士で、木の屑から出来たのが普通の人間であった。
尾長狼は、それを見ると、自分も銀狐の真似をして、人間を作ってみたいと思った。そこで、うねもじりの木の枝をたくさん集めて、夜中それを削っていた。そして、夜が明けると、それを日の光に晒して、その周りを三度ほど踊りまわった。人形や木の屑はたちまちむくむくと動き出して、人間になりました。尾長狼は大変に喜んで、「俺だって、銀狐のやることは、なんでもやれるさ」と言いながら、人間に触ると、人間たちは、見る間に元の人形や木の屑に変わってしまった。

解釈

銀狐の方が先に人間を作っているという点は時勢的に尾長狼よりも古く人間に関係しているという証拠である。そして、うねもじりの木というのが人間となっているそうだ。シベリアの神話では人類のはじめに木から人間ができたとあるが、聖書にはその記述がない。この点を鑑みるには、動物が木から人間を作ったということを知っている必要がある。この説はさらには時代を経て進化論にも関係がありそうだ。

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人間の命

あらすじ

昔、ケムシュという老人が、うねもじりの木からたくさんの人形をこしらえた。そして、そのうちの半分を日向に晒し、残りの半分を日陰に並べて置いた。しばらくして、それに息を吹き込むと、人形がみんなむくむくと動き出して人間に変わった。そして、日向に晒しておいた人形は、色の黒いマクラック人となり、日陰に並べて置いた人形は、色の白い白人種となった。ケムシュは、色の黒い人間だけを自分の側に留めて置いて、色の白い人間たちには、遥か海の彼方に別の世界を作ってやった。
それから暫くすると、ケムシュは。土竜(もぐら)や蛇を造った。すると、土竜や蛇は、人間の命について議論をし始めた。
土竜は、年寄りになるまで人間を生かしておきたいと思う、と言い、蛇は、人間をこんな風にさせたいと思う、といいなgら、自分の皮を脱ぎ始めた。そして、自分の皮を脱ぎながら、このように人間もひどく年を取ったら、皮を脱いで若返るようにさせたいと思う、と言った。すると土竜はそれに反対して、人間が年を取り老いぼれていしまうようにしたいと思う、そうだこんな風に体がぶるぶる震えるようにしたいと思う、といいながら、自分の体をぶるぶる震わした。すると一番しまいに虫が口を出して、人間は大変気が荒くて自分たちを踏みつぶしてしまうだろう、と言った。
蛇や土竜や虫は、こんな風に人間のことを話し合ったが、蛇のいうことは通らないで、土竜と虫のいったことが通った。だから、人間は、年を取ると老いぼれて、ぶるぶると体が震えるようになった。また、気が荒くて、虫けらを見ると、すぐにそれを踏みつぶすようになった。

解釈

この話はケムシュという老人が人間を作った話であるが、この話はおそらく神が人間を作った後の話であると考えられる。というのも、虫が生まれた起源はおそらく人間の誕生後だからである。その論証は定かとは言えないが、すなわちパンドラの箱を開いた際に虫がたくさん発生しているという点と、聖書に虫を創造したとは記載がないためである。この二点から断定はできないかもしれないが、一つの仮説としては考えられうる。そして、土竜は明らかに「ベヘマ」から生まれている。これはアダムとイブが禁断の実を食べた故にお互いに裸であると気づいた点を恨んでいる、または罰しているという証ではないであろうか。この点を考えるとやはりアダムとイブが楽園を追放された後の出来事と思われる。
その後の蛇についても神は試されたのかもしれない。というのもこの話の中では案の定、蛇の意見だけ通らなかった。これは聖書と共通する言い分を蛇がしている点で、かなわない訴えであるという点での裏付けもある。そもそも、この出来事の内に時間という概念があるかどうかは定かではないが。

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火を盗む話(その一)

あらすじ

昔人間は食べ物がなくて不幸せだった。その上に日というものがなかったので、いつも寒さに震えていた。
その頃、世界中にたった一つの火があるだけだった。その火は、とある山の上に燃えていて、三人の怪物が、絶えず番をしていた。人間はそれを盗んだら、自分と同じように強くなるだろうということを心配して、夜も昼も油断なく守っているのだった。
すると、尾長狼がその火を盗んで、人間に暖かい目をさせてやろうと思い、火の燃えている山の頂に登って、怪物の様子をじっと見ていた。
怪物どもは、夜となく昼となく、代わる代わる火の番をしていた。一人が火の側を離れて、家の中に入ると、ほかの一人が出て来て、火の側に座り込むのだった。
尾長狼は、その様子を見届けて、山を下りた。そして、大勢の動物を集めて会議を開いた。尾長狼は、怪物の手から火を盗んで、人間に授けてやろうと思う、火を盗んだら、きっと怪物どもが追っかけて来るに違いない。そうなると、自分の一人の力ではだめだから、みんな一緒になって加勢をしていくれ、と言った。
動物たちはみな、承知した、と言った。そこで、狼は栗鼠と蛙とを連れて、火を盗みに出かけた。暫く行くと、狼は蛙に向かって、ここで待って、栗鼠が火の玉を持ってきたら、それを受け取って、素早く逃げ出すように、と言った。それから、また暫く行くと、今度は栗鼠に、ここに待っていて、自分が火の玉をもってきたら、それを受け取って、素早く逃げ出してくれ、と言った。そして、自分一人で夜の明け方に山の頂に登り着いた。見ると、ひとりの怪物が朝風に震えながら、火の番をしていた。暫くすると怪物は小屋の方を向いて、妹に火の番を代わるように言った。しかし、妹はぐずぐずしていつまでも小屋から出てこなかった。怪物はたまりかねて、火の側を離れて小屋の方に歩いて行った。狼はその隙を狙って藪影から飛び出し、火の玉を掴み一生懸命に山を駆け下りた。怪物はこれを見つけて、逃がすものか、と言いながら、追っかけて来て、狼の長いしっぽを掴んだ。だから、尾長狼のしっぽは今でも白い色をしている。
狼は怪物の掴んでいる手を振り離して、駆けだした。そして、栗鼠の姿を見ると、受け取ってくれ、と言いながら、火の玉を放り出した。栗鼠は素早く火の玉を掴んで、木の枝から木の枝へと飛び渡りながら、山を降っていった。しかし、火の玉があまりに熱いので、首の周りが焦げてしまった。だから栗鼠の首は今日でも黒い色をしている。
栗鼠は、精一杯早く駆けて行ったが、それでも怪物の方が脚が早いと見えて、やがて追いつきそうになった。栗鼠は大変に心配をしたが、やがて蛙の姿が見えたので、いきなり火の玉を放り出して、早く持って行ってくれ、と言った。蛙は、火の玉を口に桑手t、のそのそと歩き出した。するt、やがて、怪物が追いついて、蛙のしっぽを掴んだ。蛙は驚いて、一生懸命に身をもがいていると、しっぽが根元から切れてしまった。だから変えるには今日でもしっぽがない。
蛙は痛いのを我慢して、、口に含んでいた火の玉を森の中に吐き出した。森はすぐに火の玉を呑んでしまった。追っかけて来た怪物は、もうどうともすることができないので、そのまますごすごと引き返してしまった。そのあとで、狼は人間たちを呼び集めて、「さあ、首尾よく火の玉を手に入れた。森がそれを呑んでいるから、森の中の枯れ枝を折って、力いっぱいにこすり合わせてごらんなさい。すぐに火が出てきますから」と教えてくれた。
こうして人間は、今日でも木の枝をこすって、火を出すことになった。

解釈

これはあくまで憶測ではあるが、この火の番人が寝ずの番人ではないかという考えがよぎった。ただ、ルーンにあるように、イチイの木の元で炎を守る番人もいるため、少し定かではない部分がある。ただ、シベリアの話であるようにタンゲンに対する創造主として現れる者によると、シベリアで生まれた人間は火があることにも気づかない、という。これはすなわち森に火の玉が宿っているにもかかわらず、火の起こし方がわからないという意味ではなかろうか。
もしも寝ずの番人であるならば、彼らに妹がいたということになるのだが、アダムの系譜の時代は妹を妻にするということが当然のようだったため、これは寝ずの番人が自らの妹よりも人間の娘を選んだということかもしれない。そしてそれを行った理由として妹が動物から火を盗まれたということが考えられる。これは同時に、アダムの楽園追放後にも動物たちは人間のために働いていて、その最たる者が尾長狼であったという可能性がある。

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火を盗む話(その二)

あらすじ

昔、動物や気が、人間のように口をきいたり、人間のように歩き回っていたころには、松の木だけが火を持っていた。しかし、松の木どもは、それを大志悦に隠して誰にも知らせてあげなかった。
ある冬には毎日とても寒くて、動物どもは、ほとんど凍え死にそうになったため、寄り集まって、このままでは凍え死んでしまう、こんな時に火があったらいいのに、と愚痴をこぼしていたが、とうとう松の木から火を盗むという話にまとまった。その頃松の木どもは、とある川のあたりにどんどん火を起こしていて課rだを温めていた。暫くすると、松の木どもは、見張りの者を置かなくては火を盗まれる、大事な日を他の者に盗まれては大変だ、と言って火の周りに見張りの者を置いた。しかし、土手の下に一匹の海狸(かいり)が先ほどから、身を隠していた。松の木どもの話を聞くと、海狸は心の中で、松の木があんなに欲張っているから、どうにかして、火を盗み出してやろう、と考えていた。
暫くすると、火のついた大きな炭が飛び跳ねて土手を転がって、海狸の側委に落ちて来た。海狸は、手早くそれを懐に隠して、一散に駆けだしていった。松の木どもはそれを見つけて、泥棒だ、と叫びながら、あとを折って来た。海狸はまっすぐに駆けたり、横にそれたりして、どんどん逃げて行った。追っかけていた松の木どもは、だんだんと疲れて来たので、あちらこちらで立ち止まってしまった。だkら今日でも、その川の端に松の木が群れを成して立っている。海狸は逃げて逃げて樺の林駆け込んだ。そして、盗んで来た炭火を樺の木に渡した。だから今日でも人々が、樺の木の枝と枝をすり合わせると、やがて日が燃え出すのである。

解釈

松が火を守っている番人であったということが何を意味するのか。松は多くの神話で重要な意味を担っている。また、アフリカの神話ではマツタケの起源というものがある。少し吟味が必要な話題である。
だだ、海狸がここでは火を盗んでいる。そして樺の木へ炭火を渡すことで火を起こすことができるようになったとあるが、海狸が活躍する話はヒアワサの話にも出てくる。(悪戯者の最期)ただ海狸と松にどのような関係があるかわはわからない。

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火を盗む話(その三)

あらすじ

ある時、貂が、鷹のお嫁さんを盗んだ。鷹は大変に腹を立てて、黄教僧(shamanism(アメリカインディアンの宗教))の衣を身にまとって、魔法の歌を歌いながら、踊り始めた。やがて、雨が降り出した。雨は一晩中降り続き、川の水が高まって、鼬や貂の住んでいる家の戸口から、どんどん流れ込んできた。それを見ると、鼬は驚いて、盗んできた嫁を返した方がいい、さもなければ鷹が我々をおぼれさせてしまうだろう、と言った。しかし、貂は、何とも返答をしなかった。朝になると、貂は流れ込む水を眺めん柄、これは気持ちが悪い。どこかに大胆な男がいないかな、いたら鷹を殺してもらうのだが、と言った。すると、一人の男がそれを聞いて、自分が殺してやろう、と言いながら、小刀と楯とを掴んで、鷹の家に出かけて行った。家の中では、鷹がだんだんと激しく踊りまわっていた。そして、高く飛び上がるたびに、その頭が煙出しの穴から現れていた。それを見ると、男は、煙出しの側にはいよって、鷹の頭が現れるのを見すまし、小刀でそれを斬り落としてしまった。
鷹が死ぬとたちまち雨が止んで、雲が晴れて、水が退いた。しかし、あんまりひどく雨が降ったため、世界中の火という火がすっかり消えてしまった。人々は食べ物を焼くことができなくなり、四、五日は我慢していたが、そのうちにとうとう我慢が仕切れなくなって、どうにかして火を探し出さなくてはならない、と言って、一匹の梟に、世界中を歩き回って、火のあるなしを見て来てくれ、と頼んだ。
梟は、すぐに出かけて行った。そして、あちらこちらを歩き回った末に、高いところに登って、あたりを見回した。すると、遥か西の方に一軒の家があって、その家から煙がたっているのに目が着いた。梟はすぐに山を降って、人々のいるところに帰って来た。そして、火を見つけ出したことを話すと、人々は非常に喜んで、めいめい杉の皮を束ねた物を手にして、西へ西へと歩いて行った。一匹の犬がそのあつから、のそのそとついて行ったが、犬は杉の皮の代わりに朽ち木の片を耳の中に隠していた。
人々は、夕方遅くなって、火の燃えている家に着いた。そして、家の主人に向かって、「どうか手をあぶらせてください、寒くてたまりませんから」と言いながら、何気ない様子をして、火の周りに座り込んだ。犬も、人々の間に挟まって、火の側にいたが、ときどき首を垂れているうちに、耳の中に隠していた朽ち木の片に火が付いた。人々は、それには気が付かないので、どうにかして、火を盗みたいと思って、主人の隙を狙って杉の皮を火の中に差し込むなり、一散に逃げ出した。小屋の中に座っていた人たちは大変怒って、そのあとを追っかけて来た。そして、手当たり次第に杉の皮を叩きつけたので、せっかく盗んだ火がみんな消えてしまった。
人々は、這う這うの体で帰って来た。そして、せっかく火を盗んだのに、みんな叩きけされてしまった、とお互いに悔しがっていると、犬が、だしぬけに笑い出して、「みんな火がなくてふるえているようだね。ところが、私は暑くて汗をかいているよ」と言った。それを聞くと、尾長狼が怒り出して、「こいつを叩き出せ」と言った。すると、犬は「まあ、そんなことを言わないで、私の耳の中を見ておくれ」と言った。狼はすぐに犬の耳の中を見た。すると、火のついた朽ち木の片が入っていたので、すぐにそれを取り出して、大きな火をこさえた。こうして、人々は、また火を持つようになった。

解釈

この話は、火を再び得た話と見えるが、始まりは、貂が鷹のお嫁さんを盗んだことにあるという。そして鷹は怒りシャーマニズムの雨ごいを行った。この出来事自体に大きな意味がありそうだ。雨というからには、少し洪水説話との関連を見出しそうであるが、ここでは証拠が少なすぎるため、議論を避ける。

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洪水の話

あらすじ

昔、チヒー・サハレ(天上界に住んでいる神の名)が、人間に対して腹を立てた。チヒー・サハレは洪水を起こして、世界中の人たちをみんな溺れさせようと思った。そこで、一人のメディシンマン(医術や呪術にたけたもの)を呼び出して、「今からタコマ山に登って、山頂に掛かっている雲の腹に弓の矢を射込むがいい。そして、大水が出たら、矢の鎖を伝って天上界へ逃げるがよい。」と教えた。
メディシンマンは、すぐに弓矢を携えてタコマ山の山頂へ登った。そして、雲をめがけて、一本の矢を放つと、矢は雲の腹にしっかりと刺さった。メディシンマンは、また一本の矢を放った。すると、その矢は最初の矢の端に突き刺さった。第三、第四と順番に矢を射放つとそれがみんな先に飛んだ矢の端に刺さるので、暫くのうちに雲の腹から山の頂上にかけて、一筋の長い矢の鎖ができた。メディシンマンは山を降って、家に帰って、お嫁さんや子供たちや気立ての優しい動物たちを呼び集めて、「今に洪水が起こるから、みんな私の後についてくるがいい」と言った。そして、それらの者を引き連れて、タコマ山の山頂に登った。暫くすると、大雨が降り出した。雨はいつまでも、降り続いたので、大地の上が一面に水となって、その水がだんだんと高まって、タコマ山の頂に迫って来た。
メディシンマンは、それを見ると、矢の鎖を伝って天上界に昇るように伝えた。お嫁さんが真っ先に矢の鎖を伝って、登り始めた。子供たちがそのあとに続いて、動物たちがそのあとに続き、最後にメディシンマンが昇って行った。
メディシンマンは中空まで登ってから、何気なく下を振り向いた。すると悪い動物どもが自分の後から、ずらりと並んで登ってきていたので、「あんな悪い奴らを生かしておいてはためにならない」と言いながら、自分の足元から矢の鎖を切ってしまった。そこで、悪い動物どもはみんな水の中に落ち込んで、死んでしまった。大水が退いてしまうとメディシンマンは、お嫁さにゃ、子供や気立ての優しい動物などを引き連れて、矢の鎖を伝って、大地に降って来た。

解釈

ノアの時代のことなのか、ここでは箱舟や船などで逃れたのではなく、天に昇って逃れている点が、聖書と異なる。この話は上の水門と関係があるのだろう。ただし、アメリカの神話伝説Ⅰの方でも同様に上の水門と思われる情報しか扱われていない。
メディシンマンが医術や呪術にたけている点で、ノアと似ているとも思われる。また、この矢を伝って天へ昇ったことはバベルを建設しようという動機となった可能性がある。もしかすると、大昔の動物の住まう場所ではノアが箱舟に乗っている際には矢を伝っているように見えていた、または天上ではそのようにして箱舟の中でノアの精神は信仰を遂げていたのだろうか。どちらにしてもアメリカ北西では人間とは異なった感性によって事物が捕らえられていたようだ。

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尾長狼はなぜ狡いか

あらすじ

昔、チヤレヤ(アメリカインディアンが持つ一種の創造伸)が、いろんな生物を造った。一番に魚を作って、それから、いろんな獣を造り最後に人間を造った。チヤレヤは、人間に向かって、「お前が見る通り、わしはいろんな生き物をこしらえた。で、お前は、これらの生き物を調べて、お互いの位を定めてもらいたい。」と言った。人間が「承知しました、それでは生き物どもに一張りずつの弓を渡して、弓の長さで位を定めることにしましょう」と人間が答えた。人間は翌日、日の出るのを待って、みんなに弓を渡そうと思ったが、一匹の尾長狼が、チヤレヤと人間との話を聞き込んでもし自分が一番長い弓をもらったら、動物の中で一番偉い者になれるわけだから、今夜は眠らないでいて、夜が明けたら、仲間の者が寄り合うところに、真っ先に出かけていかなければならない、と思った。
夜はだんだんと更けていった。梟が怪しい声を立てた。狼が暗の中で吼え立てた。梟が頭の上で、パタパタと羽根を動かした。それでも尾長狼はまだ眠らなかった。そのうちに、夜が明けかかってきて、駒鳥が囀り、つぐみが鳴き始めた。尾長狼は、あんまり眠いのを我慢していたので、その頃になると、ぐっすり寝込んでしまった。暫くして尾長狼が目を覚ました。そして、びっくりして、みんなの集まるところに行ってみると、自分が一番おしまいに来たということが分かった。人間はもう長い弓をみんなに渡ししまっていたので、尾長狼の手に入ったのは、一番短い弓だった。
こうして尾長狼は、みんなの動物の内で、一番卑しい者になった。尾長狼は、それが口惜しくてたまらないので、激しく人間に吠え掛かった。人間は、困ってしまって、チヤレヤに向かって狼が腹を立てて困ります、どうしたらいいですか、と尋ねた。チヤレヤはそれを聞くと、「それでは尾長狼をみんなの動物の内で一番狡猾な者にしてやったらよいだろう」と言った。だから、今日でも尾長狼は動物の中で一番狡猾です。

解釈

この描写はアダムが動物に名前を付けていた時だろうか。もしそうだとしたら、尾長狼はアダムが生まれた時にはすでに楽園の内にいたということになるだろう。
しかし、アメリカ北西では弓に関する話が多いようだ。これはネブカドネザルと関係がありそうだ。

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鳥の頭

あらすじ

あるとき世界中の鳥が集まって、「一番遠くまで飛んで行って、天上界に届いたものを自分たちのお頭にしよう」と申し合わせた。そこで、鳥という鳥が一斉に空中に飛びあがった。そのとき一羽の鷦鷯(みそさざい)がそっと鷲の羽根の下に入りこんでいた。鳥どもは、上へ上へと昇っているうちにすっかり疲れてしまったので、みんな大地に降りて来た。ただ鷲だけがいつまでも上へ登って行った。わしは飛べるだけ高く飛んでから、下へ降りようとした。そのとき、鷦鷯が、鷲の翼の下から這い出して、ずっと上へ飛びあがった。
鷲が大地へ降りて来ると、鳥どもは、自分たちの数を数えてみた。すると、鷦鷯が、まだ帰って来ないということに気が付いた。しかし、鷲は、そんあことには気も留めないで鳥の頭は自分の他にあるまい、一番高く飛び上がったのはじぶんなのだから、と言った。するとちょうどその時、鷦鷯が大地に降りて来て、「いいえ違います。一番高く飛び上がったのは私です」と言った。それを聞くと、鷲は怒り出して、「そんなことがあるものか、お前のようなちっぽけな鳥が、私より高く飛び上がれるものか」と言った。鷦鷯は「確かにあなたより高く飛び上がったのですよ。なぜって、あなたが精いっぱい高く飛びあがって、今に下へ降りようとするとき、私は、あなたの翼の下から飛び出して、もっと上まで飛んでいったんですからね」
鷦鷯がこういったので、鳥どもはみんな仕方がなくて、鷦鷯をお頭にすることになった。

解釈

鳥の頭とはアフリカの神話に登場する鳥の王だろうか、また、エジプトのラーだろうか、はたまたマウイのことだろうか。これらの関係性が、この手の物語の鍵を握っていると思われる。

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熊と羚羊

あらすじ

あるところに熊と羚羊(かもしか)とが住んでいた。熊には二人の子供があった。そして、羚羊にも二人の子供があった。ある朝、熊と羚羊は子供たちを家に残して、草の根を掘りに出かけた。(未開人は草の根や木の実をとって、日常の食物としていた。)二人は、一生懸命になって、あちらこちあらを掘りまわった。そのうちに、羚羊の持って行ったかごは草の根でいっぱいになったが、熊は、まだ一本の草の根も掘り出すことができなかった。
あくる日も、二人は草の根を掘りに出かけた。そして、羚羊は、機能と同じように、まもなくかごいっぱいの草の根を手に入れたが、熊はほんの僅かばかり掘り出しただけだった。熊は、そのわずかな草の根を子供たちに与えながら、「小屋から滑り下りてはいけませんよ、そのようなことをすると、胆が体から離れてしまう。それから、丸太を飛び越えることもよしなさい。棒切れにぶつかるから。水の中に裳ぶりこむのも禁物ですよ、おぼれ死んではいけませんから。」と言った。
明くる朝、熊はまた羚羊と一緒に草の根を掘りに出かけた。この日も羚羊は、すぐにかごいっぱいの草の根を手に入れたが、熊は、ほんの少しバカライ見つけ出しただけだった。熊は、忌々しくてたまらないので、羚羊の側に行って、「虫が私の体を噛んでいます。どうか取ってください」と言った。羚羊は「少し待っていてください。家に帰ったら、私がその虫を噛みとってあげるから」と羚羊が言った。暫くすると、熊がまた「虫が、毛の中でひどく私を噛んでいる。どうか早く取ってください」と言った。羚羊は、仕方がないので、虫を殺すために、熊の毛皮をしきりに噛んでやり、しばらくすると熊が「ありがとうおかげでたいそう気持ちがよくなった。今度はお前さんの体についている虫をかみ殺してあげよう」と言った。そして、草の根を口に含んで、それをかみつぶしては、虫を嚙み殺しているようなふりをしていたが、やがて、羚羊の油断を見澄まして、いきなりその首にかみついた。羚羊は、そのまま死んでしまった。熊は、羚羊の体を小さく切り砕いた。そして、羚羊が持っていた草の根をすっかり位自分の籠に移して、その上に小さく切り砕いた羚羊の肉を載せて、家に帰って来た。
熊は、その肉を、自分の子供と、羚羊の子供とに分けてやった。羚羊の二人の子供は、しきりにその肉を食べていたが、やがて、年下の子供が、「変だな、これはお母さんのような味がするじゃないの」と言った。すると、年上の子供が、それを押し止めて、「お黙りなさい。そんなことをいうものじゃありません」と言った。そして、食べることをやめて、あくる日まで取っておくことにした。熊は、それを見ると、羚羊の子供たちに向かって、「インディアンが、お前たちのお母さんにたくさんの肉をくれたんですよ。だからお母さんは、インディアンの家で、夜を明かすことになったんですが、私は、少ししか肉をもらわなかったので、一人で帰って来たんです。明日になったら、おかかさんを探しに行ってあげるよ。」と言った。
明くる日になると、熊は、朝早くから出かけて行った。その留守に、羚羊の子供が、熊の子供に向かって、「小屋から滑り下りましょう」と言った。しかし、熊の子供たちはお母さんに言いつかっているので、「お母さんが、滑り下りてはいけないと言った。そんなことをすると、肝が体から離れてしまうでしょう」と答えた。暫くすると、羚羊の子供が、「では、あの丸太を飛び越えて遊びましょう」と言った。熊の子供は、「お母さんが、丸太を飛び越えてはいけないと言った。そんなことをすると、木の幹にぶつかるでしょう」と答えた。それから、また暫くすると、羚羊の子供が、「さあ、それじゃあ、水の中に潜って遊びましょう」と言った。熊の子供は「お母さんが、水の中に潜ってはいけないと言ったのですよ。そんなことをすると、おぼれて死んでしまうでしょう」と答えた。暫くすると、羚羊の子供は、「それじゃあ、煙でいぶしをして遊びましょう」と言った。すると、熊の子供は「お母さんは、いぶしをしてはいけないとは言わなかったんですよ。じゃあ、いぶしをして遊びましょう」と答えた。
そこで、羚羊の子供は、腐った木の枝を囲炉裏の中に投げこんで、自分たちが、まずその中に入った。そして、熊の子供に向かって、「さあ、囲炉裏に蓋をしてください。でも、煙がひどいんですから、しばらくたったら蓋を開けなくちゃいけませんよ」と言った。熊の子は、「ええ、開けるんですね」と答えながら、囲炉裏に蓋をした。羚羊の子供は囲炉裏の中で、
煙が二つ入って、煙が二つ出た。煙が二つ入って、煙が二つ出た。
と言っていたが、やがて、「おお、息が詰まる」と叫びだした。熊の子供は、すぐに囲炉裏の蓋を取った。羚羊の子供は、大急ぎで囲炉裏から飛び出した。今度は、熊の子が囲炉裏の中に入った。そして、「しばらくしたら、蓋を取ってくださいよ」というと、羚羊の子供は「ええ、取ってあげるんですよ」と答えて、囲炉裏に蓋をした。熊の子供は囲炉裏の中で、
煙が入って、煙が出た。煙が入って、煙が出た。
と歌っていたが、暫くすると、「息が詰まる、息が詰まる」と叫びだした。しかし、羚羊の子供たちは、囲炉裏の蓋を開けてやらなかったので、熊の子供は二人とも、囲炉裏の中で死んでしまった。羚羊の子供は、それを見すまして、蓋を開けて、熊の子供を引き出した。そして、その顔を赤く塗って、年上の方を小屋の頂に投げ上げて、年下の方を小屋の梯子に括り付けた。それから、家の中にある、あらゆる品物に向かって、「私たちがしたことを熊のお母さんに言いつけてはいけないよ」と言った。あらゆる品物は、「ええ、承知した」と答えた。しかし、屋根裏に刺さっていた錐(きり)だけは、羚羊の子供の目につかなかった。
暫くすると、熊が帰って来た。そして、子供たちの屍を見ると、すすり泣きをしながら、「羚羊の子供尾たちが、私に仕返しをした」と言った。そして、羚羊の子供を探したが、どこにも見つからなかったので大きな声を出して、「お前さんたちはどこにいるの」と尋ねた。羚羊の子供は「ここにいるんですよ。日向ぼっこをしているのです」と答えた。それを聞くと、熊は、急いで家の外に駆けだした。しかし、羚羊の子供は、そこにぴなかったので、また家の中に駆け込んで、「お前たちはどこにいるの」と声をかけた。羚羊の子供たちは「私たちは、家の外で遊んでいるんですよ。あなたは私たちがみつからないんですね」と答えた。熊はどうしても羚羊の子供の姿が見つからないので、家の中の品物に向かって、「一体、あいつらはどこにいるのかね」と尋ねたが、品物どもは、みんな黙っているという約束をしているので、何とも返答をしてくれなかった。熊は、困って、ぼんやり突っ立っていた。すると、屋根裏に刺さっている錐が、「お前さんが探している子供たちはとっくに逃げ出したんですよ」と言った。熊がどっちに逃げたのか、と尋ねると、ここに空いている穴から這い出した、と錐が答えた。
熊は、羚羊の子供たちの後をつけようと思って、穴の中に這い込んだ。穴が小さかったんで、しきりに体をもがいているうちに、とうとうそれを押し破って外へ飛び出した。家の中から逃げ出した羚羊の子どm太刀は、とある洞穴の中に入り込んだ。熊は、あちらこちらを探し回った後で、羚羊の子供たちが洞穴の中に隠れていることを突き止めたが、その時は、もう夜になっていて 、子供たちの姿がよくわからないので、火を燃やして、そのそばに寝込んでしまった。
羚羊の子供は、熊に見つかったということを悟った。で、年上の羚羊が年下の羚羊をゆすり起こして「私たちは追っつかれたんですよ」と言った。熊は、「明日になって、お前たちの姿がよく見えるようになったら、お前たちをひどい目にあわしてやるよ」と独り言を言いながら、火の側でぐっすり寝込んでしまった。羚羊の子供たちは、熊が本当に眠っているかどうか試してみるために、木切れを掴んで投げつけた。それでも熊は身動きもしなかったので、羚羊の子供たちは、その洞穴から抜けだして、一生懸命に駆け始めた。
どんどん逃げているうちに、羚羊の子供たちはとある川の縁に出た。そこには、一羽の年を取った鶴が突っ立っていた。子供たちは、鶴に向かって、「伯父さん、大急ぎで川を渡らせてください。私たちは、追っかけられているのです」と言った。年を取った鶴は、二人を渡してくれた。二人は、いままでのことを詳しく鶴に話して聞かせた。鶴は、気の毒に思って、二人を自分の家の内に隠しておいた。
夜が明けると、熊は「さあ、これからいよいよお前たちをひどい目に合わせてやるよ」と言いながら、勢いよく洞穴の中に飛び込んだ。しかし、洞穴の中はまるで空っぽでしたので、口惜しさに大地を踏み鳴らして、「うまく逃げ出したな、でも、決して逃がしはしないよ」と言った。そして、洞穴から飛び出して、どんどんかけていくうちに、川の端に来た。川の端には、年をとった鶴がたっていた。熊は鶴に向かって、「お前さんは子供を見たんだろう」と尋ねた。鶴は見てない、と答えたが熊は、そんなはずはない、足跡がちゃんとここまで続いている」と言った。鶴はそれでも見ていないと言った。熊は鶴が子供を隠そうと思っていると言って、川のを渡してくれと頼んだ。鶴は私には丸木舟がないと言って断ったが、熊は何でもよいから早く渡してくれと、急き立てた。鶴は、仕方がないので、長い長い二本の足を川の上に差し出した。そして、一本の脚には、盃を掴んでいた。熊は、その脚を伝って、だんだんと川の上に乗り出して来たが、川の真ん中に来ると、盃を取って水を飲んだ。それから盃の中に残っている雫を払い落とすために、こつこつと鶴の脚に打ち付けた。鶴は怒って、差し出していた足を引っ込めたので、熊は、水の中に落ち込んでしまった。
鶴は、自分の家から弓矢を持ち出して来て、熊を射た。いままで隠れていた羚羊の子供たちも、鶴の子供から弓矢を借り受けて、熊をめがけて射付けたので、熊はとうとう死んでしまった。

解釈

まず、なぜ羚羊は草の根をたくさん取ることができ、熊は取ることができなかったのだろうか。動物たちの魂は第一~第四の日の間の罪に依拠して生まれて来たのだろうか。そして第五の日に神によって創造されたときに善とされる動物が生まれたはずではあるが、善とされなかった魂はやはり勝手に動物として生まれたのだろうか。特に動物の世界にはこのような欲望をテーマとした因縁が多く存在するため、平等に関して考えを深めることができる。そして、熊はあらかじめ羚羊の子供が仕返しをすることを恐れて子供に言い聞かしていた。しかし熊は羚羊の考えることをすべては見こせなかった。このことは熊の罪に依拠することだと考えられるが、羚羊も実際に賢いという側面がある。
熊は言われたことを守ることが得意のようである。しかし、それ以外のことはわからないということだろうか。
二匹の熊の子供は、年上が小屋の頂、年下が梯子に括り付けられていたが、これは、バビロンの梯子を上ったのが熊だったというその罪を象徴しているようにも思われる。このことは韓国の神話におけるアリラン?(熊が天帝の嫁となりたがる話)との共通点を示唆している。
そして、羚羊は物忌みを理解しているのか、品物に自分たちのしたことを隠すように約束をする。これは鹿が奈良でまつられていることにも象徴されるように仏教的には鹿はよい生き物とされていることと関係があるようだ。そして、鹿は「屋根裏の錐」には気づかなかった。この点は熊に取って助け手となるのは「屋根裏の錐」かもしれないということである。この錐はアダムの持ち出した針と関係があるのだろうか。そして屋根裏は鼠の袋小路の屋根裏のことなのだろうか。すなわち、悪さをした動物が天地の秘密を知ったために、鼠の袋小路は作られ、そのような動物を罰することになった。そこはゲヘナと同様の存在なのかということである。また、ラーの船はこの袋小路を回るものだろうか。それとも、地球はまだ袋小路とはなっていないのかもしれない。
羚羊は洞穴の中に隠れていたが、熊は暗がりで彼らを探すことができなかった。さらに、羚羊は年寄りの鶴に助けを求める。この鶴はアズテックと関係があるのか。アメリカ大陸と日中韓は鶴によって一つになっているのかもしれない。この鶴の脚の上通って川を渡ることができるそうだが、どこの川だろうか。さらにこの鶴の脚には盃が掴まれているというが、ここで真っ先に浮かび上がるのはドイツのパルチファルの物語である。つまり、聖杯は鶴の持ち物であった、ということではないだろうか。こうして、パルチファルは鶴から聖杯を授かったということが連想できる。アメリカ北西の伝説は重要な物語が多いような気がする。ここでは雪寒と呼ばれる者の力が働くのだろうか。

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北極光

あらすじ

年を取った酋長が、一人の男の子を持っていた。その男の子は、他の者と一緒に遊ばないで、弓矢を手にしては、どこともなく出かけていた。そして、幾日も帰って来ないので、酋長が心配してどこに行ってどんなものをみるのか、と尋ねるが、男の子は、いつも黙っているだけだった。とうとう、酋長はたまりかねて自分の妻に、息子は変な子だから今度出かけて行ったら後をつけてみよう、と言った。あくる日になると、男の子は、また家を出た。酋長は悟られないように、そっとそのあとをつけて行った。歩いているうちに、だしぬけに双の眼がふさがって、なにも見えなくなった。そしてなんとなく、変な感じがしてきた。暫くすると、目が開いて、見るとそこには太陽も月も星もなかった。それでも、不思議な光が照り渡って、あたりが大変明るかったのでした。酋長は、自分の側に大勢の男や女や年寄りや子供がいるのに気が付いた。しかし、みんな酋長の住んでいる国の人たちとは、まるで違った様子をしていた。人々は、酋長の側に集まってきて、色々話しかけたが、首長には、その言葉がさっぱりわからなかった。酋長はどうしていいか、どこに行っていいかわからないので、ぼんやりと突っ立ったまま、光の国の人達が、遊び戯れているのを眺めていた。
光の国の人たちは、丸い球を空に投げては、それを手に受けていた。球は不思議な光に照らされて、いろんな色に輝いた。人々はみんな頭の上に光の球を戴いて、腰に七色の光る帯を纏っていた。主張は、この不思議な光の国で、四、五日過ごした。するとある日、一人の老人がそのそばにやってきて、酋長の国の言葉で、あなたはここをどこだと思っているのですか、と尋ねた。酋長は私にはそれがさっぱりわからない、と答えた。老人は「あなたは北極光の国に来ているのです。私もお前さんと同じように、下界の人間ですが、数年前にこの不思議な国に来て、そのまま帰らないでいるのです。これまで下界から来た者は、私一人でしたが、近ごろになって、一人の男の子がよくやってくるようになったんですよ」と言った。
酋長は「あなたはどうやって、ここにきたんです、どんな道を通って、やってきたんですか」と尋ねた。老人は「人魂の通る道を伝ってやってきたのです。(未開人は人魂が天の川を伝って天に昇ると信じている)」と老人は言った。酋長は「では、私の通って来た道もきっと人魂の道だったのでしょう。あなたはここへ来る途中で、目が見えなくなって、変な感じがしたんではありませんか」と尋ねた。老人は「そうです、私はだしぬけに目が見えなくなって、耳がきこえなくなったんですよ」と答えた。酋長は「では私たちは二人とも同じ道を通って来たんですね。時に、どうしたら私は、家に帰ることができるのでしょう、どうかそれを教えてください」と言った。老人は「北極光のお頭が今にお前さんを送り返してあげるでしょう」と老人が言った。酋長は「それでやっと安心しました。時に、あなたは、近ごろ一人の男の子がよくここにやってくると言いましたね。どうしたら、その子供に会えるでしょう」と尋ねた。老人は「光の球で遊んでいる人たちをよく見つめていらっしゃい。きっと、そのなかに男の子が混じっていますから」と教えた。ある日、一人の男が、光の国の家々を歩き回って、今から球遊びをするから、みんな一緒に集まってくれ、と言った。酋長はそれを聞くと、たいへんに喜んで、自分も球遊びの場所に駆けだした。球遊びが始まると、老人が主張の側にやってきて、「どうです、あの男の子がいますかね」と尋ねた。
酋長は「いますよ。一番光る球を持っているのがそうです。あれは私の子供ですよ」と言った。それを聞くと、北極光の国のお頭が、みんなを呼び集めて、首長とその息子とに別れを告げることになった。それから、お頭は、庭の大きな鳥を呼んで、「お前たちこれから二人を連れて、下界へ下っておくれ」と言った。庭の鳥は、首長と子供を乗せて、勢いよく飛び出した。しばらく行くと、二人とも気が遠くなって、目が見えなくなり、それからしばらくして、我に返ったかと思うと、いつの間にか自分の家の近くに来ていた。

解釈

未開人は天の川を渡って魂が天界へ登ると信じているという。天の川のことをミルキーウェイというかもしれない。それはシルクロードと通じていると思われる。そして、そこから来たものは蚕をすなわち絹を織るのだろう。天の川についてはよくわかっていないが、ペルシャからギリシャ、イタリア、フランスと続いていると思う。そしてフランスから北西アメリカへ抜けて、宇宙へつながっており、またその果てから日本につながっていると思われる。日本で毬突きをするのはそこから来たという名残であるようにも思う。ギリシャにもトリテクトリという球技があるという。ボールを使った遊びとはそこから来ている名残なのかもしれない。
ここでは子供を追って父が北極光の国へ行くが、子供は父より利口であるゆえに父の知らない天上に行き、父はそのような息子が理解できず、おかしく思い後をつけている。これはある種の子供理解を象徴している可能性がある。それはもちろん、キリストに見られる力の源泉と同様のもので、その力を父なるものは知らないという性質ゆえに子が父へ向かうのであるが、子供が父に興味を示さないというのは子供にとって防衛本能であり、また、向かうよりは懸命な判断であると言える。この点より父がこのような物語を理解することが、親子理解の第一歩となりうると思う。それは子供の国と言われる魂の原点を象徴している。永遠の命もそこにあるのだろう。ただし、この力については物質を成り立たせにくくする自由度があり、それゆえに人間が人間でなくなる可能性を秘めている。この点父祖の教えと言われる、いわば唯物論的な経験論は推奨されるべきではある。ただし、説教者はそれを強要してしまうという点で、信仰における正当な理由がない場合には口にするべきではない。このような観点は太平洋周辺の国の神話によくみられるのであるが、著しいのはペルシャのルスタムのような物語にある。これらの物語の多くは父が力ゆえに息子を殺してしまうというもの、子供がその好奇心ゆえに両親の愛を破壊してしまうというものである。

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雷鳥の話

あらすじ

昔、南風が北の方へ旅に出かけた。南風は、途中で女の巨人に出会った。南風が、腹が減ったので何か食べる者をくれ、と言うと、女の巨人は私は食べるものを持っていない、魚を取って食べるがいいでしょう、と言った。そこで、南風は、綱をこしらえて、海の中を引っ張りまわしていると、一匹の小さいクジラがかかった。南風は、それを殺そうと思って、石でこしらえた小刀を取り上げた。すると女の巨人が「鋭い貝を使ったらよいでしょう。医師の小刀ではだめです。そして、横に切ってはいけません。縦にお裂きなさい」と言った。しかし、南風は、巨人のいうことが聞こえないふりをして、クジラの背を横に切った。するとクジラはだしぬけに大きな鳥に変わった。鳥が翼を広げると、太陽の光を暗くしてしまった。鳥が羽ばたきをすると、大地がひどく揺れた。やがて、大きな鳥は、北の方へ飛び出して、大きな川の口に降りた。南風と女の巨人は、鳥を探すために、北へ歩いて行った。ある日、女の巨人が果物を摘み取っていると、飛び去った大きな鳥の巣を見つけ出した。巣には卵がいっぱい入っていた。女の巨人は、そのうちの一つを割ってみたが、よくなかったので、山の中風に放り出してしまった。卵は転がって、下の方の谷に着かないうちに、一人のインディアンに変わった。女の巨人は面白がって、巣の中の卵を掴んでは、一つ一つ投げ出した。すると、卵は、一つ一つ転げだして、みんなインディアンに変わった。チェハリス・インディアンは、こうしてできたのだった。そして、北へ飛び去った大きな鳥は、雷鳥の始まりであった。

解釈

この物語は北欧神話のニヨルドとスカジの結婚を思わせる。そして、クジラが鳥になったというのは何とも興味深いが、しかも雷鳥であるという。クジラが南風に切られたことで雷が生まれたのかもしれない。
そして、ここでは雷鳥の卵からチェハリス・インディアンが生まれているという。チェハリス・インディアンは鳥の卵から生まれたそうである。

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黄金時代

あらすじ

大昔には世界が一面の水でおおわれていた。そこには、陸と言うものが少しもなかったので人間も住んでいなかった。住んでいるのはただ一羽の雷鳥だけだった。
雷鳥は非常に大きな鳥であった。雷は、その羽根を動かすときに起こる音で、稲妻はその目を動かすときに出る光であった。
雷鳥は、世界を蔽っている水の上に舞い降りて、体を水に触れた。すると、たちまち大地が現れた。雷鳥は、いったん飛び上がって、それから、また水の上に体を触れた。すると、今度はいろんな動物が現れ出た。雷鳥は、人間に一本の矢を渡して、「これは非常に尊い矢だから、決して使ってはならない。大事にしまっておくがいい」と言った。そこで、人間たちは、その矢を大切にしまて置くと、そのおかげで、いくら年をとっても、死ぬということがなかった。あんまりいつまでも生きているので、食べ物のために、喉がすり減って、歩くために、足がだんだんと短くなるほどであった。
すると、人間は大変傲慢になって、「雷鳥はあんなことを言ったが、矢を使ったって少しもかまうことはないさ」と言いながら、雷鳥から貰った矢を射放った。すると、矢は、どこともなく飛び去って、それから、人間が死ぬようになった。

解釈

雷鳥が水の上に降りた時に地ができたとある。これが本当ならば、第三の日に水が一か所に集まった契機であり、地が乾いた理由であるはずだ。そして再び水の上に体を触れ、その時に様々な動物が現れたとある。これは第五の日エロヒームが、動物を創造した後の話かもしれない。また、牛を産むきっかけとなった可能性もある。また、雷鳥は人間に矢を渡している。この矢は誰の手に渡ったのだろうか。ここで思い出されるのは蓮の矢、ヨモギの矢、であるが、この矢を大切にすることで死ななくなったというが、ここでは老化が排除されていない。この点でこの矢による永遠の命は不完全であるが、これはアンデットの希望なのだろうか。しかし、これがために傲慢になったというところ、知恵を得るということが、人を傲慢にするということを示唆している点ではこの矢は知恵の水に近いところにあるのかもしれない。気がかりなのは、ルスタムが最後に放った弓が実はこの矢だったのではないかということである。というのもルスタムは長生きで死の際に弓を射ったのだから。そして、ペルシャのサエーナやチャムローシュ、ガオケレナとの関係である。ここで、アメリカやインドペルシャはもともと同じ場所にあったのではないかという疑問が浮かぶ。

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トーテム柱の由来

あらすじ

あるところに、一人の酋長が住んでいた。他の酋長が住んでいた。他の酋長たちはみんな踊りがうまいのに、この酋長だけはどうしても踊ることができなかった。酋長はそれを悔しがって、長い間踊りのことばかり考えて居たが、とうとう山の中に入り込んで、断食をすることになった。
酋長は四日の間断食をしていた。四日目に、寝込んでしまうと、自分の胸の上に緑色の蛙が落ちて来た。蛙は起きなさいと言った。酋長は起き上がってあたりを見回した。すると、蛙が、「あなたは大ガラスの背に乗っているのです。大ガラスは、あなたを載せて世界中を飛び回るでしょう」と言った。
やがて、大ガラスは、酋長と蛙とを乗せたまま、空中に舞い上がった。そして、世界中を飛び回って、いろんなものを見せてくれた。四日目になると、大ガラスは、一軒の家の前を飛びすぎたが、その家の前には、一本のトーテム柱(アメリカインディアンは自分たちの部族が、ある動物から出たと考えて居る。その動物がトーテムで、その姿を刻んだ柱がトーテム柱)が立っていた。酋長はその家とトーテム柱とを自分のものにしたいなと思った。すると蛙が、早くも酋長の心を悟って、「この人は、あの家とトーテム柱とが欲しいんですよ」と大ガラスに話したので、大ガラスはその家の側に舞い降りた。蛙は酋長に向かって「あなたは、戸の後ろに隠れていらっしゃい。そして、家の中の人たちが踊りだしたら、すぐに飛び込むんです」と言った。
家の中の人たちはまもなく踊り始めたが、暫くすると、一人の者が、誰かが自分たちの側に忍び寄っているようだ、と言った。それを聞くと、お頭が、「じゃあ、炎よりも速く走れるものが、家の周りを一回りして、とくと様子を調べてみるがよい」と言った。そこで、鼠が家の中から飛び出すと、酋長は手早く捕まえて、「私は、この家とトーテム柱とが欲しい、それから歌と踊りが欲しい」と言った。鼠は「それじゃあ、私が帰ってくるまで待っていらっしゃい」と言った。そこで鼠を離してやると、鼠は、たちまち家の中に飛び込んだ。お頭が誰か忍び寄って来たか、と尋ねると鼠は誰も見つからなかったと答えた。家の中の人たちは、また踊り出した。踊っているうちにお頭は、鼠に三度ほど言いつけて家の周りをまわらせたが、鼠は、三度目に酋長に向かって、「家の中の者が今度踊り始めたら、すぐに癒えの中にお飛び込みなさい」と言った。そこで、首長は家の中の人たちがまた踊り出すのを待ち受けて、いきなり家の中に飛び込んだ。踊り手どもは大変驚いて、黙りこくっていました。すると、鼠が酋長に向かって、あなたは何が欲しいのです、と尋ねた。酋長は「私はこの家とトーテム柱が欲しいのだ。それから、踊りと歌とが欲しいんだ」と酋長が答えた。鼠が、そのことをお頭に話すと、お頭は「それでは、その男を座らせるがよい。私たちが踊り方を教えてやるから」と言った。酋長が座り込むと、人々は一斉に踊りだした。暫くすると、お頭が酋長に向かって、「あなたはどんな踊りが欲しいんです」と尋ねた。酋長は「私は山彦踊りと小人踊りとが欲しいんです」と答えた。お頭は「それでは、山彦踊りと小人踊りとの面を挙げましょう。それから、家とトーテム柱も持っていらっしゃい」とお頭が言った。そして、家とトーテム柱とを小さく折りたたんで、面と一緒に束にしてくれた。そして、「家に帰り着いたら、この束を投げ出すんですよ。そうしたら、家もトーテム柱も、元の通りに大きくなります。そして、踊りもうまく踊れますよ」と教えてくれた。酋長はお頭から貰った品物を携えて、大ガラスのいるところまで引き返して来た。そして、蛙と一緒に園背に乗ると、大ガラスはすぐに空中に舞い上がった。暫くすると、酋長は、大ガラスの背の上で、ぐっすり寝込んでしまった。どれくらい眠っていたかわからないが、目を覚ましてみると、大ガラスも蛙も行ってしまって、自分はいつの間にか家に帰っていた。酋長は、お頭から貰った束を地に投げつけた。すると、たちまち一軒の家とトーテム柱とがそこに立っていた。村の人たちがその音を聞きつけて、集まって来た。そして、トーテム柱を見ると、みんなびっくりして、どこからこんな珍しい物を持って来たのか、そして酋長は永い間どこへいっていたのか、と尋ねた。酋長は変な顔をして「長い間って、僅か四日留守をしただけじゃないか」と言った。人々は、笑い出して、「とんでもない、四日ではありません。四年ほど留守をしていらっしゃったんですよ」と言った。主張はあきれたような顔をしたが、やがて、大ガラスと蛙とに連れられて、世界中を飛び回ったことや、見知らぬ国に行って、家やトーテム柱をもらってきたことを離して聞かせた。そして、みんなに山彦踊りと小人踊りとを踊って見せたので、今まで酋長を侮っていた人たちは、みんな顔を真っ赤にして恥じ入った。

解釈

この物語はロシアのフスジャッチン(ガリチア地方)で見つかったスヴャトヴィートの立像と関係がある気がするが、関係性は少ないようだ。ただ、この酋長の断食が戦いのように見られたのではないかとは思った。そのわずかな関係性は、ロシアがシベリアを通じてアメリカ大陸(西北)に通じるところがあることである。ただ、今の段階では関連をこれ以上見いだせない。

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子供の冒険

あらすじ

ある谷間に一人の老人が住んでいた。その老人は、二人の男の子を持っていた。二人の子供は、旅に出かけたいと思った。そして、父親に向かって、「私たちは旅に出たいと思うのです。お父さんも一緒にいらっしゃいませんか。」と尋ねた。老人は「私は年を取って体がひどく弱っているから、旅に出るのはごめんだ。お前たちだけで行ってくるといい」と答えた。そこで、二人の男の子は朝早く家を出て、小河に沿って歩いていると、豪猪(やまあらし)の足跡を見つけた。その足跡をたどって進んでいくうちに、大きな川の側に出た。川には、氷がいっぱい浮いていた。二人は、氷の上に飛び乗って、下へ下へと川を流れて行った。そのうちに、二人は、とある村に着いた。村には、若い女だけが住んでいた。二人の男の子は、不思議に思って、「この村には、若い男はいないのですか」と尋ねた。若い女たちは「ええ、そうです。若い男は一人もいません。居るのは若い女ばかりです。でも、私たちには、どんなに骨の折れることでもできますよ。男のできないようなことでも、ちゃんとやってのけますよ」と答えた。それを聞くと、年を取った方の男の子が、「お前さんたちがいくら力が強くっても、とても私にはかないませんよ」としきりに力自慢をしましたが、若い女たちはただ笑っているだけだった。
明くる朝、若い女たちは狩りに出掛けた。二人の男の子も、一緒に出掛けることにした。女たちは、年を取った方の男の子をかけぬいては、いろんなことを言ってからかった。男の子は怒りだして、「お前さんたちがいくら威張ってもこんなことはできまい。少し離れて、私を狙って、矢を放って見るがよい。もし矢が当たらなかったら、今度は、私がお前さんたちを射ることにするんだよ」と言った。それを聞くと、年下の男の子が、しきりに止めた。年上の男の子は、いよいよ怒り出して、お前は黙っていろ、と言って、なおも射比べをしようと言い張った。若い女たちは、とうとう年上の男の子のいうとおりにすることになった。
若い女たちは、年上の男の子をめがけて、一斉に矢を放った。男の子は、素早く身をかわしたが、それでも四本の矢が体に突き刺さって、地面に倒れて死んでしまった。弟はたいそう悲しがったが、どうとも仕方がありませんので、そのまま自分の村に引き返すことにした。若い女は「そんな道を行くと今に恐ろしい怪物に出会いますよ」と言って、しきりに引き留めたが、男の子はいうことを聞かないで、そのまま出かけることにした。
暫く、歩いていると斬り建てたが崖あって、崖の上に鷲の巣がかかっていた。巣の中に親鳥はいなくて、一羽の子鷲が入っていた。男の子は子鷲に向かって、「お前の両親が帰ってきたら、どんなことをするのかね」と尋ねた。「お母さんが帰ってくると雨が降ります。お父さんが帰ってくると雹ががふります」と子鷲が答えた。男の子は子鷲を殺して、両親の帰ってくるのを待っていた。まもなく、あたりが真っ暗になって、雷が鳴り轟いて、雨が降り出した。と思うと、びっくりするほど大きな雷鳥が現れて来た。男の子は矢を放って、それを射落とした。そして躍りかかって、こん棒でたたき殺した。それからまた歩いていると、一つの洞穴の外に身を隠して、大きな音を立てた。豪猪(やまあらし)は、その音を聞くと大変怒り出して、自分のしっぽをしきりに岩壁に叩きつけた。その隙を 狙って男の子は豪猪を射止めた。男の子はなおも進んでいった。すると、山猫の足跡を見つけた。男の子は、山猫に向かって、続けざまに矢を放った。山猫は、その爪で矢を引っ掴んでしまった。男の子は、矢を射つくしてしまったので、ぼんやり突っ立っていた。すると、山猫が、「そのあたりの雪をきれいにして、木の枝を積み上げて、それに火をつけておくれ。俺がお前を焼いて食ってしまうから」と言った。男の子は仕方がないので、木の枝を拾いに出かけた。すると、どこからともなく声がして、「早く私の背にお乗りなさい。私が首尾よく逃がしてあげるから」と言った。男の子は「あなた方はどこにいるのですか」と尋ねた。するとここにいるんですよ、という声が聞こえた。男の子は、不思議に思って、あたりを見回すと、自分の足元に、一匹の貂がうずくまっていた。男の子は自分が乗ったら、お前の体はつぶれてしまうだろう」と言った。すると貂は「そんなことはありません。私の上に飛び乗ってください。連れて行ってあげます」と貂が言った。
男の子は、勢いよくその背に飛び乗ったが、貂は動こうともしなかった。「お前の背は小さすぎるよ。すわることもできないじゃないか」と男の子が言った。貂は「私の背と首とに棒を並べて、その上に足をかけなさい」と言った。男の子は、言われたとおりにしてその上に足をかけた。貂はすぐに動き出して、男の子を家に連れ帰ってくれた。それを見ると、お父さんが大変に喜んで、貂に貝殻でこさえた首飾りをやった。

解釈

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梟と鴉

あらすじ

あるところに、梟と鴉が住んでいた。二人は、たいへん仲が良かった。ある日、鴉は、梟のために、新しい着物を作ってやった。それは、黒と白との反転のついている着物だった。梟はそのお礼に、クジラの骨で長靴をこしらえてやったばかりでなく、その上に、真っ白い着物を作って、鴉の体に合わせてみようとした。しかし、鴉は、絶えずあちらこちらと飛び回って、少しもじっとしていないので、とうとう梟が怒り出して、「そんなに動いては困る。私が鯨油のランプをもってお前の上を飛んでも、じっとしてしてなくちゃいけないよ」と言った。しかし、鴉は梟のいうことを聞かないで、やはりあちらこちらと飛び回るので、梟は、すっかり腹を立てて、ランプに入っている鯨油を仕立て下ろしの真っ白い着物に浴びせかけた。それ以来、鴉の着物は、すっかり真っ黒になってしまった。

解釈

鴉が昔白かったという神話、などの鴉の色にまつわる神話はとても多いが、ここでは鴉の色について梟が介入している点が実に興味深い。本来梟は神の使いとして描かれることが多い。これは梟によって鴉が太陽を(太陽石)盗んだ可能性を示唆している。
当然シベリアのタンゲンと創造主の話についての関連もうかがえる。神の使いとして描かれる梟にも何か問題があったということだろうか。そして、ギリシャ神話ではアポロンが太陽の馬車を引くというが、梟は鴉が太陽を盗む前には太陽に仕えていたのかもしれない。これはダビデの王国がやぶまれたソロモン以降の、また、イザヤ書の、そしてクルアーンにも言及されている、夜の中に昼が入り、昼の中に夜がはいるということをも示唆している。
ここで気づいたのが、この昼に夜が入り、夜に昼が入るということが、地球を現在の形に安定させた原因であるのではないかということである。それはすなわち、キリストの軌跡がその出来事によって引き起こされ、ついに地球の全貌が完成した。ということである。
さらにこの神話では、梟はクジラの骨で作った長靴を鴉にプレゼントしている。このことはアイヌの話で言われる、クジラが人間の海の幸として現れたことと関係がありそうだ。そして、その鯨がもしかしたら昭島鯨なのではないかということが今疑念として湧き上がっている。さらにインドネシアの神話で鴉が降り立ってできた島とは日本なのかもしれない。この点を考慮すると、太平洋全体の神話的体系が浮かんできそうだ。我々日本人はこの神話体系の上で日本神話をとらえなおさなくてはならない可能性がある。

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鼠と兎

あらすじ

あるところに、一匹尾鼠が住んでいた。そして、そのすぐ近くに、五匹の兎が住んでいた。ある日、鼠が兎に向かって、「おい、一つ喧嘩をしようじゃないか」と言った。兎は驚いて、「なぜ、私と喧嘩をするのか」と尋ねた。鼠は「何でもよいから喧嘩を始めよう。お前はキャベツの苦い葉っぱが何よりも好きだが、何という馬鹿者だろう」と鼠が喧嘩を吹っ掛けた。こうなると、兎も負けてはいないで、「お前は泥棒に違いないよ。ほんの昨日のこと、私は、お前が何か盗もうと思って、狙いすましているのを見届けたよ。それにお前さんの大きな耳は、あべこべに曲がっているじゃないか」と言い返した。鼠は「お前だって、キャベツの葉を盗もうと思って、紛った足で、そこらあたりを始終駆け回っているじゃないか」と鼠が言った。
「お前は老いぼれの大バカ者だ。おばあさんの着物に穴を開けるよりほかに、何一つできないじゃないか。だから、何とか、かんとか言って、私に襲い掛かろうとしているんだろう」と兎が言った。
鼠は、兎の住処から少し離れたところに網を張った。そして、棒を掴んで兎どもをオッ変えkると、一匹の兎が逃げていく拍子に、網に引っかかった。鼠はそれをたたき殺して、他の兎のところに行って、「さあ喧嘩をしようじゃないか」と言った。兎は「私たちはどうして喧嘩をしなくちゃならないんですか」と言った。鼠がしきりに「何でもよいから、喧嘩をするんだ」と挑みかかるので、兎もたまりかねて、「お前さんは、おばあさんの長い着物を食べてしまったじゃないか」と罵った。鼠は、大変腹を立てて、その兎を網の中に追い込んで、叩き殺してしまった。
こうして、鼠は片端から兎に喧嘩を吹っ掛けて、とうとう五匹とも殺してしまった。そして、大変に嬉しがって踊りまわっていると、自分の家に火がついて、自分もお母さんも焼け死んでしまった。これでお話はおしまいです。

解釈

兎と鼠の間にいったい何があったのだろうか。一つ悪魔がなぜ人をだますと儲かるかということがうかがえる話ではあるが、(というのは、相手をいら立たせて、それで向かってくる相手に自分も腹立って、その勢いで相手から何かを奪うという、他人であるゆえの駆け引きによって戦争を産んで戦利品を獲ているということである。)そもそもなぜ兎にいうのだろうか。
ただ、ブラジルの話では、兎が猫にしっぽを取られるという話がある。また、兎は自分の生活を考えるゆえになにかを失敗したという罪があるのかもしれない。鼠は本来、「ロメス」として初めに生まれた動物なのだろうと考えられるが、それゆえに兎の失敗を呪っているのだろうか。
そして鼠はお母さんと一緒に家が火事になってしまったという。これはこれで当然の報いなのかもしれない。

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太陽と月との喧嘩

あらすじ

昔、太陽と月が、大地の上に住んでいた。ある日、二人が喧嘩しはじめた。月が「私はもう我慢ができない。私が人間たちを集めると、お前さんは、すぐにそれを追い散らしてしまうじゃないか」と言った。すると、太陽が月に向かって、「私は、人間を大きくしようと思っているんだ。だから、四方に追い散らすんだよ。お前さんは、人間を暗闇の中において、飢え死にさせるじゃないか」といって、今度は、人間に向かって「お前たちは、これから体が丈夫になるだろう。わしは天上界に昇って、お前たちを眺めおろして射よう。お前たちのする仕事は、何もかも私が世話をしてやることにする。」と声をかけた。すると、月尾負けないで、人間に向かって、「私もまた天上界に住むことにする。そして、お前たちのする仕事は、私が何もかも世話してやることにする。」と言った。そして、太陽の後について、天上界に昇って行った。だから、今日でも太陽と月とは、代わる代わる空に現れて、人間のすることを世話している。

解釈

太陽と月が空に登った話であるが、第四の日の太陽と月ではなさそうだ。第四の日の月と太陽ならば、草や低木の後に生まれたから、人間が生まれていないはずである。しかし、アダムとイブの生涯でセトが太陽と月である二人のエチオピア人を見たとあるように、その時代ならばつじつまが合うかもしれない。ここでは太陽が人間を四方へ散らしたことと、月が人間を一か所に集めて、暗闇の中において飢え死にさせてしまうということを垣間見る程度かもしれない。

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タコマの吝嗇漢

あらすじ

昔向かいs、タコマ山のふもとに近いところに、一人の吝嗇漢(けちんぼ)が住んでいた。この男は、山に行って狩りをしたり、川に行って魚を取ったりするのが大変上手でした。だから、他の人たちが食べ物がなくて、飢え死にをしそうになっているときでも、人の知らない所から、魚をとらえてくることができるし、雪が深くて、獣どもが森の暗いところに隠れている時でも、絶えずおいしい肉を手に入れる」ことができるのであった。
ある晩、吝嗇漢はただ一人でタコマ山に登り始めた、夜が明けるまで登り続けて、そのあくる日もまた登り続けて、夜になって、頂に近いところに着いた。寒くて、お腹がすいてたまらなかったが、それを我慢して、月の光を頼りに雪踏み分けて、やっと頂に着いた。噴火口に降り積もっている雪に囲まれて、真っ黒い湖があった。そして、その向こうに、巨人のように高い三つの石がそびえていた。一番目の医師の頂は、鮭の頭のようで、二番目の医師の頂は、狼の頭のようで、三番目の石の頂は、鹿の頭のようだった。
吝嗇漢は鹿の頭をしている石の根を掘り始めた。石の根をたたくと、変な声がこだまを返して来た。びっくりして、後を振り向くと、黒ずんだ湖の中から、一匹の大きな川獺が現れて来た。大きな川獺がしっぽで雪の上をたたくと、小さい川獺が一匹現れた。大きな川獺は、幾度もしっぽで雪の上をたたいた。するとその他便い、小さい川獺が一匹ずつ現れて、とうとう十二匹になった。川獺どもは、しきりに石の根を掘っている吝嗇漢の周りを取り囲んだ。そして、大きな川裾が鹿の頭をしている岩の上に飛び上がると、みん唖が、一斉に大きな息を吹き上げた。吝嗇漢は、体がへとへとになったので、暫くの間掘ることをやめた。すると、川獺たちが、代わる代わるそのそばに来て、「まあ、そんなにがっかりしないで、もっとお堀なさい」というように、しっぽで吝嗇漢の片をたたいた。吝嗇漢は、また掘り始めた。掘っているうちに、棒が二つに折れた。それを見ると、大きな川獺が、石の上から飛び降りて、新しい棒を口にくわえて来て、吝嗇漢に渡した。
永い間掘っているうちに、石の下に大きな穴が現れた。穴の中には、貝殻のお金がいっぱい詰まっていた。吝嗇漢は、一掴みずつ貝殻を掴みだしては、。鹿の腱でこしらえた紐にそれを貫いたそうした紐が二十本ほど出来上がると、残った貝殻に土をかぶせて、急いで山を下りた。それを見ると、川獺どもは、黒ずんだ湖の中に飛び込んでしまった。吝嗇漢は、暫く行ってから後を振り返ると、いつの間にか三つの石は消え失せてしまって、黒ずんだ湖から、霧が立ち上っていた。吝嗇漢は、なんだか怖く案って、しきりに道を急いだ。まもなく嵐が起こって、あたりが真っ暗になった。そして、激しいアマ風の間から、「は、は、貝殻。は、は、貝殻。」という声がした。吝嗇漢はびっくりして、一本の紐を放り出した。すると暫くの間、雨風が衰えていたが、やがてまた「は、は、貝殻。は、は、貝殻。」という声がした。吝嗇漢はその声を聴くたびに、一本ずつ貝殻を貫いた紐を捨てなければならなかった。そして、最後の紐を放り出したときに、最後の暴風雨が吝嗇漢を地面に吹き倒してしまった。
吝嗇漢hは地に倒れたまま、長い間眠っていた。それから目を覚ましてみると、頭の上にタコマ山が日の光に照らされて、白く輝いていた。吝嗇漢は不思議に思いながら、山を降って谷間の小屋に着いた。小屋の中には、年を取った一人の女が住んでいた。いろいろ話しているとうちに、その女が自分の妻であることが分かった。吝嗇漢はびっくりして、「お前はどうしてそんなに急に年を取ったのかね」と尋ねた。妻は「年をとったのは、私ばかりではありません。あなたもすっかりおじいさんいなってしまいましたよ」と妻が答えた。「そんなことがあるものか、鷲が家を空けたのは立った三日ではないか」と吝嗇漢が言った。それを聞くと、妻が変な顔をして、「三日ですって、そんなことはありません。あなたは三十年の間、家を空けていらしたんですよ」と言った。すると、今度は吝嗇漢が大変びっくりして、「そんなことがあるものか」と叫んだ。妻は「では、あなたの顔を水に通してごらんなさい」と妻が言った。そこで、吝嗇漢は近くの水たまりに行って、のぞき込んでみると、顔がしわだらけになって、頭の毛が真っ白くなっていた。吝嗇漢は思わず溜息をついて、「欲張ったばかりに、ひどい目に遭った。もう貝殻のお金を探すのはこりごりだ」と言った。そして、その後はお金など欲しがらないで、楽しくこの世を送ることになった。

解釈

この話はタコマ山でのことだというが、このタコマ山は魔の山と呼ばれただろうか。トーマス・マンの「魔の山」を思い浮かべた。(この時点では読んだことがないが。)しかし、一番ピンとくるのは、料理屋に貝殻を紐で貫いたものを置いているのを昔よく見かけたことだった。このことはひょっとすると、昔欲深かった者が似たようないきさつで料理屋をやっているということかもしれない。山は3つで鮭の顔、狼の顔、鹿の顔であったが、男は鹿の顔の石の根を掘った。これは鮭が子を多く産むこと、狼が人をだまして物を奪うこと、鹿はそのようなことはしないこと、が関係ありそうだ。そして、貝殻を欲しがっているのは何者だろうか。これはこの地に住む亡霊か。アンデットの声のように思う。そして年老いた妻と遇うことになるが、男は3日しかたっていなかったと思っているが、30年もたっていたという。これは川獺の魔法だろうか。しかし、これは欲というものが単にあるものを独り占めにしているというわけではなく、実際に愛するものの美しさと関係しているという証拠である。女は物欲によって太るわけではなく、年を取るのである。逆にめんどくさがると太るのである。

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泣く子

あらすじ

あるところに、一人の男の子が住んでいました。お父さんもお母さんもいない孤児であった。男の子は、夜となく昼となく泣き続けて、片時も静かにしていませんでした。それでおばあさんが不思議に思って、どうしてそんなに泣いてばかりいるのか尋ねた。男の子はお嫁さんが欲しいから泣くのだと答えた。
おばあさんは、一人の女の子が東の方に住んでいるのを知っていたので、男の子に向かって、ずっと東へ進んでいくと女の子が一人で住んでいるからお嫁さんにしたらいいだろうと教えた。
男の子は、東へと進んでいった。すると、巨人の住んでいる家が見つかったので、その中に入り込んだ。巨人は男の子に朝飯を食べて行かないかと進め、この先に人殺しの岩があるから気を付けるようにと、言った。見るとすぐそばの日の上に肉片が五つ載せてあった。四つは大きくて、残り一つは小さい肉だった。巨人はこのうち好きなのを一つ取って、朝飯にしたらいい、と言った。男の子は肉をじっと眺めていた。すると、四つの大きな肉は人間の脛(はぎ)で小さいのは鹿の肉であることが分かった。男の子は小さい肉の一切れを取り上げて、それを食べた。朝飯が済むと、男の子は巨人にお礼を言って、また東へ東へと歩き出した。すると、まもなく、大きな岩の側に来た。それを見ると、男の子は、「これが巨人の教えてくれた人殺しの岩だな。この岩は、人間を見ると、すぐに落ちかかって、押しつぶしてしまうということだが、あの巨人が岩を見たら、小さい犬に姿を変えて、そろそろと岩の側を通り、もし少しでも岩が動き出したら急に駆けだすんだと教えてくれたから、自分もそうすることにしよう」と独り言を言った。そして、一匹の子犬に姿を変えて、岩を見上げながらそろそろと歩いていると、岩が少しずつ動き出したので、「さあ、大変だ。逃げろ」というなり、一散に駆け抜けてしまった。そして、また人間の姿に返って、東へとあるていると、はるか向こうに乙女の住んでいる家が現れた。乙女は、大きな馬を一匹持っていた。この馬は、人々が乙女の家に近づくのを見ると、すぐに駆け寄って、噛み殺したり、蹴り殺したりしてしまうのだった。
馬は男の子の姿を見ると、すさまじい勢いで駆け寄って来た。男の子はそれを見ると、素早く大きな石を二つ拾って、そのうちの一つに唾を吐きかけて放り出した。すると、馬はその石の方に駆けよって、前足で踏みにじった。その隙に、男の子は、乙女の住んでいる家の方に駆けよったが、まもなくまた馬が追いすがって来たので、もう一つの石に唾を吐きかけ、後ろの方に放り出した。そして、馬がそれを踏みにじっている間に、家の中に駆け込んだ。乙女は、男の子を見ると、なれなれしく話しかけて、「あなたお湯にお入りにならないの」と尋ねた。男の子は入りましょうと答えた。すると、女は火を焚いて、湯を沸かしてくれた。男の子は、何気なくその湯の中に入りますと、たちまち体がむくむくと大きくなって、やがて、一人前の大人の姿になった。翌朝、二人は連れ立って男の家に帰って来た。見ると、おばあさんが非常に年を取っていたので、男はびっくりして、「おばあさんあなたはどうして急にそんなに年を取ったのです」と尋ねた。おばあさんは「へんなことをいう、ちっとも急ではないよ。お前は、幾年も家を空けていたじゃないの」と言った。乙女はおばあさんの姿をじっと眺めていたが、やがて、男に向かって、「今夜おばあさんが、なにもかも私のいうとおりにしてくださったら、湯に入れて若々しくしてあげましょう」と言った。男が、そのことをおばあさんに話すと、おばあさんは「ええ、なんでもいうとおりにするよ」と答えた。そこで翌朝になると、乙女が湯を沸かして、おばあさんをその中に入れたが、おばあさんは乙女のいうとおりにしなかったので、若くなるどころか死んでしまった。
乙女は、男を連れて自分の家に帰ることになった。二人は、霊の大きな馬にまたがったが、馬がぐずぐずしているので、黒いさんざしの枝で鞭を作った。すると、その鞭は二人に向かって、「私はほかの鞭ほど長く持ちません」と言ったので、今度は煙の木の枝で新しい鞭をこしらえた。すると、その鞭は、「巨人が近く寄ってきたら、私を放り出してください。そうすると、巨人に巻き付きますから」と言った。二人は、泥で三本目の鞭を作った。すると、その鞭は、二人に向かって、「巨人が近づいたら、私を放り出してください。そしたら、巨人を泥の中に引き込んでしまいますから」と言った。二人は岩で四本目の鞭を作った。すると、その鞭は二人に向かって「巨人が近づいてきたら、私を放り出してください。そしたら、巨人の肉を引きさしてあげますから」と言った。二人は大きな山で、五番目の鞭を作った。すると、その鞭は、二人に向かって「巨人が近づいてきたら私を放り出してください。そしたら、巨人は私を乗り越えることができませんから」と言った。二人はそれらの鞭を手にして、巨人の住んでいる家の側にさしかかった。すると、巨人が家の中から駆けだしてきて、男に向かって、「お前の妻をくれろ」と言った。男は「私に水を一杯ください。そしたら、私の妻を挙げるから」と答えた。巨人は、それを聞くと、木を取りに家の中に入った。その隙に男は馬をあおって、一散に逃げ出した。巨人は騙されたと知って、大急ぎで追っかけて来た。男は、煙の木でこしらえた鞭を放り出した。鞭はたちまち巨人の体に巻き付いた。巨人は驚いて、やっとのことでそれを取り除けて、また追っかけて来た。
男は、泥でこしらえた鞭を投げ出した。すると、そのあたりが一面にぬかるみとなったので、巨人は、そこを乗り越えるのに、大変骨を折りました。そして、また追い迫って来たので、今度は、岩でこしらえた鞭を投げ出すと、鞭は、たちまちかどかどしい岩になって、ひどく巨人の肉を傷つけました。それでも、やはり巨人は、どんどん追っかけて来るので、一番おしまいに、大きな山でこしらえた鞭を投げ出した。すると、さすがの巨人も、それを乗り越えることができないので、二人は無事に 家に帰り着いた。

解釈

この神話は特に心理学的な、元型的に分析しやすい内容となっていると思う。この話についてはすなわち、男女の物語という側面が強い。いわゆるアニマ原型によるものである。しかし、ここで注意したいのが、この湯を沸かす乙女の存在が本当か、幻かという問題である。
それはさておいたとして、男の子はなぜ泣いたのかということが言及されなければならない。ここではお嫁さんが欲しいと言っているが、それはもともと耐え忍ぶことで得るべきものであるが、この男の子はそれを耐え忍ぶことができない理由があるようである。無論、男の子の運命の相手が遠く異国の地にあり、生きてあえることがかなわないということが分かっているか、相手の異性がすでに他の者に知られ辱められたかのどちらかである。この問題に対しておばあさんが解決を引き受ける。ここで、おばあさんはなぜ東の方に乙女がいることを知っているのかという疑問がある。この疑問は女はテレパシーでは周囲の同姓同士で連絡を取りうるすべを持っているという視点が解決してくれる。ここで、おばあさんはすでに夢か風の噂に聞く、確かに一人の男を愛する資格を持っている、男の子の運命の相手の代理を務められる乙女に気付いている。(もっとも、男の子が精神的に弱い、または、本当にその乙女が男の子の運命の相手であったという可能性は、予測上では、日本の小説に例証されている、老女の弊害と対比することができる話であるという程度でしか否定しえない。)
ここに我々は知られざる女の優れた慣性を見出すのである。そして男の子は乙女を求めて旅路を行くが、途中巨人と出会っている。この巨人は男の子に朝飯として5つの肉から好きな肉を男の子に選ばせている。ここで男の子には信仰における知恵が与えられている。というのはすなわち精神元型から来ていると思われるもので、4つは人間の脛で、1つは鹿の肉だということだ。鹿の肉は鹿のガンダールバ婚を認めざるを得ない理由から男の子の運命が大きく変わってしまったことによる代償として支払われ、仮に男の子に信仰のかけらもなければ、食人種と同様、好き勝手な婚姻のために旅に出たことになるのである。そこで知恵を求めた男の子は確かに信仰があると云えよう。そして、女の子の飼っている馬が現れる。この馬は確かに女の子を守るように動いているが、この馬はどう考えても乙女のアニムスであり、女の子の運命の相手となるべき男の精神上の態度を表したものと考えられる。すなわち、女の子を守ろうとしているが、ひどく過剰であるということがうかがわれる。これは女の子を守ろうというのではなく、女の子をわが物としようという念が強いという証である。ここで、おばあさんの想いがなぜこの乙女に止まったのかが予測される契機が与えられている。そして、純粋な愛情を持て余している男の子はいともたやすくこの馬を扱いこなすのである。そして、乙女の家では乙女はなれなれしく男の子に話しかける。これは乙女はこの男の子が来ることを予測することができていた証拠かもしれない。
そして、男の子はここで風呂に入って大人となるという。この点については男の子自身が愛によらなくては成長できないことを知っていて泣いていたことを連想させる。女の子も男がそうであることを知っているとも思う。ただ、ここでなぜ湯なのかが疑問に思われる。安直に考えるのであれば、男が女に入ったということだと考えうるが、果たしてそれは水(温水)によるなんらかの効果によるのか、この乙女の能力なのかという点が第一に考えられるだろう。そして、二人は馬に乗っておばあさんのところに行く。そして、おばあさんが年を取っていた。男の感覚では家に戻るまでに差ほど時間がかかっていないかのようであるが、おばあさんは幾年も待っていたという。ここで乙女は最初のおばあさんを凌駕するほどの試みを引き受ける。すなわち乙女はおばあさんが乙女のいうことをすべて聞くならば湯に入れて若返らせるというのである。なぜ乙女はこの試みを引き受けたのだろうか。ここでは、まず、おばあさんの悪行が仕方のないことであったかが確かめられていると考えられる。つまり、男の子に至らない情をもって接していたがために男の子が鳴いてしまったのではないかということである。さらに、これは飛躍しすぎと思われるかもしれないが、おばあさんの行いによって乙女は特別に虐げられていた可能性を否定できない。すなわち、両者はこのおばあさんの悪行の罪滅ぼしによって結ばれているのである。ここには無論おばあさんの信仰の表れがあったが、これは聖に属さない、最低限の信仰である。しかし、晴れて両者はおばあさんによって引き合わされたので、最後神からの慈悲を与えられているのである。しかし、おばあさんはこの試みに反して乙女のいうことを聞かなかったという天で、女の秩序にいくらか至らない点があぶりだされたのであろう。
そして、最後乙女は男の子を連れて自分の家に向かっている。その際、馬はぐずぐずしている。ここでもこの馬が乙女のアニムスでまた乙女の運命の相手の念でできていることがうかがわれる。すなわち、この馬は二人が結ばれることを拒んでいるのである。すなわち、この馬はここまで二人を運んではいるが、おばあさんによって疑念や障害にかられると思っていたのかもしれない。そこで二人は馬を打つ鞭を作る。ここではトリックスター元型だろうか。執拗な現実をものともしないような不思議な力で巨人を倒す術を与えられている。ただしこの巨人が最初に男の子が出会った巨人かどうかが書かれていない。ただ、この巨人が最初の者と同一である可能性はネフィリムが生んだ巨人が許されないガンダールバ婚によって生まれているため、この二人の結婚も許したくなかったが、始め男の子を試した際にそれが認められなかったが、現実にガンダールバ婚を達成しようとしているところに見出される。(いずれにしても巨人はガンダールバ婚をひどく嫌うしかないのだろう)ここまで来ると巨人を欺く男も愛によって、物欲を利用したトリックを駆使し巨人をだまし、あらかじめ手にしていた不思議の力によって無事に二人は家に着く。という流れである。
以上のような分析となるが、この二人の距離は時を超えるほどの壮大さによって、おばあさんも見事に時間を見失っている。しかし、このような恋愛話においても、雷鳥の力や動物たちのやり取りが深く反映されていることがわかるし、これらの問題が時間に関与しているということがうかがわれる。ここに西北アメリカの神話が時空を舞台にした物語であることが判明されうるだろう。

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幽霊の話

あらすじ

ある時、幽霊たちがお嫁さんを買いたいと思った。そこで、彼らはお金を出し合って、青い懸巣(かけす:カラス科の鳥)の妹を買い込んだ。しかし、翌朝になると、女の姿は見えなくなってしまった。幽霊どもは怒って、懸巣に向かって、せっかく金を出して買ったのに逃げ出すなんてひどい、と言った。懸巣は自分が探してくるから暫く待ってくれ、と言って妹を探しに出かけた。懸巣はあらゆる木に死んだ者がどこに行くのか尋ねたが、木は何とも答えなかったので、今度はあらゆる鳥に死んだ者がどこに行くのか尋ねたが、鳥もやはり何とも答えなかった。そこで、懸巣は一番おしまいに楔のところに行って、死んだ者がどこに行くのか尋ねた。楔はまず、お金をくれたら教えてあげると答えたので、懸巣はお金を払い、楔は懸巣を連れて旅に出た。暫くすると、二人は大きな村に着いた。その村にはたくさんの家があったが、一番大きい家だけが煙を立てていた。楔は、その家を指さして妹があそこにいると言った。懸巣がその家に入り込むと、果たして妹がいた。妹は、懸巣を見ると、どこから来たのか尋ねた。懸巣は、私は死んだのではなく、楔が、ここに連れて来たんだ、お前は死んだのか、と尋ねた。しかし、妹は何とも答えなかった。懸巣は、あちらこちらにある家に入って見た。するとどの家も骨でいっぱいになっていた。懸巣はびっくりして、妹の方を振り向くと、いつの間にか妹の側にも一つの髑髏とたくさんの骨とが横たわっていた。懸巣は、髑髏なんか側において、どうするつもりかね、と答えたので、懸巣はますます驚いた。
そのうちに日が暮れた。すると、骨という骨がみんなむくむくと動き出して、一人前の人間になった。懸巣はそれを見つめながら、この人たちはどこから来たのか尋ねた。妹は、「あなたはこの人たちが生きていると思うんですか。この人たちはみんな幽霊ですよ」と妹が答えた。暫くすると、妹は、懸巣に向かって、この人たちと一緒に魚を捕りに行くように言ったため、懸巣は、人々の後について、魚を捕りに出かけた。幽霊どもはみんな大変低い声で話し合っていたが、懸巣には、何を言っているのやら、さっぱりわからなかった。川の側に来ると、一隻の丸木舟が川上から下って来た。船の中の人々が歌っているのを聞いて、懸巣も大きな声で歌いだすと、幽霊どもは、たちまち骸骨になってしまった。妹が、大きな声を出してはいけない、というので、懸巣が歌をやめると、骸骨は、また動き出して、人間の姿になった。
幽霊どもはしきりに川の中に網を引っ張りまわした。そして、木の葉や、木の枝が網にかかるたびに、鮭が取れた、鱒がかかった、などと大騒ぎをする。懸巣は、それがおかしくてたまらないので、「なんだ、それは木の葉や、木の枝じゃないか」というと、妹は、慌ててそれを押し止めて、そんなことを言わないで黙っているように言った。それで懸巣はその場は黙って過ごしたが、ある日幽霊たちがみんなばらばらの骨になっているのを見すまして、子供の頭を老人の体にくっつけたり、女の足を男の胴体にくっつけたりしたので、とうとう幽霊どもが怒り出して、妹に、悪戯をする者は、ここに留めておくわけにいかないから早く人間界に送り返してくれ、と頼んだ。そこで、妹は懸巣に、向こうにある丸木舟に乗って、人間界に帰るよう、また、途中で決して後ろをふり向いてはならない、と言った。見ると、丸木舟はみんな苔におおわれて、あちらにもこちらにも、穴が開いていたので、穴の開いた船に乗ったら、すぐに沈んでしまう、と言うと、妹は大丈夫だから早く乗るように、と答えた。懸巣は仕方がないので、穴の開いた船に乗り込んで、静かに漕ぎ出した。すると不思議に水が少しも入ってこないので、安心のあまり、妹に戒められたことを忘れて、うっかり後ろを振り向いた。すると、たちまち死んでしまって、幽霊の仲間入りをしなければならないようになった。そして、幽霊どもの住んでりう世界に引き返してくると、今までただの骨とばかり思っていたのが、みんな本当の人間であり、木の葉や木の枝と見えたのが、まぎれもない鮭や鱒であり、苔に覆われた、穴だらけの船と思ったものが、真新しい船であることに気が付いた。

解釈

キーワードは、カケス、楔、である。妹は死んだのかと尋ねられたがなんとも答えていない。幽霊は低い声で話し、大きな声に弱く、また、人間にとってごみ屑であるものが彼らにとっては様々な物である。しかし本当のことを言ってはいけないということだった。そして体をを入れ替えたりしたことがとがめられて、人間界に返らされる。そしてカケスはけっして振り返ってはならないということを聞く。 カケスは振り返るがそれで再び幽霊の住処に戻ってきて、今まで見ていた骸骨やごみ屑は本当にゆうれいたちが言っていたと通りのものだった。
この話はまぎれもなく彼らの文化そのもので説明のしようがない。しかし銀狐が創造した人間と言うだけあって、木の葉や木の枝が様々な物となっている。ここではこの話に言及できることはない。

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巨人の子孫

あらすじ

昔太陽がまだ若くて、星ほども大きくなかった頃に、遥か海の沖合に一つの島があった。島には巨人たちが大勢住んでいた。巨人たちは、体の色が真っ白であった。そして、スコマルトという背の高い女がその頭をしていた。
ある時巨人たちが互いに喧嘩を始めた。それを見るとスコマルトは大変怒り出して、巨人たちを島の遠い隅の方に追いまくって、その隅の部分を島から引き裂いた。そして足で強くけると、島の欠片は揺れて、波の上に浮かびだした。島のかけらは幾日も海の上を漂っていた。そして、嵐が荒れまわったり、日が照り付けたりしたので、巨人たちは一人死に二人死にして、、あとでは、男が一人と女が一人残っただけだった。
二人は鯨をとらえてその肉を食べたり、油をすすったりして命をつないでいた。そのうちに島がだんだん沈み始めたので、二人は、一隻の丸木舟を作って、それに乗り込んだ。幾日も幾日も波の上をこぎ続けているうちにやっと陸が見えて来たので、二人は大急ぎで丸木舟をその方にこぎ寄せた。二人は陸に上がって、ほっと安心の息をついたが、毎日日に照りつけられていたので、今まで雪のように白かったからだが、真っ赤になった。二人は、大勢の子供を産んで、オカノガン族の先祖となった。だから、オカノガン族は今日でも真っ赤な体をしている。

解釈

太陽がわかいころとはいつの時代だろうか。海の沖にある島に巨人がいるというのは日本だろうか。それともオーストラリアやニュージーランド、はたまたインドネシアフィリピンだろうか。そして、島流しのように島を切り離している。これは流刑と似ているように思える。仮に日本であったならば、流された島は小笠原諸島だろうか。嵐や日照りの後二人の男女のみが生き残ったというがこの島から二人は北アメリカの方へと向かっている。初めは雪のように白かったという点で、日本人を想像できるが、真相は定かではない。
しかし、北アメリカの神話は日本と密接に関係を有しているということがうかがわれる。アイヌの神話では船が出ていくのを見送る歌がある。クジラにせよ、共通点が多いのは感慨深い。

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尾長狼と熊

あらすじ

あるところに、大変怒りっぽい一匹の熊が住んでいた。ある日、森の中を通っていると、一群のインディアンに出会った。熊はそれを見るとすぐに怒り出して、インディアン達を一人残らず食べてしまった。夕方になって、熊は自分の家に帰って来た。すると、頭がひどく痛み出したので、顔をしかめながら、「あんまりインディアンを食べすぎたのが 、悪かったんだろう」と独り言を言った。
頭の痛みは、一週間たってもやまなかった。熊はとうとうたまりかねて、使いをやって、お医者様の尾長狼を呼ぶことにした。尾長狼は、「あんな怒りっぽい奴は死んでしまうがいい。あんな奴が死んだって、誰も損をするものはいない。いや、みんな大喜びするだろう」と言って、出かけようともしなかった。しかし、妻が「そんなことを言わないで、行ってらっしゃい」としきりに勧めるので、いやいやながら熊野家に出かけて行った。そして様態を見て、「あなたはあんまり果物を食べすぎたんでしょう」と言った。熊は顔を赤くしながら、「そうですよ」と答えた。尾長狼が、薬を飲ませると、頭の痛みがすぐに取れた。尾長狼は家に帰ると、みんなに向かって、「熊の奴は人間を食べすぎて、病気になったんですよ。それだのに、私が、果物を食いすぎたんだろうと尋ねると、ぬからぬ顔をして、ええ、そうですよ、なんて答えるんじゃあありませんか。なんて太い奴でしょう」と話しました。
熊がそれを聞きつけて、真っ赤に怒って、尾長狼を追っかけた。尾長狼は大変驚いて、丘に駆けのぼったり、谷に駆け下ったり、森の中を走り抜けたりしたが、熊はどこまでも追っかけて来るので、水牛に姿を変えて、道端で草を食べていた。熊は「狼がどんなものに姿を変えてもそのままにはしておかない」と考え、水牛めがけてとびかかって来た。それを見ると、水牛はまた元の姿に戻って「お前は老いぼれの馬鹿者じゃないか。どんなにしたって、つかまるものか」と言いながらどんどん逃げた。熊は、いよいよ怒って、勢い鋭く追い迫って来た。尾長狼は困ってしまって、痘痕面の老人に姿を変えて、とある家の中に座り込んでいた。するとやがて、熊がのこのことその家に入ってきて、「誰かがこおを通ったでしょう」と尋ねた。老人に化けた尾長狼は「ええ、通りましたよ。一人の男が、橋を渡って、川向うに行きました」と答えた。見ると向こうに川があって、柳でこしらえて橋が架かっていた。熊はすぐにその橋を渡りかけたが、橋はその重みで真ん中から二つに折れたので、真っ逆さまに川の中に落ち込んで、そのまま死んでしまった。老人は、元の尾長狼の姿に返って、自分の家に戻って来た。そして、みんなに熊の死んだことを話すと、みんなは「いい気味だ、あんな怒りっぽい奴は死んでしまったほうがいい」と言って、大変に喜んだ。

解釈

熊が人間を食べるというのは本当だろうか。韓国では熊が天帝の嫁となりたいと望んでいるが、その願いは罪であった可能性を否めない。ここでいう尾長狼は神の使いとして、熊を葬ったことになるのだろうか。また、尾長狼はしばしば水牛に変わっている。その他のアメリカ神話でもこのような水牛との関係を含むものがあるが、どのように関係しているのだろうか。

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尾長狼と竜

あらすじ

昔ある谷間に、一匹の竜が住んでいた。流派、昼の間は洞穴の中に隠れているが、夜になると、のそのそと這い出して来て、人間を見つけ出して、片っ端から食い殺していた。そして、夜が明けかかると、また洞穴の中に引き返して、澄ました顔をしているのであった。
尾長狼はそれを見て、どうにかして人間を助けてやろうと決心した。いったい竜と言うものは、日の光が大嫌いで、それに撃たれると、目がつぶれてしまうのであった。そこで、尾長狼はある日、かんかんと日が照っているのを見澄まして、弓矢を手にして、山の井t抱きに登った。そして、太陽を目掛けて、一本の矢を放つと、その矢は上へ上へと飛んで行って、太陽に突き刺さった。尾長狼は、それをみると笑いながら、二本三本と順々に矢を放った。矢は、順々に先に飛んで行った矢の頭に突き刺さったので、暫くすると、一本の長い矢の鎖が、太陽から大地までぶら下がって来た。尾長狼は、矢の鎖を掴んで、力任せに引っ張った。たちまち太陽が大きな音を立てて、、地面に落ちて来た。尾長狼はすかさず太陽を掴んで、川の中に隠したので、世界中が真っ暗になってしまった。
竜は、夜が来たと思って、洞穴から、のそのそと這い出した。それを見澄まして、尾長狼が、出し抜けに、矢の鎖を断ち切ったので、太陽は、すぐに川の中から這い出して、大空に飛び上がってしまった。激しい日の光がさっと竜の目を射つけた。流派はっと思う間もなく、目がつぶれてしまって、そこらあたりにうろついていた。それを見ると、尾長狼はいきなりとびかかって、叩き殺してしまった。

解釈

ここでは、竜が人間を食べていたという。このような竜が人々をいけにえとする話はたくさんある。この手の話はインドを起源としていると思う。悪竜が生まれるということは確かにあるようだ。竜に関しては崇高な竜と、邪悪な竜の二種類ある。どれも天の意思をどのように実行するのかという点において邪悪にも崇高にもなりうるのである。
そして邪悪な竜であったと思われるこの話では尾長狼がその竜を倒している。ここで注意したいのは、尾長狼は太陽を川の中に隠しているということである。この話が本当であるならば、太陽は一度川の中に入っていることになる。中国の神話では太陽は複数存在するという記述も見られる。これは太陽が水によって分裂した可能性を示唆するものとなる。また尾長狼は矢を用いて、鎖を作っている。これは洪水の際と同様の方法であるという点にも注意が必要だ。

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水牛国に行った尾長狼

あらすじ

ある時尾長狼が、食べ物が見つからないで、弱ったことがあった。尾長狼はお腹がすいて、ある行くのに大儀になったためとなある家に入り込んで横になっていた。すると、誰かが自分を呼んでいるような気がしたので、起き上がって、あたりを見回したが、あたりには誰もいなかった。暫くすると、また誰かが呼んでいるような気がした。尾長狼は、起き上がって、気を付けてあたりを見回した。すると、遥か向こうに一羽のわしが飛んでいるのに目がついた。尾長狼は、どこへ行くのか尋ねた。鷲は「遠い遠いところに一つの国があって、そこには、いつも水牛がたくさんいるんですよ。私は、そこに行っているのだ」と答えた。尾長狼は自分もその国へ行くと言い出した。鷲は、尾長狼は身体が弱すぎてとてもいけないから駄目だ、と言った。尾長狼は怒って、自分はどこにでも行ける、と叫んだ。そして、家から飛び出して、毎日歩き続けてると、十五日目に鷲の言った国に着いた。
その国には水牛がたくさん住んでいた。ある時一匹の大きな熊がやってきて、覆い張りで毎日のように水牛を殺していた。尾長狼は、お頭気取りをしている熊の様子が癪に触って、「あいつ、知恵のないくせに、お頭のような顔をしている。俺が一つ、へこましてやろう」と思った。そこで、大きな水牛を殺して、肉を小さく刻んで、日の当たるところに吊り下げて、それから、どんどん火を起こして、真っ赤に石を焼いた。熊は、尾長狼が水牛を殺したということを聞き込んで、のこのことそこへやって来た。そして、つるしてあった肉を眺めながら、横柄な口調で、「うん、これはなかなかうまそうな肉だ、貰うことにする」と言った。すると、尾長狼は、あなたのために取っておいた、と言いながら、真っ赤に焼けた石を肉で包んで、熊野前4に差し出した。熊は何気なくそれを口の中に入れたので、たちまち大やけどをして死んでしまった。人々は大変い喜んで、尾長狼を自分たちのお頭にした。
ある日、尾長狼は水牛狩りに出かけたが、どうしたのか、その日に限って一匹も水牛が見つからなかった。尾長狼は不思議に思って、五日の間あちこちと歩き回ったがそれでもやはり水牛は影も形も見せなかった。尾長狼は空手で帰るのが恥ずかしいので、むやみに歩き回っていると、一匹の狼に出会った。狼がどこへ向かっているのか尋ねると、尾長狼は世界中を旅しているのだ、と答えた。狼はそれを聞くと、向こうへ行ってしまった。暫くすると、たくさんの肉を持った男がやって来た。それを見ると、尾長狼は、道端に倒れて、死んだふりをしていた。男は、尾長狼の側に立ち止まって、「これはよい毛皮になる」と言いながら、尾長狼を拾い上げて、肉の上にのせて歩き出した。尾長狼は男におぶさりながら、腹いっぱい肉を食べて、それから、そっと逃げ出した。すると、また狼がやってきて、「お前さんは太ったようですね。どこで肉を手に入れたんですか」と尋ねた。尾長狼は「肉をしょっている男に出会ったので、死んだふりをしていると、これはよい毛皮になると言って、私をしょい込んだのだ。それから先は言わなくてもわかっているだろう。お前の毛皮は、私のよりずっと見事だから、死んだふりをしたらきっとたくさんの肉が手に入るよ」と尾長狼が言った。そこで、狼は、肉をしょっている男の先回りをして、道端に倒れて、死んだふりをしていた。男はそれを見ると、「これは本当に良い毛皮だ。だが、さっきのこともあるから、まず死んでいるか、生きているかを試してみなくてはならない」と言いながら、棒を振り上げて、ひどく狼の体を殴りつけた。狼はびっくりして、逃げ出した。そして、「あの尾長狼はひどい奴だ。俺をだまして、痛い目に合わせた。あいつを殺さなくては気が済まない」と言いながら、尾長狼を追っかけた。そして、「お前さんは、なぜ私をだましたのか。命を取るからそう思え」と詰め寄った。すると、尾長狼は「少し話したいことがあるから、待ってもらいたい。話がしまいになったら、殺してもかまわないよ」と言った。狼はどんな話かと尋ねた。尾長狼は「狼と言っては、お前さんと私だけだ。二人だけで喧嘩をするのはばかばかしいだろう。めいみえ、ほかのやつらを味方にして喧嘩をしようではないか」と言った。狼はその話を承諾した。そこで、尾長狼は一方に行き、ただの狼は、他の方に出かけて行った。暫くすると、狼は熊に出会った。狼が尾長狼と喧嘩をするから加勢をしてくれと言うと、熊は承知した、と答え、狼について行った。暫くすると、今度は土竜に出会った。狼は、尾長狼と喧嘩するから、加勢してくれ、と言った。土竜は承知したと答えて、狼について行った。尾長狼もだんだん歩いて行くうちに、猫と犬とに出会った。尾長狼は狼と喧嘩するから加勢してくれ、と言った。猫と犬は承知したと答えて、尾長狼の後に続いた。やがて、喧嘩が始まったが、尾長狼の方が価値を占めて、狼も熊も土竜も殺されてしまった。こうして、尾長狼は、水牛の住んでいる国で、楽しく暮らすことができるようになった。

解釈

この話は尾長狼を鷲がからかうことで、その成功を助けているように思える。この挑発は動物的な侮辱ではあるが、尾長狼は本当に水牛の国に行っている。そして、熊はやはりここでも尾長狼の敵として出てきている。そして、最後には狼と決闘をしている。狼は熊と土竜を仲間にして、尾長狼は犬と猫を仲間にして、見事尾長狼が勝利をしている。
この点から見ると、他のアメリカの神話で尾長狼が二匹喧嘩をして離れて行った後を思い返す。尾長狼が水牛の主人として、犬と猫との協力を得るということは第五の日においても是認される信仰であるかもしれない。尾長狼の最大の難点は魂による模倣を脱却できない所にあると想定できるが、それを脱却する術が、犬と猫にはあり、熊と土竜にはないのかもしれない。この点は蛇の性質とも関連がある気がする。このことを踏まえると、ナハシュ派の言い分が理解でき、その解決方法を探る手掛かりとなる可能性がある。

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尾長狼の最期

あらすじ

尾長狼は、人間のためにいろんなことをしてやった。怪物から火を盗んだのも、たくさん鮭が取れるようにしたのも、みんな尾長狼の業であった。だから、尾長狼は、だんだんと高慢になって、天上界に旅をしようとおもうようになった。尾長狼は高い高い山の上に住んでいた。だから、夜になると、星がすぐ自分のそばまでやってくるのであった。そこで、ある晩、尾長狼は星に向かって、「私を天上世界に連れて行っておくれ」と言った。しかし、星は笑っているばかりで、何とも返答をしませんでした。尾長狼は、毎晩のように「私を天上界へ連れて行ってくれ」と頼んだ。星はいつも笑っているばかりであったので、尾長狼はとうとう怒り出して、星に向かって、激しく吠えたてた。そこで、星も、根気負けがして、「明日の晩になったら、連れて行ってやろう」と答えた。尾長狼は大変に喜んで、それを待ち受けていた。あくる日の晩になると、星が尾長狼のすぐそばにやってきて、「さあ、天上界に連れて行くから、私の体につかまるがよい」と言った。尾長狼は、すぐに星の体にしがみついた。
星と尾長狼とは、だんだんと空高く昇って行った。。下を向いてみると、森の高い樅木(もみのき)が弓の矢のように小さくなっていた。そのうちに、あたりがたいそう寒くなって来た。尾長狼は、双の手が凍えてしまって、星の体にすがりついていることができなくなった。と思うと、尾長狼は、空を切って、下へ下へと落ち始めた。尾長狼は、十年の間、落ち続けた。そして、十年の末に大地にぶつかったと思うと、体が柳で編んだ筵(むしろ)のように平たくつぶれて死んでしまった。

解釈

尾長狼は人間を助けて高慢になったという。これは現代でも人間がそのように陥りやすいことと重なる。そして、尾長狼は星に天界へ連れて行ってもらえるように頼んだ。第四の日にできた星と、第五の日にできた尾長狼の間に何か因縁があるようにも感じる。ひょっとすると、尾長狼も星のようになっていた可能性がある。または、星々が天へ昇ったことが、尾長狼の出生原因となっているのかもしれない。

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英領北アメリカの神話伝説

世界創造

あらすじ

昔、ウィアンドット族が、高い空の上の世界に住んでいた。ある日、一人の黄教僧が人々に、お頭の家の側に生えている林檎の木を掘るように言った。そこで、人々は、一緒になって、林檎の木の根を掘り始めた。酋長の娘が、そのときに林檎の木の側に寝ころんでいたが、起き上がりもしないで、みんなのすることをぼんやり眺めていた。だんだん掘っていると、出し抜けに大きな音がした。天上世界の由香を掘りぬいたのであった。人々はびっくりして飛びすざったが、酋長の娘だけが、やはり寝ころんでいたので、林檎の木と一緒に下へと落ちてしまった。
下界には、まだ陸と言うものがなくて、一面に水が広がっていた。水の上には、白鳥の群が泳ぎ回っていたが、出し抜けに大きな音がしたので、びっくりして上を見ると、一本の木と、一人の若い女が空から降ってきていた。すると一羽の白鳥が「見ろ、女が降ってきている。水の中に落ちるとかわいそうだ。みんな一緒に集まって遅れ。あの女が私たちの背の上に落ちるように」と言った。そこで、みんなが一緒に集まったので、酋長の娘は無事にその背の上に落ちた。暫くすると、一羽の白鳥が、「この女をどうしたらいいんだろう。こんな重荷を背負ってはお互いにとても長く泳いでいるわけにはいかないよ」と言った。すると、他の白鳥が「それじゃ、あの大きな亀のところに行って、相談をしてみよう。亀なら、きっと良い知恵を貸してくれるに違いないから」と言った。そこで、白鳥どもは、亀のところに行って、「女の子を一人背負い込んだが、どうも重くてたまらない。どうしたらいいんだろう」と尋ねた。すると、亀はすぐに使いを走らせて、あらゆる動物を呼び集めて相談会を開いた。いろいろ話し合っているうちに、一匹の動物が立ち上がって、「白鳥さんたちの話によると、一本の木が女の子と一緒に落ちて来て、水の庭に沈んだそうだ。で誰かが水の底に潜り込んで、木の根から少し土を取ってきたらよいだろう。」と言った。それを聞くと、亀が「そうだ、すこしでも土が手に入ったら、それで島をこしらえて、この女の住処にすることができるだろう。一体その木が沈んだところはどこなんだ」と言った。そこで、白鳥どもは、みんなを連れて、林檎の木の沈んだところに行った。「さあ、誰かうまく潜れるものはないか」と亀が言った。真っ先に川獺が沈んでいった。そして、しばらくたって、水の面に浮かびだしたが、はっと大きな息をついたかと思うと、そのまま死んでしまった。その次には、麝香鼠(じゃこうねずみ)が沈んでいったが、これも水の面に浮かび上がるなり、死んでしまった。こんな風にして、みんなが死んでしまったので、後では、誰も水の中に潜ろうというものがいなくなってしまった。すると、一番おしまいに年を取った蝦蟇が「私が、やってみましょう」と言った。蝦蟇は大変小さくて、大変醜かったので、それを聞くとみんな笑い出した。しかし、亀だけは真面目な顔をして、「じゃあどうかやってみておくれ」と言った。蝦蟇は、のろのろと水の中に沈んでいったが、なかなか浮かんでこなかった。みんなは待ち続けて、とうとう待ちきれずに「あいつは、もう帰って来ないだろう」と話し合っていました。すると、やがて、水の上にブクブクと小さな泡が立ち始めた。と思うと、蝦蟇の姿が、ぬっと水の上に現れた。そして、口を大きく開いて、亀の甲羅の上に少しばかりの土を吐き出した。それを見ると、小さい亀が土を掴んで、大きな亀の甲羅に擦り付け始めた。すると、土は、みるみる大きくなって、一つの島になった。そこで、白鳥どもは背から女の子を下ろして、島の上に載せた。島は、だんだんと大きくなって、今日のような大地になった。

解釈

高い空の上の世界に人間がいたというが、それはアダムとイブの後であろうか。しかし、アメリカ大陸にはたくさんの木の実の園の話や、こうした林檎の木に関する話があり、それらは西の園(これがアダムとイブがいた園ではないかもしれないし、また東の園のさらに東へ人間が追放されたために西にあるわけではないかもしれないが)すなわち常若の国のような生き物の楽園があった可能性をも示唆している。
つまり、ここでエデンと同一視するというよりは、ギリシャ神話のペルセウスなどの話で出て来る林檎の木を連想するわけである。しかし、そのような国が大空高くにあったならば、そこで動物たちが人間になった可能性も十分考えられるべきであり、それらの話が太平洋近郊を支配していると考えるのが自然かもしれない。
ここでは、特に、亀の上に土を乗せたことから女の子の住処を作っている。女の子はまず白鳥に助けられることが、ドイツの白鳥伝説とも関係がある気がしてならない。と言うのは、白鳥がある女の守護として十分元型的に考えられうるからである。
しかし、ここで白鳥に助けられたこの女の子がすなわちそれであるかは定かではない。しかし、この下界では大地はなく水が一面を覆っていたという。その頃から、動物が住んでいたというのは、いかなるものだろうか。そして、これが正しければ、天界にも動物が住んでいるということになる。この点に関してはこの話が真実かどうか吟味する余地がありそうだ。大地が亀の上にできるという話は以外にも多いが、聖書においてはそれは真ではない。と言うのは、太平洋から出来た土俗的文化はまぎれもなく聖書の話とは全くかけ離れたでき方をしているという可能性を秘めている。と言うのもやはり今になってダーヴィン言う進化論「種の起源」が注目を集めているからであるが、これはまぎれもなく第五の日における発展の中で行われている。
この点を考慮した聖書の理解が、真相究明の手がかりであり、現代社会における宗教的整合性への近道である。これによって、全地球において唯一の神の証明となり、誰もそれを否定できなくなるのである。

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光の起源(その一)

あらすじ

亀と蝦蟇の働きで、大地が出来上がったが、まだ日の光はなかったため、世界中が真っ暗であった。そこで、亀はあらゆる動物を集めて、相談を開くことにした。いろいろ話し合っているうちに、ちいさい亀が立ち上がって、「もし私が空に昇ることができたら、いくらかの日の光を集めて、それをたまにして持って帰るんだがな」といった。それを聞くと、大きな亀が「そうだ、一つ空に昇って見るがいい。お前には大した力が備わっているんだから」と言った。小さい亀はすぐに呪文を唱えた。すると、急に激しい嵐が吹き起って、稲妻を含んだ雲が大きな音を立てて、みんなの集まっているところに転がって来た。それを見ると、小さい亀は素早く雲の中に飛び込んで、雲と一緒に上へ上へと昇って行った。暫くすると、天上界に着いたので、稲妻を集めて二つの球をこしらえて、空からぶら下げた。世界中が急に明るくなった。二つの球と言うのは太陽と月であった。

解釈

ここで重要なのは亀が呪文を唱えて稲妻と雨雲を呼び寄せたことで、さらには稲妻を集めて太陽と月を作ってぶら下げたことである。しかしエロヒームの創造の七日と矛盾する。これは再帰的に動物が再創造したのか、もしくは動物となる前身としての魂が存在した証拠なのか、定かではない。そもそも第四の日にエロヒームは稲妻を用いて太陽と月を作ったのか、これもなかなか難しい話である。稲妻の起源はペルーのグァチミネ族の女から生まれたアポカテクィルが投石器で石を飛ばす際の火花が雷光と雷鳴と言っている。他のアメリカ神話では人間たちと大地に住んでいたとある。(北アメリカの神話Ⅰ 15)また雷になった兄弟の話はシベリアのエリクを思い浮かべる雰囲気である。このような中で雷はやはり人間が生まれた後に現れたようにも思う。しかし、いまだ知らずに第一、第二の日には、ひょっとすると天地創造の際にすでにあったかもしれない。しかし、太陽と火よりも先に存在するのだろうか。古代中世近代の経過を見ると太陽、火、電気の順に発展を遂げているように思う。それから、雷も人間が生まれた後に、動物が大切にしていたのかもしれない。雷鳥の存在がはじめであるなら、太陽と月の生まれる前、すなわち低木が天に届いた際にできた可能性も無きにしもあらずであるが、雷鳥自体が鳥なので第五の日以降と考えるのが無難である。

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光の起源(その二)

あらすじ

昔、世界には、光と言うものがなくて、どこもかしこも真っ暗だった。人々は、毎日闇の中にいるのが嫌でたまらなくなった。その頃、一本の大きな枯れ木が野原に突っ立っていた。虎斑鼠(とらふねずみ)は、その木を見ると、「これに火をつけたら、世界中が明るくなるに違いない」と思った。そこで、枯れ木の根に火をついけて、灰が溜まると、棒の先でそれを掻きのけていた。そのうちに、枯れ木は、とうとう大地に倒れて、世界中が明るくなった。人々はそれを見て、大変に喜んだ。
ところが熊やその友達は年中暗闇の中にいるのが好きだったので、木が倒れるのを見ると一生懸命にその上に土を振りかけて、「闇だ、闇だ」と唱えた。すると、虎斑鼠はたいへんに怒って、土を払いのけて火を書き起こして、「光だ、光だ」と叫んだ。こうして熊と虎斑鼠は、お互いに土をかけたり、火を描き起こしたり、「闇だ、闇だ」と叫んだり「光だ、光だ」と叫んだりしていたが、おしまいには、二人ともすっかり疲れてしまったので両方から譲り合って、一日の半分は明るくて、残りの半分は暗いようにすることに決めた。しかし、熊はやはり明るいのが嫌でたまらないので、「こんなことになったのもお前のせいだ」と言って、虎斑鼠を追っかけた。虎斑鼠はびっくりして、穴の中に逃げ込んだが、逃げ込むと気に、熊のために背中を掻きむしられてしまった。だから今日でも、虎斑鼠の背には斑が入っている。

解釈

この話では火を燃やすことで光を得たとある。ここで火の起源を考えるに、火が森に宿るという考え方を想起する。それを感知した虎斑鼠が枯れ木に火をつけたのだろうか(ここでは火のつけ方を記載していないが)人々は光を求めていたが、他の動物は明かりを求めていなかった。ここには動物と人間の根本的な違いを想定させる表現が含まれているが、ここでは光と言うよりも虎斑鼠の斑の理由を唄っているため、これ以上は言及しない。

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太陽はなぜ輝くか

あらすじ

ある時、村中の人たちが引っ越すことになった。村に一人の男の子があったが、人々はその男の子を嫌っていたので、お祖母さんと一緒に、置いてきぼりにしてしまった。おばあさんと男の子とは、お腹がすいて死にそうになった。そこで、お祖母さんが男の子に向かって、「小さい獣を罠に駆けたらいいだろう。鳥を射落としたらいいだろう」と言った。男の子は、光り輝く鳥をたくさん射落として、家へ持って帰った。お祖母さんはその肉を二人の食べ物にして、その羽根できれいな着物をこしらえて、男の子に着せました。男の子は、光り輝く衣をまとって、魚を突きに出かけた。すると、天上界の道を歩いていた太陽がそれを見て、「なんという美しい着物を着ているんだろう」と独り言を言った。太陽は、いつも長い房の付いた山羊の皮の衣をまとっていた。で、男の子の美しい衣を見ると、自分の着物が急に嫌になった。そこで、ある日、男の子の側に降りて来て、「お前と着物の取り換えっこをしようじゃないか」と言った。男の子は、太陽の来ている山羊の皮の着物を見ると、「嫌ですよ。そんなに汚い着物と取り換えっこするのはごめんです」と答えた。太陽は「お前は、私の着物の値打ちを知らないんだ。私の着物は、お前の槍よりももっとよく魚をとらえることができるんだよ」太陽は、こう言いながら、自分の着物からぶら下がっているたくさんの房を水の中に漬けたと思うと、房ごとに一匹の魚がかかった。これを見ると、男の子は急に山羊の皮の衣が欲しくなって、自分の衣と取り換えてもらった。いままでは、山羊の皮衣をまとっていたので、光が薄くて、人々は平気で太陽を見つめていたが、子供から貰った着物を着るようになると、眩しいほど光り輝き始めたので、人々はもはや太陽を仰ぎ見ることができなくなった。

解釈

太陽と衣を取り換えた男の子は何者であろう。ここでは光り輝く鳥をたくさん落としたとあるが、この記述が少しモーセの出エジプト時に食料とした鶉と重なる気がする。
本来は鶉は光り輝いていたのではないだろうか。そして、この衣はお祖母さんに作ってもらったものであるために、彼の大切な家を表す衣だったのではないかとも考えうる。
それを太陽の衣と交換したということが、太陽が嫁を貰ったことと同様に人間の運命を変えてしまう原因となっている可能性がある。そして、男の子は魚が取れるという生活の利を重んじて自らの生きる目的を間違えたのかもしれない。

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罠にかかった太陽

あらすじ

昔あるところに、一人の男の子が、お祖母さんと一緒に住んでいた。男の子は、毎日のように罠をかけて、鳥や兎を捕まえては、お祖母さんと一緒に祖rを食べていた。しかし、とうとう鳥や兎を捕まえるのに飽いてしまって、「今度は少し風変わりなものを捕まえてやろう」と言って、太陽の通る道に罠をかけた。太陽は、そんなこととは夢にも知らないので、いつもの道を通っているとたちまち罠に引っかかって、空に昇っていくことができなくなった。人々はいつまでたってもあたりが真っ暗なので驚いて、「一体どうしたんだろう。今日に限って太陽が現れないとは」と騒ぎ立てた。だが、男の子だけがみんなの顔を見て、にやりと笑っていた。すると、一人の男がそれに気が付いて、「どうしたんだ。みんなが大騒ぎしているのに。一体お前はどこに罠をかけたんだ」と尋ねた。
「太陽の通る道に掛けたのです」と子供が平気な顔をして答えた。人々は、それを聞くと、大変驚いて、早く行ってみよう、と言って、みんなで罠の側に駆けつけた。すると、そこには太陽が罠にかかって身をもがいていた。人々は、お互いに顔を見合わせて、どうしたらいいのかわからず、太陽は大変熱いから、うかつに近づくと命がなくなってしまう、と言った。一人の男が罠の糸を切らなくてはと続けた。他の男は、誰が糸を切るのか、と言った。
みんな命が惜しいので、ぐずぐずしていたが、とうとうおしまいに、動物どもが 罠の糸を噛み切ることになった。しかし、太陽に近づいて、罠の糸に嚙みついたかと思うと、見る間に焼き殺されてしまった。人々は、困ってしまって、「みんな歯が鈍くてだめだ。鼠は鋭い歯を持っているから、うまくいくだろう。ひとつやってみてくれ」と言った。そこで、鼠は太陽に近づいて、素早く罠の糸を噛み切った。そのお陰で、太陽は、再び自分の道を歩いていくことができるようになったが、鼠は太陽のために歯を焦がしてしまって、いまでも黄色い歯をしている。

解釈

まず、太陽の道に罠を仕掛けた男の子は前述の輝く衣を着た少年と同じ人物かもしれない。逆にこのように太陽を罠にかけたために、自らの衣をはがれたのかもしれない。この罪はアメリカに伝わる一般的な物だろうか。また、この男の子はギリシャ神話のファエートンかもしれない(前述の太陽はなぜ輝くのかも同様)。
このことは、マウイが太陽の足を遅らせたこととも関係があるかもしれない。これを鑑みるに、やはり太陽の話に関しては、タンゲンと創造主の話が鍵を握っているように思える。

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月男

あらすじ

あるとき、一人のエスキモー人が月の家を訪れようと思った。夜になって、月が大空に現れるのを待って、自分の家の燈火(ともしび)をすっかり消してしまって、暗闇の中に座っていると、日頃この男を守っている一人の精霊がやってきて、「お前は、月男のところに行きたいんだろう」と尋ねた。男はどうか連れて行ってください、と答えた。すると精霊は、男の体を抱え上げて、空中に飛び上がった。そして、まもなく月の家に着いた。
月の家はあまり大きくなかった。そして、どこもかしこも白い鹿の皮で張りつめてあったので、家中が青白い光を放っていた。男は「内側の部屋には誰が住んでいるんだろう」と思って、そっとのぞき込んでみると、そこには、太陽が住んでいた。他応用は月のお嫁さんであった。太陽は、誰か見知らぬ男が自分の部屋をのぞき込んでいるのに気が付いて、いままで焚いていた火をますます盛んに燃やして、その光の後ろに身を隠した。そこで、男は、眩しくて太陽の姿をよく見ることができませんでした。
月の世界には、大きな野原があって、鹿がたくさん歩き回っていた。それから、大きな家があって、その中に海豹(あざらし)がたくさん泳ぎ回っていた。月は、男に向かって、「鹿と海豹とを一匹ずつあげるから、自分の好きなのを選んだらよいでしょう」と言った。そこで、男は、たくさんの鹿と海豹都の内から、自分の気に入ったのを一匹ずつ選びだした。それをみると、月は、選び出された鹿と海豹とにそっと触れた。と、思うと、鹿と海豹とは、月の世界に開いていた穴から人間世界へ落ちて行った。こうしてエスキモー人は、鹿と海豹とを持つことになった。

解釈

この話は月から鹿と海豹を得る話ではあるが、気になるのは、エスキモー人を守っていた精霊が存在することである。子の精霊はドモヴォーイだろうか。ここではアイヌの家の神というイメージがない気がするのである。
そして、月の嫁が太陽であったことは太陽が月にその光の七分の一を加えるというエノク書の記述にある出来事だと思われる。ここで太陽と月に性別がないことは既知ではあるが、その運航の仕方において性別が相互に変化するのである。現代のLGBTはこの運航を目撃、ないしは何らかの形で知覚してしまっているために精神において自分の性別が分からなくなることに依拠していると考えられる。仏教徒は(これは憶測の域を出ないが)この太陽と月の運航の秘密を守っていたのではないかと考えられるのである。このことを考慮して太陽と月に関する神話を精査してみると何か発見がありそうだ。

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月はなぜ青白いか

あらすじ

ある時、小さな亀が空に昇って行って、稲妻から太陽と月とをこしらえた。太陽は男で、月はそのお嫁さんであった。そして月は、太陽よりもずっと体が小さかったが、たいへん光り輝いていた。太陽と月とは、大地の端に開いている穴を通って、一日に一回きっと旅をすることになったが、小さい亀は、二人に向かって、「旅をするには、二人が別々に出かけなくてはならない。どんなことがあっても一緒に行ってはいけない」といいつけておいた。ところがある日、月があまりに急いで旅に出かけたので、大地の端の穴のところで太陽と一緒になってしまった。それを見ると太陽はたいそう腹を立てて「なぜ、こんなに早く来た。亀さんが、二人で一緒に旅をしてはならないと言ったじゃないか」と叱りつけた。お嫁さんの月は太陽から叱られて恐れ入ってしまった。あまり恐れ入ったので、体が小さくなって、色が青ざめて、光が薄らいでしまった。
亀は不思議に思って、月のところに訪ねて行ってみると、体が小さくなって、顔色が青ざめているので、どうしたのか、と尋ねると、月は太陽に叱られたことを包まず話した。亀は、かわいそうに思って、月の課rだを大きくしてやった。しかし、月は、ときどき太陽から叱られたことを思い出しては、縮んでしまう。だから今日でも、月は大きくなったり、ちいさくなったりするものです。

解釈

ここでは亀が空に昇って稲妻から太陽と月をこしらえたとある。しかし、太陽と月の原初は第五の日である。ここで亀が作ったのは現在の人間が見ることができる天球の太陽と月のことで、亀が昇った際にはすでに神の創造した太陽と月があり、それを地上へ移すために作ったのかもしれない。人間と動物は太陽と月に憧れを抱くように作られている。またここでは太陽が男で月が女である。
この点に亀が作った際の間違いがあるようにも思う。本来は太陽も月も性別を持っていないはずである。

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七曜星の由来

あらすじ

一人の若い男があるとき、断食小屋に入って断食をしていた。小屋はとある湖の端の人の訪ねてこない寂しいところに建っていた。
ある夕方、若者は、かすかな歌声を聞いた。歌声は、たいそう遠くて、いくら耳を澄ましても、どこから来るのかさっぱりわからなかった。若者は、しきりにあたりを見回したが、人影らしいものも見えなかった。そのうちに、歌声が、だんだんとはっきりしてきた。若者は「ははあ、湖の端で誰か歌っているな」と言って、家から抜け出した。そして、湖の端に忍び寄って、一面に生い茂っている葦の間からのぞき込むと、七人の美しい乙女が星の光に照らされなgら、しきりに踊り回っていた。若者は、一生懸命にそれを眺めていた。そのうちに、小さい石に足を踏み滑らせて、大きな音を立てた。すると、七人の乙女は、大急ぎで大きな籠の中に飛び込んで、そのまま空中に消え失せてしまった。
若者は、すごすごと断食小屋に帰って行った。そして、あくる日の夕方になると、じっと耳を澄まして、座り込んでいた。あたりは大変静かで星は輝いていた。そのうちに、遠くの方でまた歌声が聞こえ始めた。若者は素早く家から飛び出して、湖の端に忍び寄った。そして、葦の間からそっとのぞき込んでいると、七人の乙女を乗せた大きな籠が、そらから降りて来た。
七人の乙女は籠から飛び出して、星明りの下で熱心に踊り始めた。若者は、それを眺めているうちに我を忘れて、大きな声を立てた。すると乙女たちは、大急ぎでかごに飛び乗って、空中に消え失せてしまった。
三晩目には、若者が出し抜けに乙女たちの方に駆けよっていった。乙女たちは、その姿を見ると、大変い驚いて、我先にと、籠の中に駆け寄った。若者は、それを追っかけて、一番おしまいにいた一人の乙女を捕まえた。残りの六人は、籠に乗って空中に消え失せた。つかまった一人の乙女は、悲しそうに若者の顔を見つめていた。若者は「あなたたちは、誰です。そして、どこからやってくるのです」と尋ねた。乙女は「私たちは、七人姉妹で天上界に住んでいます。そして、空が穏やかで湖が静かな時を選んで、ここに降りて来ては、星明りで踊りまわるのです」と乙女が答えた。若者は「どうか私と結婚してください」と言った。乙女は「あなたが天上界にいらして、私と一緒に住んでくださるなら、あなたのお嫁になりましょう」と答えた。そこで若者は乙女と一緒に天上界に昇って、そこに住むことになった。
私たちは、この話が本当だということを知っている。なぜなら、今日でも七人の乙女が空に並んでいるのが見えるからである。しかし、六人だけは、はっきりしているが、七番目の乙女は、夫の影に座っているので、私たちの目に着かないことが多いのである。

解釈

七曜星の話はオーストラリア、北アメリカⅠでも語られている。星に関しては宵の明星、明けの明星と七曜星、それからギリシャ神話ではまたさまざまな星が語られているようである。これらは主にペルシャと関係があるように思われる。しかしこれらの星の話を体系的にとらえることが可能かどうかは定かではない。どれほど多くの存在が天使ととらえられているのだろうか。また、インドで語られる天女との関連も考慮しなければならないだろう。
ここでは上記の神話が関連しているという点だけ押さえて置く。

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星の狩人

あらすじ

あるところに、三人の若い男がお祖母さんと一緒に住んでいた。三人は犬を連れて、よく狩りに出かけていた。
ある日、三人はいつものように、二匹の犬を連れて狩りに出かけた。しかし、終日あちこちを狩り立てても、獲物がさっぱりなかったため、夕方になって、家に帰ってくると、朽木の切れ端をお祖母さんの方に差し出して、「さあ、馴鹿(となかい)の肝です。早くお食べなさい」と言った。お祖母さんは喜んで、それを口に入れたが、馴鹿の肝ではんくて、朽木の切れ端であったので、大変に腹を立てた。
翌日になると、三人の若者はまた狩に出かけた。お祖母さんは、三人の若者に騙されたのが悔しくてたまらないので、熊の足を火の中に突っ込んで、家の周りを踊りまわりながら、しきりに呪文を唱えた。その呪文の力で、三人の若者は星になって、天上界に昇ってしまった。
三人の若者は、天上界に行っても、毎日のように狩をしていた。するとある日、大きな鹿の足跡を見つけたので、そのあとを追って、幾日も歩き回っていた。そのうちに、ふと下を見ると、人間世界が遥か下の方に見えていたので、一番年上のw加茂野が急にkぁ選りたくなって、「私は、もう一度下界に降りようと思う。お前たちは頭から毛布をかぶって、私を見ないようにしておくれ」と言った。二人の若者は、頭から毛布をかぶった。年上の若者はそれを見澄まして、下界に降り始めました。しかし、途中まで降りた時に、一番年下の若者が、毛布に開いていた小さい穴からそっと覗いたので、年上の男はたちまち足がすくんでしまって、下界に帰られなくなった。三人の若者は、大きな鹿や犬と一緒に、今日でも星の間に交じっているのが見られる。お祖母さんも、あとでは三人の若者が恋しくなって、たいまつを手にして天上界に探しに出かけた。それが夜明けの明星である。

解釈

三人の若者は大きな鹿や犬と一緒にいて、お祖母さんは夜明けの明星となったという。確かに星々の方が動物よりも先に生まれたが、第五の日以降にも星が生まれたということであろうか。ロシアでは明けの明星は「ズベズダー・ジェニーツァ」で、太陽に変わってメーシャツの嫁となると言うが、北アメリカの神話6でのそれは「ズヴェズダー・ジェニーツァ」であるかもしれない。この手の神話群は、スラブ、ペルシャ、インド、から太平洋諸国を見る必要があると思われる。

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大きな熊と狩人

あらすじ

あるとき、一人の男が二匹の犬を連れて狩に出かけた。秋のことで、地には雪が少しばかり降っていた。夜になると、狩人は木立の間の大地に横になった。そのうちに、夜が明けかかったので、また狩を始めた。暫くすると、犬どもが一匹の熊を狩りだした。狩人は犬の後について、一生懸命に熊を追っかけて行った。と一人の男が丸太の上に腰を掛けているのに出会った。その男は、いろんな毛皮でこしらえた一枚の毛布をまとっていた。男は狩人を見ると、「私は天上界に住んでいる熊だ。私が身に着けている毛布は、いろんな毛皮からできているがその中でどれでも好きなものをやろう」と言った。狩人は、貂の毛皮をもらうことにした。これを見ると、見知らぬ男は、「今後、狩に出かけるときには、自分が殺したいと思う毛皮を身にまとうがいい。そうすると、その獣がいくらでもとれるから」と言って、そのまま天上界に昇ってしまった。

解釈

この神話では天上界の熊が現れたが、これは狩人が良い熊を狙ってしまったせいだろうか。はたまた、狩人は貂を狙うべきであったが、たまたま熊を見つけたために熊を追ってしまったのか。結果として天上界の熊が現れて好きな毛皮を選ばせてどの動物を狩るべきか教えたということのように思う。

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虹の道

あらすじ

昔は、この世界に光と言うものがなかったので、どこもかしこも暗闇であった。そこで、大きな亀が小さい亀を天上界にやって、光をこしらえさせることにした。小さい亀は天上界に昇って行って、人間界のために光をこしらえた。しかし、その仕事がおしまいになっても、人間界に帰らないで、そのまま天に居残ることにした。ところが、小さい亀は非常な知恵者で、みんなが困っている時には、いつもいい考えを出してくれる。それで、大きな亀は、動物どもの会議を開くときには、いつ鹿に言いつけて、天上界にいる小さい亀を呼び寄せることにしていた。
鹿は会議があるたびに、大きな声を出して、天上界の亀を呼ぶのが嫌になった。そこで、自分も天上界に行ってしまいたいと思って、ある日、虹に向かって、「どうか、私を天上界に連れて行っておくれ」と言った。虹は初めの内は「そんなことをしては、いけないよ」と言って止めていたが、あまりやかましく頼まれるので、とうとう人間世界から天上世界にかけて広い道をこしらえてくれた。それを見ると、鹿は大変に喜んで、その道を伝って天上界に行ってしまった。
暫くたつと、大きな亀はあらゆる動物を呼び集めて、会議を開くことにした。ところが、鹿だけがやってこなかったので、「鹿はどうしたのか」と尋ねたが、誰も返答をする者がなかった。そのうちに、鷹が「鹿の奴は、天上界に行ってしまったのです」と言った。それを聞くと、大きな亀は、大変腹を立てて、「あいつは、大きな声を持っているので、天上界にいる亀を呼び寄せる役にしていたのだ。あれがいなくなれば、小さい亀を呼び寄せることができないではないか」と言った。とにかく知恵者の小さい亀がやって来なくては、会議を開くわけにいかないので、みんなが声をそろえて、天上界に呼びかけた。長いこと呼んでいるうちに、天上界にいる小さい亀がやっとそれを聞きつけて、人間界に降りて来た。大きな亀はすぐに、「鹿の奴が、お前のところにやってきているだろう」と尋ねた。小さい亀は「そうです、天上界にやってきて、やたらにあちらこちらを駆け回っています」と答えた。大きな亀は「どんなにして、あいつは天上界にのぼったのだろう」と不思議そうな顔をした。小さい亀は「虹の道を伝って登って行ったんです」と言った。大きな亀はそれを聞くと、「虹の道っていったいどんなものだろう」と言った。そこで、小さい亀は、みんなを連れて、虹の道の側に行った。獣どもは、自分たちの知らない間に、大地から天上界へかけて、橋のような虹の道ができているのにびっくりしたが、それ以来、人間界と天上界との往来が自由になった。

解釈

聖書で初めて虹が出てくるのはノアとの契約のところである。オーストラリアの神話37ではキツツキがその虹の橋を作ったという。さらには、北欧神話ではビフレストが虹の橋でオーディンたちはそこを通って人間界を行き来する。ノアと神の契約により虹が作られた後の話であれば、動物たちはその虹によって天上界の仕事を請け負っていたのかもしれない。またオーディンもビフレストを通って人間の世を回っていた。ここにノアとの契約によって行われるようになった事象があると思われるが、聖書をもとにその全貌を精査しなければ明確な回答が得られないと思われる。

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天上界に昇った姉妹

あらすじ

あるところに二人の姉妹がいた。家にいるのが面白くないので、家を抜け出して、天上世界に昇って行った。そして歩き回っていると、道に迷った。やたらに歩き回っていると、一軒の家が見つかった。家の中には、一人の年を取った女が座っていた。年を取った女は二人にどこへ行っているのか尋ねた。二人の姉妹はどこへ行っているのか私たちにもわからず、道に迷ってしまった、と答えた。年を取った女は「それでは私とここに住むことにしたらいいでしょう」と言った。そこで、二人の姉妹は、その家に住むことになった。
ある日、年を取った女は、木のみを摘みに出かけたが、家を出るときに、二人の姉妹に向かって、「向こうにある籠を開かないようにしておくれ」と頼んだ。しかし、年を取った女の姿が見えなくなると、妹がそっと籠を開いた。と思うと、兎が幾千となくその中から飛び出して、家の周りを駆け回った。二人の姉妹は、驚きあきれて、ぼんやりと突っ立っていた。暫くすると、年を取った女が帰ってきて、二人を叱りつけて、駆け回っている兎を一匹も残らず捕まえて、籠の中に入れてしまった。
明くる日になると、年を取った女は、また家を出たが、その時二人の姉妹に向かって、「向こうにある箱に触らないようにしておくれ」と言った。しかし、彼女の姿が見えなくなると、妹がまた箱の蓋を取って、中を覗き込んだ。と思うと、彼女はあっと叫んで飛びずさった。箱の底を通して、遥か下にある大地がはっきりと見えていたのであった。暫くすると、年を取った女が帰ってきて、蔓(つる)で一本の綱を作って、綱の端に一つの籠を結び付けた。そして、妹に向かって、「この中に入るがいい。大地におろしてあげるから。大地に着くまでは、目を塞いでいなくてはいけないよ。籠が止まったら、少しゆすぶって見るがいい。雲にひっかかることもあるもんだから。でも、どんなことがあっても、塞いでいる目を開けてはいけないよ」と言った。
妹は、籠の中に入って、目を閉じた。籠は、だんだんと下へ降り始めた。暫くすると、ぴたりと止まったので、その縁に手をかけて、少し揺り動かすと、籠はまた下り始めた。妹は、雲に引っかかっていたんだなと独り言を言った。暫くすると、また籠が動かなくなったので、縁に手をかけて、幾度もゆすぶって見たが今度はどうしても動かな方t。妹は堪り兼ねて目を開いた。といつの間にか、籠は大地に着いていた。やがて籠は、上へ昇って行った。妹は、今度は姉さんが降りて来る番だ、と言いながら、一生懸命に空を仰いでいた。するとまもなく、籠が降りて来た。籠の中には果たして姉が入っていた。二人は大喜びで、お母さんの家へ帰って行った。そして、二度と再び天上界に行こうとは思わなかった。

解釈

この物語には乙女の好奇心についての言及がなされるべきであると考えられる。本来、天上界に乙女が昇ろうとすることは禁止だとするのが常であるとすると、この乙女二人は天上界で年を取ったお祖母さんに試されていると見受けられる。ここではおそらく母の言うことを聞けなかった理由を問われているが、妹はお祖母さんに言いつけられた籠を開いてしまう。ここでは兎がたくさん飛び出してきているが、なぜ兎が飛び出して来たのかはもう少し考究が必要そうだ。ただ、この現象はさほど悪くないと見える。
続いて、妹はまたもお祖母さんに言いつけられた箱を開くが、今度は地上への穴である。そして蔓で籠を結んで妹に入るように言っているが、すなわち自分の兎(最低限の生活)を壊すほどの好奇心があったのかが問われて、開けた籠に悪意があったのか見るため、彼女自身も籠に入り、籠を開いたら命がない状況で約束を守るか、または悪魔によってそれが破られるかを試され、妹はそれを守ったので罪がないことが判明している。そして妹が無事だったのと同様に姉も地上へ帰ったのである。ここで問われたのが妹であることは、姉との関係の中に妹が好奇心を見出したことにあると考えられるだろう。しかしそれは、おそらくは、姉の行動を模倣しようとする女性秩序の自然現象であり、決して悪意があったわけではないというものだろうと思われる。例えば、姉の洋服だとか装飾品を欲しがるようなさしあたりのない風景が思い浮かべられる。ここではこのぐらいにしておきたい。

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暖風の由来

あらすじ

あるところに狐と兎が住んでいた。その頃は、インディアンの住んでいる国を吹きまくるのは、寒い風ばかりで、暖かい風は少しもなかった。ある日、狐が煙草をふかしながら、インディアン達に向かって「この国には、寒い風ばかりが吹きまくっているんだが、お前さんたちは寒いのが好きなのかね」と尋ねた。インディアン達は「いや、寒いのは大嫌いだ。でも、どうしていいかわからないんだ」と答えた。狐は、暫くの間じっと考え込んでいたが、やがて、兎に向かって「私についてきてくれ、二人で暖かい風を探し出そうじゃないか」と言った。狐と兎とは、弓矢を携えて、長い間旅をした。二人は、とうとう大きな川の口に着いた。そこには、暖かい風を持った人々が住んでいた。彼らは、太陽をお頭として、暖かい天気と柔らかな風の中に住んでいた。狐と兎は、太陽の住んでいる家に入って行った。見ると、隅の方の柱に大きな丸い袋が吊るしてありました。狐は、この中に暖かい風が入っているんだな、思っていきなり袋の側に駆け寄って、拳を固めて、袋を固めて、袋をたたき破ろうとした。人々は、驚いて、「何をするんだ、乱暴者め」と言いながら、狐をめがけてとびかかろうとした。それを見ると、兎が弓に矢をつがえて「静かにしろ、動くと射殺すぞ」と叫んだので、人々は、じっと突っ立っていた。その隙に、狐は幾度も袋をたたいていたが、四度目にとうとうそれをたたき破った。と思うと、暖かい風がさっと袋から吹きだして来たので、狐と兎とは、その風に乗って、自分の国に逃げ帰ってしまった。
暖国の人々は、風を盗まれたのに腹を立てて、火の玉を風に載せて、インディアンの住んでいる国へ送った。火の玉は国中を転げ回って、木や獣や人々をさんざんに焼き殺してしまったが、そのうちに、風が吹き止んだので、火の玉もおのずと消え失せてしまった。かくしてインディアンは、暖かい風を持つようになった。

解釈

狐と兎によって暖かい風が吹くようになったらしい。この二匹は風の使いなのか、それとも風の使いを操ったのか。ここでは太陽の家の中に風が吊るしてあったという。この記述はエノク書の内容と近いところがある。エノク書には地の果ての門から風が出る門があると書いている。これはウリエルがエノクに説明したものとなっている。この記述から初めて、風の神格に関して考究が必要である。

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鼬と東南風の戦い

あらすじ

あるとき、鼬が自分の友達をみんな呼び集めた。鹿や洗い熊や鴉などが集まってくると、鼬は「お前たちに来てもらったのは少しわけがある。お前たちも知っている通り、東南風が始終吹いているので、お互いに食べ物がなかなか手に入らない。だから、私はあのにくい風をやっつけてしまおうと思っているのだ。お前たちはどう思うかね」と尋ねた。みんな賛成と答えた。そこで、動物たちは、朝早く一隻の丸木舟に乗り込んで、東南風を探しに出かけた。あちこちを漕ぎまわしていると、夕方になって、東南風の住んでいる家を見つけ出した。すると鼬が「漕ぐのをやめてくれ。この入り江に止まって、東南風征伐の手立てを相談しよう」と言った。みんなは「相談と言っても、私たちには、その手段がさっぱりわからないんだ。お前に良い考えがあったら、教えてくれ」と言った。すると鼬は、まず鮃(ひらめ)に向かって「お前は東南風の産んでいる家の戸口に寝ころんでいてくれ。そしたら、あいつが家から出るときに、お前の体を踏みつけて、転がって、この丸木舟の中に転げ込むだろう」と言った。すると、鹿が異議を申し立てて「そんな手ぬるいことをするよりも、みんなで東南風の家に押しかけていこうじゃないか」と言った。みんなは「それでは、両方の顔を立てて、みんなで東南風の家に押しかけていくと同時に、鮃には戸口のところに寝転がってもらうことにしよう」と言った。
みんなは日が暮れるのを待って、丸木舟から出て、そろそろ東南風の家の方に歩いて行った。家の前に来ると鮃は、そこに寝転がった。暫くすると、東南風が何気なく戸口のところに出て来た。と思うと、鮃の体を踏みつけて、大地に倒れた。そして、ころころと転んで、丸木舟の中に転げ込むと、鮟鱇(あんこう)がいきなりとびかかって、東南風を押さえつけてしまった。東南風は腹を立てて「お前たちは、私を捕まえていったいどうするつもりです」と尋ねた。鼬が「お前があまり世間を騒がすから、こんなことをするんだ」と答えた。東南風は「それでは、世間を静かにしてあげよう。これから一切私は動き回らぬことにする」と言った。鼬が「いやそれでも困る。私は世間が始終静かにしているのがいいとは言わない。時には、お前さんも動き回ってくれなくちゃ困る」と言った。東南風は「よろしい、それでは時々動き回ることにしよう」と答えた。そこで、みんなは東南風を許して家へ帰って来た。だから、今日でも東南風は時々吹き起るだけである。

解釈

東南風はなぜ吹き荒れていたのだろうか。このように動物たちは風に問いかけて風の動きを変えているがそれは神の良しとすることだったのだろうか。仮にそうであれば、風は誤って吹いていたことになるだろうが、これは太陽に対して月が時を変えているためであろうか。もしそうであれば風は人間よりも先に時を誤っているのかもしれない。コヘレトの言葉では風を追うようにむなしいという表現が多くあるが、風は人を誤らせるもので、動物たちもそれに悩まされていたのだろうか。

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北風の息子と東南風の娘との結婚

あらすじ

北風の息子が東南風の娘をお嫁さんいしたいと思った。そこで、そのことをお父さんの北風に話すと、北風は、それはいけないと言った。息子はなぜかと尋ねた。北風は「東南風は、じめじめした風で、あれが吹くといつも雨が降り出すだろう。私はお前があんなものの娘と結婚するのは嫌なのだ」と言った。息子は「かまわない、雨が降り出したら、何か体にまとったらよいでしょう」と言った。北風は「それじゃあ、お前の言うとおりにしたらいいだろう。だが、東南風のところへ行ったら、まず遠くからその顔を見るがいい。顔色が良かったら、側に行ってもよいが、顔色が赤黒かったら、決して近寄ってはならない」と教えてくれた。
北風の息子はすぐに癒えを出た。そして、だんだんと歩いて行くうちに、海の中から立ち昇っている大きな雲のところに来た。それが問うなぷうの住処であった。北風の息子がその家の近くに来ると、東南風の娘が、戸口のところに座っていた。北風の息子は、静かに彼女の側に座り込んだ。東南風の娘は「あなたはどこへいらっしゃるのです」と尋ねた。北風の息子は「あなたと結婚をするためにきたのです」と答えた。乙女は「それでは、お父さんやお母さんに話してみましょう」と言って、家に入って、両親に北風の息子が言ったことを話した。両親は大変い喜んで、北風の息子を自分の家に留めて置いた。
暫くすると、北風の息子はお嫁さんを連れて、自分の家に帰って来た。北風は、雨気の多いお嫁さんに癒えの中を荒らされては困ると思って、そっと息子を呼んで「お前の嫁は、何を食べ物としているのか」と尋ねた。すると、息子は「あれは、姥貝(うばがい)の他にはなにも食べませんよ」と答えたので、北風もやっと安心した。ところが、お嫁さんは、家に出入りをするごとに、壁から下がっている氷柱(つらら)を降り取って、それを食べます。北風は、そのたびに唸り声を発して、苦しまねばならなかった。北風の息子は、それを見ると、お嫁さんい向かって「氷柱を取って食べるのは止してくれ。あれは父の指なんだから」と言った。そして、二人が一緒になって、浜辺に貝拾いに出かけると大きな物音が北風の住んでいる家から響いて来た。北風は、お嫁さんが自分の指を折り取ったのを怒り出したのであった。やがて、激しい北風が吹きだした。お嫁さんの身の回りには、ひどい雪が降り始めた。それを見ると、北風の息子は、お嫁さんを残して逃げ出してしまった。お嫁さんは困ってしまって、「お父さん、寒いよ。お父さん、寒いよ。お父さんの家に帰りたいわ。」と歌った。と思うと、たちまち東南風が吹き出して、あたりが暖かくなってきた。乙女のお父さんが歌声を聞きつけて、娘を探しに出かけたのです。東南風が娘の側にやってくると、黒い雲湧き出して、雨が降り始めた。それにつれて、北風の家の壁から下がっている氷柱が、少しずつ溶けかけたので、北風は苦しさに身をもがいて唸りだした。東南風は、娘を連れて、自分の国に帰ってしまった。

※この物語は、北アメリカの西北岸地方の気候的状態(雨を含んだ暖かい南風と、冷たい北風との相剋に関する観念の優れた神話的表現です。

解釈

神話としてこのような話が挙げられるならば、本来の気候のでき方も話のように成り立っていると信じたいところである。
この話の場合にはいかなることだろう。ここでは風の息子と娘の結婚を挙げているが、これは風に変る媒体を表現しているのだろうか。もしそうであるならばこれがすなわち地上の形成過程でその地上の発展に応じて東南風と北風がぶつかったということになる。この仮説が正しいとすれば、北アメリカが風の蔵から近いところにあり、天上では均衡が保たれていた両者が地上では衝突したということになるだろう。風の蔵が地に現れることによってどのような無理が生じたかについては、さらに神話群を追ってみなければわからないだろう。

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亀と雷鳥

あらすじ

とある湖に一匹の亀が住んでいた。ときどきどこからとなく医師が飛んできて、自分の体にあたるので「誰がこんな悪戯をするのだろう」とあたりを見回したが、どこにも人影らしい者が見えなかった。亀は弱ってしまって、自ら這い出して、森の中に逃げ込んだ。そして誰か助けてくれと呼び続けていると、一匹の鹿が藪の中から飛び出して来て、「私が助けてあげよう」と言った。亀は「それではお前さんの力を見せておくれ」と言った。そこで、鹿は自分の力を示すために、そばに生えていた気にぶつかると、二本の角がぽきりと折れてしまった。それを見ると亀は「お前さんはだめだ」と言って、鹿の側を立ち去った。そして、また、誰か助けておくれと呼び続けていると、一匹の熊が現れて、私が助けてやろう、と言った。「それでは、お前さんの力を見せておくれ」と亀が言った。そこで、熊は、自分の力を示すために、木にぶつかっていったが、その様子がいかにものろのろとしているので、亀は、「そんな風では、私が探している巨人と喧嘩ができそうもない」と言って、そこを立ち去った。そして、また、「誰か助けておくれ」と呼び続けながら、小さい沼の側にやってくると、小さい声がして、「私たちが助けてあげよう」と言った。
亀が出て来て力を見せるように言うと、沼の中から、一群の小さい亀が現れて、激しく大きな亀にぶつかって来た。大きな亀はそれを見ると、「お前さんたちこそ私が探している人たちだ」と言って、小さい亀を自分の住んでいる湖の端に連れて来た。
暫くすると、どこからとなく大きな石が飛んできて、小さい亀の群れの上に落ちかかって、一匹も残らず押しつぶしてしまった。大きな亀はびっくりして、石の飛んでくる方を振り向くと、一羽の大きな鳥が目についた。亀は、急いで水の中に飛び込んで、麝香鼠(じゃこうねずみ)に向かって、「あれはなんという鳥だろう」と尋ねた。麝香鼠は「あれは雷鳥ですよ。あの鳥が羽ばたきをすると、雷が鳴り響くのです。私はあの鳥が怖くてたまらない」と答えたl。それ以来、亀は雷の音が聞こえさえすると、水の中に身をすくめているようになった。

解釈

なぜ雷鳥は亀に石を投げるのだろうか。この石はどこから出来たのか、また、これは亀が大地を作ったことに対する何らかの影響のように思える。しかし、この雷鳥が頭の立った猿を捕まえて、亀の作ったであろう大地に向けて投げているのではないだろうか。
すなわち、大空の上の天空の地のあるところで頭をあげることで届いてはいけない所まで届いてしまうことをを恐れているように思う。これゆえに雷鳥が石を投げるのであれば、いかなることであろう。しかし、頭をあげる猿はどこから生まれるのだろうか。豚の上か、猪の上か。

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罠にかかった風

あらすじ

昔々、一人の酋長があって、数人の男の子を持っていた。その頃は、風がいつも激しく吹き続けていた。そこで、ある日、酋長が息子たちに向かって、「どうも風が乱暴で困る。少しおとなしくするわけにいかないかね」と言った。それを聞くと、一人の息子が罠をこしらえて、木にかけて置いた。
翌日、その木の側に行ってみると、一人の男の子が罠にかかっていた。男の子は、丸々と太って、長い髪の毛をはやしていた。「ははあ、こいつが風だな」息子は、こう言って、その男の子を罠から外して自分の家に閉じ込めて置いた。風は、窮屈でたまらないので、「どうかわたしを逃がしてください」と頼んだ。息子が「お前はいつも乱暴に吹きまくってばかりいるからだめだ」と息子が答えた。「それでは、今後は決してひどく吹きまくらないことにしましょう」と風が言った。
「いや、それでも困る。時々はひどく吹いてもらいたい」と息子が言った。風は「承知しました。それでは、普段はおとなしくしていて、時々ひどく吹くことにしましょう」と言った。だから坤為地では風は、普段は静かに吹いていて、ときどきひどく吹くのです。

解釈

北アメリカの神話では風と人間などの交渉が多くみられる。このことから、風の神格または精霊的な存在は人間と密接にあるものと考えられる。
ある意味では風は人間と親しく、ともに通じ合っているようにも思う。確かに風は人間の魂によって通じ合っていると思える現象も経験としてある。風については非常に興味深く、雷鳥との関係もあるかもしれない。

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雷の起源

あらすじ

あるところに、七人の兄弟が住んでいた。七人は、いつも一緒に遊ぶことにしていたが、、そのうちヘンクという男は優れて力が強いので、いつも六人の兄弟をいじめてばかりいた。ある日、六人の兄弟がヘンクにみつからないように、そっと集まって、「ヘンクはどうもあまりに力が強くて困る。あれがいると私たちは、いつもはらはらしていなくてはならない」「そうだ、あいつがいては、慈雨bンたちの命が危ない。何か良いくひゅうはないだろうか」といろいろ相談をしているうちに、うまい計らい事を思いついた。
ある日六人兄弟は「今日は、遠くまで狩に出かけようではないか」と言った。ヘンクは、計略があるとは夢にも知らないので、「よかろう。狩ならだれにも負けないぞ」と勇み立った。そこで、七人兄弟は丸木舟に乗って、海の上に漕ぎ出した。そして、遥か沖合の離れ島に着くと、すぐにそこで狩を始めた。一人の男はヘンクを連れて、だんだんと奥の方に入り込んで行った。暫くすると、その男はヘンクに向かって、「私がほかの兄弟を呼んで来るから、お前そこに待っていておくれ」といって、海端の方に駆けだして行った。そして、他の兄弟たちと一緒に丸木舟に乗り込んで、ぐんぐん沖合へ漕ぎ出した。
ヘンクは、長い間待っていたが、誰もやってこないので、不思議に思って、海端に引き返すと、兄弟たちは丸木舟に乗って、遥か沖合に漕ぎ出していた。それを見ると、ヘンクは、できるだけ大きな声を出して、「船を返してくれ」と叫んだ。あんまり大きな声で叫んだので、あたりの空気がぴりぴりと震えた。兄弟たちは、「船を返すのは嫌だ。お前は、いつまでもそこに折るがいい」と言い捨てて、船を漕ぎ続けた。
ヘンクは、市唖k田がないので、ただ一人、島の上に留まることになった。そして、春と夏には、島の周りを歩き回って、大きな声で兄弟を呼び続けるが、冬になると、洞穴の中に入って眠った。ヘンクが大きな声を出すのが雷である。だから、雷は春と夏とには轟き渡るが、冬にはさっぱりならないのである。もし冬に雷が鳴ると、ウィアンドット人は、「ヘンクが寝返りをしている。大方寝心地が悪くなったのだろう」と言う。

解釈

この話は作られた話であろうか。しかし、ヘンクというのは巨人のようにも思う。もしヘンクのいる島が、たとえば、日本なら、オーストラリアなら、インドネシア諸国なら、ハワイならなどと幾つかの共通点が見出せたなら、さまざまな説があるかもしれない。しかし、これだけならば誰かの作り話の可能性もあると思う。

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雷鳥の失敗

あらすじ

あるとき、雷鳥が人々に対して腹を立てた。そして、人々を着に溺れさせようと思って、どんどん雨を降らせたが、人々は、みんな高い山の頂に逃げてしまったので、「これではだめだ、手立てを変えて、あいつらを射殺すことにしよう」雷鳥はこう言って、どんどん弓の矢を射放った。
大勢の人が、その矢先に掛かって倒れたが、残った者はみんな洞穴の中に隠れてしまった。暫くすると、一匹の亀が現れて雷鳥に向かって、「お前には、人間を射殺すことはできない。お前の矢は、むやみに飛び回っているだけだ。そんなことで、人間が射殺せるものか。木や岩を射たらいいだろう。木や岩ならはずれることはないから」と嘲り笑った。それを聞くと、雷鳥は腹を立てて、「いや、どうあっても人間を射るつもりだ。もうだいぶんあいつらを射殺したんだからな」と言った。「それじゃ、お前さんの手際を見せるために、私を射殺してもらいたい」と亀が言った。雷鳥は射殺して見せるともと言って、亀をめがけて、さんざんに矢を射放ったが、矢はことごとく亀の甲に滑って、むなしく地面に落ちてしまった。そこで、雷鳥は「なるほど、俺は人間を射殺すことはできないらしい」と言って、そのあとは、木や岩ばかりを射ることにした。だから今日では、雷は人間にはめったに落ちかからないで、いつも木や岩の上に落ちるのである。

解釈

北アメリカの神話は雷鳥と亀との弁証法的神話の展開をしている。このことは自然界に確かに存在するものとみて差し支えないだろう。しかし、人間もその弁証法の当事者となることは言うまでもない。ここに自然信仰的な動物との駆け引きを見出すのであるが、これは我々人間が動物と共存するために必要であり、逆に人間が動物を保護することも必要である。しかし、信仰してはならないと聖書にあるように、それはやはり神を裏切りうる、たんなるパワーバランスである。人間が第五の日を贖うべきとされている通り、このバランスを守ることが神を信仰するための要因にさえなっているのが現代社会と言えるであろう。
さらには、飼育ペットに関して、飼育者はしばしば向き合える助け手としてそのペットを求めることがある。ここには、異性に対するような、すなわち聖書によるアダムがイブを自らの肉と骨としたことを見出そうと、またそのような相手がいないことを補おうと、過剰な接触を行うことがある。これは本来法外であり、動物とのパワーバランスを壊している。そのほかに、絶滅危惧種を助けようとすることも疑問にかかるが、これはその動物が役目を終えてこの世界からいなくなろうとしていることを引き留めることにつながるかもしれないという懸念があるが、我々人間の方針が、自然に対してたとえそれが善であれど悪であれど優しく接しようという方針として定まっているかもしれない。この場合には自然や動物が答えてくれるかどうかという反応を観察するしかないという不確実性があるが、さすがに動物にも限界があるということを心得て置く必要がある。
ここで言いたいのは動物にも、人間のような精神はないにしろ、種全体としての意思決定においては人間とは独立の決定に従っているということである。ここに我々は自然現象の原因を見るのである。例えば釈迦が動物を教え解いたというのは、動物の悪しきを諭しうる可能性を見出していたためで、それに動物が答えたためである。

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人間の命

あらすじ

あるとき、鴉があたりに散らばっている石に向かって、「立ち上がって、私を助けてくれ。私は疲れ切っている」と言った。
そこで、石どもは、いっせいに立ち上がったが、足がふら付き、どうしてもまっすぐに立っていることはできなかった。それを見ると、鴉は、「だめだ、お前たちはやっぱり元のように寝ころんでいるがいい」と言った。そこで医師は、元のように地面にの転んでしまった。鴉は、石の側に生えている草や藪に向かって、「立ち上がって、私を助けて遅れ、私は疲れ切っている」と言った。そこで、草や藪が一斉に立ち上がると、たちまち人間射変わった。そして、疲れている鴉を助けて、いろんな仕事をしてくれた。こうして、人間は草や藪から出来たので、体が弱くて命が短いのである。もし石から出来たとしたら、いつまでも生きていることができたでしょう。

解釈

この神話はシベリアのタンゲンと鴉となった創造主の話を示唆している。ただしここで比喩されているのは草と石であり、シベリアの神話では創造主は草で衣服を作り、タンゲンは木の葉と赤土をこねて作った。ここにこの神話とシベリアの神話の共通点を見るのだが創造主が鴉となって天に昇り太陽を食べたことから疲れた理由を想定するのだが、時間的な表現が一致しない。しかし、これは太陽と月によってその時は変化しえるものであったからであろう。また、ここで石から作られていたら長く生きれたというのはこの種族が悪魔のようになってしまったことに依拠しているからだと思われる。ここでは鴉は石にも声をかけている。これははじめシベリアの神話に見られるタンゲンと創造主とが土から人を作ったことからも少しばかりか、面影を感じる。
聖書との相違としては、エロヒームは人間の鼻に息を入れたが、ここでは草のみがその生命の源となっている点である。これは特にリリスに関連していると考えられるが、リリスが何者なのかはもう少し考究が必要だ。
この手の話で一番配慮すべきことは、クルアーンには「ミカエルとガブリエルを困らせるのは誰だ」という警告があることである。また、イエスは「天の父は石からでもアブラハムの子孫を作ることができる」と言っている。ここに、シベリアに見る創造主の悔悟を感じる。

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死の起源(その一)

あらすじ

あるところに、蟻と蜘蛛とが住んでいた。二人は、大変賢かったのでした。ある日二人は、死と言うことについて議論をした。蜘蛛は「お前さん、試しに体を二つに切って見るがいい。そうしたらお前さんはすぐに死ぬだろう」と言った。蟻は「そんなことをしたら、もちろん死ぬでしょう。でも、二、三時間たつと、私はまた生き返りますよ。人間もその通りに死んでは生き返り、死んでは生き返りして、いつまでも生き続けるがいいと思います。」と言った。蜘蛛は「いや、私の考えでは、人間でもなんでも生き物は、時が来たら死ぬ方がよいと思う。そうでなければ、大地が生き物だらけになって、お互いに飢え死にをしなければならぬようになるから」と蜘蛛が言った。こうして蓋来は考えが違うので、いつまでもいつまでも議論を続けていた。すると、一匹のハエが飛んできて、その議論を聞くと、「私は、蜘蛛に賛成する。生き物は、みんな時が来たら死ぬ方がいいと思う。」と言った。そこで、多数決で生き物は、時が来ると死なねばならんと言うことになった。暫くすると、蜘蛛の子が死んだ。蜘蛛は泣く泣く蟻のところにやってきて、「私は間違っていた。生き物は、いつまでも死なないことにしようではないか」と言った。しかし、蟻は頭を振って「いまになって、そんなことを言っても駄目だ。生き物は、死ななくてはならんと言うことに、もう決まってしまったのだ」と言った。こうして人間世界に死というものが始まった。

解釈

この話はかなり興味深い。と言うのも、虫が生まれたのはレメクがレメクのための罪は77倍と言った時からであると考えられるからだ。そして、蟻はその罪の内一番正直な者だと思う。そして蜘蛛は、どうだろうか。インドネシアの神話では蜘蛛は石や砂から大地を作ったとされている。そして、ハエはキリストがベルゼブブと呼ばわれたことに近い理由が存在する。
この神話で語られる三匹はレメクによってパンドラの箱がやぶまれて生まれた虫たちの中で、優秀な者であったと考えられる。ハエが悪魔と呼ばれる理由に蜘蛛をそそのかしたという理由があるかもしれない。また、この虫たちによって太平洋地域の人間が生まれたと思われる。それはレメクの子孫として、また、蟻が言うように転生することがカイン人の子孫から生まれている。すなわち、エノクもレメクもカインから出て、転生しアダムの家系に生まれたのである。では、クユータの少女は誰だろうか。この女のシンボルは太平洋を思わせる。もう少し考究を続けてみよう。

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死の起源(その二)

あらすじ

昔、ある所に、一羽の鴉が住んでいた。たいそう力が強くて知恵が多いので、首長をしていた。その頃は、人間は死ぬということがなかった。ある日、一人の男が鴉のところにやってきて、「今のようでは、私は到底幸福にはなれません。もし人間が死ぬようになったら、私たちはどんなに幸福でしょう」と言った。
鴉は「よろしい。もし、人間が死にたいと言うなら、私はそうしてやろう」と言った。男はそれを聞くと、大変に喜んで帰って行った。
暫くすると、その男が子供を失った。男は、大変悲しんで、毎日泣いてばかりいたが、とうとう鴉のところにやってきて「どうか人間を死なないようにしてください」と頼んだが、鴉は首を振って「今になって、そんなことを言ってももう遅い。私は、お前の頼んだ通りにしてやったんだ。いったん決めたことは、もう帰ることはできない」と言った。こうして、人間は、時が来ると死ななければならないようになった。

解釈

やはり北アメリカの神話では雷鳥による不老不死と言うことが、人間の中心となっている。そして、鴉も雷鳥と近く、神に仕える鳥だったと考えられる。そして、蟻もしかりであるが、一度定めたことを簡単には覆せないという定めがあるようである。しかしこの神話で気がかりなのは、男が死にたいと言ったが、その子供が死んでいる点である。蜘蛛の話でもそうである。ここには、多くの理由が見え隠れしている。一つは親が子供を産んで責任に追われ疲れているという背景がうかがわれるが、無自覚の内であるような展開を見せている。ここでは現に子供が死んで悲しんでいる。そして、これが親の子育てにおける子との関係性を見いだせていないという問題を示唆している。それは親が死を幸福だと考えると、子も死について興味を抱くという、父を尊敬する心を軽んじている可能性があるという点である。そして、それを見いだせないことが自らの信念を簡単に曲げてしまうという原因となっているかもしれないということである。それはどこから来るのだろうか。そして最後に、これはバビロンの神話での「鷲と蛇」を象徴しているようにも感じることができる点である。ここには蛇の子供を鷲が食べ、その恨みをシャマシュに告げ復讐することが記されているが、これはまさに、愛における絶対性と相対性の曖昧性を象徴している。さらには北アメリカの神話Ⅰの種子の由来とも共通の問題を含んでいる。この問題がまた、インドのガルーダの母、バビロンの怪鳥ズウとも共通している。ここには母についての善悪も含まれている。この神話は心理学的にも詳細を分析する価値のある物語と考えられる重要な資料だ。

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ナネボジョと鷲鳥

あらすじ

ナネボジョと言う男がお祖母さんと、一緒に住んでいた。あるとき、ナネボジョがお祖母さんと一緒に旅をしていると、とある湖の端に出た。湖にはたくさんの鴨が浮いていました。ナネボジョは、それを見ると、お祖母さんに向かって袋を一つこしらえるように言った。お祖母さんはは何に使うのかと尋ねたが、ナネボジョは、そんなことはどうでもいいからとにかく袋をこしらえるように言った。お祖母さんが袋をこしらえると、ナネボジョはそれを手にして、湖の側の小山の頂に登った。そして、袋の中に這いこんで、その口を締めて、丘から転げ落ちた。そして湖の端に来ると袋から這い出して、さも嬉しそうに笑いながら、また丘の頂に登って転げ落ちた。
鴨どもはそれを見ると、湖から出てナネボジョの側に歩み寄って、「なかなか面白そうですね。一度でいいから、私たちにも小山から転げ落ちさせてください」と言った。すると、ナネボジョは「よろしい、やって見なさい。だが、一度だよ。たびたびやってもらっては私が困るから」と言った。鴨どもは喜んで袋の中に入った。それを見ると、ナネボジョは、袋の口をしかと括って、肩に担いで、小山の頂に登った。
ナネボジョは、鴨どもをだまして袋の中に入れて、よそへもっていってしまうつもりだった。しかし、鴨どもが袋に入り始めた時に、鷲鳥の群れがそのそばにやって来た。ナネボジョは「さあ、鷲鳥までがやって来たぞ。鴨を生け捕りにしようか。それとも鷲鳥にしようか、とにかく鴨どもが袋に入ったら、一度だけは転げさしてやろう」と思って、小山に登った。
ナネボジョは、小山の頂から袋を投げおろした。そして、ころころと転んで行く袋の側について、自分も小山を駆け下りた。袋が湖の端に着くと、鴨どもをその中から出してやって、今度はまた自分が袋に入って、幾度も転がった。それを見ると、鷲鳥どもも転がって見たくてたまらなくなったので、ナネボジョに向かって、「ただの一度でいいから、私たちにも転げさせてください」と言った。ナネボジョは、「よろしい、やってみたけりゃ一度だけ許してやろう」と言って、鷲鳥どもを袋の中に入れた。そして、その口を鹿と括って、肩に担いで小山の頂に登ったが、袋を転がそうとはしないで、そのまま小山を向こうへ降りて行った。袋の中の鷲鳥どもは不思議に思って、「もうずいぶん時間がたつようですね。あなたはいったいどこへいっているんです」と尋ねた。しかし、ナネボジョは何とも答えないで、すたすたと丘を降りてお祖母さんの側にやって来た。

解釈

ナネボジョは最初鴨をだまそうとしているが、途中で鷲鳥が手に入りそうになって目的を変えている。この話は特に死の起源でみられる、約束したことを簡単に翻すことができないという暗示によってそれを変えたいという願望を表していると言えそうだ。
この話では鴨よりも鷲鳥が欲しいという要求が叶いそうになったことから、最初の鴨を取ることを鷲鳥に変えている。この目的の変換がいいことなのか悪いことなのかは不明であるが、ここに北アメリカの神話史を伺うことができる。しかし、これは欲棒に従っているという点ではほめられたものではないが。ユングはトリックスター元型をアメリカインディアンの神話に見出しているが、この変換というプロセスを引き起こす何かがあるということかもしれない。それを引き起こさざるを得なくなった理由はやはり、願いを変えることができないという点にあるように思う。
それは、その時点で潜勢態として定めえない要素が原因となっていると思われる。すなわち、その時点と言うのはそもそも自己と関連があるが自己のうちになく関連に与えられた役割によってその目的を果たすことになり、その目的は実体的ではなくある行為とその組織性にのみ依拠し、その目的が実体性を持つためには自己のうちに目的の時点のある付近で安定する実体性を再形成する必要がある、という点に依拠している。ここから考察するには、その時点での目的を達成した後の肉体的安定を図らざるを得ないことと、目的に全精力を費やした後のむなしさという葛藤をどう解消するべきかと言う精神肉体的な問題と、本来的にはその時点を持つ目的がそもそも愛の指標に感化された二次的なもの、または星によって導かれた仕方のないものなのかと言う問題と、さらにはすでにその目的を持つことが死の先駆として、死して報われるものであるという生への着地の不可能性という問題が考えられる。これらの点はアメリカの原初的な文化の問題点であるかもしれない。
この点を考慮して、太平洋での北アメリカの神話を位置づけて行こうと思う。

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ナネボジョの冒険

あらすじ

ナネボジョとお祖母さんが長い間旅をしているうちに、とある湖の側に来た。湖には、たくさんの鷲鳥が住んでいた。それを見ると、ナネボジョは樺の皮でできた桶を叩いて、「新しい歌を持って来てる、新しい歌を持って来てる」と歌った。それを聞くと、鷲鳥どもが、次第にナネボジョの側に近づいて来た。ナネボジョは、お祖母さんに向かって、「早く向こうに行って、私たちの住む小屋をこしらえてください」と言った。お祖母さんはすぐに小屋をこしらえた。すると、ナネボジョは湖の端に行って、袋を取り出して、その中に入って、水の底に潜りこんだ。鷲鳥は、大変驚いて、「なんといううまい潜り手だろう」と思いながら、だんだんとナネボジョの側に近づいて来た。ナネボジョは「私は、お前たちよりもいっそううまく潜れるよ」と言うと、鷲鳥どもは声をそろえて、「そんなことはありません。いくら、あなたがうまくっても、私たちほどには潜れませんよ」と言った。ナネボジョは「それじゃ、潜って見るがいい」と言った。鷲鳥どもはやっきとなって、一斉に水の中に潜り込んだ。するとナネボジョも素早く潜り込んで、鷲鳥の脚を掴んで引き寄せ木の皮で作った紐で一緒に括り上げてしまった。鷲鳥どもは驚いて、一斉に羽ばたきをした。ナネボジョは、逃しては大変だと、一生懸命に紐を引っ張っていたが、そのうちに、鷲鳥どもは、とうとう気を離れて空高く舞い上がった。ナネボジョも、紐に取りすがったま、だんだんと上へ昇って行ったが、やがて紐が切れてしまったため、ナネボジョは大地へ落ちて来て背の高い柳の木の洞に落ちた。
ナネボジョは、長い間その洞の中に住んでいた。そのうちに誰かが木を伐っている音を聞きつけたので大声で助けてくださいと叫んだ。すると、一人の女がやってきて、ナネボジョを柳の木の洞から出してくれた。ナネボジョは、すぐにお祖母さんを探しに出掛けた。そしてやっと見つけだすと、お祖母さんは、「なぜ、お前は鷲鳥を手に入れてこなかったの」と尋ねた。「たとえ鷲鳥を手に入れても、お祖母さんは、いつだって食べないじゃないか」ナネボジョは苦笑いをしながら、負け惜しみを言った。

ある時、ナネボジョが一匹の鹿を殺した。そしてその皮を剥いで、肉を料理して、火を起こしてそれを焼き始めた。
暫くして、焼けた肉を食べようと思って地面に座り込むと、側に生えていた一本の木が、その枝をすり合わして、変な叫び声を立て始めた。ナネボジョは、木に向かって、「私は食事を始めようとしているところだ。そんな変な音を立てないでくれ」と言った。しかし、木はナネボジョが焼肉を一口食べるたびに、変な音を立てるので、ナネボジョは、とうとう怒り出して、枝を折ろうとすると、枝の間に手が挟まってしまった。ナネボジョは、驚いて、しきりに身をもがいたが、どうしても手を抜き取ることができなかった。
ちょうどその時、一群の狼が川に沿って駆けて来ていた。ナネボジョは、それを見ると木の上から、「ぐんぐん走ってくれ。こちらを見てはいけないよ」と叫んだ。狼どもは、「あの男は、きっと何か食べるものを持っているに違いない。そうでなければ、あんなことを言うはずがない」といって、ナネボジョの方に駆けてきた。そして、鹿の焼肉を見ると、これだ、と言いながら、みんなですっかり食べてしまった。それを見ると、ナネボジョはまた木の上から、「さあ、今度こそぐんぐん駆けて行ってくれ。すぐそばにある木の方を見てはいけないよ」と言った。狼どもは「まだあんなことを言っている。きっと木の上に肉があるに違いない」と言いながら、木を見上げた。すると、そこに鹿の頭が吊るしてあったので、先を競って、とびかかると、その拍子に枝がたわんで、ナネボジョの手が抜けた。ナネボジョは、すっかり肉を食い取られた鹿の骨を、、恨めしそうに眺めていたが、やがてお祖母さんのところに帰って行った。

ある日ナネボジョが水を飲むために川の側に降りていくと、数匹のうぐいが、水の中に泳いでいるのを見つけた。ナネボジョは、うぐいに向かって、「お前たちと一緒に、泳いでいいかね」と尋ねると、うぐいは駄目だと答えた。ナネボジョはなぜいけないのか、尋ねると、うぐいは「インディアンどもが、いつも私たちを探しているんですよ。だから、あなたが私たちと一緒に泳いでいると、真っ先につかまりますよ」と答えた。ナネボジョは「そんなことがあるもんか。お前たちと一緒に泳いでいたら、けえして捕まることはないんだろ」と言って、川の中に飛び込んで、一匹のうぐいに変わってしまった。暫くsるうと、五、六人のインディアンが魚を捕りにやって来た。」それを見ると、ナネボジョは、うぐいどもに向かって「お前たちはそこにじっとしていておくれ。私はインディアンどもをからかいに出かけるから。もしあいつらが、私tの体を突き刺そうとしたら、水の底に潜り込んでやる」と言った。そして、インディアンの方に泳ぎよってしきりにからかっていたが、暫くすると、一人のインディアンがつきだした槍に体を貫かれてしまった。インディアンは、喜んでナネボジョを水から引き上げた。
ナネボジョは、一生懸命に飛んだり跳ねたりした。インディアンは怖くなって、ナネボジョを地面に放り出したまま、寝込んでしまった。ナネボジョはやたらに身をもがいて、夜の明け方になって元の体に返った。そしてぐっすり眠っているインディアンどものそばに行って、「もしお前さんたちが、私を食べようと思うなら、いい折に食べなくちゃだめだよ」と嘲り笑った後で、お祖母さんのところに帰って行った。

解釈

前章に引き続きナネボジョの話である。まず新しい歌を持って来ていると歌うとと鷲鳥が集まって来たということであるが、ここには、歌が持つ魅力に関して言及がなされる。歌は本来言語的に完成しておらずその組織性において欠落があり、問題を解決しなければその組織性を完成できないという問題があることである。ただし、ここで引き合いに出されるのはバベルの塔で、神がバラルされた完成した言語においては(もちろん、人間が共通の言語を用いて天を目指したという点)不信心であったことである。すなわち、歌はその完成に満たない言葉のフラグメントだということだ。おそらくは、バベルのように人々が不届きなはかりごとを行わなければ言葉は完成しても問題がないと思われる。すなわち、完成を望む言葉の断片は完成に向かわなければならないが、仮に鷲鳥がその未完成の言葉という歌を好むならば問題となる可能性を含んでいるということである。これは憶測であるが、鷲鳥は未完成の言葉は再構成し完成させる能力がない。しかし、鷲鳥をおびき寄せたナネボジョはお祖母さんに小屋を作るように言って、自らは袋に入り湖に飛び込んだ。なぜこのようなことをするのだろうか。ここで想起するのは、第一に、水の中に落ちた種子であるが、それは鷲鳥によって引き起こされたのであろうか。ペルシャではシームルグが種子を八方に散らすが、その原因となったのは鷲鳥だろうか。これを鑑みるには雷鳥は火の鳥によってその組織性を失い、その断片を火の鳥が好むということかもしれない。だとしたら、バラルは主が雷鳥と火の鳥を混乱させ互いに向き合わせた結果と言うことになるであろう。ここで、ガルーラとズウ、もしくは鷲鳥においては正当な理由があったと考えられる。と言うのも、蛇と鷲の話に代表されるように、蛇がイブをだましたことに関してその報いをになっていると考えられるからだ。
もし上記のように考えるならば、その雷鳥の落とした種を水の中に潜って探したいという要求があるのかもしれない。そして、それを利用してナネボジョは鷲鳥を水中におびき寄せた。そして、彼らの脚を紐で括り付けた。この点に関しては、鷹を板の四隅に括り付けて、その中心にえさを置いてその浮力で天を目指そうとした王を思い浮かべる。すなわち、この鳥の関係において人間は天を目指そうと思い立つことになったのかもしれない。しかしナネボジョにはそのような理由はなく、彼の目的はおそらく自らを養う食料に関するものだろう。しかし、その欲求は彼を天に導こうとするものであったので、ここで、木はおそらく彼を助けている。紐が切れてその後柳の木の洞に落ちている。そして、木を伐りに来た女に助けられているが、これはおそらくニムフェによるものだろう。そして、お祖母さんのところへ帰っているが、お祖母さんは鷲鳥を手に入れてこなかったことを問うている。そしてナネボジョはお祖母さんは鷲鳥を食べないと言って負け惜しみを言った。この点には深い理由がありそうだ。まず、お祖母さんは何者かという疑問がある。神話に従うと、銀狐か、鴉などのような気がする。ナネボジョはひょっとすると尾長狼かもしれない。ここに北アメリカでの人間創造などの問題を再び扱っているという可能性が考えられるからである。そして、またナネボジョの悪だくみが成功しなかった理由を問うているという背景を考慮すると、その失敗の理由を暗示するお祖母さんの視点をえる。この点に関しては特に蛇がイブを欺いた点への弁護を間違った方法で行おうとしたナネボジョの心境を見ることができると思われる。正当な構想が得られない所ではあるが、お祖母さんがある動物で、その動物は蛇がイブを欺くこととなった原因がここにあるように思われる。この点に関連してさらに考究を進めていきたい。

続いて、鹿を殺したナネボジョであるが、ここでまず、その鹿は殺すべきであったかという疑問が浮かび上がる。鹿に関しては仏教的に殺してよい鹿と悪い鹿が厳密に定まっている気がする。(余談だが、言葉で0匹殺すとは殺すを含んでおり何も殺さないのとは異なっているが、現代認知的な仕方による記述では言葉の特性は無視されて、0匹殺すのであれば、=殺さないという式を与えたがると言う難点を含んでいる。)もしくは鹿自体殺さないことを定めているかである。ここではナネボジョは鹿を焼いて食べているが、ここでは鹿の肉を食べるナネボジョに木が叫んでいる。この記述から明らかとなるのは、ナネボジョは言葉の性質を理解しておらず、現象的な方法で生きることにとらわれているということである。そして、お祖母さんとの関係からみても上述の鷲鳥にしても、言葉や草木から出来た北アメリカ人の背景を無視した行為を行うため、ここでもそのことについて木は問いかけているという縮図を見るのである。そして、ナネボジョは抵抗するが、無意味に終わり、狼が来たことを利用して労を費やして木から逃れ、鹿の骨を呪うのである。この点を鑑みるには、鹿は草食動物として草木の取り方を心得ているように思う。すなわち正しい殺生が草と動物の間にも存在するのである。この点において鹿は仏教徒にも神聖視されるのであろう。

そして、うぐいとナネボジョの話であるが、ここではナネボジョはうぐいと一緒に川で泳ごうとする。ナネボジョはなぜうぐいをインディアンから守ろうとするのだろうか。うぐいには草木の精霊的な特性があるように思う。ここではナネボジョは罪滅ぼしを行おうともくろんでいるようにも思う。すなわちナネボジョは草木の秩序の違反を犯しながらも草木に対して愛情を持っており、逆に草木における悪しきところを直そうと考えて居たのかもしれない。この回答に至るまでにはドストエフスキーの白夜、夏目漱石の坊ちゃん、中勘助の銀の匙、森鴎外のウィタ・セクスアリスにあるような、愛における老婆の困難という点において最も世界規模で影響が表れているように思われる。そして、シベリアではその悪は顕著となっている。この回答を紐解く鍵がこの北アメリカの神話に現れていると言いえるのかもしれない。しかし、これはいまだに未完である。というのも、ここでナネボジョの示した正義は草木の悪しきに感化されての行いであり、また、同じ草木に対して困難を与えただけであるからである。

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ウィスケ・ジャックと鷲鳥

あらすじ

ウィスケ・ジャックは、いつもお腹がすいていた。秋の一日、とある湖の端に立っていると、鴨の群れが頭の上を飛んでいた。ウィスケ・ジャックは、それっを生け捕りにしてやろうと思って、長い間その手段を考えていた。
暫くすると、湖の端に大きな小屋を建てて、その真ん中に火を燃やして、それから、散歩に出かけた。そして、湖の端を歩き回っていると、一羽の鴨に出会った。ウィスケ・ジャックは「お前は、これから南に行くところだろう」と尋ねた。鴨は「そうです、冬の間は、ここにいないつもりです。ここはあまりに寒すぎますからね」と答えた。ウィスケ・ジャックは「そうだね、お前たちがここを立ち退く前に、一緒になって、舞踏をしようじゃないか。きっと面白いよ。お前の友達をみんな読んできておくれ」と言った。鴨はそれを聞くと大変喜んで、友達を呼びに出かけた。ウィスケ・ジャックは、小屋の外の日当たりの良いところに座り込んで、太鼓をたたきながら、お客を招待する歌を歌っていた。暫くすると、たくさんの鴨や鷲鳥がその歌を聞きつけて、小屋の側に集まって来た。ウィスケ・ジャックは「さあ、みんな家の中に入って、気持ちよく踊ってくれ」と言いながら、小屋の戸を開いた。鴨や鷲鳥が小屋の中に入ってしまうと、ウィスケ・ジャックは、火を弄り回して、できるだけそれを小さくした。それから、みんなに向かって、「舞踏には、いろんな掟があるから、みんなそれを守ってくれなくては困る。とにかく万事私の言うとおりにしてもらわなくてはならぬ」と言った。
やがて、鳥どもは、みんな舞踏を始めた。暫くするとウィスケ・ジャックは「さあ、みんな目を閉じてくれ。そして、私がよいというまでは、決して開いてはいけないよ。それが掟の一つだからね」と言った。鳥どもは、みんなしかと眼を閉じた。そして、大騒ぎをしながら、一生懸命に踊りまわっていた。それを見澄まして、ウィスケ・ジャックは、鴨や鷲鳥の側に忍び寄っては、一羽また一羽と首をひねった。首をひねられた鳥は、息が絶えるまでに大きな声を立てたが、みんなが大騒ぎをして踊りまわっているので、誰一人それに気が付くものもなかった。しかし、暫くすると、一羽の鴨が変に思い始め、そっと小屋の隅の暗いところに行って、一方の目を少しばかり開いた。すると、ウィスケ・ジャックがちょうど踊り手の一人の首をひねろうとしている常rで遇ったので、大きな声を出して、「ウィスケ・ジャックが、みんなを殺そうとしている。早く逃げろ」と叫んだ。鳥どもはみんな目を開いて、小屋から飛び出してしまった。ウィスケ・ジャックは殺した鳥を料理し始めた。小屋の外にどんどん火を燃やして、熱くなった地面を掘り返して、その中に鳥を投げ込んで、焼き石を上に積んだ。そして、肉が焼けるまで、眠ることにした。すると、五、六人のインディアンが丸木舟に乗って、そのそばを通りかかった。彼らは煙を見ると、そのそばにやって来た。そして、火の側に寝込んでいるウィスケ・ジャックを見つけると、「お菓子な奴だな。こんな熱い日にどんどん火を起こしてどうするつもりだろう」と言っていたが、ふと火の側を見ると、土の中から鴨や鷲鳥の脚が幾本となく突き出ていたので、「なるほど、ウィスケ・ジャックの奴、うまいことをやっているな。幸い、眠り込んでいるから、みんな横取りにしてやろう」と言って、土の中から鳥どもをみんな掘り出してしまった。そして、脚を折取って、それを土の中に差し込んで、自分たちは鴨や鷲鳥を抱えたまま、船に乗り込んで、どこともなく漕ぎ去ってしまった。
暫くすると、ウィスケ・ジャックが目を覚ました。そして、火が消えかかっているのを見ると、「もうすっかり焼けたんだろう」と言って、鴨や鷲鳥の脚を掴んでぐっと引くと、体は出てこないで、脚だけがすっぽりと抜けて来た。ウィスケ・ジャックは、びっくりして、「あまり強く引っ張ったので、脚が抜けてしまった」と言いながら、急いで土を掻きのけた。それでも、鴨や鷲鳥は、さっぱり出てこなかったので、ウィスケ・ジャックはあきれ帰った顔をして、長い間、そこに突っ立っていた。

解釈

この話もナネボジョの話に似ているが、だました鳥を奪ったのはインディアンで、ウィスケ・ジャックは木によって罰せられたり問われたりしたわけではない。人間によってである。しかしナネボジョの時にはインディアンがうぐいを取ろうとしてそのインディアンをからかっているが、ここで人間同士の問題に発展したのであれば、この話はナネボジョ以降の物語と言うことだろうか。

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ウィスケ・ジャックと鷓鴣

あらすじ

ウィスケ・ジャックが、泥池のあたりを歩き回っていると、生まれたばかりの鷓鴣(しゃこ)の群れを見つけた。親鳥は、どこかへ行っていた。ウィスケ・ジャックは「お前たちはそこで何をしているのだね」と尋ねると、ひな鳥は「何もしていません。ただここにいるだけです」と答えた。ウィスケ・ジャックは「お母さんはどこにいる」と尋ねると、ひな鳥は「お母さんは猟に出かけているのです」と答えた。ウィスケ・ジャックは「お前たちの名前は?」と尋ねると、ひな鳥は「『出し抜けびっくり』です」と一羽のひな鳥が答えた。するとウィスケ・ジャックは、大きな泥の塊を拾い上げて、ひな鳥の上に投げかけて、「ほら、これが本当の出し抜けびっくりだ」と言いながらそこを立ち去った。暫くすると、親鳥が帰って来た。そして、ひな鳥がみんな泥だらけになっているのを見ると、大変に驚いて「どうしたのです。どこへ行ったのです」と尋ねた。ひな鳥は「どこへも行きませよ」と答えた。親鳥は「それでは、誰がこんなことをしたのです」と尋ねると、「ウィスケ・ジャックがやって来て、いろんなことを言った後で、お前たちの名はなんというと尋ねるので『出し抜けびっくり』だと一人が答えると、こんなに泥を投げかけて、『これが本当の出し抜けびっくりだ』と言って、行ってしまったのです」とひな鳥が答えた。親鳥は腹を立てて、ウィスケ・ジャックを探しに出かけた。そして、高い岩の上に眠っているのを見ると、翼を広げて、そのそばに飛び降りるなり、出し抜けに耳元で大きな羽根音を立てた。ウィスケ・ジャックは、びっくりして飛び起きた。その拍子に足を踏み滑らして、岩の上から真っ逆さまに落っこちた。それを見ると、鷓鴣は、にこりと笑って、「これでやっと、『出し抜けびっくり』ということのわけがわかっただろう」と言った。

解釈

ここではウィスケ・ジャックは悪戯心に駆られて、このようにひな鳥に泥をかけているように見えるが、ここに鳥に対する反逆精神がでていると思われる。それは、雷鳥に対してだろうか、それとも他の鳥だろうか。ここでは鷓鴣に対してであることには変わりはないが。
オーストラリアにおいてはこのような葛藤は民族すべてに及んでいてその影響が神話自体に現れているが、アメリカとなるとそれが背景に投影されているように思われる。鷓鴣はキジ科の鳥だそうだ。これによるとやはり植物に依拠している鳥に対しての要求のように思われる。

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ウィスケ・ジャックと海狸

あらすじ

ある時、ウィスケ・ジャックが旅をしていると、大きな湖の側に出た。ウィスケ・ジャックは、海狸(かいり)を狩り立てようと思った。そこで、湖の一方の端に行って、そこに掛かっていた堰を壊すと、湖の水がだんだん減り始めた。ウィスケ・ジャックは、水が十分引くまで昼寝をすることにした。
暫くして、目を覚まして見ると、水が良い加減に引いていたが、海狸どもは、いつの間にか逃げ出してしまっていた。ウィスケ・ジャックは、がっかりしてあたりを見回した。すると、一匹の大きな海狸が、引き壊した堰を乗り越えていたので、すぐにそれを追っかけることにした。ウィスケ・ジャックは海狸の足跡をつけて、どこまでも追っかけているうちに、オッタワ川の源までやって来た。すると、そこに新しい足跡を見つけたので、それを辿って、あちらこちらと駆け回ったが、海狸の姿はどうしても見つけられなかった。とうとうウィスケ・ジャックは苦笑いして「なんだ、俺は自分の足跡を追っかけまわしていたんじゃないか」といった。

解釈

海狸を追うことでウィスケ・ジャックが自分の足跡を追っていたのかもしれないとつぶやいた理由はどのようなものだろうか。一つ思い浮かぶのは、人間は自らの額に汗をかいて鼻から出たパンを食べるという聖書の記述から、狩をもくろんだウィスケ・ジャックは自分自身を追っていたと悟ったのだろうかということが思い浮かぶ。そうすると、北アメリカでは、聖書のように自らの食べ物を自らでなんとかするという決まりがなかったということなのかもしれない。それはアメリカがカイン人の末裔だからだろうか。それとも単に神の教えを守らなかった民族だからだろうか。それともアダムとイブから出た人間とは全く別の種族だからだろうか。
それはともかくも、北アメリカでは狩猟についての根源的な問題が付きまとっているように思える。確かに自らの鼻から出たものでなければ、満足をしないというのは人間の生理的欲求のように思われる。これはおそらくは、自らの生が自らに起因することの確証ができないと、自らを他人に原因帰属させてしまうというカルマを持っているせいだと言えそうである。これを欠いた理由に関してはアザゼルの時代にネフィリムがピネルをピネルがエルヨをエルヨが人間を食べた。という記述から起こっているのかもしれない。そうであれば、原因はやはり、神に定められた者同士の結婚でなければ、他人のマハル、他人のゲルを食べることになるのではないだろうか。この現象が、魂や体の要求によって食べ物を渇望してしまう原因となっていると思われる。
この点を踏まえてさらなる研究を進めようと思う。

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ネネブック

あらすじ

あるとき、一人の女の子がお父さんい向かって、「お父さん、あなたの木の皿を火の端に伏せておいてください。そして、五日の間、毎朝皿の下を見てください」と言った。そして、自分は太陽の中で住むために出かけて行った。
お父さんは、娘が言ったとおりにした。初めの朝、皿の下をのぞくと、孫のネネブックがそこに座っていた。次の朝覗くと、ネネブックの一人の弟がネネブックの側に座っていた。こんな風にして、毎朝皿の下をのぞいているうちに、ネネブックと四人の弟をそこに見つけることになった。
ネネブックの一人の弟は、頭に角を生やしていた。女の子のお父さんは、それを見ると、「お前は、ここにいてはならない。西へ行くがよい」と言って、西の方にある暗闇の国に送りやった。それから残りの三人の弟も、それぞれ東と北と南とに送り出した。ネネブックだけが、おじいさんと一緒に居残ることになった。
夏になると、西風が始終強く吹き続けるので、人々は漁をすることができないで、ほとんど飢え死にをしそうになった。それをみるとネネブックは、たいへん腹を立てて、お祖父さんに向かって「私は、西の国に出かけて、西風に吹くことをやめさせようと思います」と言った。お祖父さんは「よかろう。でも西風を殺してはいけないよ。ときどき吹き出して、ときどき吹きとめるように頼んだらよいだろう。そうしたら、万事がうまくいくんだから」とお祖父さんが言った。
ネネブックは、西の方にある暗闇の国に行った。そして、そこにいる角の生えた弟に向かって、「どうか西風に吹くことを止めさせてもらいたい」と頼んだが、意地悪の弟は、どうしてもそれを聞き入れてくれないので、ネネブックもとうとう怒り出して、手に持っていた棒で、弟の頭をひどく殴りつけた。棒は、頭に生えていた角にあたって、その一本を叩き折ってしまった。ネネブックは弟を睨み付けて「もうひどく吹いてはいけないぞ。お祖父さんもみんなも、西風が吹き続けると飢え死にをしてしまうんだから」と言った。
ネネブックが、自分の国に帰ってくると、西風ばかりではなく、東風も南風も北風もさっぱり吹かなくなっていた。角を折られた西風が自分の弟たちを戒めて、「気を付けて、風を起こさないようにするがよい。でないt、兄さんが来て、ひどい目に合わせるんだから」と言ったからであった。風があんまり久しく吹かないので、水と言う水が腐ってしまって、飲むこともできなければ、魚も住まないようになった。お祖父さんは驚いてネネブックに向かって、「お前は、西風を殺してしまったんじゃないかね。私たちは、少し風が欲しいのだ。風がさっぱり吹かないでは、みんな死んでしまうよ」と言った。ネネブックは「いや、決して西風を殺したんじゃありません。もう一度あいつのところに行って様子を見てきましょう」と答えて、また暗闇の国に出かけた。そして、弟の西風に会って、「お前が吹き続けていると、漁ができないで困るが、それかと言って、まるきり吹かないでいても困る。時々穏やかに吹いてもらいたい」と言うと、西風は承知して、弟の東風や南風、北風にもそう言ってやったので、そのあとは風が時々穏やかに吹くようになった。

解釈

風に関する物語であるが、冒頭の女の子がお父さんに木の皿を火の端に伏せて5日の間毎朝皿の下を見るように言ったとある。そして自分は太陽の中で住むために出て行ったとある。太陽にさらわれた乙女の話は多くの国に共通するようである。ここではその息子であるネネブックと東西南北の風である。
この記述は、風は太陽と関連性のあることを示唆している。エノク書には太陽の門では風も同様に出ていくとあり、ここでの関連性を見いだせる。また、北アメリカの神話でよくあるようにネネブックは風に程度を守るように言うのであるが、ここには北アメリカの土民が程度を知らないことの理由として風がはじめそれを知らなかったという問題があったのではないかと言うことを思い浮かばせる。この点にアメリカ神話と認知におけるバランスの必要性を鑑みることができそうである。
しかし、風はなぜはじめ強く吹くようにできていたのだろうか。エノク書に記載されているところではどうだったのだろうか。もしかすると、アザゼルの犯した罪に対して強く吹いたということもあるかもしれない。もう少し考究が必要なことろである。

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尾長狼と狐

あらすじ

尾長狼が歩き回っていると、大地の下にある一軒の家に来た。その家には、小さい兎どもが住んでいた。尾長狼はよいものが見つかった、食べてしまおうと言って、兎どもを殺して、一本の紐で括って、肩にかけて歩き出した。その日は大変暑かったので、尾長狼は大きな松の影に来た。そして、火を起こして、たくさんの石を真っ赤に焼いて、大地に穴を掘って、その中に焼き石を並べた。それから焼き石の上に兎を置いて、その上に木の葉や土をかぶせて、自分は、松の木の影で昼寝をしていた。すると、そこへ一匹の狐がやって来た。狐は、尾長狼の眠っているのを見て、すぐに兎を掘り出して、食べ始めた。半分ばかり食べたころに、尾長狼が、目を覚ましたが、生まれつきの怠け者の上に、眠くてたまらないので、寝ころんだまま「兎を食べてもよいが、十匹だけは残しておいてくれ」と言った。狐は何とも答えないで、食べ続けた。暫くすると、尾長狼は「じゃあ、九匹だけ残しておいてくれ」と言ったが、狐は、やはり黙って食べ続けていた。尾長狼は眠そうな声をして、「せめて、半匹だけは残しておいてもらいたい」と言った。そのうちに、狐はとうとう兎どもをすっかり食べてしまって、のこのこと歩き出した。尾長狼は、その時やっと、目が覚めて、「おや、俺の兎をみんな食べてしまったな。ひどい奴だ。追っかけて、一談判してやらなくてはならない」と言いながら、狐の後をつけていた。暫くすると、狐が樅の木の陰に眠っているのを見つけた。尾長狼は、魔法を使って、狐の体の上に樅の木を倒した。そして、「さあ、これで仕返しができたぞ」と言って、そこを立ち去った。しかし、樅木には、枝がたくさんついていたので、それに支えられて、幹は狐の体に当たらなかった。狐は、枝の間から這い出して、逃げかかった。尾長狼は、それを見つけて、またあとを追っかけてきた。
間もなく狐は、高い草の茂っているところに来た。狐は、その真ん中に這いこんで、「これで大丈夫だろう。ここにいれば見つかりっこはない」と言って、眠り始めた。それを見ると、尾長狼が草に火をつけたので、狐はびっくりしいて、草の中から飛び出した。そして、葦の生え茂っているところに逃げ込んだ。尾長狼は、また葦に火をつけた。そして、「今度こそ狐の奴も焼き殺されるだろう」と言っていると、火の広がるにつれて、葦の間から兎どもがどんどん飛び出してきた。尾長狼は、一生懸命になって、それを捕まえていると、その隙に狐が逃げ出してしまった。尾長狼は、仕方がないので、後ろから声をかけて、もう助けてやるよと言った。尾長狼は、旅を続けているうちに鴫(しぎ)のたくさんいるところに来た。そこで罠を作って、たくさんの鴫を捕らえた。そして、皮を剥いで、着物を作って、それを身にまとってしきりに喜んでいた。
それから暫くたつと、尾長狼はまた狐に出会った。狐は日に輝く銀狐の毛衣を着て、鷲の羽根をたくさん刺していた。それを見ると、尾長狼は狐に向かって、「私の着物とお前の着物を取り換えっこしようじゃないか」と言った。狐は「嫌だよ。そんな汚い着物と取り換えっこをして堪るもんか」と言った。尾長狼は「仕方がない。これで別れることにしよう」と言って、立ち去るふりをしたが、急に引き返して来て、力ずくで狐の衣をはぎ取ってしまった。そして、湖の側にやってくると、鴫の皮で作った衣を脱いで、引き裂いて、水の中に投げこんでしまった。そして、狐から奪い取った美しい衣を身にまとって、「今に風が吹いてきたら、俺の着物に刺さっている鷲の羽根が、どんなに美しく揺れるだろう」と言いながら、湖の端をのそのそと歩き回っていた。狐が遠くからそれを見て、魔法の力でひどい風を起こした。風は尾長狼の課rだから、着物をふき取って、狐のところに運んできた。尾長狼は大変悔しがりながら、水の中に投げ捨てた古い着物を探したが、どこに吹きやられたか、さっぱりわからなかった。

解釈

この話は、北アメリカの神話Ⅱ2に現れている銀狐と尾長狼の関係の異なった見方によるものと考えられる。この話では最初狼が兎を手に入れるところでは狐が悪いかのように見えているが、後半になると、狼は狐の衣を取ろうとする。ここには北アメリカの神話(太陽はなぜ輝くか)にあるような太陽と衣を取り換える話に近いところがある。太陽と衣を取り換えるところでは太陽の衣の力はたくさんの魚を取ることができるというものであったが、ここでは尾長狼の方が兎を狩るのが得意なようであった。この点から見ると、尾長狼は生活の欲望に駆られているということが挙げられる。一方狐はそのほかの問題にその欲望を燃やしているように思う。ここでは狐が魔法を利用して衣を取り返している。北アメリカでは風は神の使いのような働きをするのかもしれない。

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兎の冒険

あらすじ

昔、一匹の兎がお祖母さんと一緒に住んでいた。二人は大変貧しくて、食べ物もまともになかった。ある日、兎はお祖母さんに向かって、「お祖母さん、今日は罠を仕掛けて、魚を取ることにしましょう」と言った。するとお祖母さんは笑い出して、「できるならやってごらん。罠よりも網で取ったらいいだろう。でも、魚が取れたって、それを焼く火がないじゃないか」と言った。兎は「まあ、やってみることにしましょう」と言って、網を取り出して、水の中にそれを張っておいた。
明くる朝になると、網の目ごとに一匹の魚がかかっていた。あんまりたくさんかかっていたので、重くて引き上げられなかった。兎は仕方がないので、たくさんの魚を振るい落として、残っただけを引き上げた。そして、半分ばかりは地に埋めて、その残りを家に持って帰った。そして、家の外にそれを置いて、「お祖母さん、魚を取ってきましたよ。きれいにしておいてください。川を通っていくインディアンが火を持っているに違いありませんから。私が行って盗んで来ましょう」と言った。お祖母さんは、驚き恐れて、「いや、そんなことをしないでおくれ」と言った。しかし、兎は網を乾かして、それを折りたたんで脇の下に抱えて、川の端に出た。しかし、川幅が広くて、とても飛び越えることができそうでは中たので、大きな声を出して、「鯨さん、助けに来ておくれ」と叫んだ。すると、どこからとなく、たくさんの鯨が現れて、川を横切って、ずらりと並んだ。兎は、その背を伝って川を渡った。
川向うには、インディアンの子供たちが遊んでいた。兎は、それを見ると、砂原の上に寝ころんだ。子供たちは、兎の側にやって来て、これを摘まみ上げた。一人の子供が「そいつを壺の中にに投げこんだらいいだろう。壺の側には火があるから」と言った。一人の老人が「いや、そんなことをする前に殺さなくてはいけない」と言った。それを聞くと、兎は、たいへんい驚き恐れて、どうしたら逃げ出すことができるだろうと思って、目を少し開いた。すると、すぐそばに小屋があって、小屋の頂に大きな煙出しが開いていた。それを見ると兎は「網に火がつけばいいな」と独り言を言った。途端に大きな燃えさしが転げ落ちて、飛び火が網の上に刎ねかかった。網はみるみる燃え始めた。兎を摘まみ上げていた子供は、驚いて手を離した。兎は、すかさず飛び出して、煙出しの穴から逃げて行った。そして、川の端に来ると、また鯨の助けを求めようとしたが、インディアンどもが、すぐ後から追っかけて来たので、思い切って川を飛び越えた。そして、お祖母さんの側に帰ってくると、お祖母さんは「火を持ってきたの」と尋ねた。兎は「ええ、持ってきましたとも。これを御覧なさい」と言って、火の塊を取り出した。

解釈

兎がインディアンから火を盗むという。お祖母さんは兎にだまして魚を取ることを注意する。アメリカでは動物でも騙すことはよくないとされているようである。ここに動物のカオスにおける調和への尊重があると思われる。兎はここでは鯨によって川を渡っている。

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大きな亀

あらすじ

一人の老人が甥と一緒に住んでいた。甥は、毎日どこかに出かけて行った。老人は、不思議に思って、甥が帰ってくるたびに、「お前は今日どこへいっていたのだ」と尋ねたが、甥はなんとも答えなかった。ある日、甥はだしぬけに「私は鷲の羽根を引き抜いて来たんです」と言って、鷲のしっぽの羽根を見せた。老人はそれを見ると「ひどいことをした、いまに私たちは危ない目にあうだろう」と言って、鷲の羽根を煙出しのところに吊るしておいた。暫くすると、一羽の鷲がやって来て、煙出しの上に止まった。老人は、それを見ると、「危険がやって来た。すぐに相談をしなくてはならない」言いながら、煙をやってあらゆる動物を呼び集めることにした。いろんな動物が続々と集まって来た。老司名h、戸口のところに突っ立っていて、家の中に入らせる動物と、入らせない動物とをえり分けることにした。老人は鹿や熊や狼などを見ると、「お前たちは、相談会に加わってもらうまい。お前たちはあんまり早く駆けることができるんだから」と言った。そして、亀や川獺やヤマアラシなどだけを家に入れた。やがて相談が始まった。老人がまず口を切って、「鷲が私たちを襲おうとしているが、どうしたらいいだろう」と言うと、ヤマアラシが、「なに、鷲がやってきたら私の怖い毛で鷲の体を突き刺して見せますよ」と言った。ほかの動物どもも、その圧について、いろんなことを言いだしたが、心の中では、みんなが鷲が怖いので、相談が済むと一斉に大きな気に逃げ昇ってしまった。しかし、その木は腐っていたので、一陣の風が吹いて来たかと思うと、たちまち地に倒れてしまった。動物どもは驚いて、あちこち逃げ出したが、ヤマアラシだけは、亀の背に乗っかって、その姿が見えぬようにしてやった。亀が鷲の羽根を持っていたからであった。しかし、鷲は大勢の友達と一緒に亀の後をつけて行って、とある川の畔で捕まえた。鷲はが亀を火の中に投げこもうというと、亀はわざとうれしそうな顔をして「早く投げ込んでください。私は日の中が一番好きです」と言ったので、鷲どもは、火の中に投げ入れることをやめて、「じゃあ、こいつを水の中に溺れさせてやろうじゃないか」と言った。鷲の友達は、それを聞くと亀を掴んで、川の側に引きずって行って、その中に投げこんでしまった。
亀は鷲やその友達が立ち去ったのを見澄ますと向こう岸に近いところにあった一本の丸谷泳ぎ着いた。そして、鷲の羽根を取り出して、空高く打ち振りながら、「これを見ろ」と叫んだ。鷲の友達は、その声を聞きつけて、川端に集まって来た。鷲たちは誰か鷲の羽根を取り返してくれ、と話し合っていたが、途中で溺れてしまうと言って話がまとまらなかった。そこに一匹の川獺が進み出て、「私がやってみよう」と言いながら、いきなり川の中に飛び込んだ。そして向こう岸の丸太に泳ぎ着くと、亀は、いきなり仰向きになって、川獺の上に落ちかかった。川獺はびっくりして、逃げ出してしまった。こうして亀はとうとう鷲の羽根を自分のものにした。亀は動物の中で一番知恵が多いので、誰も負かすことができなかった。

解釈

この話を呼んでいると、北アメリカではすべての者が互いに共存していることを強く感じる。この原理はある者の行動が、後続する者の行動とつながりえない所において、それを見る自分にとっては自らの延長的連続体のように、自らの進むべき道を見出すような、組織性が届かないところに客体が潜勢的に流入している。これが自己によって投影されるところに契機が与えられる限りでは当人は自らの道をまっすぐに進むことができるであろう。しかし、さまざまなトラブルによってその組織性から浮いた場所にある客体が他の合成過程にある有機体によって潜勢態として感じられる場合にはその経路は曇ってしまい、自らの手の届かないように感じられるだろう。ここに北アメリカの調和のむずかしさがあると思われる。
この原理は、個人の客体的パターンが物的であり、心的な抱握が消極的となるため、本来積極的であれば十分含意可能な範囲においてその延長的連続体が浮かび上がるものと考えられる。ここに個人の自己実現の経路を実現できれば、この問題、すなわち、動物たちの調和は完成できるのではないだろうか。アメリカンスピリットとはこのようにカオスである空間においてでさえ、そのものにとって必要な契機はおのずと得ることができることを尊んでいると思う。
また、鷲の羽根を取ったことが様々な動物の助けをもってして贖うことができるような自己責任の肥大化を見ることができるかもしれない。そして、ここでは鷲の羽根を取ったとある。北アメリカの神話四つの難題では鷲の羽根のご利益によってコノハズクが助かった。ペルシャの神話でも同様にサエーナの羽根によってルスタムが助かるというシーンがある。このように鳥の羽根には恩恵があるのだそうだ。亀はこれを手に入れることになったが、話が混沌とするとき、このアメリカンスピリットのような働きによって、亀は強いのかもしれない。

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世界火事

あらすじ

昔、ある所に一人の若者が住んでいた。世界中が近いうちに火事になるということを聞き込んだので、お父さんに向かって、「今に世界中が燃えてしまうそうです。今のうちにどうにかしなくては駄目でしょう」と言ったが、お父さんは、「そんなことがあって堪るものか」と言って、平気な顔をしていた。
そこで、若者は一張りの弓とたくさんの矢をこしらえた。そして、一本の矢を西のほうに放って、一本の矢を東の方に放って、一本の矢を北の方に放って、一本の矢を南の方に放った。四本の矢の落ちたところは世界の四隅で、どんな火事にも燃えることはなさそうに思われた。若者は、みんなに向かって「今に世界中が日になるよ。命が惜しいと思うものは、世界の四隅に逃げて行っておくれ」と言った。しかし、大概のものは若者のいうことを信じないで、やはり自分たちの住処に留まっていた。
暫くすると、大きな火事が起こった。それを見ると、獣や鳥どもはみんな矢で印のついている場所に逃げて行った。若者はお父さんに向かって、「あなたも早く世界の隅へ逃げていらっしゃい」と言った。しかし、お父さんは、「そんなことをしなくてもよい、火はすぐに消えてしまうよ」と言って、逃げようとしなかった。若者は仕方がないので、お父さんを捨てて、自分だけ世界の隅へ逃げて行った。
火はどんどん四方に燃え広がった。世界中の水が沸き返って、熱湯のようになった。そして逃げ出さなかった人たちは、みんな焼き殺されてしまった。日はどこまでも燃え広がって行って、世界の四隅のところでやっと消えた。若者は生き残った動物どもを集めて、それぞれ住処を定めてやった。そして、自分は、生き残った一人の女と結婚をして、たくさんの子供を産んだ。今世界に住んでいる人たちは、その子供たちの子孫である。

解釈

洪水神話と比較して同様に火事でもこのように人や生き物が多く滅んで、ノアのように新たにされた痕跡があるということだろうか。ここで想起するのはかまどであるが、パレスチナの伝承ではノアが箱舟に乗る前に、ダマスカスの地下の竈から水が湧き出て来たとある。もし、メキシコとダマスコがつながっていたとしたら、それはメキシコが火によって、ダマスコは水によって、罰せられたのかもしれない。
そして、放った矢は地の四隅に向かったとあるが、これはペルーにも風の場所として大地の四隅があるという。ここは風の門であり、太陽の門であるような気がする。そして、その門は竈とつながっていたのかもしれない。しかし、それはノアの時代のことであり、現在どこにあるのか不明であるが、名前からは上述のダマスコとメキシコだろうと考えられる。根拠となる文献は薄いかもしれない。

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太陽と月

あらすじ

太陽と月とは二人とも酋長でそれそれ人々の世話を焼いていた。ある日、二人は喧嘩を始めて、お互いに悪口を言い合った。太陽が月に向かって、「お前は少しの光しか持っていないじゃないか。お前が現れたって、人々は、はっきりと物を見ることができないよ。その上、お前は人々を暖かにしてやることができないじゃないか」と言った。
すると月は答えて「お前が人々は見ると、人々は、みんな顔を背けてしまうじゃないか。お前は、人間の目をつぶしてしまうよ。それにお前は、あまり暑いので、お前が現れると、人々は嫌な気持ちになってしまう。その上姿からいっても、私はお前よりずっときれいだからね」と言った。
こんな風にして、太陽と月は一生懸命に言い合っていたが、いつまで言い合っても片が付かないので、二人は相談をして太陽は昼間輝くことにして、月は夜の間輝くことにした。だから、今日でも太陽と月とは、決して一緒に輝くことはない。

解釈

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月の中の蛙

あらすじ

昔は月も太陽ほど強く輝いていた。月は一人の妹の蛙と一緒に、天上界の家に住んでいた。あるとき、月は星たちを招いて宴会を開いた。大勢の星はあとからあとからと、月の家にやって来た。あんまりたくさんの客が集まったので、月の妹のいるところがなくなった。妹の蛙は兄さんの月に向かって、「お客をなさるのもいいんですが、あんまり大勢お招きになっては困ります。私のいるところがなくなったじゃありませんか」と不平を言った。月は笑って、「お前なんかどこにいたっていいじゃないか」と言った。それを聞くと妹の蛙は、ますます腹を立てて、「兄さん、きっと私なんかどこにいたっていいんですか」と尋ねた。月は「ええ、そうとも」と答えた。すると、妹の蛙はいきなり身を躍らせて、兄さんの顔に飛びついた。月は驚いて、妹を振り離そうとしたが、蛙は一生懸命に月の顔にしがみついて、どうしても離れなかった。だから今日では、月は太陽ほど強く光らないのである。

解釈

月と兎の話を聞く機会が多いが、蛙が月の妹であるということはあまり見かけない。しかし、北アメリカの神話Ⅰの月の斑点の由来ではやはり妹とのやり取りでその斑点がついたということが記されている。

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天上界の戦い

あらすじ

ある時、天上界の人たちが下界に住んでいる白鳥のお嫁さんを盗んだ。白鳥は大変腹を立てて、みんなを呼び集めて「天上界の奴らは、私の妻を盗んでしまった。どうしたらいいんだろう」と言った。「ひどいことをする奴だ。どうしても黙ってはいられない」「天上界の奴らと戦争をして、ひどくやっつけてやろうじゃないか」などと話し合って、とうとうみんなで天上界の人たちと戦争をすることに決めた。人々は、たくさんの弓矢を集めた。そして、代わる代わる空に向かって矢を放ったが、矢はみんな下へ落ちてきた。一番最後に、鷦鷯が天空めがけて一本の矢を放った。矢は天に突き刺さって、落ちてこなかった。みそさざいは、また一本の矢を射放った。と、その矢は、恥柄の矢の先にうまく突き刺さった。こうして、鷦鷯が矢を放つたびに前の矢の先に突き刺さるので、とうとう長い矢の鎖が、天空から大地にぶら下がることになった。これでやっと天上界に昇れることになった、と言いながら獣や鳥が矢の鎖を伝って、我も我もと天上界に昇って行った。そして、天上界の者どもと戦いを始めたが、天上界には、熊や大鹿などの力強い者ばかり住んでいたので、とうとう下界の者どもが負け戦になってしまった。
白鳥やみそさざいなどは、大急ぎで矢の鎖に取りすがって、下へ下へと降り始めた。しかし、みんながまだ半分も降りてこないうちに、矢の鎖が切れてしまったので、大勢の者は天上界の者どもに生け捕られたり、殺されたりしてしまった。
インディアンたちはこの話をして「昔は、今よりもずっと鳥や獣が多かったのです。でも、この戦で大勢が生け捕られたり、殺されたりしたので、今日ではこんなに少なくなってしまったのです」と言う。

解釈

白鳥が天上界の者に嫁にされたことは、感慨深い。と言うのも、ドイツの伝説でもベアトリスから生まれた子供たちは白鳥だったこと、ケルトの白鳥に変えられた兄弟など、白鳥に関しての記述は意外と目にかかるところである。
そしてその結果天上界の動物と下界の動物の間で戦争が起こったという。ここでいう天上界はエデンの園かもしくは、常若の国と呼ばれるところだろうか。しかし、アダムが追放される前のアダムが名付けた動物たちのことを指しているように思う。しかし、動物が創造されたのは第五の日であって、その後動物がどうなって、どこから生まれたかについては記されていない。。下界の動物と言うのはどこから生まれたのだろうか。

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夏の由来

あらすじ

大昔に歯、夏と言うものがなかった。いつも冬ばかりで、雪や氷が世界中を蔽っていた。そのわけは、一人の男が夏鳥をすっかり生け捕って、どこかにもっていってしまったからであった。人々は、北風が吹きまくるとき、家の中に閉じ籠って、「おお寒い、昔、乱暴な男が夏鳥を持って行ってしまったから、こんなことになったのだ」とこぼしあうのが常であった。
とうとう一匹の貂が夏鳥を探しだして、この世界に再び夏が来るようにしてやろうと決心した。貂は、夏鳥のいる夏の国がどこにあるか知らなかったが、とにかく旅の用意をして、家を出掛けた。そして、長い間あちこち歩き回っているうちに、天上界に来た。
貂は一軒の家を見つけて、その中に入ると、思いがけなく夏鳥を盗んで行った男がそこに住んでいた。夏鳥はみんな一緒に括り付けてあった。貂が入って行った時には、夏鳥を盗んだ男はいなくて、一匹の鯡(にしん)が留守居をしていた。貂はそれを見ると、鯡の口に土の塊を押し込んだ。鯡は身をもがいて叫びだそうとしたが、どうしても声が出なかった。貂は、夏鳥を括っている紐を切ろうとしたが、どうしても切れなかったので、口にくわえて髪切った。と思うと、たくさんの夏鳥は、いっせいに飛び出してしまった。そのうちに鯡がやっと自分の口から土塊を取り出して、大きな声で、「貂が紐を切った」と幾度も叫んだ。すると、夏鳥を盗んだ男が、その声を聞きつけて、大急ぎで家に帰って来た。ところが、その時にはもう貂は、影も形も見えなくなっていた。
逃げ出した夏鳥どもは、天上界に開いている穴から、我勝ちに下界へ降り始めた。もし夏鳥どもが一羽も残らず下界へ降りてしまったら、下界は年中夏となったでしょう。しかし、追っかけてきた男が、大急ぎで穴の口を塞いだので、夏鳥は、いくらか天上界に残ることになった。だから、一生のうちのある期間だけが夏となった。
逃げ出した点は、下界に降りてこないで、星の間に飛び込んだ。男は、貂を射殺そうと思って、そのあとを追っかけたが、矢が届くほど近づくことができずに、貂は無事に星の世界に逃げ込んでしまった。男は、ほんの一度だけ貂を射かけた。矢は、貂の尻尾にあたった。だから、星の世界にいる貂の尻尾は、少しばかり裂けている。

解釈

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大火事

あらすじ

昔、一人の神様と四匹の黒熊とが世界を歩き回って、物事を正しくすることに努めた。神様は東から西に、四匹のクロクマは西から東に世界を回った。ある所で、神様と黒熊とが出会った。黒熊は、神様に向かって、「人々の性質(たち)が悪い国がただ一つあります。しかし、その国の奴らは、力が強くて私どもの手に負えませんから、どうかあなたがいらして、太陽の足を止めて、そいつらをみんな焼き殺してもらいたい」と言った。神様は「私がその国へ行って、太陽の足を止めたら、そこに住んでいるものだけでなく、世界中の人間がみんな焼け死んでしまうだろう」と言った。しかし、熊どもは神様のおっしゃることを信じないで、どこまでも悪い人々を焼き殺してくださいと言うので、神様はとうとう太陽に向かって、「止まってくれ」と言った。太陽は、すぐに立ち止まった。すると、見る間に大地が焦げ付くように熱くなって、木という木が頂から煙を吹き出し始めた。熊どもはびっくりして、神様に向かって、「あなたのおっしゃったことが本当でした。早く太陽を動かしてください」と頼んだ。そこで、神様が口笛を吹いて、太陽に指を差し向けると、太陽はすぐに動き出した。そして涼しい風が吹き出して、大地が冷たくなった。しかし性質の悪い人々は、太陽が動きだす前に、すっかり焼け死んでしまった。

解釈

この話を見ると、マウイや、ファエートンを思い浮かべる。この話と連動して、そのようなことが起きたのだとすると、その頃に、太陽によって火事が起こされたということになる。その裁きにはどのような話が合ったのだろうか。寝ずの番人の子孫か。

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兎と蛙

あらすじ

ある日、兎が丘の当たらいを歩き回っていると、とある家の側に出た。兎は臆病者ですから、おずおずと家に近寄って、小さい穴から覗いて見た。すると、一匹の蛙が、火の端に座っていた。兎が「兄弟、何をしているの」と声をかけると、蛙は「灰をいじくっているのだよ」と答えた。兎は「家から出て、私と一緒に暮らさないかね」と尋ねた。蛙は「私は足が一本跛(びっこ)だよ。だから、兄弟がみんな仮に出かけているのに、私だけがこうして座り込んでいるのだよ」と蛙が答えた。すると、兎は家の中に入ってきて、蛙を掴むなり、自分の背中に投げ上げた。そして、「こうしてお前を連れて行くんだよ」と言って、自分の家に連れ帰った。暫くすると、兎は蛙を家に残して狩に出掛けた。すると不意に川岸の柳の間からむくむくと立ち昇る煙が目についた。兎はそれを見ると驚き恐れて引き返した。そしてイライラしながら、家の中に駆け込んで、「小刀を忘れたので、取りに帰ったよ」と叫んだ。蛙は静かに、「兄弟、お前さんはどうしてそんなにびっくりしたような顔をしているのかね」と尋ねた。兎は「大きな煙をみたからだよ」と答えた。蛙は「どこに煙があったのかね」と尋ねた。兎は「川端の柳の木の間だよ」と答えた。蛙は「煙は海狸の小屋から出ているんだよ。あそこには海狸がすんでいるからね。あいつが怖いとは、お前さんもなかなか元気ものだよ。私ならあいつを狩り立てることができるんだがね」と蛙が言った。それを聞くと、兎は少し気を取り直して、「では、私がお前さんを海狸の小屋に連れて行こう。そして二人で小屋に押し入って、彼らを捕らえることにしよう」と言った。そして蛙を連れて、川端の柳の間にあった海狸の小屋に行くと、川に堰をこしらえて、「お前さんはここに番をしていておくれ。私は小屋の頂から中に押し込むから」と言った。蛙は、兎が小屋に昇っている間に、堰を壊したので、海狸はそこから逃げ出してしまった。兎はそれを見ると怒り出して、蛙を掴むなり、水の中に押し込んでしまった。すると蛙はからからと笑って、「ありがとう。私は水の中に入りたくてたまらなかったんだよ」と言った。

解釈

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鼬と岩

あらすじ

ある日、鼬が丘のあたりを歩き回っていると、大きな岩の側に来た。「たった今歩き回っていたのは、お前さんだったかね」と鼬は岩に訪ねた。岩は「いや、私は歩くことができない」と答えた。鼬は「だって、私は、お前さんが歩き回っているのを見たんだよ」と鋭い口調で言った。岩は「そんなことがあるもんか」と言った。しかし鼬は、どこまでも、「いや、確かにお前さんが歩き回っていたに違いない」と言い張って、岩の側に歩み寄った。そして岩の体を叩きながら、「もし私が捕まるなら、捕まえてみるがいい」とからかうと、岩は大変怒り出して「私は歩けないが、転がることはできるよ」と言った。鼬は「では転がったらいいだろう。私はそうしてもらいたいんだ」と言いながら、駆けだした。岩はすぐに転がり始めた。鼬はびっくりして、一生懸命に逃げ出したが、岩はだんだんと速く転げ始めた。そのうちに、鼬は棒につまずいて、地面に倒れた。と思うと、岩がやって来て、その上に乗っかってしまた。鼬は苦しそうな声を出して、「退いてくれ。骨が砕けるよ」と叫んだが、岩はそのままじっとしているので、鼬は死にそうな声で、狼や狐に助けを求めた。狼や狐がすぐにやって、いて、鼬に向かって、「お前はどうして岩の下になったのかね」と尋ねた。「岩に私を追っかけてごらんと言ったんです。すると岩がすぐに転げだして、私を押し付けてしまったんです」と鼬が答えた。狼や狐は「では自業自得ではないか」と言ったが、とにかく力を合わせて岩を押しのけようとしたが、岩はびくともしなかった。鼬はいよいよ弱って、今度は雷と稲妻に助けを求めた。と思うと、たちまち黒雲が巻き起こって、あたりが真っ暗になったので、狼と狐とは、驚き恐れて逃げ去った。不意に稲妻がさっと閃いて、すさまじい雷が轟き渡ったかと思うと、微塵に岩を砕いた。が、それと同時に鼬の着物をずたずたに裂いてしまった。それを見ると、鼬は稲妻に向かって、鋭い声色で、「私が岩をたたき壊してくださいと頼んだからと言って、何も私の着物まで、ずたずたに引き裂かなくてもよかったでしょう」と言った。

解釈

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鴉の妹の嫁入り

あらすじ

一羽の鴉が妹のためによい婿さんを見つけてやろうと思った。そこである日、外へでて、「誰か私の妹と結婚してくれるものはないかね」と叫ぶと、獣と言う獣が一斉に「私が結婚しよう」「いや私だよ」と答えた。鴉は熊にやることを断った。そして、今度は狼に向かって「お前さんは何ができるんですか」と尋ねた。熊は「他人を見たら唸ります」と答えた。それを聞くと鴉は、「お前はあまり気が荒すぎる」と言って、妹をお嫁にやることを断った。そして今度は狼に向かって「お前さんは何ができるのですか」と尋ねると、狼は「私が一人だったら、他の物に噛みつきます。大勢の者が私と一緒にいたら、みんなを食ってしまいます」と答えた。鴉は「お前もあまり気が荒すぎる」と言って、妹を狼の嫁にすることをやめた。そして今度は大鹿に向かって、「お前は何ができるのですか」と尋ねると、大鹿は「私は、森を突き抜けることができる」と答えた。それを聞くと、鴉は、「お前もあまり気が荒すぎる」と言って、妹をやることを断った。そして今度は海豚にむかって、「お前は何ができるんですか」と尋ねると海豚は「私はいつも清潔なものを食べます。いつも鯡(にしん)を食べます」と答えた。鴉は「結構です。ではあなたに妹をあげましょう」と言って、自分の妹を海豚のお嫁さんにやった。

解釈

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海狸と豪猪

あらすじ

海狸が毎日狩に出て、たくさん食べ物を蓄えていた。豪猪がそれを知って、海狸のいないときに、盗んで食べた。海狸は食べ物が少なくなっているのに気が付いて、「お前が私の食べ物を食べたんだろう」と尋ねた。豪猪は「いいや、そんなことはしないよ。お前さんが、不思議な力を持っているなら、私も不思議な力をもっている。他人の食べものなんか盗むにはあたらないゆお」と答えた。しかし海狸は、そうした言い訳を聞き入れないで、いきなり豪猪に噛みついたが、体中に生えている鋭い針毛に顔を刺されて、ほうほうの体で両親のところへ逃げて行った。両親は、海狸たちをみんな呼び集めて、大勢で豪猪の住処に押し寄せた。そして家を引き倒して豪猪、を生け捕りにして、海の中の離れ小島に流してしまった。豪猪は小島にいて、ほとんど飢え死にをしそうになったので、大きな声を出して、両親や友達を呼んだが、誰も返答をする者がなかった。豪猪は困ってしまって、泣き出しそうな顔をしていた。するとどこからとなく声がして、「『寒天』のところに行け、『北風』のところに行け」と言った。豪猪は、その言葉の意味が分からなかったので、ぼんやり突っ立っていると、怪しい声はまた「『北の歌』を歌うがいい」と言った。豪猪はすぐに、「クネ・カサ・ズネ、いい天気にしておくれ、ふんふんふんふん」と歌った。それから岩の上に座り込んで、「クニサ、寒空にしておくれ、ガイヤリサ、水の上を滑らかにしておくれ」と歌った。するとたちまち寒空になって、風が強く噴き出して、海の面が凍り始めて、やがて一面に滑らかな氷が張りつめた。すると豪猪の友達どもが、氷の上を渡って、離れ小島にやって来て、豪猪を自分たちの住んでいるところに連れ帰った。豪猪の友達どもは、海狸の住処に押し寄せて、海狸を生け捕りにした。そして、「こいつをどうしようか」「叩き殺してしまえ」などと、話し合っていると、島流しにあった豪猪が、「いや、こいつは私を島流しにしたから、私はその仕返しにこいつを木流しにするつもりだ」と言った。友達は「木流しって、どんなことをするのだね」と尋ねた。島流しに遭った豪猪は「海狸は、木に登ったり降ったりすることができないだろう。だから私は、こいつを高い木の上に引き上げてそこに放りっぱなしにしておくつもりだ。どうだ、木流しではないか」と言った。豪猪の友達どもは「よかろう。面白い」と言って、海狸を掴んで、高い木の上に引っ張り上げた。海狸は、木から降りることができないので、暫くの間途方に暮れていたが、やがてその鋭い歯で木の幹を噛み始めた。噛んで噛んで噛み続けているうちに、高い木がだんだんと低い木になった。海狸は木の上から飛び降りて、そっと逃げ出してしまった。

解釈

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アルゴンキン族の神話伝説

善神と悪神との戦い

あらすじ

昔、グルースカップ(Glooskap)とマルスム(Malsum)という双子の神様がいた。グルースカップが太陽と月と獣と魚と人間を造った。マルスムは、性質の悪い神様だったのでグルースカップがいろんな良い物を造ったのを見ると、大変妬ましく思い、「グルースカップが、太陽や月や人間を造って得意になっているから、俺は何か悪いものを造って邪魔してやろう」と考えた。いろいろ考えて末に、山や谷や蛇や、そのほか人間が困るようなものをたくさん作りだした。それでも満足がいかなかったので、とうとうグルースカップを殺してしまおうと決心した。そこで、ある日、グルースカップに向かって、「どうしたらお前の命はなくなるのか」と尋ねた。グルースカップは「梟の羽根で体を撫でられると、命がなくなる」と答えて今度は自ら「そして、お前の命はどうしたらなくなるのだ」と尋ねた。マルスムは「羊歯の根で撃たれると、命がなくなる」と答えた。マルスムはそっと家を抜け出して、一羽の梟を射落として、その翼から、一本の羽根を抜き取った。そして、グルースカップが眠っている隙を伺って、その羽根で体をなでると、グルースカップは、すぐに死んでしまった。マルスムは大変に喜んで「しめた、邪魔者がいなくなって、やっと気がせいせいするようになった」と言っていたが、暫くすると、グルースカップは息を吹き返して、平気な顔をしていた。マルスムはそれを見ると、非常に悔しがって「グルースカップの奴うまく俺をだましたな」と言った。そして、またグルースカップに向かって、「お前は、私をだましたな。今度こそ本当のことを話してくれ。一体どうしたらお前の命はなくなるのだ」と尋ねた。グルースカップは「松の木の根でたたかれると、飛んでしまうのだ」と答えた。そこで、マルスムはそっと家を抜け出して、松の木の根を掘り取って、何食わぬ顔をして帰って来た。そして、グルースカップが眠っているのを見澄まして、松の木の根でその体を殴ると、グルースカップは、いきなり起き上がって、笑いながら、マルスムを森の中に追いやってしまった。そして、自分はとある川の端に座り込んで、「花をつけた灯心草(とうしんそう)でたたかれると、私の命はなくなるんだよ」と独り言を言った。すると、川端の灯心草の間に座り込んでいた海狸がそれを聞きつけて、大急ぎでマルスムのところに駆けて行った。そして、マルスムにグルースカップが川の端で座り込んで自分が花のついた灯心草でたたかれると自分の命がなくなると独り言を言っていたことを、教えた。それを聞くと、マルスムは大変に喜んで「どうもいいことを聞かしてくれた、ありがとう。お礼には何でもやるよ。欲しいと思うものを言って見るがいい」と言った。海狸は「それでは、鳩のような翼を授けてください」と言った。それを聞くとマルスムは笑い出して「お前は鑢(やすり)のようなしっぽを持っているくせに、翼なんか何にするのだ」と嘲った。海狸は大変腹を立てて、グルースカップのところにかけて行って、いままでのことをすっかり打ち明けた。グルースカップは気立ての優しい神様だったので、いままで自分の命を狙っていたマルスムの悪だくみをじっと我慢していたが、海狸の話を聞くともう堪り兼ねて、羊歯の根を握り取って、マルスムのところに出かけて行った。マルスムは早くもそれを悟って、森の奥に姿を隠した。しかし、グルースカップでは、とうとうマルスムを見つけ出して、羊歯の根で、その体を叩くと、マルスムは、たちどころに死んでしまった。

解釈

二神信仰であることがうかがわれる話である。ここでは、やはりゾロアスター教、つまりペルシャの神話と重なるところがある。すなわちアフラマズダとアンリマンユ(アングラマイニュ)である。ペルシャでは動物や草木をこの二神の戦いによって、生み出されている。ここで注意したいのはグルースカップが創造したものは太陽や月、獣や魚、そして人間であることである。すなわち、この記述からは聖書に言われる第四の日から第六の日までの創造と重なる。このような二項対立を表す善悪の表現が、ここから第四の日に生まれたのではないかと仮定できるということである。
もっと言うと、このような善悪に関する二神は第三の日の出来事によって生まれたということができるのではないだろうか、と言うことである。それはアダムとイブが園の中央の善悪の知恵の実を食べてはいけないと神に言われたように、この善と悪の知識が二神の争いを生み出したからと言えそうである。ペルシャの神話では、ガオケレナのような不滅の命を示す草木も生まれている。すなわちこの果実がそれを可能にする元であったということだと考えられるのである。
このことをもとにすると、第三の日の最期には善悪の知恵の木ができたのだろうと結論づけられる。これも第二の日の上と下の水による分割が上下と作り、次に生まれた者は再帰的に上に向かうことが示されたからだと考えられる。この矛盾ゆえに善と悪と言う概念が存在し、それに従って上と下を決めようとしたエロヒームの統治を思い浮かべることができるのである。このことはしかし、仏教徒にとってはいかなるものだろうか。と言うのも仏教徒にとっては善悪などと言う概念そのものが邪念を創出する悪手と考えられている面があるからである。すなわち無であるという。ここには第四の日以降において明確な解決策を提供していそうだ。そして、ヒンドゥー教は何を語っているのだろうか。ペルシャの神話と重なることもあるインドの文献とアメリカを取り巻く太平洋、一部のヨーロッパとの関連から何か重要な手がかりが得られそうである。ここで思ったことはミャハのような不死身の存在もこの日よりのちに神格もしくは人間的性格を得て存在しているようである。と感じることである。
このことは、二元論において今まさに問題となっていることのように思える。我々は第四の日以降において、認知をいう方法を得て、それを解決しているように思う。

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善神の怪魔退治

あらすじ

グルースカップは世界を造った。それが済むと、今度は人間や妖精や小人などを創造した。人間は、トネリコの木で造られ、妖精や小人はその皮で造られた。グルースカップは、庭の鳥を使って、世界中に起こる出来事を聞き込んでいた。ところがあるとき、二羽の鳥が世間の出来事を見に出掛けた切り、いつまでも帰って来なかったので、グルースカップは、その代わりに、白い狼と、黒い狼とを使うことにした。グルースカップは、人間に災いを与えるいろんな怪物と闘って、それを滅ぼすことに力を尽くした。グルースカップは、人間に災いを与えるいろんな怪物と闘って、それを滅ぼすことに力を尽くした。怪物の中でも一番力が強くて、一番性質の悪いのは、ウィンペ(Win-pe)という悪魔であった。グルースカップは、長い間ウィンペを探し回って、とうとうこれに出会った。ウィンペはグルースカップを見ると、たちまちその体を大きくして、森の中の一番背の高い松の木の上から、ぬっと頭を差し出した。それを見ると、グルースカップは、笑い出して、自分も体を大きくし始めた。そして、頭が天尾星に届いたかと思うと、手に持っていた弓の先で、ウィンペの頭を軽く叩いた。ウィンペはグルースカップの足元に倒れて、死んでしまった。

解釈

グルースカップは世界と人間と妖精と小人を造ったという。この記述からは、ケルトの神話に登場する妖精や、卵から生まれた小人も想像したことになるが、これは果たして正しいのか、と言われると、正直一神論者の目から見ると正しくないと思われる。この点を考慮して神はアダムとイブを造られたが、それをも裸にする者によって、蛇の言葉は狂わされ、イブもその言葉を呑みアダムは女を信じ、そして二人はその秘密を表にしてしまったのである。この点より見ると、悪神と呼ばれる者はそれを隠すことができるともいうことができる。ここに善悪に関する矛盾があるのであるが、これは同時に認識によって概念化した思考パターンではその判断ができないというカルマを持っている。すなわち認識から帰納することで得られる予測がある程度の抽象性を持つとある時点を境にそれが遂次性を否定されるという一種のパターン化を誘発する力にぶつかるのである。これはいわゆる物的に実体を持った外力として、客体(魂)において感じられるし、実際元型的にも存在するのである。これは自らの概念を抱握する際にその者のシンボルがその性的性質を例示することで起こる、対象的なエネルギーとしての異性性が愛の指標付近でシジキーのように一つになろうとすることで起こると考えられる。すなわち、指標がある程度明確化されることで、その周囲では物を存在させる本質の流出が発生しているのである。これは精神的に近く、現実的には遠いと想定される。なぜならその指標は常に全体への例証をやめることがないからである。我々の体は仏教で経験するような無の境地という物あるのみの他の一を知っているのである。認識の形式上時間的に過去ととらえられるべきこの他の一は本来的には一の多同様に普遍者であるが、認識において善悪を分別する知識が必要とされるゆえにその方向を定めざるを得ないのである。それは本質の流出を防ぐうえで重要である。そしてこの本質とはすなわちゲルから来ている。しかし、これが指標付近でその性別にそぐわず、または一つになることを否定する場合においては異なった物的概念として結実する。この効果において、我々は単なる客体に力を与えているのである。この現象を不明瞭のまま感じる際には幽霊と形容している。しかし、このように力を帯びた客体は単に神に定められた異性によって具象化されたゲルなのである。悪神はこのような流出を防ぐ働きを持っている。なぜなら、その神も物的な問題を抱えているからである。ややこしいのは、その神に取ってはその通りに動くことが使命となるため、その働きに逆らうものを結果的に排除してしまう。ここにその悪性を感じるのである。しかし、ここではさらに、二羽の鳥によってグルースカップが世界を見回っているという記述がある。ここには、黒イビサと白イビサの関係を見ることができるが、この二羽の鳥はいなくなり、黒い狼と白い狼が代わっている。しかしそのことについての影響をここでは見ることができない。しかし、他の北アメリカの神話で尾長狼が重要な働きをしている点より見ると、これはこの神が鳥に変えて狼を遣わした結果と見ることもできよう。しかし、詳細は残念ながらここではまだわからない。ウィンペというものが何者なのかもであるが、ウィンペとウィンが似ていることから、ルーンの派生原因となっている可能性がある。

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四つの宝箱

あらすじ

グルースカップは、人間のために多くの怪魔を滅ぼしたが、人間は、いっこうにそれをありがたく思わなかった。そればかりでなく、日増しに、人間の性質が悪くなっていくので、グルースカップもたまりかねて、「こんなに人間の心が悪くなっては、この世に留まっていても面白くない。この世を去って、どこかに隠れてしまおう」と思った。しかし、黙ってこの世を立ち去っては、性質のよい人間どもに気の毒だと考えたので、「自分は、この世界から立ち退くことにする。しかし、今から七年の間は、お前たちに会ってやるから、なんでも望みがあったら、私のところに来て、それを話すがいい」と人間どもに言った。「神様が俺たちの希を叶えてくださるのだ。みんな出かけろ。出かけろ」人間どもはこう言って、グルースカップの隠れているところを探し出しては、いろんな望みを申しだした。グルースカップは、すべてこれを聞き取って、わけのわかった望みを申し出た者には、それを叶えてやり、欲張った悪い望みを申し出た者には、ひどい罰を与えることにした。
あるとき、四人のインディアンがグルースカップのところに訪ねてきた。グルースカップは彼らを見ると、「お前たちは、どんな望みがあって来たのだ」と尋ねた。一人のインディアンは「私は悪い心をもっている。すぐに腹が立って困る。だから、気が優しくなるようにしていただきたいと思って、参ったのでございます。」と一人のインディアンが言った。二番目のインディアンは「私は金持ちになりたいと思います」と言った。三番目のインディアンは「私はみんなと同じように、他人から尊敬されたいと思います。」と言った。四番目のインディアンは「私は、誰よりも背が高くなって、いつまでも生きて居たいと思います。」と言った。グルースカップは、薬袋の中から、四つの小さい箱を取り出した。そして、それを四人のインディアンに渡しながら、「この中にお前たちの望みが入っている。しかし、家に帰り着くまでは、決して開いてはならない」と言った。三人のインディアンはグルースカップの教えを守って、家に帰り着くまで箱を開けずにいた。家に入ってから、いよいよ箱を開けてみると、香の高い軟膏が入っていた。それを取り出して、体をこすると、気の荒いインディアンはたちまち心が優しくなり、貧乏なインディアンは、すぐに金持ちとなって、いままで軽蔑されていたインディアンは、すぐにみんなから尊敬されるようになった。しかし、一人のインディアンは、グルースカップの言うことを聞かないで、途中の森の中で箱を開いた。そして、軟膏を取り出して、体に塗りつけると、たちまち松の木に変わって、森の中のどの木よりも背が高くなった。

解釈

ここではグルースカップが人間界を去ることを決めている。人間が性質の悪いものとなったからだという。確かに味方によると聖書の内容に近いものを感じるが、これはどの時代であるのか見当がつかない。そして、自分が去るまでは人間の望みを叶えると言っている。この配慮が人間のためと言うが、本当に唯一神の意にかなっているかは不明である。そして、願いをかなえるために約束を持ち出している。これを破った者は松の木にされ、さらに森の中で一番背の高いものとなっているが、なぜ松の木なのだろう。松の木については火を持っていたという神話が北アメリカの話の中に現れている。松の木はやはりなにか重要な意味を含んでいるようである。

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怪童ワシス

あらすじ

グルースカップは、長い間にたくさんの怪魔を退治した。そこで、次第に心がおごってきて、ある日、一人の女に向かって、「広い世界にも、私が退治したいと思うものは一人もいなくなった。どうだ、大した働きだろう」というと、女は笑って「あなたのおっしゃることは本当でしょうか。私には、どうもそうは思いませんよ」と言った。それを聞くとグルースカップは躍起となって、「本当だよ。私の手に負えない者は、もう一人もいないよ」と言った。女は「いや、まだ一人いますよ、これは、あなたの手でも、とても征服することはできませんよ」と言った。グルースカップはいささか驚いて、「そんな手強い者がいるのか。名はなんという」と尋ねた。女は答えて「ワシス(Wasis)と申すものです。だが、徹してその男と手合わせをなさらないようにお勧めしますよ」と言った。ワシスと言うのはその女の子供で、その時床の上に座り込んで、楓糖を舐めながら低い声で歌を歌っていた。グルースカップはその子供を見ると、にこりと笑って、「いい子だ、こちらにお出で」と言った。子供は、グルースカップの方を向いてにこりと笑ったが、体を動かそうとはしなかった。グルースカップは、なおも子供を呼び寄せようと思って、鳥の美しい鳴き声を真似した。それでも子供は、楓糖をしゃぶって居るだけだったので、グルースカップは、とうとう腹を立てて、ものすごい声で、「早くこちらに這って来い。でなければ、ひどい目に合わせるぞ」と呼んだ。するt、ワシスはグルースカップよりも大きな声で唸りだしながら、平気な顔をしていた。グルースカップはいよいよ腹を立てて、自分の知っているうちで一番恐ろしい呪文を唱えた。死人を地獄から呼び出す歌や、大地の底の暗い穴に悪魔を追い退ける歌などを歌ってみた。しかし、ワシスは、それでもなおにやりと笑って、「どうもうるさいな。そんなものは、早くやめておくれ」と言うような顔つきをするだけだった。グルースカップは、それを見ると、たいへん恐ろしくなって、その家から逃げ出してしまった。

解釈

善神とされるグルースカップも怪魔退治を重ねおごるところがあったという。また、子供相手にことをかき恐ろしくなって逃げ出したという。ここで思い浮かべることは、アフリカに生まれた子供が、さまざまな動物をねじ伏せる話である。また、パレスチナで伝わる伝承ではアブラハムは生まれて一人洞穴に置かれるが、そこで自分の指から蜜や乳が出てそれを舐めて飢えをしのいだという。ここに憶測ではあるが、善神には理解できない原理が人間にあり、その原理はむしろ女の方が詳しく、すなわち母性から来るものであり、また、それゆえに唯一なる神を知らないということである。このような子供については仏教的な何かが働いていると考えられるが、これはある意味では母性に対する救いである。おそらく善性とされる、我々の言うところの理性とは本来的に男性的なものなのかもしれない。またそれは本来産みを持っておらず、大地は母性を示すシンボルであり、たとえそれが男性的でも女の力を秘めていると考えられる。また、女性の善意は子のそのような力に現れているような気がする。無論男児に関してではあるが。これが女児の場合だとそのような力は同性であるため反発する。と言うのも、それは女にとっては裁きのようなものである。女は自らで自らのそれを養うべきである。すなわちここに女の秩序を見るのである。もしかすると、性交時にはすでに男女の子を造る働きにおいてこのような力関係が子供の形を決定しているのかもしれない。

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黄金時代の消滅

あらすじ

グルースカップは、いよいよ大地を去ることになった。そこで、ミナス湖(Lake Minas)の端で、お別れの宴を盛大に開くことにした。宴には、あらゆる動物が招かれた。酒盛りが終わりに近づくと、グルースカップは、大きな丸木舟に乗って、静かに水の上を漕ぎ出した。動物どもは水際に立って、グルースカップが歌う美しい歌に耳を澄ましていた。歌声は、次第に微かになって、とうとう聞こえなくなった。と思うと、今が今まで同じ言葉で話し合っていた動物どもが、急にお互いの言う言葉がさっぱりわからなくなった。動物どもは驚き惑って、「どうしたんだろう」「私は、他の者の言うことが少しもわからなくなった。」などと、めいめい独り言を言っていたが、やがて、散り散りに別れてしまった。グルースカップが、この世界を立ち去ったと同時に、黄金時代がなくなったのである。そして、この神様が再び人間世界に帰っていらっしゃるまでは、黄金時代は決して生まれない。

解釈

グルースカップが去ったあとに動物たちの言葉が混乱したというのは大変不思議なことである。これはバラルと同じものだと思われる。バラルもグルースカップが天使として働いたものなのかもしれない。また、グルースカップが立ち去るときがメキシコのケツァルコアトルや北アメリカのヒアワサの立ち去り方に似ている。時代背景的にはケツァルコアトルとグルースカップは同時代、ヒアワサはそのあとであると考えられる。

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冬の巨人と春の女王

あらすじ

昔向かいs、グルースカップがあちらこちらを歩き回って、氷の国に来た。体がへとへとになって、寒くてたまらないので、近くに有った一つのテントの中に入った。テント中には、冬と言う巨人が住んでいた。冬は快くグルースカップをもてなした。煙管にいっぱいの煙草を詰めて、それをグルースカップに差し出して、グルースカップがうまそうに呑んでいるのを眺めながら、いろんな面白い話をして聞かせた。しかし、実を言うと、冬は、グルースカップに呪文をかけているのであった。だから、グルースカップは、冬の話を聞いているうちに、こくりこくりと眠り始めて、おしまいには、ぐっすり寝込んでしまった。
グルースカップは、六か月の間眠り続けた。すると、やっと呪文が解けたので、目を覚まして、冬のテントから立ち出て、南へと歩いて行った。グルースカップは次第に暖かく感じるようになった。そして、足跡の一つ一つにきれいな花が咲き始めた。とうとうグルースカップは大きな森に来た。森の中には、小さい体をした人々が大勢踊りまわっていた。そのそばに、一人の小さい美しい女が座って、にこにこ笑い那賀r踊りを眺めていた。小さい美しい女は春の女王で、大勢の小人はその召使だった。グルースカップは、自分の大きな手のひらに春の女王を摘まみ上げて、どんどん駆けだした。春の女王の召使である光の小人たちは、大変い驚いて、わいわい騒ぎたてながら基地外のようになって、グルースカップの後を追っかけた。
グルースカップは、光の小人どもを遥か後に残して、北へ北へとかけ続けた。そして、再び氷の国に来て、冬のテントに入り込むと、冬はまたも快くもてなしてくれた。グルースカップは、冬と向き合って、いろんな話をしだした。そのうちに、グルースカップの胸に眠っていた春の女王の力が、次第に冬に働きかけ始めた。冬の顔をにはしっとりと汗が滲み出て、その体がだんだんと溶けて来た。冬は苦しそうに身をもがき始めた。グルースカップはそれを眺めながら、にやりと笑っていた。だしぬけに冬が恐ろしい叫び声を立てた。と思うと、その姿は消えてしまった。

解釈

冬の巨人は雪寒に似ていると考えられる。春の女王はいったい誰だろう。パンドラの箱から出た虫たちが小人を造ったのか、卵から生まれたのが小人だろうか。虫たちが小人となり、それを真似て卵から生まれたのだろうか。もしくは、卵から生まれたから小人となったのだろうか。小人については多くの話が存在するが、ここでいう小人は半神的な女神の属性を持っている。また、冬の巨人は春の女王の力によって、体が消えてしまう。ここにペルセフォネのような役割を感じるが、若干異なりを含んでいるように思う。

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神聖な川獺

あらすじ

あるとき、大勢の人が水牛狩りに出掛けた。人々は、水牛の毛皮で厚い衣を作ったり、その肉を冬中の食べ物としたりしようと思ったのであった。狩に出掛けた大勢の人達の中でも、神聖な川獺と呼ばれる男が一番幸運であった。神聖な川獺はたくさんの水牛を倒して、その皮を剝ぐのに忙しく立ち回っていた。そのうちに真っ黒い雲が空に現れたかと思うと、ひどい吹雪がものすごい音を立てて、襲い掛かって来た。神聖な川獺とその息子とは、吹雪を避けるために、水牛の屍の下に潜り込んだ。しかし、身を切るような風が容赦なく吹き込んできて、寒くて堪らなかった。「これでは堪らない。どうにかしなくては、寒風のために命を失ってしまうに違いない」神聖な川獺はこう言って、息子と一緒に水牛の皮でテントをこしらえて、その中に潜り込んだ。暫くするうちに、テントは深い雪に埋もれてしまった。神聖な川獺とその息子とは、テントの中でとうとう眠り始めた。神聖な川獺は夢を見た。夢の中で遠くの方に大きなテントが一つ目についた。そのテントは太陽の光のような黄金色で、たくさんの星がそれに描いてあった。それからテントの後ろの方には真っ赤な日の丸が描いてあって、それに神聖な水牛の尾がついてあった。テントの一方には、緑の瓜を持った黄金の足が四つ描いてあった。それは雷鳥を現したものだった。
神聖な川獺はその絵の不思議さに眼を見張って、ぼんやりとテントの前に突っ立っていた。すると、不意に人の声がして、「私のテントの周りを歩いているのは誰だ。中に入るがいい。」と言った。神聖な川獺がテントの中に入ると、真っ白い髪の毛をした背の高い一人の男が、真っ白い衣をまとって、座り込んでいた。その男は、神聖な川獺が入ってきても、その方を見ないで、黙りこくって煙草をふかしていた。男の顔は黄色に塗られていて、口の周りと目から耳にかけて、一本の赤い線が引かれていた。胸には貂の皮をまとって、腰には川獺の皮をで造った小さい紐を結んで、その紐にたくさんの鈴が結び付けてあった。男の前には土で作った祭壇が据えてあって、その上に、一本の松柏が乗っていた。男は、長い間黙っていたが、やがて黒い石のパイプを下において、神聖な川獺に向かって、「私は寒天の主、エス・トネア・ペスタ(Es-tonea-Pesta)と言う者で、その住処は雪のテントとか黄色の小屋とか呼ばれている。私は、北の国の雪や寒風を司っている。私は、吹雪に閉じ込められたお前や、お前の息子が可哀想だと思って、ここに呼び寄せたのだ。この雪のテントを与えるから、お前の家に帰って、これと同じようなテントをこしらえるがよい」と言った。と思うと、神聖な川獺は雪に埋もれた自分のテントの中で目を覚ました。
いつの間にか、嵐が衰えて、吹雪が止んでいた。神聖な川獺は子供を連れて、腰まで降り積もっている雪を踏み分けて、やっと自分の家に帰って来た。そして、寒天の主に教わった通りに、雪のテントと同じようなテントをこしらえて、それに夢の中で見た通りの絵を描いた。
それ以来、神聖な川獺は、不思議な力が備わって来た。あるとき、神聖な川獺が大勢の友達と一緒に、水牛狩りに出掛けると、また恐ろしい吹雪に襲われた。人々は、真っ青になって、神聖な川獺に向かって、「どうか、あなたが寒天の主から授かった力で、この吹雪を止めてください」と言った。神聖な川獺は、すぐに寒天の主から授かった貂の煙草入れと、黒い石のパイプとを取り出した。そして、パイプに煙草を詰めて、嵐の吹いてくる方角に、煙を吐きながら、寒天の主に祈りをささげた。するとまもなく雲が破れて吹雪が止んで、青い空が見え始めた。人々は、大変喜んで、一生懸命に自分たちの家に駆け戻った。

解釈

物語は

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星乙女

あらすじ

昔あるところにアルゴン(Algon)という猟師がいた。ある日、アルゴンが、広い野原を歩き回っていると、円形になった小路を見つけた。それは、大勢の人たちが郁夫も幾度も通ったためにできたらしく思われたが、不思議なことには、足跡と言うものが一つも見つからなかった。「変だな、どうしてこんな道がついたのだろう。これには何かわけがあるらしい。一つそれを見つけ出してやろう」アルゴンはこう言って、そのそばに生い茂っていた高い草の中に身を隠した。暫くすると、どこからとなく微妙な楽の音が幽かに聞こえてきた。アルゴンは、じっと耳を澄ましていた。楽の音は、次第に大きくなって、やがて、アルゴンの頭の上から落ちてくるように思われた。アルゴンは双の眼を空に向けた。すると、青空の遥か高いところに、浮雲のような白いものが一つ目についた。白いものは、だんだんと下に降りてきた。それは、蜘蛛ではなくて、柳の枝で造られたきれいな車で遇った。そして、その中に十二人の麗しい乙女が座っていた。アルゴンが、楽の音と思ったのは十二人の乙女が歌を歌う声だった。
車が大地に着くと、十人の乙女は車から降りて、円形をした小道にずらりと立ち並んで、楽しそうに踊り始めた。乙女たちは、みんな麗しく優しい姿をしていたが、一番年の若い乙女が、一番きれいだった。アルゴンは一番若い乙女を生け捕って、自分のお嫁さんにしようと思った。そこで、草の中から飛び出して、乙女たちの方に駆け寄ったが、乙女たちはアルゴンの姿を見ると、素早く車に飛び乗って、麗しい歌声を空中に残したまま、天上界に立ち去っていしまった。

解釈

オーストラリアのミーメイの話をはじめ、この手の天女降下説話は多い気がする。日本でもかぐや姫をはじめ、ニムフェを思わせる登場の仕方をする乙女は多い。この神話の多くはソフィアから生まれているような気がする。ここではアルゴンが天女を捕まえて、その末の娘を娶り、天上界へ行っている。余談ではあるが、元素のアルゴンと関係があるのだろうか。

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星の国への旅

あらすじ

一人の麗しい若者が、両親と一緒にフロン湖(Lake Huron)の岸に住んでいた。年を取った両親は一人息子の若者が大変な自慢で、「どうしてもこの子は、えらい戦士になさなくてはならない」と口癖のように言っていた。若者が一人前の男になると、薬袋をこしらえるために、遠い遠いところンいある森に出掛けて行った。だんだんと歩いているうちに、大変疲れて来たので、若者は大地に宵子にな手、そのまま眠ってしまった。すると、どこからとなく優しい声がして、「私は、あなたを連れに来たのです。私についていらっしゃい」と言った。若者は、驚いて急に起き上がった。するお、自分の目の前に、照り輝くような美しい乙女が、一人立っていた。若者は、眠たい目を眩しそうに瞬きながら、独り言のように、「私は夢を見ているんだ。目の前に立っている美しい乙女は、ただの幻なんだ」とつぶやいた。乙女は「私についていらっしゃい」と再び言って、薊(あざみ)の綿毛のように、ふわふわと大地から舞い上がった。と思うと、若者の体も静かに浮かび上がって、乙女の後を追い始めた。
二人は、だんだんと空たかっく浮かび上がって、とうとう天上界に着いた。若者は心の中で、「ははあ、自分は星の苦に来たんだな。そして、自分を案内している乙女は、人間ではなくて、星の乙女に違いない」と思っていた。暫くすると、大きな美しい家が現れた。乙女は、後からついてきている若者を振り返って「さあ、おはいりなさい」と言った。若者が、家の中に入って見ると、そこには、さまざまの武器や、銀の装飾品が並んでいて、そして、不思議な珍しい模様が刻み付けてあった。若者は我を忘れて、それらの品を見入っていた。すると、乙女が出し抜けに大きな声を出して、「私の兄さんがやって来ています。さあ、お隠れなさい。早く早く」と呼んだ。若者が素早く家の隅の暗いところにうずくまると、乙女が、その上に美しい色をした襟巻を投げかけた。途端にいかめしい顔をした戦士が、重々しい唖s鳥で、家の中に入って来た。戦士は「ネミッサ(Nemissa)よ。私はかねがね下界に住んでいる人間と話をしてはならぬと言っておいただろう。お前は若い男を隠したつもりでいるんだろうが、私の目には、何もかもすっかりわかっているんだ」と言って、真っ赤な顔をしている妹のネミッサから目を離して、若者の方を向いた。そして、機嫌のよさそうな口調で、「お前はそんなところいつまでも隠れていると、お腹がすいてしまうだろう。出て来て私たちと話をしたらどうだ」と言った。若者は、仕方がないので片隅から出てくると、根美沙の兄が弓と矢とを若者に与えてばかりでなく、nとは、掘嫁さんにやった。若者とネミッサとは、星の世界で楽しくその日を暮らすことになった。
ネミッサの兄は、毎日のように、家を出掛けるのであった。若者は、それ唖が不思議でたまらなかったので、ある朝、戦士に向かって、「兄さんは、いったい毎日どこにいらっしゃるのですか。どんな用事があるのですか。私も一緒に行ってはいけませんか」と言った。戦士は「いいとも、来たければ一緒に来たらいいだろう」と戦士が言った。二人は一緒になって、星の国を歩き回った。星の国の旅は、たいそう気持ちがよかったのであった。人間世界に比べると、花は一層美しい色をして、大気は一層柔らかで、なんともいえぬ香気がしているし、鳥や獣も一層優しい柔和な顔をしていた。昼近くまで歩き回っていると、若者は、大変お腹がすいて来たので、「いつになったら、食べ物が食べられるんですか」と尋ねた。戦士は「もうすぐだ。私たちは、今にご馳走を食べようとしているところだ」と答えた。そのうちに二人は、大きな穴の側に来た。若者が何気なく穴からの覗き下ろして見ると、遥か下の方に、人間世界の家や湖や森などがはっきりと立ち並んでいた。若者は、思わず大きな声を出して、「ああ、あそこに狩人たちが獣を追っかけている。あれ、川端に女多胎が葦を拾っている。向こうの村には子供たちが楽しそうに飛び回っている」と叫んだ。それを聞くと戦士は、にやりと笑って、「お前さんにひゃ、その子供たちの真ん中にいる一人の男の子が見えるかね」と言いながら、その男の子をめがけて、何やら投げおろした。と思うと、男の子はだしぬけに地面に倒れてしまった。と大勢の人が集まって、男の子をすぐそばにあった小屋の中に抱え込んだ。天上からこの様子を見下ろしていた若者は、大変に驚いて、「兄さん、これはいったいどうしたのです。あなたは、なぜあの男の子を叩き倒したんですか」と尋ねた。しかし戦士は「これには訳がある。まあ黙って下界の様子を見ているがいい」と答えただけだった。
若者は熱心に下界を見下ろしていた。すると、大勢のお坊さんたちが、男の子の側に集まって来て、息を吹き返すように、さまざまの呪文を唱え始めた。暫くすると、一人のお坊さんが、「天上界のマニトウ神(Manitou)に、犠牲として、一匹の白犬を捧げなくては駄目だ」と言った。そこで、人々は、一匹の白犬を連れて来て、皮を剥いで、肉を炙って、それを皿の上に載せた。と思うと、肉はいきなり空中に飛び上がって、戦士と若者との前にぱたりと落ちた。とたんに、今まで息が絶えていた男の子がむくむくと起き上がって、やがて、他の子供たちと一緒になtって、楽しそうに遊び始めた。天上界からそれを見下ろしていた若者は、驚き怪しんで、「兄さん、お坊さんたちの力はえらい者ですね。死んでいた者が生き返ったではありませんか。本当にあの人たちは賢い人ですね」と言った。すると、戦士は笑い出して「そうだよ。人間界のお坊さんたちは、非常に賢いんだ。しかし、それはみんな私の力だよ。あの男の子を生き返らせたのも実は私の力なんだ。そして、お坊さんが私に肉を捧げてくれたんだから、私は今昼飯を食べることができるようになったじゃないか」と言った。それを聞くと、若者はびっくりして、戦士の顔を見つめながら、「それでは、兄さんがマニトウ神ですか」と尋ねた。戦士は「そうだ。私がマニトウ神だ」と答えた。若者は、長い間天上界に住んでいるうちに、人間界に帰りたくてたまらなくなった。「ああ、もう一度下界に降って、森の中で獣を追っかけてみたいな」と思うと、矢も楯もたまらなくなったので、お嫁さんの星乙女に向かって、「私は、暫くの間、下界に降ってみたいと思うんだが、どうだろう」と言った。星乙女は止めてもだめだと思ったので、「では、あなたのいいようになさい。でも、私には、自分の気の向いたときに、あなたを星の世界に呼び戻す力が備わっているのですよ。何と言っても、あなたは、まだ私の夫ですからね。下界に降っても、決して他の乙女と結婚をしてはなりません。そんなことをなさると、ひどい仕返しをいたしますよ。」と言った。若者は「いいとも、お前の言うとおりにするよ。でも、どうしたら下界に降っていくことができるのだろう」と尋ねた。星乙女は「そんなことは、なんでもありません、早くお眠りなさい」と言った。若者はすぐに眠った。暫くして目を覚まして見ると、いつの間にか自分は、お父さんの家の傍らの草原に横になっていた。両親は大変に喜んで、「まあ、お前はどこに行っていたのかね。一年も家を空けていたんだよ。私たちは、もうお前が帰って来ないだろうと思っていたところだ」と言った。
若者は、人間界に住んでいるうちにだんだんと星乙女のことを忘れてしまって、自分の村に住んでいる一人の美しい乙女と結婚した。ところが、四日経つととお嫁さんは、病気もしないのにころりと死んでしまった。そして、若者の姿が出し抜けに人間界から消え失せてしまった。天上界にいる星乙女が、自分の側に呼び戻したのであった。

解釈

この話は星の国を物語としている。マニトウ神は話を見る限りでは第一の日から遣わされているように思う。妹のネミッサはおそらくは明けの明星か宵の明星ではないだろうか。しかしネミッサは第4の日の使いかもしれない。これは現代のフェミニズムにおいて星となる者は女でも構わないということが天で定まったのかもしれないというところからきていると考えられる。そして、その資格は愛の指標を守ることと、自らが輝く物を造り上げることだろうと思う。このことが天で定まっているとすれば、現代のフェミニズムに説明がつくが、我々が今行うべきはなんといっても、第2の日以前である。しかしこれについては完全には愛をもって贖う必要がある。キリストの方法でも無論可能と言うことだと思うが、人間の喜びとしてはやはり愛を完成させることが第三の日に関しても贖うことができるという点で優れている。そして、この話では星となる資格のあった若者が乙女ネミッサによって、贖われている。これは、まず第一に愛の指標を守ることが困難で遇ったことと、確かに彼が星となる資格を持っていたことに起因しているはずであるが、その資格は我々人間の視点からでは、両親の善行によって実を結ぶものということしか定かではない。それは正しい行いによって正しい心を生まれつき持っているということである。

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男の恨み

あらすじ

ある村に一人の美しい乙女が住んでいた。乙女の評判があちらこちらに響き渡って、大勢の戦士たちや狩人たちが、その家に押しかけて来た。そして、自分の嫁になるように言って、騒ぎ立てたが、乙女は、みんなから騒ぎ立てられるので、急に気位が高くなって、いいよる男たちを片っ端からはねつけるばかりでなく、「ほんとにあの人は嫌な人だ。変な顔をしているくせに、私にお嫁になってくれなどと言うんですもの。ほんとにあんな厚かましい人はいやしない」などと言い触らすのであった。それを聞き込むと、戦士や狩人たちは、ひどく気を悪くしたが、その中でも一人の若者は、殊に腹を立てた。若者は「嫌なら嫌で、黙っていればいいじゃないか。わざわざ人の恥になるようなことを言い触らすなんて、けしからぬ女だ」若者はこう思って、大変に怒ったりし悔しがった利した。そのうちに、若者は病気になって、長い間床に就くようになった。
若者は「こうなったのも、あの女のせいだ。どうしても仕返しをしなくてはならない」と思って、やせ衰えた体で寝床から飛び出して、家から家干支歩き回って、手に入るだけのぼろ布を集めた。それから、獣の骨の上に雪をかぶせて男の姿をこしらえて、その上にぼろ布を着せて、またその上に美しい色をした鳥の羽根や光輝く数珠玉を飾り付けた。
気位の高い乙女は、誰にもまして人形の美しい姿に心を惹かれた。そこでお母さんに進めて、人形のムーウィスを自分の家に招待することにした。ムーウィスは、乙女の家に入って来たが、炉の中に火が盛んに燃えているのを見ると、困ったような顔をして、突っ立っていた。ムーウィスは、雪から出来ているので、あまり熱い火の側に近寄ると、体が解けてしまう恐れがあった。しかし、乙女は、そんなことには気が付かないので、「さあ、早く炉の端にいらっしゃい。なぜそんなところにぐずぐずしていらっしゃるのですか」と言った。ムーウィスは「私は、あまり熱いところは嫌いです」と答えた。そこで、乙女は、一人の男の子を火のすぐそばに座らせて、「さあ、これならよいでしょう。男の子の側にお座りなさい。そこなら火が近くないから、あなたにも気持ちがよいでしょう」と言った。それから暫くたつと、ムーウィスと乙女とが結婚をするという噂が村中に広がった。噂は本当となって、やがて、盛んな結婚式が行われた。結婚式の翌日、ムーウィスは、乙女に向かって、「私は、今日から長い旅に出掛けなければならない」と言った。乙女は「それでは私も一緒に連れて行ってください」と言った。ムーウィスは「いや、お前は家にとどまっているがよい。遠い旅であるし、それに途中はなかなか危険が多いから、か弱い女を連れては、心配が多いから」と言った。しかし、乙女はどうしても一緒に行きたいと言い張りますので、ムーウィスは、お嫁さんを連れて旅に出かけることになった。二人は、幾日も幾日も旅をつづけた。乙女の柔らかい脚は、石や岩角に傷ついて血だらけになった。乙女は、痛む足を引きずるようにして、夫の後について行った。
始めの内は大変寒かったのでしたが、南へ行くうちに、太陽が華やかに照りだして、よほど暖かくなった。乙女は、足の痛いのを忘れて楽しそうに歌いだした。しかし、太陽が華やかに輝くにつれて、ムーウィスの様子が次第に変になって来た。ムーウィスは、始めの内は火の刺さない影を選んで歩いていたが、大気が温まるにつれて、その体が次第に解け始めた。と思うと、すっかり肉がなくなってしまって、ぱたりと大地の上に倒れた。乙女は驚いて夫を抱き上げようとしたが大地の上に横たわっているのは、ばらばらになった骨と着物と鳥の羽根と数珠玉だけだった。乙女は、夫が魔法を使って自分をからかっているのだと思って、長い間そこにじっと立っていた。しかし、いつまで待っていても夫の姿が現れないので、気違いのように泣いたり叫んだりしていたが、とうとう地上に倒れて死んでしまった。こうして、乙女に裏切られた男は見事にその恨みを晴らしたのであった。

解釈

この話は単なる恨みにしては奇妙である。まず、女に罵られたくらいでそこまで腹を立てるとは思えないからである。ここで考えられるのは、この女が本当に運命の相手だったにもかかわらず、気位が高くそれに気づかなかったということである。そして、ムーウィスは人形だったのであるが、実際に動いている。ここには若者の力で人間のように思わせた痕跡がある。しかし、なぜそれを可能にしたのかが記されていない。そこにはポアのような物忌みが必要と思われるが、または動物から人間のような者を作り出してしまったのかもしれない。この反動はエゼキエル書の人間の骨に肉がつき復活するという予言に記されていることと同一かもしれない。と言えるのもこの乙女は確かにむなしいものを追って息絶えているからである。

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冥府の花嫁

あらすじ

一人の若い男が美しい乙女と結婚することになっていたが、乙女は、結婚の日と定められた日に、死んでしまった。若い男は、戦士としては非常に優れた勇気を持ち、狩人としては大変い熟練した腕をもっていたが、乙女が死んでしまうと、がらりとその性質が変わって、毎日家の中にふさぎ込んでばかりいた。友達が心配して、「そんなにしていては体のために良くない。もう少し元気を出すがよい。どうだ一緒に狩に出掛けようではないか」などと言っていたが、若い男はいよいよ塞ぎ込んで、おしまいには乙女の墓の側に朝から晩まで座り込むようになった。ある日、若い男は、いつものように墓の側に座って、ぼんやり空を見つめていた。すると、どこかで年を取った人たちの話し合う声がして、「いったい冥府に行く道は、どちらの方にあるんだろう」「私は、南の方にあると思うね」と言っていた。若い男はそれを聞くと、「よいことを聞いた。自分は冥府に行って、乙女に会うことにしよう」と独り言を言って、やせ衰えた体を起こして、南の方へ歩き出した。若者は、幾日も歩き続けたが、あたりの景色は、少しも変わらなかった。川も山も湖も森も自分の住んでいた国とすっかり同じであった。しかし、それからまた幾日も歩いているうちに、だんだんと様子が変わってきた。空が一層青くなり、野原が一層豊かになり、景色が一層美しくなtって来た。「いよいよ死人の世界に近づいたらしい」若者はこう言って、足を速めた。大きな森を抜けると、目の前に一つの丘があって、丘の上に一軒の小さい家が建っていた。若者は、「あの家に行ってみよう。きっと、冥府に行く道を教えてもらえるだろうから」と思って、丘に登って、小さい家に近づいた。すると、戸口のところに、年を取った一人の男が座っていた。若者は「冥府に行く道をご存じですか」と声をかけた。年を取った男は、白鳥の毛皮で作った上着を脇に投げ出して、厳かな口調で、「知っているとも、二、三日前にも一人の女が私の家に一休みして、それから冥府に出掛けて行ったよ」と言った。それを聞くと、若い男は、面を輝かして「それこそ私の妻です。私は一刻も早くそのあとを追っかけなければならない」と言った。老人は「もし、お前さんがここに自分の体を残しておくなら、女の後について行くことができるだろう。冥府に行くのには、向こうに見える深い川を渡らなければならない。ところであの川を渡るのは、なかなか容易なことではない。それでもお前さんは行くつもりかな」と老人が言った。若者は「ええ、行きますとも、どうしても行かなければなりません」と熱心に叫んだ。途端に若者は、急に軽くなったような気がした。若者の魂が体を離れたのであった。若者は、すぐに深い川の側に出た。すると、一隻の不思議な船が目についた。船は、たった一つの大きな白い石を刻んだもので、日の光に照らされて、宝石のようにきらきらと輝いていた。若者は、すぐにその船に乗り込んで、力を込めて漕ぎ出した。暫くすると、一隻の船に追いついたが、その船の中には、自分の妻が座り込んでいた。二人は顔を見合して、嬉しそうに微笑んだ。
二隻の船は仲良く並んで、銀盤の中の緑玉のように遥か彼方の水に浮かんでいる美しい小島をめがけて進んで行った。しかし暫くすると、ひどい嵐が急に吹き起って、山のような波が船に襲い掛かって来た。二人はお互いの姿を見失っては大変だと思って、絶えず声を掛け合いながら、いうさましく大波を衝いて進んで行った。二人は気立てが優しくて正直だったので、命の主が可哀想だと思って、無事に冥府の島に着けてくれた。
二人は、手に手を取って、冥府の島を歩き回った。今まで吹きすさんでいた嵐が、すっかり止んでしまって、海はガラスのように滑らかに、空は水晶のように澄み切っていた。二人はこんな楽しい美しいところなら、いつまでも冥府に留まっていたいと思った。しかし、どこからとなく幽かな声がして、「若者よ、お前はしんではいない、だからいつまでも冥府に留まっていてはならない。もう一度人間世界に帰って、偉い酋長となって、人々をうまく治めて行くがいい。そうして、人間世界での寿命が尽きたら、乙女の所に帰って来るがよい。乙女は、いつまでも若くて美しくしているだろう」と言った。若者はその声を聞くと、命の主が自分に話しかけているということを悟った。そして、悲しそうに乙女の方を向いて、「私は、もう一度人間世界に帰らなければならない。お前と別れるのは、辛くて堪らないが、神様の言いつけに背くわけには行かない。人間界での寿命が尽きたら、すぐに帰ってくるからおとなしく待っておいで」と言った。そして船に野って、老人の家に帰ってきて、そこに残して置いた自分の体を貰い受けて、もう一度人間世界に引き返した。そして首長となって、うまく人々を治めて言ったが、幾年か経って、寿命が尽きると、大急ぎで冥府にやって来た。そして、自分の妻と一緒にいつまでも幸福な日を送ることになった。

解釈

この話は、クルアーンにある楽園のような記述である。このことを鑑みると、この話は神の予言によって実現されることになっていると考えられる。そして、忘れてはならないのがポリネシアの神話である。ポリネシアでも男女の夫婦に関する神話が多いが、良くも悪くもおとぎ話のような話が多い。また、冥府へ行くときには特に川が重要な手がかりとなるのは神話の常である。ここでも年老いた男が舟渡のような役割をしている。これに関してはギリシャでも、エジプトでも、共通となっている。この話については特にクルアーンの記述と同一であるが、しかしこの物語の真相についてはもう少し吟味が必要そうである。

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川獺の心臓

あらすじ

大きな森の真ん中に、名もない小さな湖があって、その騎士に二人の姉弟が住んでいた。両親は、二人がまだ幼かったころに、悪い魔術師に殺された。二人は魔術師に見つからないように、大きな森の真ん中に逃げ込んだのであった。
弟は毎日のように弓矢を手にして、狩に出掛けた。初めの内は、切って放す矢がなかなか獲物に当たらなかったが、毎日毎日出掛けているうちに、大変優れた猟師になった。そして、鳥や兎を殺して帰ってくると、姉がそれを料理して、二人で仲良く食べていた。二人は、人間世界からすっかりかけ離れて、森の中にさみしい生活をしていた。弟は、別にそれを不思議に思わなかったが、だんだんと大きくなるにつれて、姉さんより他の友達が恋しくなってきた。そして、獲物を探しながら、森の中を歩き回っては「この寂しい森の外には、どんな世界があるのだろう。そこにはきっと大勢の男や女が住んでいて、楽しく話し合ったり遊んだりしているのだろう」と考えるようになった。「この世の中ん委は、姉さんと僕の他にはインディアンがいないんでしょうか」思い悩んだような顔をして若者が姉さんにこんなことを尋ねる日がだんだんと多くなった。姉さんはこれに対していつも、「私にはわからないよ」と答えるのであった。姉さんは、毎日元気よく家の家の仕事に働くだけで、弟の胸の中に、どんな思いが浮かんでいるかと言うことには、さぱっり気が付かなかった。しかしある日、狩から帰ってきた若者は妙に沈みこんでいた。姉さんも、さすがにそれに気が付いて、「どうしたの、どこか加減が悪いの」と心配そうに尋ねた。若者は黙りこくっていたが、暫くすると出し抜けに、「姉さん、私に鹿の皮の靴を十足だけこしらえてください。明日になったら森の外の大きな世界に旅をするつもりですから」と言った。姉さんは、それを聞くと大変驚き悲しんだが、黙って十足の鹿皮の靴をこしらえてやった。
『川獺の心臓』それが若者の名前だった。川獺の心臓は、夜の開けるのを待ちかねて、家を出た。そして、だんだんと歩いているうちに、森の中の空地に出たが、そこにあった小屋はみんな腐れてしまっていて、人の住んでいる様子も見えなかった。川獺の心臓はそれを見ると、悲しそうに「だめだ、ここにはもうインディアンは住んでいない。もっとさきに行かなくてはならない」といって、また歩き出したが、帰り道に迷わないように、一足の靴を木の枝に掛けて置いた。川獺の心臓はだんだんと歩いているうちに、幾度も空地に出た。そして、今度こそインディアンに会えるだろうと胸を躍らしたが、その望みはいつも裏切られた。空地には朽ちかけた家がむなしくたっているだけで、人影らしいものは、さっぱり見えなかった。
若者は、鹿の皮の靴を木の枝に掛けては、だんだんと進んで行った。そして、家から持ってきた十足の靴がすっかりなくなってしまったとき、はじめてインディアンの住んでいる村に出た。若者は、うれしいような恐ろしいような思いを抱いて、次第に村に近づいて行った。村の入り口には大勢の若者が集まって、球投げをして遊んでいた。若者たちは川獺の心臓を見ると、「どうです、玉投げの仲間に入りませんか」と丁寧な口調で言った。川獺の心臓は恥ずかしそうに、もじもじとしていたが、あんまり勧められるので、思い切ってその遊びに加わった。若者たちは川獺の実のこなしの素早いのに驚いて、酋長のところに連れて行った。酋長には二人の娘があった。一人は善玉という名で、他の一人は悪玉という名だった。そして、名の示すとおりに、一人は気立てが優しくて正直だったが、他の一人は気が荒くて不正直であった。酋長は、川獺の心臓に向かって、「よく来てくれた。どうか私の二人の娘を嫁にしてもらいたい」と言った。川獺の心臓は悪玉までもお嫁にする気になれなかったので、「善玉さんだけならお嫁にしましょう」と答えた。しかし酋長は頭を振って、「いや、二人とも貰ってくれねば困る」ときっぱりした口調で言った。川獺の心臓は弱ってしまって、そこを逃げ出すことに決心した。そして、「では、その前にちょっと友達のところに行ってきます」と言って、うまくその場を外したが、首長の家が見えなくなると、一散に森の中に駆け込んだ。
酋長の娘たちは川獺の心臓が帰ってくるのを一生懸命に待っていたが、いつまでたっても、その姿が見えないのでたまりかねて探しに出かけた。川獺の心臓は、日暮れまでかけ続けったが、そのうちに大変疲れて来たので、歩調を緩めながら、「ここまで来ればもう大丈夫だ」と独り言を言った。途端に自分の後ろの方で、げらげらと笑う声が聞こえた。川獺の心臓は、酋長の娘たちが魔術にたけているということに気が付かなかったのであった。「しまった、あの声は、善玉と悪玉だ。早くどこかに隠れなくてはならない」と川獺の心臓はこう言って、あたりを見回すと、すぐそばにこんもり茂った一本の樅木がたっていたので、一刻の猶予もなく、その頂によじ登った。しかし、すぐにまた女の荒々しい笑い声が聞こえたかと思うと、善玉悪玉が樅木の側に現れて、気を伐り倒し始めた。
川獺の心臓は「これはかなわない。空を飛んで逃げ出すほかはない」と言って樅木の枝に這っていた一つの貝を取って空中に投げ出した。と思うと、貝はむうむうと大きくなって、見る間に軽気球のような形になった。川獺の心臓は素早くそれに飛び乗って、風のまにまに空中を流れて行った。二人の乙女は、そんなことには気が付かないで、一生懸命に木を伐り続けた。やがて樅木は大きな音を立てて大地に倒れた。しかし、目指す若者の姿は、どこにも見え中たので、二人は大変に驚いて、どこともなく駆けだして行った。翌日の夕方になって二人はまた川獺の心臓に追いついた。川獺の心臓は、慌ててすぐそばにあった杉の木の空洞に姿を隠した。杉の木の幹は、堅いから斧を使ってもなかなか伐り倒すことができないと考えたからであった。しかし、二人の女の斧には魔力が籠っていたので、杉の木は見る間に伐り倒されそうになった。川獺の心臓は大変い驚いて、自分の実を守っている精霊に、「どうか、あの斧を折ってください」と頼んだ。すると女の持っていた斧がたちまち二つに折れて、使えなくなってしまった。二人の女は、お互いに顔を見合わせて、「力ずくでは、あの男を手に入れることはできない。謀で虜にしなくてはならない。二人で一生懸命に程よくもてなして、あの男の気に入った方が、あの男を自分のものにすることにしよう」と言って、その場を立ち去ってしまった。川獺の心臓はやっと案しsンして、空洞から這い出して、どことなく旅を続けた。そして、自分の気に入ったところに来ると、そこに毛布を敷いて、食べ物を探しに出掛けた。暫くして、一匹の見事な海狸を殺して帰って来て見ると、毛布を敷いておいたところに、新しい立派な家が建っていた。「これは不思議だ。きっとあの女がまたやって来たに違いない」川獺の心臓はこう言って、急に逃げ出そうとしたが、家の中からさしてくる火の光が、いかにも暖かそうであったので、それに惹かれて、うっかり中に入ってしまった。家の中には背が高くて、顔が青白い、ギラギラした目をした痩せた女が座っていた。女は、川獺の心臓の手から海狸を受け取って、それを火に炙ったが、料理が出来上がると、旨い肉をみんな自分で食べてしまって、まずいところだけを川獺の心臓の方に差し出した。川獺の心臓は、腹を立てて、激しく女を責めた。すると女の姿はみるみる狼に変わって、森の中に逃げ込んでしまった。川獺の心臓はそれを見送りながら、「悪玉の奴が化け込んできていたんだな。俺に叱りつけられて、逃げ出してしまった。いい気味だ」と言った。
川獺の心臓は、そこを立ち退いて、また旅を続けた。そして、自分の気に入ったところに来ると、そこに毛布を敷いて、獲物を探しに出掛けた。暫くして、五、六匹の海狸を手に入れて帰ってくると、また立派な家が建っていた。「今度は、たぶん善玉が来たんだろう。中に入って見よう。もし女が毛布を自分の寝床の側に敷いているなら、善玉の証拠だ」川獺の心臓はこう言って、家の中に入った。見ると、自分の毛布がちゃんと女の寝床の側に敷いてあった。女は川獺の心臓から海狸を受け取って、すぐにそれを料理したが、おいしいところはみんな川獺の心臓に食べさせて、自分は骨だけをしゃぶっていた。真夜中に、川獺の心臓は物音を聞いて、ふと目を覚ましたが、女が樺の木の皮を噛んでいるのだろうと思って、そのまままた眠ってしまった。朝になって、「お前は、昨夜何をしていたのだ」と尋ねると、女は、「海狸の亡骸を調べていたのです」と答えた。川獺の心臓は「どうしてそんなことをするのだ」と尋ねた。女は「だって、海狸たちは、私の親類ですもの」と女が答えた。それを聞くと、川獺の心臓は大変うれしく思った。なぜなら自分のトーテムである川獺は、海狸といつも親しく交わっていたからであった。そこで、川獺の心臓は女に向かって、「海狸がお前の親類なら、今後は決して殺さないことにしよう。鹿や鳥を殺して、食べ物にすればいいんだから」と言った。そして二人は、それから一緒に幸福に日を送ることになった。

解釈

この不思議な愛の物語は、動物だった頃の人間の問題を含んでおり、人間であるが故の動物との問題を愛によって克服するという内容を物語っている。川獺の心臓と呼ばれる若者は自分の生まれた境遇の中で猟師となったが、そのために海狸に迷惑をかけていたのかもしれない。しかし海狸は心優しくそれを川獺の心臓のためだと思ってこらえていたのかもしれない。そして、人間として生まれた川獺の心臓は人間となる際に狼によって運命を妨害された可能性がある。もしくは、逆に善玉の方が、つまり海狸が狼によって妨害された可能性がある。無論この二つの可能性のうちどちらかであれば話は簡単であるが、魔術師によって両親を殺された姉弟の理由については不明である。しかし、その後の展開にも魔術というキーワードはたびたび現れている。

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大鹿と貂(その一)

あらすじ

昔、森の中に二人の男が住んでいた。一人は大鹿と言う名で、もう一人は貂と言う名であった。大鹿は、腕の達者な猟師で、いつも見事な鹿や水牛を殺して来ては、年をとったお祖母さんに渡していた。ところが貂は大変な怠け者で、どうにかして、食べ物が手に入る間は、決して狩に出掛けなかった。ごろごろと家の中に寝ころんでいて、大鹿が狩から帰ってくるのを見澄ましては、のそりとその家にやってくる。そして、「うまいことをしたね。少し肉を分けてくれないか」というのが常だった。大鹿は気立ての矢さっしい男だったので、言われるままに獲物を分けてやっていたが、あとでは、お祖母さんが怒り出して、「あんな怠け者に、肉を分けてやるのはおよし。そんなことをすると、あの男はますます怠け者になるばかりですよ。食べ物がなかったら、自分で狩に出掛けるに違いないんだから」と言った。そこで、次の日に大きな熊を殺してくると、大鹿はお祖母さんに向かって「貂が気づかないように、どこかにこれを隠しておいてください」と言った。お祖母さんはすぐに熊を隠したが、いよいよそれを煮るだんになると、釜に穴が開いているのに気が付いた。「困ったな。どうしたらいいだろう」とお祖母さんはこう言って考え込んでいたが、やがて、「そうそう、貂の家に新しい釜があるから、あれを借りることにしよう。返すときに、綺麗に洗って置いたら、何を煮たか気が付かないだろうから」と言って、貂の家から釜を借りることにした。貂は、釜を渡す前に、そっと呪文を唱えておいた。そして、「あの女が釜を借りていったが、いったい何を煮るんだろう」と言って、こっそり大鹿の家に忍び寄った。すると、熊の肉がたくさん皿に盛ってあったので、「しめたしめた、明日はうんとご馳走にありつけるぞ」とにこにこ笑いながら引き返した。あくる日になると、大鹿のお祖母さんはきれいに釜を洗って、貂の家に返しに来た。貂はお祖母さんの姿を見ると、「ありがとう、釜いっぱいの熊の肉を持って来てくれましたね」と叫んだ。わ祖母さんは驚いて「私は何も持って来はしないよ」と言ったがふと釜を見ると、たくさんの熊の肉が入っていたので、「まあ、どうしたんだろう」と呆れ返っていた。

解釈

この話は大鹿のお祖母さんが吝であることを現していると思われる。貂はお祖母さんに大釜を貸しているが、お祖母さんは当たり前のように借りている。しかし、お礼を欠いているところを見ると、

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大鹿と貂(その二)

あらすじ

貂は大変な怠け者だったが、お嫁さんだけは、二人持っていた。ところが、働き者の大鹿には、一人もお嫁さんがいなかったので、「怠け者がたくさんのお嫁を持っているのに、自分のような働き者が、一人も持っていないとは、聞こえぬ話だ」と言って、貂に向かって、「お前のお嫁さんを一人、w他紙jに譲っておくれ」と言った。しかし、貂はどうしてもそれを聞き入れなかったので、二人の間に、喧嘩が始まった。朝になると、大鹿が「おい、お前のお嫁さんを一人譲ってくれ」と言う。すると貂は「ばかいえ、お前は黙って丸木舟でも漕いでいろ」と答えた。翌朝になると、大鹿がまた、「おい、お前のお嫁さんを一人譲ってくれ」と言う。すると貂は「ばかいえ、お前は黙って蠅でも捕まえていろ」と答える。その翌朝になると、大鹿がまた、「おい、お前のお嫁さんを一人譲ってくれ」と言う。すると貂は、「ばかいえ、お前は黙って兎の皮でも剥いでいろ」と答える。こうして二人は夜になって、床に就くくらい規則正しく、喧嘩をしていた。貂のお嫁さんたちは、それがうるさくてたまらなくなったので、ある日、大鹿と貂とが喧嘩をしている最中に、そっと家を抜け出して、あてもなくどんどん駆けだした。夜になると、二人の女はとある流れの岸に横になった。そして、松の木の枝の間から、輝いている星を見つめながら、一人が、「もし、お前さんが星の乙女であって、星と結婚するのだったら、どの星を選ぶのかな」と尋ねると、他の一人が「そうだね、私ならあの小さくて赤く光っている星と結婚するわ。きっと快活な小男に違いないんだから」と言った。すると、一人の女は笑って、「私は、あの大きな黄色い星と結婚するわ。あの人は、きっと偉い戦士に違いないから」と言った。そして、暫くすると、二人ともぐっすり寝込んでしまった。
翌朝、二人が目を覚まして見ると、いつの間にか、自分たちは天上界に昇って、それぞれ小さくて赤い星の妻と、大きくて黄色い星の妻とになっていた。二人の望みを叶えてやったのは、とある精霊だった。この精霊は、人間界を見張っていて、不忠実な人妻を罰するのが役目だった。そこで、二人の女が、夫を捨てて逃げ出したのを知って、それを罰するために、わざとその望みを遂げさせてやったのであった。罰はすぐに二人の女の上に落ちてきた。小さくて赤い星は、大変気の短い老人で、絶えずお嫁さんを睨み付けていては、朝から晩まで小言ばかり言っているし、大きくて黄色い星は気の荒い戦士で、毎日のように乱暴なことをしては、お嫁さんを困らせるのであった。二人の女は、それがつらくてたまらなかったので暫くすると、星の国の住居が嫌になってしまって、「こんなことなら、天上界に昇って来なければよかった。早くもう一度人間界に帰りたいな」と思っていた。
二人の家から遠くない所に、大きな白い石があった。夫たちは、口癖のように、女に向かって、「決してこの石に触ってはいけないよ。触るととんでもないことになるから」と言っていた。二人の女は初めの内はその言いつけを守っていたが、日数がたつにつれて、その石に触って見たくてたまらなくなった。そこで、ある日、二人が申し合わせて、白い石を動かして見ると、そこには大きな穴があって、遥か下の方にある人間世界が見えた。二人は、人間世界を見ると、いままでよりもいっそう悲しくて、一層帰りたくなった。小さくて赤い星と大きくて黄色い星とは、お嫁さんたちが自分たちの言いつけを破ったことを悟って、「お前たちは人のいうことを聞かないから、ここに留めておくわけにはいかない。帰りたかったら、早く人間界に降ってもらいたい」と言った。それを聞くと二人の女は、「ええ、帰りますよ。でも、どうしたら下界に降れるのです」と尋ねた。「今夜は早く眠るがよい。明日の朝になったら、赤栗鼠の声が聞こえて、黒栗鼠の声が聞こえて、それから灰色の栗鼠の声が聞こえるだろう。それでも、お前たちは決して起き上がってはならない。一番おしまいに縞栗鼠の声が聞こえるから、その時になって、初めて起き上がらなくてはならない。言いつけに背くと、人間界に帰られなくなるよ」と小さい星と、大きな星とが言った。二人の女は寝床に入って、ひたすら夜の明けるのを待っていた。夜が明けかかると、赤栗鼠の鳴く声がした。と思うと、若い方の女が跳ね起きようとしたので、年を取った方の女が、慌ててそれを引き留めて、「今起きては駄目です。縞栗鼠の鳴くまでお待ちなさい」と言った。暫くすると、黒栗鼠が鳴いて、それから灰色の栗鼠が鳴いた。若い女は、もう堪り兼ねて、引き留める年を取った女を引きずるようにして飛び起きた。こんなにして二人は、星の言いつけに背いたので、人間界に降りることは降りたが、森の中の一番高い木の頂に引っかかって、どんあにもがいてもそこから降りることができなかった。二人は鳥や獣が木の側を通るたびに大きな声で、「助けてください。助けてください」と叫んだが、誰も相手になってくれなかった。一番おしまいに一匹の鼬がやって来た。鼬は二人の声を聴いて、「あなたたちが新しいお家を作ってくれたら、そこからおろしてあげましょう」と言った。女たちは「ええ、作ってあげますとも」と答えた。そこで鼬は木に登ってきて、まず若い方の女を助けおろしたが、年を取った方の女は、その隙に髪紐を木の枝に堅く結びつけた。そして、大地に助けおろされると、鼬に向かって、「木の上に髪紐を忘れてきました。どうか取ってきてください」と言った。鼬が何気なく木の上に昇って、髪紐を解き始めると、二人の女は大急ぎで家をこしらえて、その中に茨(いばら)を詰め込んで、蟻や百足などをその上に追い込んだ。髪紐はなかなか解けなかったので、鼬が木から降りてきたときには、もう日が暮れて、あたりが真っ暗になっていた。だから、鼬は女たちの悪だくみには少しも気が付かないで、喜んで新しい家の中に入った。と思うと、体中が茨や、蟻や百足などにひどく刺されたので、身をもがいて苦しみ始めた。その隙に、二人の女は、どんどん逃げ出して、とある川の端に出た。川には、渡し守の敦賀突っ立って、さも自慢そうに自分の長い脚や柔らかい羽根を誉め立てる歌を歌っていた。二人の女は鶴に向かって、「どうか私たちを向こう岸に渡してください」と丁寧に頼んだ。鶴はすぐに渡してくれた。二人が向こう岸に着いたかと思うと、鼬が息せき切って、追っかけてきた。鼬は鶴に向かって、横柄(おうへい)な口調で、「年寄りの足曲がり、私を向こうに渡しておくれ」と言った。鶴はそれを聞くと、非常に腹を立てたが、じっと我慢をして鼬を背負った。川の真ん中まで来ると、鼬は向こう岸に立っている女たちに向かって「今に見ろ、お前たちを捕まえてやるから」と叫んだ。途端に鶴が「そうはいかぬよ、やくざ者め」と言いながら、川の深みに鼬を投げ込んでしまった。二人の女は夫のところに帰って行って、おとなしくその日を送ることになった。

解釈

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湖上のぶらんこ

あらすじ

あるところに一人の猟師が住んでいた。大変お嫁さんを可愛がって、獲物があるごとに一番おいしいところを食べさせていた。猟師のお母さんがひどくそれを妬んで「私の息子は嫁ばかり可愛がって、私には少しも気を付けてくれない。嫁さえいなかったら息子はきっと、私を大切にするだろう。どうかして、嫁を殺してしまいたいものだ」と考えていた。猟師の妻は気立てが優しくて快活な女だったので、毎日いそいそと家の仕事をしたり、子供の世話をしたりしていた。姑が自分い対して、恐ろしい考えを抱いていたとは知らないので、心を尽くして大切にしていたが、姑はいつも憎らしそうな顔をして、お嫁さんを睨み詰めていた。姑は毎日のように、お嫁さんを殺す手段を考えていたが、ある日、そっと家を出て行った。そして、帰ってくるといつもと変わって、い唖kにも楽しそうににこにこしているので、お嫁さんは、心ひそかにそれを喜んでいた。姑は、それから毎日のように、家を出るようになったが、帰ってくるたびに皺だらけの顔にいかにも満足そうな微笑みを浮かべているので、お嫁さんは不審に思って、「お母さんは、近ごろ本当にうれしそうですね。どうしたんですの」と尋ねた。姑は「それには、少しわけがあります。私は近頃、湖の端にきれいなブランコをこしらえて、毎日のようにそれに乗っているのです。だから、楽しくて、楽しくて思わずにこにこするのですよ」と答えた。「それでは、私にもブランコに乗らせてください」とお嫁さんが言った。姑は「それでは、明日私についてきたらいいだろう」と言ったが、翌日になると、何かと言い訳をいsて、連れて行かなかった。お嫁さんはそのためにますますブランコへ乗って見たくなって、一日のうちに幾度となく「ねえ、お母さん、早くブランコに乗らしてください」とせがんだ。姑は「じゃあ、私と一緒にお出で、ブランコのあるところに連れて行くから」と言った。お嫁さんは、一人の赤ん坊とよそから拾ってきた十二、三歳の男の子を持っていた。そこで、赤ん坊を男の子に渡して、「私が帰ってくるまで、気を付けてお守りをしていておくれ」と言って、姑のあとについて出てきた。姑は、お嫁さんを湖の端に連れて行った。すると、そこには、大きな木の枝から湖の上にブランコが下がっていた。「これが私のブランコだよ」と年を取った女は王言って、ブランコに乗って静かにそれをゆり始めた。そして、ブランコがだんだんと大きく揺れだして、水の上まで揺れて行くようになると、姑は、心から嬉しそうに大きな声を出して笑った。お嫁さんは堪り兼ねて、「お母さん、早く私に乗らしてください」と叫んだ。姑は、すぐにお嫁さんをブランコに乗せて、力いっぱいにそれを押してやった。ブランコは、遥か湖の上まで揺れて行くようになった。すると、姑は隠していたナイフを取り出して、ブランコの綱を断ち切ったので、お嫁さんはあっと一声叫ぶなり、湖に落ち込んで、みるみる水の底に沈んでしまった。姑はお嫁さんの着物を抱えて、大急ぎで家に帰って来た。男の子は年を取った女を見ると、「赤ん坊のお母さんは、どこにいるのです」と尋ねた。としとぉ取った女は、何食わぬ顔をして、「ブランコに乗って遊んでいるんだよ」と答えた。そして、嫁さんの着物を見に纏って、部屋の隅に座っていた。日が暮れかかると、猟師が帰って来た。家の中が薄暗くて、着物も妻のだったため、お母さんを妻と思い込んで、いつものように一番おいしい肉を渡した。お母さんは、それを受け取るなり、大急ぎで料理をして、一人でむしゃむしゃ食べてしまった。男の子は、悲しくて、どうしても眠れなかった。それで、真夜中にそっと置きだして、養いの親を探しに行った。湖の端に来ると、綱の切れたブランコが寂しそうに湖ンお上に垂れさがっていた。それを見ると、男の子は、「お母さんは、あの女に殺されたんだ」と言って、激しく泣きながら家に帰って来た。そして、そっと寝床の中に潜り込んだが、夜が明けると、すぐに猟師に向かって、「お母さんは殺されたんですよ。湖の端に綱の切れたブランコがぶら下がっています。きっと、あそこに連れ出されて、殺されたんですよ」と囁いた。猟師はそれを聞くと、大変に驚いたが、やがて小さな声で、「明日はお前も一緒に猟についてくるがよい。そして、夕方になったら、私は、湖の端に行って、死人を返してくださるように神様にお祈りをするから、お前は家に帰って、そっと赤ん坊を連れだしてきておくれ」と言った。夜が明けると、猟師と男の子は一緒になって、狩に出掛けた。そして、夕方になるのを待って、湖の端に来ると、猟師は地面に座り込んで、熱心に神様に祈り始めた。その暇に男の子は家に帰って、年を取った女に見つからないように、赤ん坊を抱えて引き返してきた。そして、おかしな子守唄を唄って、赤ん坊をすかしていたが、赤ん坊はお腹がすき切って来ましたので、大きな声で泣き出した。湖の底に沈んでいる赤ん坊のお母さんの耳に、その泣き声が入ると、お母さんは雪のように白い鷗の姿をして、水の上に現れてきた。そして、その脚が岸辺の土に触れたかと思うと、たちまち女の姿に返って、赤ん坊をひしと抱きしめた。男の子は女に向かって、「お母さん、早く家に帰ってください」と言った。すると、女はさも悲しそうな顔をして、「私は、水の精の手に入ってしまったんだよ。水の精は、私の体に銀の尻尾を巻き付けているんだから、どうしても逃げ出すことができません」と言った。男の子は、驚いて女の体を眺めた。すると、きらきらと輝く銀の帯が一筋、女の腰に纏いついていて、その端は、水の中に隠れていた。暫くすると、女は、赤ん坊を男の子に返して、「もう帰らねばなりません。どうか、毎日間違いなく赤ん坊をここに連れてきておくれ。いいかね、忘れてはいけないよ」と言ったかと思うと、たちまち鷗に変わって飛び去ってしまった。男の子はお祈りをしている猟師の側に行って、今までのことをすっかり話した。猟師は、どうしても水の精の手から、妻を取り返さねばならないと決心した。翌日の夕方になると、猟師は投げ槍を手にして、湖の端に行って、とある木の陰に隠れていた。暫くすると、妻の姿が水の中から現れてきた。猟師は、その腰に纏いついている銀の紐をめがけて、力一杯に投げ槍を投げつけた。槍は見事に銀の紐にあたって、二つに断ち切ってしまった。猟師はすかさず木の陰から飛び出して、驚く妻の手を掴むなり、一散に家に駆け戻った。火の端に座っていた姑は、湖の名kにおぼれ死んだとばかり思っていたお嫁さんが無事に帰って来たのを見ると、恐ろしさと驚きとの余りに、我をわあすれて立ち上がったが、よろよろとよろめいて、燃え盛る火の中に倒れ込んだ。猟師と男の子とは、びっくりして火を消そうと騒ぎ立てが、やっとのことで火を消して見ると、女の姿は見えないで、一羽の黒い鳥が煙の中から動き出して、家から飛び出したかと思うと、そのまま見えなくなってしまった。

解釈

ぶらんこの話は北アメリカの神話Ⅰの24でも述べられている。そこには星の兄弟の末の娘として描かれtる女がブランコを漕ぐとたくさんの水牛が現れるというものであった。しかし、この話の中ではブランコは湖の上にあるという点で同一のものではなさそうだ。しかし、なぜお嫁さんの女はブランコに乗りたがったのだろうか。ここには星の兄弟の末娘へのあこがれがあったのだろうか。この話のお嫁さんは湖に落ちて水の精に捕らえられたとあるが、この手の精霊は他の神話でもよく出て来る。ルサールカやローレライもこの手の精霊と考えられるがどれほどの関連があるかが定かではない。

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玉蜀黍の精

あらすじ

十四、五歳になる一人の男の子が、両親と一緒に小さい家に住んでいた。お父さんは猟師で、勇気もあり腕もあったが、ときどき空手で帰ってくることがあった。そんなときには、家中の物が、すき切った腹を抱えて我慢していなくてはならなかった。男の子は、大変気が優しくて親切な性質だったので、そんな目に遭っても、決してお父さんを恨むことはなかった。いや、それどころか、「鳥や獣が取れないと、どこの家でもみんなが大変困るに違いない。何か鳥や獣の他にいつでも手に入るような食べ物を見つけ出したいものだ。そしてみんながどんなに助かるかもしれない」といつもそう考えて居た。
そのうちに男の子は、立派な若者になった。インディアンの間では、本当の若者になるのには、それぞれ定まった儀式を受けなければならな方。そこで、男の子もその儀式を澄ますために、自分の家から少し離れたところに建てられた断食小屋に入って、数日間断食をすることになった。男の子はただ一人小屋の中に座り込んで、「ほんとに、いつでも手に入るような食べ物を見つけ出したいな。神様は、人間を楽しませるために、森や野にあらゆるおいしいものをこしらえてくださったんだから、神様にお祈りをしたら、そんな都合のよい食べものが見つけ出せるかもしれない」と考えた。そして、一生懸命に神様にお祈りをして、「どうか、いつでも食べられるような物を夢の中でお授けください」と言い続けていた。
断食が三日ほど続くと、男の子は体が弱ってきて、眠っているような冷めているような気持で小屋の中に宵子になっていた。すると、麗しい緑色の衣をまとって、ふさふさした緑の羽根を頭に着けた美しい若者がどこからとなく現れてきた。そして、草の間に囁く風の音のような声をして、「神様は、お前の祈りをお聞き届けになった。私のいうとおりにすれば、お前の願いが叶うのだ。さあ、立ち上がって、私と組打ちをするがよい」と言った。男の子は変だと思ったが、すぐに立ち上がって、見知らぬ若者に組み付いて行った。長い間黙りこくって組打ちをした後で、見知らぬ若者は、「今日はこれでよいだろう。明日になったらまたやってくるよ」というなり、たちまち姿を隠してしまった。怪しい若者は翌日もその翌日も断食小屋に現れた。そして、男の子を見ると、すぐに組打ちを挑むので、男の子は断食のためにへとへとになっている手足を無理に動かして、一生懸命に取り組んでいた。
三日目の組打ちが済むと、不思議な若者は、男の子に向かって、「明日はお前のお父さんが食べ物を持ってくるだろう。それを食べて元気をつけていてもらいたい。夕方になったら、私がまたやって来て、最後の組打ちをやるから。私はお前がかねがね何を望んでいるかをよく知っている。もしお前が私を投げ殺したら、衣と羽根とを剝ぎ取って、私の体を埋めてもらいたい。そして、その上に土をかぶせて、いつもきれいに、そして水気があるように気を付けておくれ。そうすると、お前は再び緑の衣と羽根とを付けた私の姿に会うことができるから」と言うかと思うと、そのまま消え失せた。
翌日になると、お父さんが、食べ物を持ってきた。しかし男の子は、それを小屋の隅に押しやったまま、不思議な若者が現れるのを熱心に待ち受けていた。夕方になると、不思議な若者が現れてきた。男の子は、今日こそ願いが叶うと思ったので、あらん限りの力を出して若者にとびかかった。そして、長い間もみ合った末に、若者を投げ倒すと、若者は大地に横たわったまま息が切れた。男の子はそれを見ると、気の毒なような悲しいような気がしたが、言い遣ったとおりに、緑の衣と緑の羽根とを剥ぎ取って、屍を地に埋めた。断食が済んだので、男の子は一人前の若者に成りすまして、家に帰って来た。男の子は、自分が投げ殺した不思議な若者のことを決して忘れなかった。暫くすると、大地から羽根のような緑の芽が萌えだして、だんだんと大きくなって見事な葉を出した。
秋になると、男の子は、不思議な若者の墓にお父さんを連れて行った。そこに生えだした見知らぬ植物は、十分成長しきって緑の葉をそよがし、黄金色の房を揺るがしていた。お父さんはびっくりして、「なんという見事な植物だろう」と褒め称えた。男の子は一心にそれを見詰めて、「私の友達です。私の夢の友達です」とつぶやいた。お父さんは首を振って、「いや、モンダミン(Mon-da-min)だよ。精霊の賜物だよ。偉い神様の賜物だよ」と言った。こうして、玉蜀黍が神様の恵みによって、インディアンの手に入るようになった。そして、そのお陰で山や川の獲物がない時でも、腹を空かさないでいられるようになった。

解釈

モンダミンはヒアワサの話の中にも出て来る。この話と同様に玉蜀黍となった。玉蜀黍についてはメキシコの大洪水の話の中でチトラカフアン神がナタとネナの食べ物に与えている。また、アフリカの神話でも玉蜀黍はよく出て来る。このことがどのように人間と神々との間に関係するのか定かではないが、モンダミンに依拠する起源があるのであろう。モンダミン以前にも玉蜀黍が人間の生活するところではないかもしれないが存在したのかもしれない。ただ、モンダミン以降にアフリカでも食べられたのか、メキシコの洪水神話の中であるように人間の起源に関連する食物なのか、この点がマニトウ神とモンダミンに関しての疑問となる点である。

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七人兄弟

あらすじ

あるところに、九人の子供が住んでいた。男の子が七人で、女の子が二人であった。六人の兄弟が末の弟と二人の姉妹を残して、戦争に出掛けていた留守に、姉の方が熊のお嫁さんになってしまった。お父さんはそれを聞き込んで、大変に腹を立てた。そして、自分の友達どもを呼び集めて、「不届きな熊が私の娘を嫁にしてしまった。どうかみんなで熊の住んでいる洞穴を狩り立てて、殺してしまってもらいたい」と言った。人々は、すぐに熊の住んでいる洞穴に押し寄せて行って、熊を殺してしまった。お嫁さんは大変に悲しんだ。そして、熊の皮を少し切り取って、それを体に着けて護符(おまもり)とした。だから人々はその女のことを熊の皮と呼ぶようになった。
ある真っ暗い晩に熊の皮は護符の力で、一匹の熊に姿を変えた。そして、人々の住んでいるところに忍び寄って、大勢の人を殺した。怒り狂った熊は、自分の両親までも食い殺してしまったが、一番末の弟のオキナイと妹のシノパだけは許してやった。
ある日、シノパが川の側に出掛けると、戦争から帰って来ていた六人の兄さんに出会った。「姉さんが熊になって、お父さんやお母さんを殺してしまったんですよ。そして、隙があったら、私とオキナイも、食い殺そうと思っています。」と話した。六人兄弟は、それを聞くと大変に驚き悲しんだが、やがて、妹に向かって、「安心するがよい。私たちがお前やオキナイを助けてやるから。お前は、すぐに茨のある木の枝をたくさん集めて、姉さんの住んでいる家の前にまき散らしておくがよい」と言った。シノパは、すぐに茨のある木の枝をたくさん集めて、姉の住んでいる家の前に撒き散らした。そして、その間にただ一筋の小さい道を開けておいた。
真夜中になると、シノパとオキナイとは、そっと起き上がって、家を抜け出した。そして、茨の枝の間にある小道を伝って、兄さんたちのところに逃げてきた。暫くすると、熊の皮が二人の逃げ出したことを悟って、すさまじい勢いで家の中から飛び出した。そして、二人の後をつけて駆けだそうとすると、茨を踏みつけて、ひどく足を傷つけた。女は、非常に腹を立てて、また熊の姿に変わるなり、一散に兄たちの隠れているところに掛けて来た。七人の兄弟と一人の妹は、その勢いに恐れて逃げ出したが、熊は、どこまでも追っかけて来た。そこで、オキナイが魔力の籠っている一本の羽根を投げ出すと、こんもり茂った藪が現れた。熊はそれを見ると、「何を小癪な」と言いながら、その藪を突き抜けて、追っかけて来た。オキナイはそれを見ると、今度は熊の前に大きな湖を作り出した。熊は「何を小癪な」と言いながら、湖を泳ぎ渡って追っかけて来た。オキナイは、それを見ると、今度は一本の大きな木を生やして、みんなと一緒に、その木によじ登った。熊は「何を小癪な」と言いながら、その木の側に歩み寄って、みんなを引き下ろそうとした。オキナイは堪り兼ねて、一本の矢を空に射放った。途端に妹のシノパの体がふわふわと動き出して、弓の矢と一緒に天空に昇ってしまった。オキナイは続けざまに七本の矢を射放って、兄さんたちと一緒に、その矢にまたがって妹の後に続いた。そして、みんな星になってしまったのが、今私たちの目に見える大熊星(だいゆうせい)という星の群です。

解釈

大熊星と言う星の群れの由来となっているこの話は女の兄弟が熊と結婚することによって始まっているが、この逆に熊が天帝と結婚しようとする韓国の神話と対照的にも思える。女は熊の皮を護符として用いるが、これはサンポのようなものだろうか。オキナイに不思議な力があった理由は不明であるが、オキナイによって兄弟は星になったということだと思う。

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兄の悪計

あらすじ

昔、二人の兄弟が住んでいた。兄は、ノパトシス(Nopatsis)と呼ばれ、弟はアカイヤン(Akaiyan)と呼ばれた。ノパトシスは、お嫁さんをもらったが、そのお嫁さんは大変アカイヤンを憎んで、毎日のように夫に向かって、「私はアカイヤンが大嫌いです。どうかあの人を殺してしまってください」と言った。しかし、ノパトシスは小さい時に両親を失って、長い間、弟のアカイヤンと一緒に、苦しい生活を続けて来たので、どうしても弟を殺す気にはなれなかった。
お嫁さんは夫が自分の頼みを聞き入れてくれないのを見ると、悪い謀を巡らせた。ある日、ノパトシスが狩から帰ってくると、お嫁さんが部屋の中で泣きじゃくっていた。見ると、着物がずたずたに裂けていた。ノパトシスは驚いて、「どうしたんだ。なぜ泣いている?」と尋ねた。お嫁さんは「アカイヤンが、あなたの留守に、私に怪しからぬことを言って、あたしがそれを聞き入れなかったのでこんなひどい目にあわされたのです」と答えた。それを聞くと、ノパトシスは大変に腹を立てて、「アカイヤンの奴不届きな奴だ。こうなればどうしても生かしてはおけぬ」と叫んだ。
やがて夏になった。夏になると、水鳥はみんな毛をかわかす。そしてインディアンどもは、その毛を拾って弓の矢を矧ぐのであった。
ノパトシスの家の近くに、大きな湖があった。水鳥どもが群れを成して、湖の真ん中にある島に降りて来るようになった。ある日、ノパトシスは弟に向かって、「あの島に鳥の羽根を拾いに行こうじゃないか」と言った。アカイヤンは「ええ、行きましょう」と何気なく答えた。そこで、二人の兄弟は丸太を集めて、水牛の皮で結び合わせて、一つの筏を作った。そして、それに乗り込んで、湖の中の島に漕ぎ寄せた。アカイヤンは、奥へと入り込んで、しきりに鳥の羽根を拾っていたが、ふと気が付いて、後を振り返って見ると、兄のノパトシスは、いつの間にか筏に乗って、岸辺の方に漕ぎ出していた。アカイヤンは、驚いて、「兄さん、どうしたのです。なぜ私を見捨てて帰っていくんです。早く筏を漕ぎ戻してください」と叫んだ。ノパトシスは、からからと笑って、「こんなことになるのも自業自得だよ。お前は姉さんに怪しからんことを言ったではないか」と答えた。アカイヤンはそれを聞くとびっくりして「兄さんは、何を言うんです。決してそんなことはありません。早く筏を返してください」と叫んだ。しかい、ノパトシスは嘲笑っただけで、そのまま筏を漕いで行ってしまった。離れ島に取り残されたアカイヤンは、木の枝で小さい小屋をこしらえて、鳥の羽根を寝床に、寂しい日を送ることになった。ある日アカイヤンは、海狸の家を見つけた。家の外に遊んでいた小さい海狸が、アカイヤンに向かって、「お父さんが、あなたにおはいりなさいと言っていますよ」と言った。アカイヤンは、その家の中に入った。家の中には、雪のように白い大きな海狸が、妻や子供と一緒に住んでいた。白い海狸は、アカイヤンの姿をみると、「お前はどうしてこんな離れ島に一人で住んでいますか」と尋ねた。アカイヤンが、兄に欺かれたことを包まず話して聞かせると、白い海狸は、「それでは、私の家で冬を過ごしたらよいでしょう。いろんな不思議な、そして、利益になることを教えてあげるから」と言った。アカイヤンは言われるままに、海狸の家で一冬を過ごすことにした。その間に白い海狸は病気や傷を治す秘法、煙草の用い方、さまざまなお祭りの舞踏や唱歌やお祈りの言葉などを教えてくれた。やがて、夏になった。アカイヤンがみんなに別れて、その家を出ようとすると、白い海狸が、「なんでもお前さんの欲しい物をあげよう。遠慮なくいってごらんなさい」と言った。アカイヤンは「それでは、一番末の子供さんをもらいましょう」と言った。白い海狸は、大勢の子供の内でも末の子を一番かわいがっていたので、「それだけは御免です。何か他の物を望んでください」と言った。しかし、アカイヤンはどうしても末の子供が欲しいと言い張るので、白い海狸も、とうとう同意してしまった。そしてその上に、神聖な海狸バンドルの作り方までも教えてくれた。そうしているうちに、ノパトシスがまた筏に乗って、離れ島にやってきた。ノパトシスは、弟がもう死んでしまったと思い込んで、遺骨を拾いに来たのであった。アカイヤンは遠くからその筏を見つけた。そして、兄のノパトシスが島の中を歩き回っている隙を狙って、小さい海狸を抱いたまま、筏の上に飛び乗って、大急ぎで岸の方に漕ぎ出した。そして、自分の村に帰ると、人々を集めて、白い海狸から教わったお祭りの舞踏、唱歌、お祈りの言葉などを教えてやった。小さい海狸も、アカイヤンを助けて、いろんな利益になることを教えた。
暫くすると、アカイヤンは小さい海狸を連れて、また湖の中の島に渡った。そして白い海狸の家に行って、末の子供を返してやると、白い海狸は大変に喜んで、そのお礼に神聖なパイプの使い方と、それに伴う舞踏や歌唱を教えてくれた。アカイヤンは自分の村に帰る前に、島の中を歩き回って見た。すると、雨に晒されて白くなっている沢山の骨を見つけた。いうまでもナック、アカイヤンをひどい目に遇わせた兄のノパトシスの死体であったのでした。

解釈

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神聖な熊槍

あらすじ

昔、ブラックフィート族がまだ荷馬を知らなかった頃に、大勢が一緒になって、あちらこちらを歩き回っていた。ある夕方、荒野で露営をするために、テントを張っていると、誰と言うとなっく、「酋長が犬橇をなくしたそうだ」という声がした。犬橇には酋長の貂の毛皮の衣や、その妻の鹿の皮衣が、積み込んであったので、みんな大騒ぎをして、その前の晩に露営をした場所に人をやって探させてみた。しかし犬橇はそこでも見つからなかった。みんなが困り抜いていると、十二歳になったばかりの酋長の息子ソクマピ(Sokumapi)が、お父さんに向かって、「私を探しにやってください。きっと亡くなった犬橇を見つけ出しますから」と言った。酋長は暫くの間ためらっていたが、とうとうその請いを許した。ソクマピはたった一人で、前の晩に露営をした場所へ取って返した。そして、細かにあたりを探し回っていますと、犬橇の通った後を見つけ出した。それをたどってだんだんと進んでいくと、犬橇の跡は、深い峡谷に入って、そこで消えていた、。ソクマピが峡谷に降りていくと、その入り口のところで大きな洞穴を見つけた。洞穴の前には、新しく掘り返された土が積みあがってあって、そのそばに亡くなった橇が置いてあった。ソクマピは「橇はやっと見つかったが、犬はどうなったんだろう」と考えながらじっと橇を見詰めていると、素晴らしく大きな一匹の熊が出し抜けにソクマピに飛びかかって来た。あまり不意に飛びつかれたので、ソクマピは、防ぐことも逃げることもできなかった。熊は、ソクマピの体を加えて、乱暴に打ち振りながら、洞穴の中に引きずって行ったので、ソクマピはとうとう気を失ってしまった。
暫くして、気が付いて見ると、大きな熊の頭が自分の頭から一尺と離れない所に、ぬっと突き出されていました。熊の鳶色をした大きな目に、なんとなく親切そうな色が現れて今sチアの出、横になったまま、じっとしていると、やがて、熊は「心配しなくてもよい。私は熊の頭だ。私の地下rには限りがない。お前が何を探しているかも良くわかっている。私はお前に加勢をしたいと思ったので、この洞穴ん委お前を引きずって来たのじゃ。冬も近くなっていることだから、サムいあいあは私と一緒にいるがよい。その間に私が持っている力の秘密を明かしてやるから」と言った。そして、まず第一に、いろんな物を食べ物に変える方法を教えてくれた。
大きな熊は冬の間をほとんど眠って過ごした。しかし、春の暖かい風が吹き出して、山々の雪が消えかかると、目を覚まして、ソクマピに向かって、「もう洞穴を立ち退く時だ」と言った。そして、自分の持っている力の秘密をたくさん教えてくれた。その中でも一番熱心に教えてくれたのは、どうして熊槍を作るかと言うことであった。「長い棒を選んで、一方の端を鋭く尖らせるがよい。それが熊の牙の標徴(しるし)だ。棒には、熊の鼻と歯を結び付けて、熊の皮で包んで赤く塗らなくてはならない。赤は神聖な色だ。それから、槍の柄には、鷲の羽根と熊の爪とを飾り付けるのだ。そして、それをもって、軍に出掛ける場合には、熊野爪を髪の毛の中にしまっておくがよい。そうすれば、私の力がお前と一緒に戦場について行くんだから。それから、槍を使うときには、熊が立てるような物音を立てるということを忘れてはならない」大きな熊はこんな風に、熊槍の作り方を親切に教えてくれた。ソクマピは、大きな熊に別れを告げて、自分の村に帰って来た。ソクマピが、死んでしまったと思い込んでいた村の人たちは、大変い喜んで、お祝いの酒盛りを開いた。それが済むと、ソクマピは大きな熊に教わった通りにして熊槍を造った。
それから暫くすると、鳥族がブラックフィート族に戦争を仕掛けて来た。ソクマピは、熊槍を肩にして、真っ先に進んで行った。彼の顔と体とは、熊の頭に教わった通りに彩られていた。ソクマピは、熊に教わった戦いの歌を歌いながら、すさまじい勢いで、敵に襲い掛かって行った。熊槍の魔力は立ちどころに現れて、鳥族は、まもなくほうほうの体で逃げ出してしまった。
勝ちを占めたブラックフィート族の人たちは、ソクマピを中に囲んで、熊の歌を歌いながら引き上げた。ソクマピは、まもなく軍大将となった。初雷が鳴って、熊が冬の寝床を離れる春になると、ソクマピは、熊槍の覆いを取り去る。それから、冬になって、熊が洞穴に永い眠りを始めると、覆いを被せて槍をしまい込む。槍には守護霊がついている。だから女たちは、決してそれに手を触れてはなりません。

解釈

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若犬踊り

あらすじ

ある日、クリー族(Crees)の一人の勇敢な若者が、鷲を捕らえるために村を出て行った。鷲の羽根で戦をするときの帽子の飾りを造りたいと思ったからだった。クリー族は、次のような方法で鷲を捕らえるのであった。まず鷲どもが、たびたびやってくる丘の頂に、一つの穴を掘って、その上に柱を並べて、その上を草で覆って、鷲の目につかないようにする。柱には肉片を結び付けて餌にする。用意がすっかり出来上がると、穴の中に潜り込んで、鷲がやってくるまで、幾日でもじっと待っている。やって来た鷲は餌を掴もうとして、柱の間に足を差し込む。穴の中の男はその足を掴んで鷲を捕らえるのであった。
勇敢な若者も、すっかりこんな準備を澄まして、穴の中に横になりながら、「神様、どうか早く鷲が飛んでくるようにお願いします。」と祈っていた。すると、どこからとなく、太鼓を打つ音がはっきりと聞こえて来た。若者は、「はて、どこで太鼓をたたいているのだろう。ずいぶん遠くでたたいているらしいのに、音がはっきりと聞こえるのは不思議だ」と独り言を言った。不思議な太鼓の音は夜もすがら続いた。次の晩も、また同じ方角に太鼓の音が響き始めたので、若者は「どうも変だな、一つ見届けてやろう」と言って、穴の中から這い出した。そして、太鼓の音を頼りに、どんどん歩き出した。夜が明けかかる頃に、大きな湖の端に出た。太鼓の音は、湖の中から響いてくるように思われたので、若者は、終日その端に座り込んでいた。太鼓の音は、昼間だけは止んでいたが、夜になると、再び響き始めた。見ると、湖の中に数知れぬ獣や鳥などが群がって、あちらこちらに泳ぎ回っていた。若者は、四日四晩湖の端に座り続けていた。ふと目を覚まして見ると、自分の体は、大きな家の中に寝ころんでいて、その周りに大勢の人が群がっていた。人々はそれぞれいろんな獣や鳥の皮でこしらえた衣をまとっていた。若者は起き上がって、その人たちをじっと眺めているうちに、なんだか見たことがあるような気がし始めた。それもそのはずです。そこにいるものは、みんな昼間湖を泳ぎ回っていた獣や鳥が人間に姿を変えているのでした。
若者が正気づいたのを見ると、ひとりの酋長がそのそばにやって来て、「私たちは、お前の祈りを聞いて、お前を助けてやろうと思っている。ここに大路江の人がいるが、それはみんなそれぞれの動物を代表しているのだ。私は犬を代表しているがいろんな不思議な力を持っているので、それをお前に授けることにしよう。ここでお祭りの舞踏を教えるから、それを覚え込んで、村の人たちに伝えるがいい。そしたら、、戦争をする場合に、いつも運がいいから」と言った。そして、若者が見ている前で、お祭りの舞踏を踊って見せた。踊りが済むと、犬を代表している男は、一座の者を見渡して、「兄弟たち、私はあの若者に、私の持っている力を授けてやった。お前さんたちも、あの若者を可愛そうだと思って、めいめい持っている力を授けてくれないか」と言った。人々は、それを聞いて、暫く黙り込んでいたが、やがて、梟を代表している男が、立ち上がって、若者に向かって、「私がお前さんを助けてやろう。私には闇の中で物を見る力がある。で、お前さんが夜出かけていくときには、私がいつもそのそばについていることにしよう。そしたら、お前も闇の中で物を見ることができるんだから。そして、この羽根をやるから、髪の毛に結びつけて置くがよい」と言いながら、一束の羽根を若者に渡して、また座り込んだ。それから暫くたつと、今度は水牛を代表している男が立ち上がって、足で敵を踏みつぶす力を若者に授けた後で、なめした水牛の革帯を渡して、「戦争に出掛ける時には、いつもこれを締めているがいい」と言った。その次に豪猪(やまあらし)が立ち上がって、革帯を飾るように幾本かの針毛を与えた後で、「私もお前さんを助けてやろう。私は、敵を女のように弱くして、どんどん逃げださせる力を持っている。それをお前さんに授けてやろう」と言った。それから今度は、鷲が立ち上がると、みんなは何を言い出すだろうかと思って、耳を澄ましていた。鷲は「私もお前の行くところについて行って、たやすく敵を殺すことのできる力を吹き込んでやろう。これを髪の毛に結び付けて置くがよい」と言って、数本の羽根を若者に渡した。鶴がその次に立ち上がって、自分の翼から抜き取った一本の骨を渡して、「戦に出たら、これを口に当てて吹き鳴らすがよい。その音を聞くと、敵がみんな臆病になってしまうから」と言った。一番おしまいに鹿と熊とが立ち上がった。そして、鹿は、早く走る力とそれの徴としての鳴子とを授け、熊は苦労を何とも思わぬ元気と、毛皮でこしらえた一筋の帯とをくれた。若者は、そうした数々の品物を受け取ると、また横になって、ぐっすり寝込んでしまった。そして、二度目に眼を覚まして見ると、元の湖の端になっていた。
若者は、急いで家に帰って、クリー族の人たちに、犬から教わった若犬踊りを教えたり、いろんな動物から貰ったいろんな品物を見せたりした。それ以来、クリー族の若者どもは若犬組を作って、若犬踊りを踊ることになった。

解釈

兄弟の悪計、神聖な熊槍、と並んでこの若犬踊りでは、動物の種の秘伝としての業の伝授に関係がある物語である。ここでは星の国や天界に行った方法と同様の仕方で動物たちの長が現れてその力を授けるようである。ここに眠りには天上界へつながる道を知るすべがあると思われるが、我々の意思だけではその扉は開かないようである。また星となった動物を描く神話群がるが、この時代に関してはそれがおおよそ定まった後であると考えられる。星の頭はマニトウと思われるが、星ができた後、無論エノク書にある時代には星はいくつもおちているようである。また、イシュタルの冥界下りでも落ちているように思う。その後、動物たちによって星を贖う物語が進み、神獣と化した者が星となり、その後人間を導くようになったと考えるのが筋であるように思われる。これ以前の同様の導きに関しては星そのもののように思われる。四季の精霊もそうだろう。しかし風はどうだろうか。これは第三の日の使者かもしれない。

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狼の助け

あらすじ

ある時、ブラックフィート族が一緒になって、居場所を移すことになった。人々は、長い列になって、ゆっくりと歩いて行った。そして、長い列の先頭と殿とに屈強な戦士たちがついていて、敵が現れたら、年寄りや子供や女たちを守ってやることにした。
かねてからブラックフィート族と仲の悪い鳥族が、それを伺い知って、途中に待ち伏せをしていた。そして、戦闘の戦士たちをやり過ごして、殿の戦士たちがまだ現れないうちに、長い行列の真ん中に襲い掛かった。先頭と殿とにいた戦士たちは、驚いて一散に駆けつけてきたが、超俗の人々は、もうすでに女や子供たちを殺したり、虜にしたりして、逃げ出してしまった後であった。鳥族の人たちは、虜にした女どもを馬に乗せて、自分の村に帰って来た。虜になったブラックフィートの女のうちに、『戸のそば』と呼ばれる乙女がいた。『戸のそば』を手に入れた男は、彼女を自分の友達に贈った。友達は乙女を自分の妻に渡して、「逃げ出さないように気を付けてもらいたい」と言った。
夜になると、『戸のそば』の足を縛って、腰の周りに縄を結び付けて、その端を自分の妻の体につないでおいた。男の妻は、虜になった乙女が可哀想でたまらなかった。だから、夫が家から出ていきさえすると、いつも乙女の側に来て、いろんな話をしては、その心を慰めてやっていた。
ある日、男の妻は、『戸のそば』に向かって、「私の夫と友達が一緒になって、お前さんを殺そうともくろんでいるんですよ。私は、お前さんが可哀想でなりませんから、夜になるのを待って、逃がしてあげるつもりです。」と言った。
夜になって、男がぐっすり寝込んでいると、妻は、こっそりと抜け出して『戸のそば』の体から、縄を解き捨てて、鹿皮の靴と火打石と乾肉を入れた小さい袋とを渡しながら、「早くお逃げなさい。ぐずぐずしていると命がなくなりますよ」と言った。『戸のそば』は、女に礼を言って、震える足を踏みしめながら、闇の中を一散に駆けだした。幾日も幾日も逃げ続けているうちに、鹿皮の靴に穴が開いて、足からたらたらと血が流れるようになった。乾肉もだんだん食いへらして、今は残り少なくなった。乙女は、悲しさと寂しさとを耐えて、なおも旅を続けていた。すると、どこからとなく、一匹の大きな狼が現れて、二、三町離れて、どこまでも、乙女の跡をつけて来た。乙女は、恐ろしくて堪らないので、一生懸命に駆けだしましたが、やがて、力が尽きてしまって、ぐたりと地面に倒れた。狼は、すぐに乙女の側に近づいて来たが、飛びかかろうとはしないで、自分もその横に寝そべった。乙女はそれを見ると、この不思議な友達に助けを請おうと思った。え、狼に向かって、「どうか後生だから、何か食べるものを持って来ておくれ。私は、お腹がすいて今にも死にそうです」と言った。すると、狼は、すぐに立ち上がって、どこともなく歩き去ったが、暫くすると、一匹の水牛の子を殺して、乙女の側に引きずって来た。乙女は火打石を取り出して、火を起こして、水牛の肉を炙った。それを食べると、いくらか元気が出たので、またとぼとぼと歩き出した。狼も黙りこくって、その後についてくる。そして、食べ物がなくなると、いつもどこからか水牛だの鹿だのを殺して、持って来てくれるのであった。こうして、乙女は、やっとブラックフィートの村に着いた。乙女は、自分の友達に狼を見せて、今までのことを詳しく話して聞かせた。人々は大変感心して、みんな狼を大切にした。

解釈

この話は乙女の名前が『戸のそば』であるあたりが鍵だと考えられる。戸のそばとはどこのことだろうか。そして、乙女を助けた狼は戸のそばだから助けたのだろうと思うが、それは何のためで、乙女だけなのかそれともブラックフィート族すべてなのか、このあたりが謎である。また、ブラックフィート族が鳥族と対立していたことも忘れてはならない。

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傷顔物語

あらすじ

ある所に『傷顔』と言う若者が住んでいた。小さいときに両親を失って、親類と言っては一人もなかったため、大変貧しい暮らしをしていた。しかし、力が強くて、大胆で、素晴らしい腕を持った猟師だった。年を取った人たちは、『傷顔』の姿を見さえすると、「よい若者だ。今に大した運がめぐってくる」と噂をしていたが、若者どもは、顔についている傷を指しては、何かとからかったり、悪口を言ったりしていました。しかし、その傷は大きな熊と組打ちをしたときに、爪で引っかかれた痕だったので、『傷顔』はからかわれても悪口をいわれても、決して恥ずかしいとは思わなかった。
その村の酋長に一人の娘があった。たいそう綺麗だったため、若者たちがみんな結婚を申し込んでいた。『傷顔』もひそかにその女を恋い慕っていたが、あまり貧しい暮らしをしていたので、思い切って、それを乙女に言い出す勇気がなかった。
ある日、『傷顔』は、酋長の家の前を通った。すると、戸口のところに、乙女が座り込んでいたので、流し目にその顔を眺めながら、通り過ぎた。すると、乙女に結婚を申し込んで手ひどくはねつけられた一人の若者が、早くもそれを見て取って嘲るような口調で「ははあ、『傷顔』がお頭の娘さんと結婚するか、あの娘さんは、顔に傷のない男が嫌いだと見える。おい、『傷顔』、お前の運がめぐって来たぞ」と言った。『傷顔』は、その若者の方を振り向いて、静かな、しかし威厳のある声で、「そうだ。私は、お頭の娘さんに結婚を申し込むつもりだ」と言った。『傷顔』は乙女の後を追って川の端に行った。乙女は籠をこしらえるために蘆を抜き取っていた。『傷顔』は、その側に歩み寄って、丁寧な口調で、「私は貧乏です。でも、私の心はあなたを愛する念で充満しています。私は、毛皮や乾肉などという財産は少しも持っていません。でも、弓と槍とで、どんな獣でも殺すことが出来ます。どうか、私の妻となって、私の家で一緒に暮らしてくださいませんか」と言った。乙女は、木の枝の間から覗きだす朝日のように、睫毛の間から輝いている目で、恥ずかしそうにじっと若者を見上げながら、「私の夫になる人は、決して貧しいことはありません。お父さんは金持ちで、家の中にいろんな物をたくさん持っていますから。でも、太陽の神様が私に結婚をしてはならぬとおっしゃったから、どうにも仕方がありません」と答えた。それを聞くと、『傷顔』はびっくりして、「それはどうも大変ないいつけですね。なんとかして、その言葉を引っ込めてもらうわけにはいきませんか」と尋ねた。乙女は「できないこともありません。太陽の神様を探し出して、結婚をしてはならぬという言葉を取り消してくださるようにお頼みなさい。そして、もし、太陽の神様がそれを聞き入れてくださったら、その証拠にあなたの顔にある傷を消してもらっていらっしゃい。そしたら、太陽の神様が私をあなたに下さったものと信じて、あなたのお嫁になりますから」と言った。若者は「太陽の神様が、こんな美しい乙女を自分のようなものに譲ってくださるはずがない」と思って、悲しくて堪らなかった。しかし、勇気を奮い起こして、どこと言うあてもなく、太陽の神様を探しに出掛けた。
若者は広い野原を横切ったり、深い森を通り抜けたり、高い山を越えたりして、幾日も幾日も、歩き回ったが、それでもまだ太陽の神様が住んでいらっしゃる家の黄金の門を見つけることができませんでした。若者は、熊や狼やその他いろんな獣に出会うたびに、太陽の神様の居所を尋ねたが、誰一人知っているものがなかった。最後に鼬に訪ねると、鼬は、「ええ、知っていますよ。私は、いつぞやそこに行ったことがありますからね。なんなら、私が連れて行ってあげましょうか」と言った。『傷顔』は、大変に喜んで、鼬の後について、また長い旅を続けることにした。そのうちに、大きな川の側に来た川は。、幅が広くて水が深くて、とても渡れそうになかった。『傷顔』は、川の岸に座り込んで、わが身の不幸を嘆いていた。すると、どこからとなく、二羽の美しい白鳥が現れて、『傷顔』を向こう岸に渡してくれた。それから、また暫く行くと、一張りの弓と数本の矢とが道に横たわっていたが、『傷顔』は、自分のでないので、手に取って見ることもしなかった。やがて、『傷顔』は、美しい姿をしてにこにこした顔をしている一人の若者に出会った。若者は、『傷顔』に向かって、「私は、弓と矢をなくしたんだが、お前さんは、こちらへ来る途中で、みなかったのですか」と尋ねた。『傷顔』は「ええ、見ました。ここからさほど遠くない所に落ちていましたよ」と答えた。それをきくと、美しい若者は「お前さんは、それに手を触れなかったのですね。ほんとに感心です」と言って、それから、「お前さんは、どこへ行っているんです。」と尋ねた。『傷顔』は「太陽の神様の家を探しているのです。もうここからさほど遠くないと思いますが」と言った。美しい若者は「そうです。もうすぐです。私は太陽の子で、暁の明星です。父のところに、連れて行ってあげましょう」と言った。暁の明星は、先に立って歩き出した。暫くすると、向こうに見える大きな家を指して「あれが父の館です」と言った。太陽の神様の館は、『傷顔』がいままで一度も見たことのないような飾り付けになっていて、眩しいほど黄金色の光を放っていた。館の入り口には、暁の明星のお母さんの月の女神がたっていた。月の女神は、『傷顔』を見ると、親切に館の中に迎えてくれた。館の中には、美しくて厳しい姿をした太陽の神様がすわっていらっしゃった。そして、『傷顔』を見ると優しい声で、「よく訪ねてくれた。私の家に逗留するがいい。私の子供と一緒に狩にでも出かけたらどうだ。」とおっしゃった。『傷顔』は、暁の明星と一緒に、喜び勇んで狩に出掛けた。二人が館を出ようとするときに、太陽の神様が、「決して大きな水のある所に近寄ってはならない。そこには荒々しい鳥が住んでいて、暁の明星を殺すようなことになるかもしれないから」とおっしゃった。しかし、いよいよ狩場に着くと、暁の明星は、お父さんから聞いた荒々しい鳥を殺そうと思って、そのそばに忍び寄った。が、たちまち鳥どものために体を掴まれて、今にもずたずたに引き裂かれそうになった。そこへ『傷顔』が駆けつけて来て、鳥を殺して、暁の明星の危うい命を助けてやった。
狩から帰って来た暁の明星が、このことをお父さんに話すと、太陽の神様は大変に喜んで『傷顔』に厚くお礼を言った後で、「いったいお前は何しにここに来たのかね」とお尋ねになった。『傷顔』は、自分が酋長の娘を愛していることや、愛している乙女が持ち出した結婚の条件のことを詳しく話した。すると、太陽の神様は、しきりに頷いて、「よろしい。それではあの乙女をお前に譲ることにしよう。そして、そのしるしにお前の顔についている傷をなくしてやろう」とおっしゃった。そして、光り輝く手が徐ろに動いたかと思うと、『傷顔』の顔についている醜い傷がすっかりなくなってしまった。若者は、喜び勇んで人間界に引き返した。そして、酋長の家に訪ねていくと、乙女は、若者を見知らないで、変な顔をして、じろじろと眺めているばかりだった。しかし、若者が自分の素性を明かすと、乙女は、喜びの叫び声を挙げて、若者の腕に抱かれた。まもなく二人は結婚をした。そして、生涯楽しく暮らすことになった。

解釈

傷顔と乙女の結婚に太陽の神様がかかわっている点が一番の鍵となっているが、乙女はなぜそのような言葉を太陽から受けたのだろうか。そして、傷顔は鼬によって、また白鳥によって助けられ最後は明けの明星と出会う。ここで、明けの明星と出会う前に弓矢が落ちているがそれを拾わないことに感心されているがなぜだろう。ここには自分のものと他人のものを見分けることが出来る力を試されているという解釈が浮かび上がる。それは酋長の娘は多くの男に言い寄られているという自他の分別が難しい存在であるからだろう。そこにはさらに太陽の神様が事実から逆算して判断を行うという性質を持っていることがうかがわれる。そして、明けの明星によって、その父の太陽の神様の家へたどり着く。ここで、太陽は言いつけを告げ、二人に狩に行くように命じる。言いつけは大きな水に近づかないことであるが、ここには太陽や明けの明星が鳥を恐れているというそぶりとそれが水によって引き起こされるということが現れている。つまり、太陽は大きな水によって鴉に食べられたのかもしれないという推測ができる。そして話の内容としては明けの明星を使って傷顔を試したのだと考えられる。太陽は明けの明星が鳥に襲われることが分かっていたのかもしれない。狩に太陽にとってピンチとなることがあったとしてもそれを共に乗り越える力があるかを試しているように思える。そして見事明けの明星を助けた傷顔は乙女を手に入れることになる。太陽は傷顔に何をしにここに来たのかと尋ねている。これは若者が自分の目的の通りにならない状況でもうまくやり退ける力を見ている。すなわち何をしに来たのかを尋ねたことで太陽がすべて知っていたことが醸し出されているのである。全体を通して見ると、この結婚もガンダールバ婚によるものと考えられるが、これは太陽が許可をする程の重要な役割を含む結婚と考えられる。

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鳥の羽根と星

あらすじ

ある夏の朝、『鳥の羽根』と呼ばれる美しい乙女が、家の外の草原の中に眠っていた。ふと目を覚ますと、暁の明星がちょうど地平線の上に昇っていた。乙女は「まあ、何という美しいお星さまだろう」と言って、我を忘れて暁の明星を眺めているうちに、恋しくて懐かしくて堪らなくなった。それで自分の側に眠っていた妹を揺り起こして、「私は暁の明星より他には誰のお嫁にもならないよ」と言った。村の人達は、それを聞くと、「なんという気まぐれな女だろう。お星さまのお嫁さんになれるものか」と言って、『鳥の羽根』を嘲り笑うようになった。『鳥の羽根』は、できるだけ村の人たちに会わないようにして、ただ一人森の中や野原の上を歩き回っては、始終暁の明星のことばかり思っていた。ある日、『鳥の羽根』は、水をくむために、とある川に出掛けて行った。そして、水を汲んで引き返そうとすると、一人の若い男が目の前に立っていた。『鳥の羽根』は、村の若者だろうと思って、物も言わずに、通り過ぎようとしますと、若い男は乙女を呼び止めて「私は、暁の明星だ。そなたがいつも私の顔を見詰めているのは、私を愛しているからであろう。私は、そなたを天上界の家に連れていきたいと思う」と言った。『鳥の羽根』は、自分に話しかけている男が、星の神様であるということを悟って、激しく身を震わせた。そして、おずおずした調子で、「ええ、御一緒に参りましょう。でも、人間界を離れる前に、お父さんやお母さんにお別れをしなくちゃなりませんわ」と言った。しかし、暁の明星は、「いや、そんなことをするには及ばない」と言いながら、髪の毛の中から、黄色い羽根を一本取り出して、乙女の右の手に握らせて、それから、柏の枝を一本取り出して、左の手に握らせた。そして、「さあ、そなたの目を閉じておくれ。私がよいというまでは、決して目を開けてはいけないよ」と言った。乙女は言われるままに、しかと双の眼を閉じた。と思うと、自分の体がふわふわと空中に浮かび上がるのを感じた。暫くすると、暁の明星が、「もう目を開いてもいいよ」と言ったので、こわごわ眼を開いてみると、いつの間にか天上界についていて、光り輝く大きな館の前に立っていた。「これが私の両親の太陽と月の館だ。さあ、中へ入るがよい」暁の明星は、こう言って、乙女の館の中に案内した。その時は、ちょうど昼間でしたので、太陽は空を周りに出掛けて行って、月だけが館の中に座っていた。
月は、『鳥の羽根』を見ると、「よく来た。可愛い私の家の嫁だ」と言って、鹿の毛皮でこしらえて、鹿の葉で縁を取った柔らかい衣を着せてくれた。夜になると、太陽が帰って来たが、これも大変親切にしてくれた。暫くすると、『鳥の羽根』は、かわいい男の子を生んだ。『鳥の羽根』はその子に『星子供』という名をつけた。月は『鳥の羽根』に一本の棒を渡して、「これを使ったら、あらゆる木の根や草の根を掘り取ることが出来る。でも、蜘蛛男の家の近くに生えている大きな蕪(かぶら)だけは、決して掘り取らないようにしておくれ。そんなことをすると、みんなの不幸になるから」と言った。
『鳥の羽根』は先の尖った堀棒を手にして、毎日のように木の根や草の根を掘りに出掛けた。そして、たびたび月から聞いた大きな蕪を見たが、いつも気を付けて、それに手を触れないようにしていた。しかし、ある日、どうしたのか、蕪の下には、何があるんだろうかと言うことが大変気になりだした。『鳥の羽根』は、とうとう子供を地の上に寝かして、蕪を掘り起こし始めた。掘っているうちに、棒が蕪に突き刺さって、どうしても取れなくなった。『鳥の羽根』は非常に困って、ふと空を見上げると、二羽の大きな鶴が頭の上に飛んでいた。『鳥の羽根』は、大きな声を出して、「鶴さん、鶴さん、早く助けておくれ」と叫んだ。すると、鶴は遥か空の上から魔法の歌を歌ってくれた。途端に、大きな蕪が掘りだされて、そのあとに大きな穴が現れた。それは暁の明星が、『鳥の羽根』を人間界から天上界に連れて来た時に通り抜けた穴で、暁の明星は、そのあとで乙女の目に着かないように、大きな蕪で塞いでおいたのであった。思いがけなく大きな穴が目の前に現れたので、『鳥の羽根』は、驚きあきれて、暫くの間ぼんやり突っ立っていたが、やがて、その穴から下を見下ろして見ると、遥か下の方に自分の村の人たちがずらりと立て並べているテントがはっきりと目についた。テントからは、煙がむくむくと立ち上っていた。そして女たちが仕事をしながら歌を歌う声が幽かに聞こえて来た。『鳥の羽根』は、人間界が恋しくて堪らなくなって、自分の家に駆け戻るなり、いつまでもいつまでも、忍び音に泣いていた。暁の明星は一心にそれを眺めていたが、やがて、悲しそうな顔をして、「お前はあの神聖な蕪を掘り取ったんだな」と言った。『鳥の羽根』は、月の女神のいいつけに背いたので、天上界に留まっていることが出来なくなった。暁の明星は乙女を連れて、蜘蛛男の家に行った。そして、「どうかこの乙女を人間界におろしてもらいたい」と頼んだ。蜘蛛男は大きな網を作って、その中に男女を包んで人間界におろしてやった。『鳥の羽根』は、天上界で産んだ男の子を大切に育て上げた。男の子は、すくすくと大きくなったが、『鳥の羽根』は、絶えず暁の明星のことを思って、塞ぎ込んでいた。ある日、『鳥の羽根』は、高い山の頂に登った。そして、暁の明星が現れて来るのを待って、東の空にry奥羽でを指し伸ばしながら、「どうかわたしをもう一度天上界へ連れて行ってください」と頼んだ。しかし、暁の明星は、頭を振って、「そなたが天上界の星の国から締め出されたのは、そなた自身の罪だ。そなたが言うことを聞かなかったばかりに、みんなが悲しい目に遇わなくてはならぬようになったのではないか。もうそなたを天上界に連れて行くわけにはいかない」と答えた。それを聞くと、『鳥の羽根』は、がっかりして、家に帰ったが、悲しさの余りまもなく死んでしまった。『鳥の羽根』の子の『星子供』は、親もなく親類もなくて、ただ一人貧しい暮らしを続けていた。彼の顔には、大きな傷がついていたので、村の人たちは『傷顔』という綽名(あだな)をつけて、嘲り笑っていた。『傷顔』は、酋長の娘を恋い慕いうようになった。そして、結婚を申し込むと、女は、笑って「その傷をご覧。私は、そんな恐ろしい顔をしたお十一子と結婚するのは嫌です。傷がなくなったら、一緒になってあげましょう」と言った。『傷顔』は大変い嘆き悲しんで、年を取った一人の魔法使いの女のところに行って、「どうしたら顔の傷が取れるでしょう」と尋ねた。魔法使いの女は「その傷は、太陽がお付けになったんだから、太陽でなければ取り除けることが出来ないよ」と答えた。それを聞くと、『傷顔』は、いよいよ嘆き悲しんだが、とうとう太陽の家を探し出そうと決心した。
山を越えて森を抜けて、道もない広野を歩いていると、大きな海の端に出た。『傷顔』は、岸に座り込んで三日の間断食をして、一生懸命にお祈りをした。三日目に、太陽が海の果てに沈むとき、一筋のきらきらと輝く道が太陽の家まで続いているのを見つけた。『傷顔』は、根気よくその道をたどって、とうとう太陽の館についた。『傷顔』は、夜中館の外に隠れていた。朝になって、太陽がその日のたびに出掛けようとすると、自分の館の戸口にぼろぼろになった衣をまとった男が寝ているのに気が付いた。太陽は、その男が自分の孫だとは夢にも知らないで、ただ人間界から紛れ込んだうさんな奴だとばかり思いこんで、「変な男がここに寝ている。殺してしまってやろう」と妻の月に言った。しかし、月は『傷顔』を可哀想だと思って、折から駆けだして来た暁の明星と一緒になって、「およしなさい。罪もない者を殺すのは可哀想じゃあありませんか」と言って止めた。『傷顔』は太陽の家に逗留することになった。そしてある日、暁の明星を殺そうとしている鳥を屠って、その命を助けてやったので、太陽は、大変に喜んで、「どうも有難う。お礼をしたいが何が欲しいかね」と尋ねた。『傷顔』は「ほかに欲しいと思う物もありません。顔の傷を取り除けてくださったらありがたいと思います」と答えた。太陽は、すぐに若者の顔から傷を取り去ってくれた。若者は大変に喜んで、銀河を伝って、人間界に降って来た。(アメリカインディアンは銀河のことを『狼の路』と呼ぶ。)そして、太陽から教わった太陽踊りを部落の人たちに教えてやった。人々がその踊りをすっかり覚え込むと、若者は、酋長の娘と結婚して二人で天上界の星の国に昇って行った。

解釈

話の展開としては前章の傷顔物語と同一のようである。しかしここでは傷顔の母である鳥の羽根が登場する。鳥の羽根が暁の明星と結婚し、約束を破ったためにその罪を息子の傷顔が背負うことになっている。太陽と月、それから星々はアメリカの神話では人間の努力によってその願いを叶えるようであるが、そこには人間が一貫した考えを持っていて、悪いところがないかどうか、と言うことが試されるようである。これは雷鳥とも関連しているようだ。
月が堀棒を渡したが、それや蜘蛛男やその近くの蕪は鳥の羽根とどのような関係があるのだろうか。ここで注意しておきたいのは、鳥の羽根が蕪を掘ったときに二羽の鶴に助けを求めているということである。そして、鶴は魔法の歌を歌っている。ここに鳥の羽根の罪が明確に示されていると考えられる。なぜ蕪だったかと言うことと蜘蛛男と言うのは、すなわち裏切ってしまった運命の相手がいたということと関係があるのかないのか、このあたりが定かではない。

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追いかける胴体

あらすじ

あるところに、一人の貧しい男が住んでいた。草の根や果物を取っては、妻と二人の子供とを養っていた。この男がある晩、不思議な夢を見た。夢の中で、どこからとなく声がして、「大きな蜘蛛の巣を見つけ出して、森の中の獣の通る道に張っておくがよい。そうすれば、いつもたくさんの食べ物を手に入れることが出来るから」と言った。男は、大変に喜んで、大きな蜘蛛の巣を見つけ出して、毎日のように森の中に入り込んでは、獣の通る道を探して、そこに蜘蛛の巣を張って置いた。獣どもは、蜘蛛の巣に気が付かないで、うっかりそれに引っかかると、どんなに身をもがいても、逃げ出すことが出来ませんでした。男は、それを殺しては、食べ物にしたので、だんだんと家が富んで来た。
ある朝、いつものように、蜘蛛の巣に引っかかった獣を殺して、肩にかけて帰って来ると、とある森の中で妻に出会った。妻は、どんどん火を燃やして、その中に松の枝を投げ込んで、煙と一緒に立ち昇る良い匂いを浴びていた。それを見ると、男は、「あんなに、おめかしをするところを見ると、もしかしたら情人がができたのかも知れない」と思った。しかし、妻には何とも言わないで、そのまま家に帰った。
翌朝になると、男は妻に向かって、「今日はずっと遠いところに蜘蛛の巣をかけるつもりだ。近くの森にいる獣どもは、もう蜘蛛の巣に慣れてしまって、なかなか引っかからなくなったから」と言った。そして、遠い所まで出掛けて行って、蜘蛛の巣をかけると、一匹の鹿が取れた。男はそれを殺して、いくらかの肉を家に持って帰った。そして、それを妻に渡しながら、「残りの体は残しておいたから、お前行って持って来ておくれ」と言った。妻の方でも、夫が自分を疑っているということに気が付いていました。それで、自分が出掛けて行ったら、きっと夫が後をつけて来るに違いないと思ったので、近くの小山の頂に登ると、立ち止まって、あたりを見回した。しかし、夫の姿はどこにも見えなかったので、山を降りて先へ先へと進んで行った。妻に見つからないように後をつけて来た男は、妻の姿が見えなくなると、今度は自分が小山の頂に登って、あたりを見回した。そして、妻がその近所にいないことを見極めると、家に帰って来て、二人の子供に向かって、「お母さんはいつもどこに薪を取りに行くのかね」と尋ねた。子供たちは、家から遠く離れていない枯れ木の森を指して、「お母さんは、いつもあそこに行くんだよ」と答えた。男は、すぐにその森に分け入って、あちらこちらを見回していると、響尾陀(きょうびだ)の穴が目についた。男はそれを見ると、「ははあ、あの女は響尾陀と仲良くなっているんだな。ひどい奴だ」と独り言を言いながら、たくさんの枯れ木を集めて、洞穴の前に積み上げた。そして、それに火をつけると、たちまち山嵐に煽られて、炎々と燃えあがった。洞穴の中の蛇は、苦しさにのたうち回っていたが、とうとう死んでしまった。男は、急いで家に帰って来た。そして、子供たちに向かって、「お母さんは怒って、きっと私やお前たちを殺そうとするに違いない。私だけは家に居残って、お母さんの帰りのを待っているから、お前たちは早く逃げ出すがよい。これを渡しておくから、命が危なくなったら、一つずつ後ろの方に投げ出すんだよ」と言って、一本の棒と一つの石と一束の苔とを渡した。二人の子供は、それを受け取ると、すぐに家から逃げ出して行った。そのあとで男は、家の入口に大きな蜘蛛の巣を張って置いた。女は、自分が毎日のように入っていく枯れ木の森から炎々と日が燃え立っているのに気が付いた。女は「夫の仕業に違いない。にくい人だ。仕返しをしてやらなくてはならない」と言って、家の方に駆け戻って来た。そして、大急ぎで戸口から飛び込もうとして、蜘蛛の巣に引っかかった。女は驚いて、一生懸命に体をもがいていると、やっと首だけが、蜘蛛の巣から出た。と待ち構えていた夫が、石の斧でその首を切り落として、一散に逃げ出した。
女の胴体は、男を追っかけるし、首はころころと地面を転がって、二人の子供を追っかけた。子供たちは一生懸命に逃げて行ったが、暫くすると、首に追いつかれそうになったので、棒を取り出して、自分たちの後ろに投げ出した。途端に、大きな森が現れて、首の行く手を断ち塞いでしまった。首は大変腹を立てて、あちこちに転がり、やっと森を通り抜けた。そして、また大急ぎで子供たちを追っかけて来たので、子供たちは石を取り出して、後ろに投げ出した。とたちまち首の前に大きな山が現れた。首は、それを乗り越えることが出来ないので、近くに草を食っていた二匹の子羊に向かって、「山の中に道をこしらえてくれ。そしたら、羊のお頭のお嫁さんになってあげるから」と言った。それを聞くと、羊どもは、勢い激しく山にぶつかって行った。しかし、山はびくともしなかった。そのうちに、二匹とも角が折れてしまって、どうすることもできなくなってしまった。それを見ると、首は腹を立てて「お前たちでは駄目だよ」と言って、今度はそこらに這いまわっている蟻の群れに声をかけて、「山の中にトンネルをこしらえておくれ。そしたら、蟻のお頭のお嫁になってあげるから」と頼んだ。それを聞くと、蟻どもはすぐに仕事にとりかかって、とうとう一つのトンネルを作り上げた。首は、そのトンネルを抜けて、子供たちの後を追っかけて来た。子供たちは、、歯を食いしばって、目玉をくるくるさせながら、追っかけて来る首を見ると、大急ぎで、苔の束を取り出した。そして、水に溶けて、滴を地面に垂らすと、たちまちそこに大きな海が現れた。首は、前後を忘れて転がっていたので、思わず海の中に落ち込んで、そのまま死んでしまった。
子供たちはやっと安心して、筏をこしらえて、新しく現れた海を渡って、自分の村に引き返すことにした。幾日も幾日もかかって、やっと自分の村に帰って見ると、そこには、いつの間にか、見知らぬ人たちが住んでいるようになっていた。二人の子供は「誰も知っている人のいない所に住んでもつまらない。どこかほかのところに行くことにしようじゃないか」と言って、一人は北の方に行き、一人は南の方に行った。北の方に行った子供は、利口で素早かったのですが、南の方に行った子供はのろまで愚かだった。それで、北の方に行った子供は、そこに住んでいた白人たちにいろんなことを教えたが、南の方に行った子供は自分の子孫であるブラックフィート族に何も教えることが出来なかった。だから、白人はブラックフィート族よりも知恵が多くなった。
女の胴体は、どこまでもどこまでも男を追っかけて来るので、男は堪り兼ねて、天空に逃げ昇った。すると、女の胴体は続いて天上界にやって来て、やはり男を追っかける。男は太陽で女は月である。もし女が男に追いついて殺してしまったら、永久に夜になってしまう。しかし、男がうまく逃げ延びている間は、夜と昼とが代わる代わる現れるのである。

解釈

この話は多くの神話と関連がありそうである。まずオキナイの話に近い物を感じた。そして、女は響尾陀と関係を持っているという描写があるが、響尾陀はガラガラヘビという。ここでは女が明らかに夫を裏切っているが、そこに至る前には蜘蛛の巣を男が手に入れている。アフリカの神話に神格をへこませた蜘蛛の話がある。蜘蛛はアフリカとアメリカの間の関係を解くカギかもしれない。また蜘蛛はインドネシアでも世界創造の時に存在しているとされている。そして、女の素性は蛇と鷲の関係の中にも表されているようなもので、こちらもポリネシアやオーストラリアの神話と密接な関係があるようである。またここに描かれる男女は太陽と月と言うことであるが、太陽と月にそもそも性別があるのかと言うとそれは無いとする方が正しいと考えられる。と言うのも神話の体系によって太陽と月は男とも女とも描かれているからである。ここにオメテオトルやシジキーを思わせる力が太陽と月に備わっている可能性を見るのである。それは太陽と月の運航において様々に変化し、その変化に応じてあらゆる存在を産んでいるというのが筋の通った予測である。そして、それらはおそらくは星であり、またはその後第五の日に生まれた動物であるかもしれない。そして、この神話は白人とブラックフィート族との違いを物語るために太陽と月の子供が利口な者と愚かな者とに描かれている。ここには白人によって回答を得た感じも含まれるかもしれないが、この話の出所を見なければ定かではない。しかし、北に行った兄弟はこの太陽と月の関係を見事に表現したのかもしれない。もし、それが最古の太陽と月の話であれば、ここにヨーロッパ特有の太陽と月への観念が人間を賢く導く引き金となっていると言えそうだ。しかしこれはあくまで理性という点ではある。太陽と月は様々な神話に表現されるように、その土地の人々に対して必要な現れ方をしているのであろう。中国の神話には太陽が分裂した話もあるが、これはアメリカで太陽が一度水の中に沈んだことを指しているようにも思う。
一番気がかりなのは、太陽はかなり偉大なシンボルであるにもかかわらず、物語の初めに太陽に夢で蜘蛛の巣を使って狩をするように告げられているということである。星々に関する神話と対比せざるを得ないのはいつでもエノク書であるが、一度、星の運航に関して様々な神話のその分布と太陽と月の種類、星の種類をまとめることが必要と思う。

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ナピと水牛盗人

あらすじ

ある時ブラックフィート族の間に、大飢饉が起こった。五、六か月も引き続いて水牛が一匹も取れなかったので、みんな食べ物がなくなってしまった。そして、体の弱い者は、一人一人と死んで行き、体の強い者も、日毎に瘦せ衰えて行った。酋長は見るに見かねて、創造神ナピに向かって「どうか食物を与えてください。そうでなければ、ブラックフィート族は、今に死に絶えてしまいます」と熱心にお祈りをしていた。ナピ神は派手な色に染めた鳥の羽根の衣をまとって、遥か南の方に旅をしていたが、酋長の祈りの声を聴くと、急いで引き返して来て、「私を呼んだのは誰だ」と尋ねた。酋長は恭しい口調で、「私がお呼びしました。人々は、みんな飢えています。髪のお助けがなかったら、一人残らず死んでしまわねばなりません」と答えた。ナピ神は「よろしい。食べ物を与えることにしよう。お前たちのために獲物を連れて来てやろう」と言って、酋長の息子を連れて、西の方に出掛けて行った。酋長の息子は、ナピ神の後について歩きながら、絶えず太陽や月や暁の明星にお祈りをしていた。ナピ神は「静かにしろ。そんなに焦っても駄目だ」と言って、どんどん歩き続けた。そのうちに、とある川の端に建っている小さい家の側に来ると、急に酋長の息子を呼び止めて、「お前たちの不幸の原因は、ここにあるんだ。あの家の中に住んでいる男が、お前たちの水牛を盗んだのだ。うまく謀を巡らして、水牛を取り返さなくてはならない」と言った。そして、首長の息子を棒に変えて、それから自分は犬に姿を変えた。すると、そこへ水牛盗人の息子が通りかかって、一緒に歩いているお母さんに、「お母さん、かわいい犬でしょう。家に連れて行きましょう」と言った。お母さんは「ええ、そうしなさい。私はこの棒を拾っていくから」と言った。母子が犬と暴徒を家の中に持ち込むと、水牛盗人は、怒って顔をしかめて、「その畜生の顔つきが気に食わぬ。早く叩きだしてしまえ」と言ったが、息子は犬に抱きついて、どうしても放さなかった。と今度は妻に向かって「その棒が気に食わない。早く放り出してしまうがいい」と言ったが、妻も大事に棒を抱えて、「嫌ですよ。これは草の根を掘るのにほんとに都合のよい棒ですもの」と言って、夫のいうことを聞かなかった。
朝になると、母子は森の中に出掛けて行った。母は、草の根を掘るために棒を持っていき、息子は、遊び相手に犬を連れて行った。ところが、二人が森の中で一生懸命に草の根を探している間に、犬と棒とが見えなくなった。犬は、あちらこちらと駆け回っているうちに、茂った草に隠れている一つの洞穴を見つけた。草の間からそっと覗いて見ると、洞穴の中には、沢山の水牛が入っていた。犬は「あの男は、ブラックフィート族の水牛を盗んで、ここに隠しているんだな。今に見ろ、見事に仕返しをしてやるから」と思って、短く鋭い声で吼え立てた。棒はその声を聴くと、「やあ、犬が吠えている。何か見つかったんだな」と蛇のように体をうねらして、犬のいるところに転んで行った。犬は、棒を見ると、「さあ、これから洞穴の中の水牛を追い出すんだ」というなり、穴の中に駆け込んで、激しく吠えたてた。棒も続いて転げ込んで、やたらに水牛の足を叩いたので、水牛どもはびっくりして、洞穴から飛び出した。暫くすると、水牛盗人がそれに気が付いて、真っ赤になって怒り出した。そして、妻や息子を睨み付けて、「洞穴の中の水牛が見えなくなったよ。多分お前たちがどうかしたんだろう。」と怒鳴ったが、妻も子供も「私たちはちっとも知りませんよ」と答えた。水牛盗人は「それじゃ、あの子犬の仕業だ。あいつはどこにいる」と水牛盗人が尋ねた。息子は「私は知りませんよ。森の中で出し抜けに見えなくなったんですもの」と答えた。水牛盗人はいよいよ腹を立てて、「どうしてもあのやくざな犬を見つけ出して、殺してしまわなくてはならぬ。それから、あの棒を叩き折ってやるぞ」と叫び続けていた。ブラックフィート族は、水牛の群が自分たちが住んでいる野原に帰って来たので、大変に喜んで、大きな囲いの中に追い込もうとした。すると、どこからとなく灰色をした一羽の大鴉が現れて来て、けたたましい声で啼き立てた。水牛の群れは、その声を聴くと、ひどく怯えて、なかなか囲いの中に入ろうとしなかった。ナピ神は、それを見ると、「あの灰色の大鴉がども怪しい。水牛盗人が姿を変えて‎やって来たの違いない」と思った。そこで川獺に姿を変えて、とある川の端に横になって、死んだふりをしていると、早くも大鴉がそれを見つけて、空中から舞い降りて来て、いきなりその体を掴もうとした。その刹那にナピ神が跳ね起きて、大鴉の脚を引っ掴んだ。そして、家の中に持ち込んで、煙出しの上に縛り付けた。みるみる灰色の羽根が煙に包まれて、真っ黒になった。鴉は苦しくて堪らないので、大声を挙げて、「助けてください。助け手ください。妻子のところに返してください。そうでなければ、二人は飢え死にをしてしまいます」と叫んだ。それを聞くと、ナピ神は可哀想だと思って、「じゃ、許してやろう。でも、お前たち三人が入用なだけの獣を殺すがよい。ブラックフィート族の水牛を盗んだりなんかすると承知しないぞ」と言って、大鴉を許してやった。大鴉は煙にいぶされたので、今でも真っ黒い色をしている。

解釈

ブラックフィート族の水牛を鴉が奪ったという話となっている。ここではなぜ水牛が鴉につかまったのだろうと考えるのであるが、これは非常に深い理由がありそうだ。すなわち、シベリアのタンゲンの話から遡って、また、白い鳥が黒い鳥になったということまでを含んでいる。さらには、それが理由で、水牛はイマの囲繞地に入れなかったという可能性も浮かんでくる。これは単に食べ物を奪うために水牛が盗まれたのではなく、むしろ、このような一連の神話上で、鴉は水牛にその囲いに入らないように仕向けたという方が正しいと思う。ここで、ブラックフィート族は尾長狼と関連があるかもしれない。さらにはここでの話の大筋である創造神ナピの存在が気になる。ナピは何を司る神だろうか。手がかりは犬に化けていたことだろうか。
しかしここではこれ以上有力な証言は得られていない。しかし、鴉とその家族が犬と棒に関して罪を働いたのだとしたら、一つにインドネシアの投げ棒と、猿から連れ去られた犬、というキーワードが浮かび上がる。これらの理由から、鴉が水牛を囲うことが叶わない、というとらえ方が碇石であるように思われる。

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恩知らずの婿

あらすじ

昔ミスーリ川の岸に年を取った夫婦が住んでいた。二人の間には、ただ一人の女の子があるだけだった。女の子が大きくなると、一人の男と結婚をした。老夫婦は、大変娘を愛していたので、自分たちの持っているものを、みんな持参金に持たせてやった。だから、若い夫婦は、大変な金持ちになったが、年寄夫婦は貧しくなってしまって、小さい家の中に食うや食わずで暮らさねばならなくなった。ところが、婿はひどい恩知らずで、いつも老人をひどく使いまわしていた。狩に引っ張り出しては、やたらに働かせて、獲物はほとんどみんな自分だけで持ち帰るという風であった。だから、年寄夫婦は、いつもお腹がすいて、いつも寒さに震えていた。娘がそれを見かねて、夫の留守を選んでは、少しばかりの肉を持って来てやっていたが、夫は、それを見つけると、いつもひどく叱りつけていた。
ある日、婿はいつものように、嫌がる老人を引っ張り出して、水牛狩に出掛けた。まもなく一匹の見事な水牛を見つけ出して、二人が一斉に矢を放ったが、婿の矢は横に逸れて、老人の矢がそれを射殺した。それを見ると、婿は荒々しい声で、「早く皮を剥いでおくれ。何をぐずぐずしているんです」と叱りつけるように言った。老人は、地面に座り込んで、水牛の皮を剥いでいると、そのそばに血に染まった自分の弓の矢落ちているのに気が付いた。老人は、それを拾い上げて、箙(えびら)に差した。「早く火を起こしてくれ」と言った。火が起きると、老人は、その上に鍋を乗せた。妻は、夫が鍋の中に肉を入れるに違いないと思って、ほくほく喜んでいると、老人は、一本の矢を取り出して、その中に入れた。妻はがっかりして、「どうしたのです。肉は持ってこなかったんですか」と尋ねた。老人は、悲しそうな顔をして、「肉はいつも通り婿がみんな持って行ってしまったんだよ。でも、この矢煮たら、きっと何かよい者が現れるに違いないよ」と言った。妻は変に思いながら、鍋の中の水が沸くのを待っていた。暫くすると、鍋の中で怪しい声が聞こえたので、急いで蓋を取ってみると、一人の赤ん坊が大きな声で泣いているのであった。老人は、急いでそれを抱え上げて、「きっとこの子は、私たちに幸福を与えてくれるよ」と言って、その子にクトイス(Kutoyis「血の滴」と言う意味)と言う名をつけた。老人は、妻に向かって、「子供が生まれたことを話さなくてはなるまいが、男の子と言ったら、殺してしまうに違いないから、女の子だと言っておこう。」と言った。妻もそれに同意して、婿には女の子が生まれたと話したので、婿もそのまま見逃しておいた。
クトイスは、大きくなるにつれて、村の人たちから可愛がられるようになった。ある日、クトイスは、老人夫婦向かって、「私を家の柱に吊るして、鞭でひっぱたいてください。すると、瞬く間に大人になりますから」と言った。老人夫婦は、驚き怪しんで、暫くの間呆気に取られていたが、やがて、言われるままに、クトイスを柱に吊るして、鞭でひっぱたいた。と思うと、クトイスは、自分の体を縛ってあった綱を断ち切って、大きな男となって、老人夫婦の前に突っ立った。そして、家の中を見回しながら、「食べ物が少しもないではありませんか。弓の矢をください。食べ物を手に入れてきますから」と言った。老人は悲しそうな顔をして、「弓の矢は、一本もないんだよ。あるのは矢の根ばかりだ」と答えた。すると、クトイスは家の外に出て、木の枝を切って来た。そして、立派な弓をこしらえて、それから数本の矢を作って、それに矢の根をはめた。そして、老人に向かって、「私は、狩場を知りません。どこか良い狩場に連れて行ってください」と言った。そこで、老人が獣のたくさん住んでいる森の中に連れて行くと、クトイスは、すぐに一匹の大きな水牛を射殺した。老人はクトイスの手助けをして、水牛の皮を剥ぎながら、自分の婿が自分たちをひどい目に遇わせるということをこまごまと話して聞かせていた。すると、噂の主の婿が向こうからやってくるのが目についた。老人は、そっとそれを指さしながら、「あそこに来ているのが、私の婿だよ」と言った。それを聞くと、クトイスは急に身を起こして、水牛の屍の後に隠れて、じっと様子を見ていた。暫くすると、婿の起こったような声が聞こえた。しかし、老人もクトイスも黙っていた。すると、婿は、弓に矢をつがえて、老人目掛けて切って放した。それを見ると、クトイスは、「自分の親に弓を引くとは不届き至極だ」と怒り出して、水牛の屍の後ろから飛び出して来た。そして、婿をめがけて、続けざまに矢を射放ったので、婿はたちまち大地に射倒されてしまった。老人の娘は、夫が亡くなったので、たいそう嘆き悲しんだ。クトイスは、それを慰めて、「あんな悪い男は、死んだってかまわないじゃありませんか。新しくお婿さんを迎えたらよいでしょう。それともなくなった男の後を追って冥府へ行きますか」と言った。女は、冥府に行くのが嫌だったので、新たに婿を迎えることにした。クトイスは、老人夫婦と一緒に暮らしていたが、暫くすると、なんの変化もない生活に空いてしまって、「もっと広い世間を見ることにしよう」と言って、どこともなく出掛けて行った。そして、とある村に来ると、二人の年取った女が、自分たちの家にクトイスを呼び入れて、水牛の肉をご馳走に出した。女たちは一番良い肉を出したつもりであったが、クトイスには、ちっとも旨くなかったので、「このあたりには、よい肉がないのですかね」と尋ねた。すると、女たちは、悲しそうな顔をして、「この村に一匹の乱暴な熊が住んでいて、よい肉は、みんな自分の物にしてしまって、干からびたまずい肉だけを近所の者に分けてやるのです」と答えた。それを聞くと、クトイスは、すぐに野原に出掛けて行って、一匹の水牛の子を殺して来た。そして、二人の女に向かって、「この水牛の肉の一番良い所を、熊の目につくような高いところに並べて置いて下さい」と言った。女たちは、すぐに家の外の小高いところに水牛の肉を並べた。と間もなく熊の子が、その側を通りかかって、いきなり肉をつかみ取ろうとした。物陰に隠れていたクトイスは、それを見ると、いきなり飛び出して来て、熊の子をひどく殴りつけた。熊の子は、家に逃げ帰って、親熊にそのことを話した。親熊はたいそう腹を立てて、親類の熊どもをすっかり呼び集めて、クトイスを殺すために、年を取った女の家に押し寄せて来た。クトイスは、びくともしないで、続けざまに矢を放って、沢山の熊を一匹も残らず射殺してしまった。女たちはその勇気に感心して、心から誉め立てたが、クトイスは、平気な顔をして、「いや、これくらいではまだ腕がなって仕方がありません。どこかにほかに村はないんでしょうか」と尋ねた。女たちは「ここから少し離れたところに大きな川があって、その皮の端に村が一つあります。でも、そこに行ってはいけません。質の悪い女がその村に住んでいて、旅人さえ見ると、相撲を挑んで投げ殺してしまうんですから」と言った。クトイスはそれを聞くと、「そんな者がいる村なら、なおさら訪ねて行かねばならない。私の役目は人間に仇をする悪い者を減らしてしまうことですから」と言って、女たちが富めるのを振り切って、出掛けて行った。大きな川の端の村に来ると、果たして一人の女が現れて、「よく来ましたね、一つ相撲を取りましょう」と言った。クトイスは、わざと怖くて堪らないというような風をして、「いや、私には、相撲なんか取れません」と言った。女はそれを聞くと、いろんなことを言ってクトイスを嘲ったが、クトイスは、それを耳にも入れないで、熱心に村の様子を探っていた。村の入り口の所に、鋭くとがった火打石の破片をたくさん撒き散らして、その上に草を被せてあるのが目についた。「ははあ、女はこの上に相手を投げ倒して、殺してしまうんだな。よし、俺が女をここに投げ飛ばしてやろう」クトイスはこう思って、「よろしい。それじゃ一番相撲を取りましょうかな」と言って、いきなり女に組み付いた。女は、非常に優れた力を持っていたが、クトイスは、一層剛力でした。二人は、一生懸命にもみ合っていたが、そのうちに、女の方がだんだんと疲れてきて、火打石のかけらの上にどうと投げ倒された。女は火打石のために、大けがをして、まもなく死んでしまった。村の人たちは悪い女が死んでしまったので、みんなたいそう喜んで、クトイスを尊び敬うようになった。

解釈

まず、老夫婦の娘の婿はなぜ自らの義理親である老夫婦を痛めつけたのだろうか。ここにはすでに手遅れとなった家族の形を見出しうる。と言うのも老夫婦が生んだのは娘であって、また、その婿をなぜ諭さないのだろうか。ここに老夫婦の落ち度を見出すことが出来るが、本来的には義理の親子でも本当の親のようにふるまうべきである。そして、娘はそのようなひどい婿でもいやともいわずに自ら喜んで奉仕をしているような記述が見える。ここには娘の落ち度も見える。このように心の矛盾するような家庭環境がますます確信に至るのはクトイスが生まれたことにある。と言うのは年老いてから男の子が生まれているという点で、さらには英雄児的な人格を持っているということである。確かに先にクトイスを産めばよかったと言えるかもしれないが、それが叶わなかった点に老夫婦の抱える先祖からの罪が隠れていると言えよう。すなわち、老夫婦はクトイスを産むために婿にいじめられていたということであり、また、クトイスを産んで報われ、その罪が贖われている。ここまでは両親やその一族にまつわる話である。
もう一つ、この話の主人公であるクトイスについてであるが、クトイスは姉の婿を殺したあと、年をっ取った女に水牛の肉をご馳走になっている。これは、クトイスが急に大人になったという描写と重なり、クトイスが年齢以上に大人であったということが見受けられるのである。これは、非常に明治期の日本の文豪と近い問題を抱えているという表れである。そして、熊を退治した後には力の強い女を相手に相撲をしている。これはドイツのグンテル王の妻となったブルンヒルドの問題を含んでいるように思える。ここから察するには明治期の日本文豪と戦時期のドイツの問題は共に助け合うような文化的な関係を持っている可能性を思い浮かべる。また、それはこの神話もしかり、ロシアのドストエフスキー(白夜のみであるが)の知るようなものとも関連があるため、またそのような文化がロシアにあると考えるためにロシア文化ともこの神話を対比せざるを得ないという予想をするのである。しかし、この手の話は北アメリカには少ないため、アメリカにおいてはそれが明確になるには特殊もしくは長い年月がかかるのかもしれない。

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スー族の神話伝説

イクチニケと兎

あらすじ

太陽神の息子にイクチニケというのがあった。あるとき、悪いことをしたために、太陽神の機嫌を損ねて、天界から追い出された。イクチニケは人間世界に降って悪戯をしたり、嘘をついたりして、その日を送っていた。ある日、イクチニケが一匹の兎に出会った。イクチニケは親しそうに声を掛けて、「おい、兎、一つ私に加勢してくれないか」と言った。兎はイクチニケを見上げて、「いいですとも、できるだけのことをしてあげましょう。ところで、どんなことをしてもらいたいというのですかね」と尋ねた。イクチニケは、青空に輪を描いてふるまっている一羽の鳥を指しながら、「あれを射落としてもらいたいね」と言った。兎は弓に矢をつ挙げて切って放した。体を射抜かれた鳥は、石ころのように落ちて来たが、途中で大きな木の枝に引っかかった。それを見るとイクチニケは「困ったな。お前、あの期に登って、獲物を取り下ろして来ておくれ」と言った。兎は初めの内は、「嫌ですよ」と言っていたが、あまり責め立てられるので、着物を脱いで木に登って行った。しかし、鳥を取り下ろそうとしているうちに、曲がりくねった木の枝に体を挟まれて、身動きもできなくなってしまった。それを見ると、イクチニケは兎の着物を着込んで、「兎、さようなら。まあ、ゆっくりしているがいい」と言いながら、そこを立ち去った。そして、近くの村にやってくると、一人の酋長に出会った。主張には二人の美しい娘がいた。イクチニケは首長に話して、姉の方と結婚をすることにした。酋長には二人の美しい娘がいた。イクチニケは酋長に話して、姉の方と結婚をすることにした。すると、妹が怒り出して、「私だって姉さんに負けないほど綺麗なのに、あの人は私にかまわないで、姉さんと結婚をしてしまった。本当にひどい人だ。こんなに恥をかかされては、じっとしていられないわ」と言って、森の中に入り込んでしまった。そして、ぷんぷん起こりながら、あちらこちらを歩き回っていると、高い所から、自分い呼びかけた者があった。驚いて上を見上げると、裸になった兎が木の枝に挟まれて、しきりに身をもがいていた。乙女は可哀想だと思って、木の枝を切り落としてやった。兎は、大地に降りて来て、「お前さんは、どうして一人でこんなところにうろついているのです」と尋ねた。乙女は、わが身の不幸を詳しく話して聞かせた。すると、兎は目を丸くして、「その男ですよ。私をだまして、木の上に置き去りにしたのは」と言った。乙女は「では、一緒に私の家に来ておくれ。あの男に仕返しをしたいんだから」と言って、兎を連れて、酋長の家に帰ることにした。人々はそれを見ると、「なんだ、変な友達を連れて来たね」と言って、乙女を嘲り笑った。しかし、乙女はそれを我慢して、ひたすら仕返しをする機会を狙っていた。
ある日、一羽の鷲が空を舞っていた。イクチニケはそれを見ると、すぐに矢を放ったが、矢はとんでもない方に逸れてしまった。兎はからからと笑いだして、「どうもまずいね。私の手際を見ておくれ」と言いながら、一矢で鷲を射落とした。その後は、毎日一羽の鷲が現れるようになった。そして、イクチニケがそれを射損なうたびに、兎がからからと笑っては、見事に射落として見せるのだった。それをみると、乙女は大変喜んで、「兎さん、有難う。これでやっと仕返しが出来ましたわ」と言った。兎は「いや、私はまだこれくらいでは腹が癒えませんよ」と言って、インディアンたちを呼び集めた。そして、どこからかたくさんの太鼓を持って来て、それをインディアンたちに渡して、「さあ、それを叩いて後れ」と言った。インディアンたちが対尾子を叩いたかと思うと、傍らにいたイクチニケの体が出し抜けに空高く飛び上がった。あんまりひどく飛び上がったので、骨と言う骨が折れてしまうような気がした。イクチニケは驚き恐れてインディアンンたちに向かって「よしておくれ、よしておくれ」と叫んだ。すると、兎は「止してはいけぬ。もっとひどく叩いておくれ」と言った。インディアン達は、今までよりも一層力を込めて太鼓を叩いた。すると、イクチニケの体は、雲の中まで飛び上がった。そして、大地に落ちてきた途端に、首の骨を折ってしまった。

解釈

太陽神の息子イクチニケは誰だろう。例えばバビロニアの太陽神シャマシュと関連付けられるメロダック、マルドゥークに似ているが、メロダックはどちらかと言うと、正義を志向する神だと思われる。しかし、どうしても切り離せないのはやはりレメクとの関係である。また、ここでは兎をだまして、また、酋長の娘姉妹の姉を娶っているが、妹は娶らなかった。この点では逆に一夫多妻とならない性質を持っているのかもしれない。聖書ではラバンが姉のレアから嫁に出している点を見ても、年上から嫁入りに行くというのは正しいように思える。しかし、ここでは妹は姉に嫉妬をしている。この話は少しレアとラケルの関係に近いように思える。イクチニケはヤコブと関係があるかが、要となりそうだ。そうすると、タンムズと言う可能性もありうる。タンムズは春の太陽とされている。兎の仕返しによって空高く飛ばされて、地面に落ちて首の骨を折っているが、このような性質は少々滑稽味を帯びていて、神格らしからない。

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イクチニケとみさご

あらすじ

ある日、イクチニケが足を痛めて跛を引きながら歩いていると、一羽のみさごに出会った。「いい所で出会った。後生だから、私を載せて帰っておくれ」イクチニケがこういうと、みさごは快く承知して、翼の間にイクチニケを座らせて、勢いよく飛び出した。
どんどん空を飛んでいたみさごは、空洞になっている一本の木の側に来ると、その上をぐるぐる回り始めた。イクチニケは気を揉んで、「こんなところにぐずぐずしないで、早く飛んで行っておくれ」と言った。とたんに、みさごが体を捻ったので、イクチニケはみさごの背から放り出されて、真っ逆さまに大地の上に落ちて来た。そして、空洞に挟まって、身動きもできなくなってしまった。
イクチニケは惨めな様子をして、長い間空洞の中に倒れていた。そのうちに大勢の狩人たちが木のそばを通りかかった。イクチニケは「しめた。あいつらをだまして、空洞から出ることにしてやろう」と言って、身にまとっていた洗い熊の皮についている尻尾を木の割れ目から外へ差し出した。すると、狩人の中に交じっていた三人の女が、目ざとくそれを見つけて、「あれ、あそこに洗い熊がいるよ。生け捕りにしてやろう」と言いながら、一生懸命になって木の割れ目を大きくした。そのうちに、イクチニケは体が自由になったので、いきなり空洞の中から飛び出して、驚きあきれている女たちを後にどんどん駆けだしてしまった。「みさごの奴、ひどいことをした。いまに仕返しをしてやるぞ」イクチニケはこう言って、大地の上に倒れて死んだふりをしていた。すると、鷲や鷹などが荒い熊が死んでいると思って、その肉をつつきになって来た。イクチニケは「お前たちでは駄目だ。私はみさごに用があるんだ」と独り言を言いながら、なおも死んだふりをしていた。暫くすると、みさごがやって来て、イクチニケの体をつつき始めた。途端に、イクチニケが跳ね起きて、みさごの体を掴んだ。そして、「いつぞやの仇だ。覚悟しろ」と言いながら、その頭から羽根をむしり取ってしまった。だから、今日でもミサゴの頭には羽根が少しも生えていない。

解釈

イクチニケを空洞に落としたみさごはなぜイクチニケを空洞へ閉じ込めたのだろうか。その仕返しにみさごの頭の羽根をむしり取ったイクチニケは特に何かを考えて居た様子もなく、単純な復讐心を持っていただけのようである。この話からは特に特殊な意味を見出すことができそうにない。

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イクチニケと祖父

あらすじ

イクチニケが海狸族の娘を娶って、とある家に暮らしていた。ある日、イクチニケはお嫁さんに向かって、「私はお前のお祖父さんの家に行ってくるよ」と言った。そして、お祖父さんの家に行ってみると、長い間食べ物が手に入らないで、家中の者が飢え死にをしそうになっていた。しかし、せっかく訪ねて来たお客に食べ物一つ出さないでは、みんなの恥になると思ったので、一匹の海狸がみんなに向かって、「どうかわたしを殺して、イクチニケさんに食べさせておくれ」と言った。家族の者は仕方がないので、その海狸を料理して、イクチニケの前に並べたてた。イクチニケがそれに手を付けようすると、家族の者は、「どうか遠慮なく食べてください。でも、気を付けて骨を折らないようにしてください」と頼んだ。イクチニケは承知したが、食べているうちに、思わず足の指の骨を一つ折ってしまった。食事が住んで、イクチニケが寝床に入ると、主人の海狸が、散らばっている骨を集めて、毛皮の中に包んだ。そして、家のそばを流れている川の中に取り込むと、たちまち若い海狸が生き返って、水の中から現れて来た。それを見ると主人の海狸が、「どうだね、どこも悪いところはないかね」と尋ねた。すると、若い海狸は顔をしかめて、「お父さん、足の指が一本折れているんですよ」と答えた。イクチニケは暫くの間、お祖父さんの家に逗留した後で、暇を告げて帰ることになった。が、家を出るときに、わざと置き忘れたようなふりをして、自分の煙草入れを残しておいた。主人の海狸は煙草入れを見ると、「イクチニケさんが忘れて行ったんだろう。早く追っかけて渡してやるがいい」と言った。一匹の若い海狸がすぐに煙草入れを掴んで、駆けだそうとすると、主人の海狸は急にそれを呼び止めて、「イクチニケさんは、悪戯者だ。そばによると、どんなことをするかもしれん。遠くから投げてやるがいい」と戒めた。若い海狸はやがて、イクチニケに追いついた。そして、父に教わった通り、遠くから煙草入れを投げてやろうとすると、イクチニケが、「もっとそばに来ておくれ、もっとそばに来ておくれ」と言った。仕方がないので、その側に歩み寄ると、イクチニケは若い海狸に向かって、「帰ったらお父さんにそういんだよ。近いうちに私の家を訪ねて下さいとね」と言った。若い海狸が帰って父にそのことを話すと、主人の海狸は眉をひそめて、「あの男は、そんなことをいうだろうと思っていたんだ。だから、お前にあの男に近寄ってはならんと言ったではないか」とうめくように言った。しかし、招待を断るわけにもいかないので、二、三日たってから、イクチニケの家を訪ねることにした。
イクチニケのお祖父さんは、イクチニケをもてなすために、自分の子供を殺したのですからイクチニケも自分の子供を殺してお祖父さんをもてなさねばならないのであった。しかし、どうしてもいったん子供を殺したら、生き返らせることが出来ないので、わざと、ひどく子供を殴りつけて高い鳴き声を立てさせた。それを聞くと、海狸は顔をしかめて、「よしておくれ、よしておくれ、もうご馳走は食べなくても沢山だよ」と言った。こうして、イクチニケはやっと自分の子供を殺すことを免れた。それから暫くたつと、イクチニケはまたお嫁さんに向かって、「私はお祖父さんの麝香鼠の家を訪ねて来るよ」と言って、家を出た。麝香鼠の家でも食べ物がなくて困っているところであった。麝香鼠は妻に向かって、「水を汲んで来ておくれ」と言った。妻が水を汲んで来ると、麝香鼠はそれを薬缶(やかん)に入れて、火の上に掛けた。そして、水が煮え返るのを待って、薬缶をひっくり返すと、よく煮えたコメの飯がたくさん現れた。麝香鼠は、それをイクチニケの前に並べたてた。イクチニケは麝香鼠の家から帰るときに、また煙草入れを残しておいた。そして、それを持って追っかけて来た若い麝香鼠に向かって、「帰ったらお父さんにそういうんだよ。近いうちに、私の家を訪ねて下さいとね」と言った。若い麝香鼠は家に帰って、お父さんにそのことを話すと、お父さんは、顔をしかめて、「困ったな」と言ったが、仕方がないので、二、三日たってから、イクチニケの家を訪ねた。イクチニケは自分の魔力を見せてやろうと思って、お嫁さんに言いつけて、水を汲んでこさせた。そして、それを薬缶に入れて、火の上に掛けて、水が沸きあがるのを待って、薬缶をひっくり返してみたが、米の飯は現れないで、熱い湯がどっと流れ出した。イクチニケは、恥ずかしくて堪らないので、顔を真っ赤にして、黙り込んで閉まり込んでいると、麝香鼠が、「そんあことでは駄目だ、私が米の飯を出してやろう」と言いながら、またや簡易水を入れて、火の上に掛けて、水が沸きあがるのを待って、薬缶をひっくり返すと、沢山の米の飯が現れ出た。イクチニケはそれを見ると、恥ずかしくて腹が立って堪らなかった。それから、また暫くたつと、イクチニケはお嫁さんに向かって、「私はお前のお祖父さんのかわせみの家を訪ねて来るよ」と言って、家を出た。かわせみは川の中に潜りこんで、沢山の魚を捕らえてイクチニケをもてなした。イクチニケはかわせみを自分の家に案内した。そして、かわせみの真似をして、水の中に潜り込んだが、いくら潜って見ても一匹の魚すらとらえることが出来なかった。暫くして、川の中から上がってくると、かわせみは、からからと笑いだして、「どうしたんだね。私はお前さんが溺れ死んだんだろうと思っていたところだよ」と言った。イクチニケは、恥ずかしくて顔を真っ赤にした。それから、また暫くすると、イクチニケはお嫁さんに向かって、「私はお前のお祖父さんの栗鼠の家を訪ねて来るよ」と言って家を出た。栗鼠はイクチニケを見ると、家の頂に登って、沢山の胡桃を取って来て、それをイクチニケに食べさせた。イクチニケは栗鼠の家から帰るときに、わざと手袋を残しておいた。そして、それをもって、追っかけて来た若い栗鼠に「帰ったらお前のお父さんにそういうんだよ。近いうちに私の家を訪ねて下さいとね」と言った。そして、栗鼠が訪ねて来ると、家の頂に登って、しきりにあたりを見回したが、一つも胡桃を見つけることが出来なかった。「こまったな、また恥をかかなくちゃならないぞ」と言いながら、やたらに家の頂を駆け回っていると、足を踏み外して、地面に落ちてひどく怪我をした。

※この物語に現れた海狸と麝香鼠とカワセミと栗鼠とはスー族の四つの創造神である。イクチニケも、太陽神の子として、一個の神であるが、創造神にはとてもかなわないのだった。小名異常な事件が四回繰り返されるのは、北米インディアンの神話伝説の一つの特徴で、四を聖数と考えて居るところから来たのである、とのこと

解釈

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蛇になった戦士

あらすじ

二十人の戦士が、戦争から帰っていた。彼らは疲れ切っていたが、お腹がすくたびに、四方に別れて獲物を探さなければならなかった。一人の戦士は大地に耳をつけて、じっと物音を聞いていたが、やがて、「水牛の群れが近づいてくるよ。はっきりと地響きが聞こえる」と叫んだ。水牛の群れはだんだんと近づいて来た。戦士たちの頭は大地に伏して、水牛どもが矢玉の届くところにやってきたら、射殺そうと待ち構えていた。しかし、近づいて来たのを見ると、水牛の群れではなく、恐ろしく大きな一匹の蛇だった。戦士の頭は、恐ろしさのあまり、体がすくむような気がしたが、しいて元気をだして、一発撃ち放つと、幸い蛇にあたって、それをしとめることが出来た。戦士の頭は大きな声を挙げて、人々を呼んだ。戦士たちは、大きな蛇の体を見て驚きあきれていたが、みんなお腹がすいていたので、それを料理して食べることに決めた。蛇の肉はまるで水牛の肉のような味がしたので、みんな喜んで食べたが一人の男の子だけは誰がどんなに勧めても、どうしてもそれに手を付けなかった。戦士たちは、お腹が大きくなると、火の周りに横になって、やがて、ぐっすり寝込んでしまった。
真夜中になって、お頭がふと目を覚まして見ると、戦士たちはみんな蛇に変わっていた。いや、お頭自身も半分ほど体が蛇になりかけていた。お頭は非常に驚き恐れて、「おい、みんな起きろ、私たちは蛇に変わってしまったぞ」と叫んだ。戦士たちはその声にことごとく跳ね起きた。そして、蛇に変わってしまった自分たちの体を眺めて、あっけにとられていた。人間の形をとり留めたのは、蛇の肉を食べなかった男の子だけであった。男の子は、蛇どもが自分に襲い掛かるんだろうと思って、大きな声で泣きだした。しかし、蛇どもは男の子を親切にもてなして、いろいろな魔法や呪文を教えてくれた。そして、「私たちを大きな布に包んで、小山の頂に運んでおくれ」と言った。男の子はすぐに蛇どもを大きな布に包んで、小山の頂に運んで、木の下にそれを置いた。蛇どもは、男の子に向かって、「お前は、私たちの村に帰るがいい。私たちも夏になったら、訪ねていくことにするから」と言った。男の子は村に帰って、この不思議な出来事をみんなに話して聞かせた。人々は、自分たちの親や夫などが蛇になったと聞いて、声を挙げて泣き悲しんだ。
夏になると、蛇どもがやって来て、村はずれのところに群れを成して、座り込んだ。人々は馬や鞍や鞭や鹿側の靴や脚絆などを携えて、そのそばに集まって来た。男の子は人々に向かって、「ちっとも怖くないんですよ。どんなことが起こっても、逃げ出してはいけませんよ」と言った。それを聞くと、村の人たちは蛇の側に歩み寄って、その体に抱きついたり、撫でさすったりした。蛇どもは、人々にさまざまの魔法や呪文を教えてくれた。そして、冬になると、一斉に消え失せてしまったが、それと同時に、馬や鞍や鞭や鹿皮の靴や脚絆なども見えなくなってしまった。

解釈

この話は蛇を信仰する部族の話だろうか。アルゴンキン族の神話伝説にある神聖な熊槍や若犬踊りなどのように蛇が男の子に魔法や呪文を教えている。しかし、夏の終わりに蛇が消え去るときに馬や馬具などが消え去るのはどういうことだろうか。干支は午(うま)の次に巳(へび)となっているが、このように馬を捨て去るということだろうか。干支は日中韓のような人種がアメリカを見た際にそのように見えているカレイドスコープと言うことだろうか。すなわちそれらの出来事がこちらの国々から見ると、ゆっくりとそのようにパワーバランスを変えているように映るということかもしれない。このような変換が他のアメリカ大陸の神話伝説の中にあるかもしれない。この点に注意をして進めたい。

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三つの試し

あらすじ

ある村に、目立って美しい女が一人で住んでいた。その評判を聞きつけて、大勢の男が遠くから近くからどんどん押し寄せて来て、我勝ちにその女を自分のお嫁さんにしようとした。
女は自分の器量を自慢して、いろんな難題を申しだしては、「これだけのことをうまくし遂げてください、そうでなければ、あなたのお嫁になるのは嫌ですよ」と言うのが常だった。女の住んでいる村からかなり遠く離れたところに、一人の若者がいた。女が非常にきれいで、みんなからわいわい騒がれているということを聞くと「よし、それでは、俺がその女を手に入れて見せる」と言って、のそりと自分の家を出た。
途中で高い丘の頂に来ると、一人の男がさも忙しそうに立ったり座ったりしているのを見た。だんだんと近寄ると、その男は大きな石を幾つも自分のくるぶしに結び付けていた。若者は驚いて「おい。お前さんはどうして、そんなに石をくるぶしに結び付けているのかね」と尋ねた。男は若者の方を振り向いて、「私は水牛を追っかけたいと思っているんです。ところで、あまり足が速すぎるので、少し歩いたかと思うと、いつの間にか水牛の先になってしまっているのですよ。だから、歩みをのろくするために、くるぶしに石を結び付けているんです。」と答えた。若者は、ますます驚いて、「そんなことをしなくても、いくらでも早く走れるときがあるよ。私は、旅仲間がなくて困っているところだ、どうだ一緒に来てくれないかね」と言うと、『早足』はすぐに承知して、若者と一緒に歩き出した。
暫く行くと、行く手に二つの大きな湖が現れた。一人の男が湖の端に座り込んでいて、絶えず頭を下げては、水を飲んでいた。若者は、びく利して、「おいおい。お前さんは、なんだってそんなに水を飲んでいるのかね」と尋ねた。男は若者の方を振り向いて、「いや、いくら飲んでも飲み足りないんですよ。こちらの湖を飲み干したら、向こうのを呑みにかかるつもりです」と答えた。若者は、いよいよ驚いて、「いまそんなに飲まなくても、後でいくらでも飲めると気があるよ。どうだ、私たちと一緒に旅にでないか」と言うと、『水飲み』はすぐに承知して、二人の仲間に加わることにした。
三人が道を急いでいると、空を仰ぎながら、歩き回っている一人の男に出会った。若者は、不思議に思って、「おいおい、なんだってお前さんは、空を見詰めて歩いているんだね」と尋ねた。男は若者の方を振り向いて、「私は、さっき一本の矢を射放ったので、それが落ちて来るのを待っているんですよ」と答えた。若者は「矢なんか、どうでもいいじゃないか、私たちについておいで」と言うと、『遠矢』はすぐに承知して、三人の仲間に入ることにした。
四人の男が森を通り抜けていると、大地に伏している男に眼がっついた。男は、幾度となく地面に耳をつけて、何やら聞いているような様子をしていた。若者は、変だと思って、「おいおい、お前さんは、何をそんなに熱心に聞いているのかね」と尋ねた。すると、男は、若者の方を振り向いて、「いや、私は。植物の大きくなる音を聞いているんです。この森には、沢山の木や草が生えているんだから、そいつらが一つ一つ息をつくのを聞いているのは、なかなか面白いんですよ」と答えた。若者は、にこりと笑って、「そんなにききたけりゃ、後でいくらでも聞く折があるよ。私たちと一緒にやってきたらどうだ」と言った。『早耳』はすぐに承知して、四人の仲間に加わった。
五人の男たちが美しい女の住んでいる村に着くと、村の人たちが、その側に群がって来て、口々に、「やあ、また来たね。お前さんたちも、あの女を手に入れたいと思っているんだろう」と言った。「そうだよ、私が評判の美しい女を手に入れようと思っているんだよ」と、若者が答えた。村の人たちは、頭を振って、「だめだ、駄目だ。止した方がいいよ。あの女の難題をうまくし遂げることはとてもできそうにないじゃないか」と言った。若者は「いや、どんな難題でも為遂げてみせるよ」と若者がきっぱりした口調で答えた。「村の人たちは「じゃあ、私たちはあの女に頼まれているんだから、早速難題を出すことにするよ」と言って、若者を大きな岩の側に連れて行った。そして、「お前さんがあの女を手に入れるつもりなら、、まずこの岩を押しの手k手もらいたいね。村中が日陰になって困っているだから」と言った。それを聞くと、若者は大きな息をついて、「こんな大きな岩をどうして動かせるものか」と独り言を言った。すると、『早足』が、「そんなことは何でもないんですよ。こんなものを押しのけるくらい造作もありません」というなり、岩に肩を当てて、一押しで押すと、岩はめりめりと音を立てて、砕けてしまった。それを見ると、村の人たちは、素晴らしく大きな薬缶(やかん)を持ち出して、「さあ、今度はこの中の水を飲み干してしまうんだよ」と言った。若者はびっくりして、「こんなにたくさんの水を飲み干せるものか」というと、そばに立っていた『水飲み』が、「私にはできますよ」と、薬缶に口をつけて、瞬く間に飲み干してしまった。村の人たちは、暫くの間、呆気に取られていたが、「まだまだ難題があるよ」と言って、一人の女を連れて来た。その女は非常に足が速くて、今まで一人として追い抜くことが出来なかった。村の人たちは、若者に向かって、「お前さんは、この女と走り比べをしなくてはならない。それに買ったら、いよいよあの女を手に入れることができるよ」と言った。若者は『早足』を選りだして、女の相手をさせることにした。二人は、電光のように駆けだした。が、とある曲がり角に来ると、女が『早足』に声を掛けて、「ここで少し休んでいきましょうよ」と言った。『早足』は承知して、大地に座り込んだかと思うと、急に眠気が差して来て、やがて、鼾をかいて眠り始めた。女はしすましたと思って、一生懸命に駆けだした。若者たちは、二人の競争者が帰って来るのを今か今かと待ち受けていた。暫くすると、『早足』の姿は見えないで、女だけが勢いよく掛けて来た。それを見ると、『早耳』が急いで大地に耳を付けた。と思うと、大きな声で「大変なことになった。『早足』の奴、途中で眠りこけている。鼾をかく声がはっきり聞こえているよ」と言った。すると、『遠矢』が、「なに、心配することはない8。私があいつの眠りを覚ましてやろう」と言いながら、弓に矢をつがえて切って放した。矢は流星のように飛んで行って、『早足』の鼻の先を傷つけた。『早足』はびっくりして跳ね起きたが、あたりには女の姿が見えないので、「しまった、うまく騙されたな。なに負けるものか」というなり、一生懸命に足を速めて駆けだしたので、決勝点になっている柱のすぐそばで、女を追い抜いた。こうして、若者は不思議な仲間の助けで首尾よく美しい女をお嫁さんにすることができるようになった。

※この物語は欧州にもある、とのこと

解釈

この話はみんなあることを本気でやっていて、それを若者が見て仲間にして、困難を乗り越えている。ここでは一見無意味な特技を持っていそうな男を味方につけているが、難題ではみんなその仲間の特技でうまくいくようになっている。ここには、一人の力ではかなわないことをみんなで行うことで達成してるという、共同体ならではの技法が現れている。しかし、主人公の若者は自らの生まれた境遇に誠実である。この点に一つ、この物語の意味を解くカギがある。なぜなら、あまりに特殊な男が現れているからである。これはある目的のためにできることをそれぞれが追及している証拠である。そして、その目的がこの若者の結婚にあったのである。そして、若者はそれを何も考えずに男たちを仲間として、特に考えずに難題を仲間が解いていくが、最後の女との競争だけは、若者が『早足』を選んでる。ここで問題が起こっている。これはやはり、最後に愛を意識しなければならないゆえに、またそのゆえに、女によって欺かれ、打ち勝つという流れを通ってる。ここには人生の運命の打開策として正当な一貫性を保っている節がある。また、そのゆえに最後は成功を収めている。聖書外典ではレビの遺訓で、アスピスという楯を拾っているが、このようにその人にとって大切な物が始終力を発揮するのである。それが物であっても、人であっても、同様である。

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人食鬼に追われた男

あらすじ

ある所に、一人の若者が住んでいた。ある日、なんとなく気が塞ぐので、ふらりと家を出て、森の中に入り込んだ。すると、向こうに小高い丘が見えたので、「あの頂に登ってみよう。そしたら、少しは気が晴れるかもしれない」と思って、丘の方に歩いて行った。すると、反対の方角から、一人の男がやはり同じ丘に登り始めた。二人は、丘の頂で出会った。そして、暫くの間、顔を見合わせたまま、黙っていたが、やがて、向こうの男が、「私の家に来て、一緒に飯を食べたらどうです」と言い出した。若者はすぐに承知して、見知らぬ男の後について歩きだした。その男の家の前には、雨風に晒された骨が堆く積み上げてあった。若者はそれを見て、心の中でひどく驚いた。家の中に入ると、年を取った女が一人壺の中でなにやら煮ていた。暫くすると、女は壺の中から人間の肉を取り出して、「お腹がすいたでしょう。早くお食べなさい」と言った。若者はいよいよ気味が悪くなって、「すみませんが、私にはそんなものは食べられません」と言った。すると、女は玉蜀黍を煮て、「さあお食べなさい。これなら食べられるでしょう」と言った。年を取った女と若者とは食事をしながら、いろんなことを話し合った。しばらくすると、女はちょっと向こうの部屋を眺めながら、「家の人は人間ではありません。人食鬼ですよ。お前さんはまだ若いから、可哀想でなりません。私が良いことを教えてあげるから、家の人に悟られぬように逃げ出したらよいでしょう。ここに鹿の皮の靴があります。明日の朝、これを履いて駆けだすんですよ。そしたら、一人の男に出会いますから、この紙切れをその男にお渡しなさい。そしたら、何か良いことを教えてくれるに違いありません。しかし、お前さんがいくら遠くまで逃げ出しても、夕方になると、人食鬼がきっと追いつきますから、よく気を付けねばいけませんよ。それから、鹿皮の靴はようがなくなったら、こちらの方を向けて、地面においてくださればいいんです。ひとりでに家へ帰ってきますから」と言った。若者はわくわくする胸をじっと抑えながら、「おっしゃることはそれだけですか」と尋ねた。年を取った女は「いや、お前さんがここを出るときに、私を殺して、骨の上に着物を被せておかなければなりません。」と言った。
若者は夜が明けるのを待って、教わった通りに女を殺して、その骨の上に着物を被せた。そして、大急ぎで鹿皮の靴を履いて、一足踏み出したかと思うt、たちまち遠く離れた小高い所に来ていた。と、そこに年を取った男が一人突っ立っていたので、女から貰った紙切れを渡すと、老人は鹿皮の靴と紙切れとを新たに取り出して、「この靴を履いて道を急ぐがよい。そして、途中で遇った男にこの紙切れを綿s無くてはならない」と言った。若者は、今までで履いていた鹿皮の靴を脱いで、女の家の方に向けて大地の上に置いた。途端に、靴は一人でに飛び出して、見えなくなってしまった。若者は新しい鹿の皮の靴を履いて、紙切れを懐に入れて歩き出した。こうして行く先々で、男に紙切れを渡しては、、その男から鹿皮の靴をもらって、だんだんと逃げ延びて行った。一番おしまいに手紙を受け取った男は、若者に向かって、「向こうのくぼ地に川が流れている。その川の上を歩いて、向こうへ行くがよい。魔の靴を履いているから、水の上を歩くのは何でもない」と教えてくれた。若者は言われたとおりに窪地に降りて行くと、そこに一筋の川が流れていた。びくびくしながら、水の上を歩きだすと、不思議や大地の上を行くのと、少しも変わらなかった。だんだんと水の上を歩いているうちに、川が次第に広くなって、果てはおおきな湖になった。若者が湖の岸を歩いているうちに、日が暮れかかって来た。と、出し抜けに自分の目の前に、蛇男が現れて来た。「あの年を取った女が、夕方になると、蛇男が追っついてくると言ったのは本当だった。」若者はこう思いながら、すぐに赤い鰭を持った小さな魚に変わって、湖の中に飛び込んだ。蛇音いい子は騎士の上から声を掛けて、「小魚よ、お前は私が探している男を見たんだろう。この湖の水は非常に静かだから。鳥が飛んでも、はっきりとその影を見ることが出来る。だから、確かにお前は、私の探している男を見たに違いない」と言った。「いや、みませんよ。でも、その男がこの道を通ったら、いつでもしらせてあげましょう。」と若者が言った。蛇男はそれを聞くと、道に沿って下手に歩いて行った。すると、道の真ん中に、一匹の小さな灰色の蝦蟇がうずくまっていた。蛇男は「小さい蝦蟇よ、お前は私が探している男を見たんだろう。こんなところに射たら、ちょっとした影が差しても目に付くに違いないんだから」と言った。蝦蟇は「そうえす。私はその男を見ましたよ。でも、どの道を通って行ったか分かりませんね」と答えた。それを聞くと、蛇男は急いで引き返した。すると、浅い水の中に一匹の大きな魚が泳いでいるのを見つけたので、「お前は私が探している男を見たんだろう」と尋ねた。大きな魚は「ええ、見たんですよ。お前さんがさっき言葉を掛けたのがそうですよ」と答えた。それを聞くと、蛇男はいよいよ道を急いだ。すると、一匹の麝香鼠に出会ったので、「お前は私が探している男を見たんだろう」と尋ねたが、急に調子を変えて、「いや、お前こそ私が探している男に違いない」と言った。麝香鼠はびっくりして、「とんでもない。私はそんな者ではありませんよ。お前さんが探している男は、たった今私の家の上を通って、踏み壊して行きましたよ」と答えた。蛇男はいよいよ足を速めた。すると、今度は、赤い腹をした一匹の亀に出会った。蛇男は「大前は私の探している男を見たんだろう」と尋ねた。亀は「ええ、見たんですよ。お急ぎなさい。すぐに追っつくでしょうから。でも、気を付けなくてはいけませんよ。お前さんがその男の招待を見届けないと、殺されてしまいますから」と亀が答えた。蛇男は流れに沿って、どんどん駆けて行った。すると、一匹の緑色の蛙が浅い水に浮かんでいたので、「私は朝から、一人の男を探しているんだよ。お前がその男かなんだろう」と言った。蛙は、驚いた顔をして、「私は、そんなものではありませんよ。でも、流れに沿ってもう少し行ったら、きっとその男に会えるでしょう」と言った。蛇男がその次に出会ったのが、湖に浮いている大きな亀だった。蛇男は、亀を見ると、いきなりその背に乗って、「お前こそ、私が探している男に違いない」と言いながら、殴りつけようとした。亀は首を知事馬手、「私は、そんなものではありませんよ。この次に出会う者がお前さんの探している男でしょう」と言った。蛇男は、いくら探しても、若者が見つからないので、いらいらした気持ちになって、流れを向こうに超えようとした。すると、流れの真ん中で大きな渦に巻き込まれて、溺れ死んでしまった。

解釈

人食鬼に追われた男は、鹿皮の靴を履いて、紙切れを次に会う男に渡して難を逃れているが、後半には自らが魚に化けて蛇男に嘘をついて難を逃れている。後半の動物たちと蛇男の会話は、前半の若者の紙切れと対応しているように思える。すなわちあらかじめ、紙切れを通して、物語が作られ、物語は前後の文脈のつなぎを他者によってバラバラにされて瞬時にすべてを理解できないようにされている。その結果、蛇男は誰の話が本当かわからなくなっている。また、若者が最後に出会った男から、窪地の川を渡るように言われているが、この川を渡った後は実際の現実世界とは異なる場所のようである。この川はいったいどのような川であろうか。北アメリカであるということが、ガンジスを思い起こさせる。しかし、ガンジスがピションで天の川であるかは正直はっきりしない。もしくは、エリジオンの丘につながる川なのかもしれない。北アメリカの神話であるだけに、星の国へと通じている路かもしれないが、もう少し他の手がかりがあればわかりやすいのであるが、現段階では、どうなっているのか不明である。

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鹿の角の試し

あらすじ

一人の酋長が大変綺麗な娘を持っていた。酋長の家には、大きな鹿の角があった。多くの若者が、美しい乙女に結婚を申し込むようになった。すると、酋長は「鹿の角を引き裂くことが出来たら、誰にでも娘をやろう」と言った。真っ先に蝸牛(かたつむり)や栗鼠や川獺や海狸や狼や熊や豹がやって来た。しかし、みんなしかの角を引き裂くだけの力は持っていなかった。その次にいろんな鳥がやって来たが、やはり鹿の角を引き裂くことはできなかった。こうして獣や鳥や魚が代わる代わる酋長の家にやって来ては、恥をかいてすごすごと引き返して行った。そうしているうちに、乙女に結婚を申し込まないのは鮭だけになった。口の悪い掛巣(かけす)が毎日のように鮭の家に訪ねて来て、「お前も鹿の角に手をかけてみたらどうだね。いや、お前のような意気地なしには、とても駄目なんだろう」と悪口を言っていた。鮭は初めのうちは、じっと我慢していたが、あんまりたびたび嘲り笑われますので「よし、それではやってみるよ」と言って、酋長の家に訪ねて行った。そして、大きな鹿の角に手をかけたかと思うと、たちまち五つの片に引き裂いてしまった。鮭は「お約束だから、娘さんを私がもらい受けましたよ」と言って、麗しい乙女の手を取って、どことなく立ち去った。みんなは驚きあきれていたが、やがて、「あんな奴に、乙女を取られては、俺たちの恥だ。追っかけて取り返してやろう」と言って、鮭の後を追っかけ始めた。それを見ると鮭は追手の 前に大きな湾(わん)をこしらえた。人々はそれを渡ることが出来ないので、回り道をしていかなければならなかった。鮭は追手が近づくのを見ては、幾度も魔法を使って、湾をこしらえたが、あとではもうそれにも飽きてしまった。追手の先頭に立っていた尾長狼と穴熊とは鮭に近づくことが出来ないので、遠矢に掛けて射殺そうと決めた。それで、鮭を目掛けて矢を放つと、矢は鮭の首にあたって、たちどころに射殺してしまった。追手の者は、酋長の娘を一匹の狼に与えることにした。鮭の伯父にあたる鴉が鮭が射殺されたことを聞いて、その死骸を探しに出掛けた。しかし、見つかったのはたった一つの鮭の卵だった。鴉はそれを川端の穴の中に隠しておいた。卵は日に日に大きくなって、しまいには大きな鮭になった。鴉は鮭を山の中にある池の側に連れて行って、「この池に浸かるがよい。そうすると、精霊を見ることができるんだから」と言った。鮭は首を振って「私は精霊を見ることにな、飽き飽きしていますよ。このまま行ってしまおうではありませんか」と言った。鴉は鮭を睨み付けて「お前はお父さんがどうなったかと言うことを知らないから、そんなわがままをいっているんだ。お父さんは、尾長狼と穴熊に殺されたんだよ。早く水に浸かって、精霊から魔力を授かるがよい。敵討ちをするのはお前の務めなんだから」と言った。鮭はなんとお答えないで、弓に矢をつがえて、森の中に切って放った。とたちまち森に火がついて、さかんい燃え出した。鮭はまた弓に矢をつがえて、広野の中に伐ってはなった。すると、広野もみるみる一面の火となった。鴉は大変驚いて「なるほど、お前はもう精霊に会って魔力を授かったんだね。よし、それではすぐに敵討ちに出掛けよう」と言った。鮭は「お父さんが使っていた弓はどこにあるのです」と尋ねた。鴉は「それはあの尾長狼と穴熊の家にあるんだよ」と答えた。鮭はそれを聞くと、鴉と一緒に尾長狼と穴熊の住んでいる家に出掛けた。家の前に行ってみると、戸が閉まっていて、尾長狼と穴熊とは顔を真っ黒に塗って、家の中に座り込んでいた。鮭は「あいつらは顔を真っ黒く塗って、お父さんの死んだのを悲しんでいるような風をしている。ずるい奴だ。しかし、俺はそんなことには騙されないぞ。」と言って、戸を押し開けて中に入った。そして、「お父さんの矢を返しておくれ」と言うと、尾長狼が一本の弓を取り出して、「これがお前のお父さんの弓だよ」と言った。鮭は首を振って、「違うよ。これではないよ」と言った。穴熊が「これだ、これだ」と言って他の弓を差し出したが、鮭は「それでもないよ」とはねつけた。尾長狼は「それでは、これだろう」とまた他の弓を取り出した。しかし、鮭は「それでもないよ」と叫んだ。穴熊が「それじゃ、これに違いない」と言って、また他の弓を取り出した。鮭は目を怒らして「それでもないよ。馬鹿にしちゃいかん。早くお父さんの弓を出さないか」と叫んだ。その勢いに恐れて、尾長狼と穴熊はとうとう本当の弓を出してくれた。鮭はそれを受け取ると、「こっちへ来い」と言って、尾長狼と穴熊とを家の外に引き出して、殴り殺してしまった。

解釈

様々な動物が求婚した酋長の娘であるが、鹿の角を折った者に娘を与えるというのは何を示しているのだろうか。鹿の角はシベリアと北アメリカの間の地形を現しているような気がするが、確証がない。しかし、なぜ鮭がその鹿の角を折ることが出来たのだろうか。ここでは掛巣が鮭に嘲りを入れている。そして、鮭は酋長の娘を手に入れて、動物たちに追われているが、鮭には魔法が使えたとある。鮭には魔法が使える能力があるのだろうか。そして、殺された後に卵が残っていた。鴉は鮭の伯父だというが、これは例の鴉で鮭と関係があるということだろうか。
その後子供の鮭は鴉に言われて池で精霊の力を得るように言われたが、鮭はすでに精霊の力をもらっていたようである。ここでは池で水の精霊を得させようとしていたのだろうか、それを断った鮭はすでに火の精霊を持っていた、と言うことだろうか。そして、子供の鮭はお父さんの弓を欲しがっていたが、この弓には何か理由があるのだろうか。「鮭」というキーワードはあまり見かけないためなかなか考察が難しいが、鴉との関係という点で少し感慨深い。

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水の中の声

あらすじ

とある川の岸に夫婦の者が住んでいた。二人は、ただ一人の男の子を持っていた。ある日、男の子が川の側で遊んでいると、足を踏み滑らして水の中に転げ落ちてしまった。お父さんはそれを知ると、非常に悲しんで、朝から晩まで川の端をうろついていた。l日が暮れると、川端の地面に横になって泣き悲しんでいた。すると、出し抜けに大地の下から幽かな物音が聞こえて来た。お父さんは、一生懸命に耳を澄ましていたが、やがて「亡くなった子供の声だ」と叫んで、大急ぎで親類の者を呼び集めた。そして、「地の底に子供の泣き声が聞こえる。どうかみんなで大地を掘って見てもらいたい」と言った。親類の者は、「私たちの力ではとてもだめだ。誰かほかの者に頼むことにしよう」と言って、めいめい馬や宝物などを持ち出して、「誰でもいい。大地を掘り起こして、子供を助けてくれるものには馬や宝物をやる」と言い触らした。暫くすると、二人の男がやって来て、「私たちがその仕事を引き受けましょう」と言った。お父さんは大変喜んで、「首尾よく子供を助け出してくださったら、私の持っている物はみんな進上します」と約束した。二人の男の内一人は体を真っ黒に塗り、他の一人は黄色に塗った。そして、岸の上から真っ逆さまに川の中に飛び込んだ。そして、どんどん下へ潜っていくと、やがて、水の神の住居についた。家の中には、水の神とその妻とが男の子を挟んで座っていた。二人の男は水の神に向かって、「どうして男の子をここに連れ込んだのです」と尋ねた。水の神は「私たちには子供がないから養子にしようと思って連れて来たんだよ」と答えた。二人の男は「でも、この子の父親が子供を連れ帰るようにと私に頼みました。どうか返してください」と二人の男が言った。水の神は「折角だが、来るのが少し遅すぎたよ。この子が何も食べないうちに訪ねて来てくれたら、無事に連れ帰ることが出来たんだが、今となっては駄目だ。この子はここで物を食べたんだよ。強いて連れて帰ると、自ら離れるなり死んでしまうんだよ」と答えた。二人の男はそれを聞くと、すぐに引き返して、お父さんにそのことを話した。お父さんは気違いのようになって、「いや、私はどうしても、あの子に会わねばならん。すまないが、もう一度水の神の家に訪ねて行ってください。」と言った。二人の男は、「強いて子供さんを連れ帰ろうとしたら、水の神はきっとその償いに白い犬を貰いたいというでしょう」と言った。お父さんは「ええ、子供さえ帰ってきたら、白い犬でもなんでも水の神にやりますよ」と答えた。二人の男はまた体を縫って、川の中に潜り込んだ。そして、水の神の館に行って、「父親は、どうしても子供を取り返したいと言っています。今度こそ私たちも素手では帰らないつもりです」と言った。水の神は悲しそうな顔をして、「仕方がない、それでは返してやろう。だが、さっき言った通り、水を離れると子供は死んでしまうよ」と言った。二人の男は子供を連れて、川の中から現れ出た。お父さんは、喜びの叫び声を上げて駆け寄ったが、子供は水を離れたかと思うと、そのまま息が絶えてしまった。お父さんは非常に嘆き悲しんだが、約束は約束ですから、白い犬を一匹水の中に投げこんだ。

解釈

水に落ちた子供は水の神によって食べ物を与えられたそうである。水の神の世界では我々人間の世界とは根本的にその性質を異にしている感じがある。そして、それに触れたなら、二度と我々人間の世界に帰れないということらしい。ここではそれにも関わらず、両親の想いで子供が引き戻されるが、水の神はおそらく融通の利かない性質であると考えられる。一度定まったことは水の神自身も覆せないということである。結果、子供は死んで、白い犬も犠牲にしてしまった。これは無理に自らの要求を通そうとするところの誤りかもしれない。一兎を追っても二兎を失っている。別の見方をするならばどうだろうか。水の神はなぜ白い犬を求めたのだろうか。これは二人の男がそれを予測したからだろうか。それとも、水の神にとっても白い犬でなければならない理由があったのだろうか。この文脈からはなかなか読み取ることが出来ない。しかし、白い犬は土着民にとってどのような意味があるのだろうか。北アメリカの神話(スー族)では水についての説話が多い気がする。また、蛇、食人鬼もキーワードである。

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魔法の指輪

あらすじ

あるところに、一人の酋長が住んでいた。自分の男の子が怠け者で、いつも家の中にごろごろしていたので、ある日、「そんなに怠けてばかりいては、大きくなっても、とても酋長にはなれないよ。お前の年頃には、私は、片時もじっとしてはいなかった。朝から晩までつらい仕事の仕続けだったんだよ。だから、偉い酋長に慣れたんだ。お前も今のうちに、いろいろのことをしておかねばならぬ」と戒めた。すると、男の子は、「お父さん、それじゃ、狩に出掛けることにしましょう」と答えた。酋長は大変喜んで、立派な着物を着せて馬に鞍をおいてやった。男の子は馬に乗って、狩に出掛けた。すると、五、六頭の鹿を見つけたので、一番大きな鹿を目掛けて、矢を放つと、鹿は矢を負ったまま一散に駆けだした。男の子は馬をあおって一生懸命に、その後を追った。どこまでもどこまでも追っかけているうちに、ひどく喉が渇いて来たので、馬から降りて水を探し回った。やがて、綺麗な水を吹き出している泉を見つけたので、急いでその側に駆け寄ると、一匹の蛇がその中から飛び出して来た。男の子はびっくりして飛びのいたが、何しろ喉が焼き付くようだったので、再び泉の側に歩み寄った。と思うと、蛇がまたすさまじい勢いで飛び出して来た。こうして、男の子は幾度も飛び退いてはまた泉に近づいて行ったが、四度目には、蛇の代わりに麗しい乙女が現れて、小さいコップに入れた水を、若者の前に差し出した。若者は乙女の美しさに心を惹かれて、水を飲んでしまっても、暫くはそこを立ち去らなかった。若者が名残惜しそうに立ち上がると、乙女は一つの指輪を取り出して、「あなたが食事をなさるときに、この指輪をテーブルhの上において、さあ、一緒にご飯を食べようと言いなさい。そしたら、私がすぐにあなたの側に現れますから」と言って、若者にそれを与えた。若者は大急ぎで家に帰った。そして、人々に向かって、「早くご飯の支度をして遅れ。お腹がすいてかなわないから」と言った。人々は大急ぎでご飯の支度をして、数々の皿を若者の前に並べたてた。若者は、自分一人になるのを待って、指から指輪を外して、テーブルの上に置いた。そして、「さあ、一緒にご飯を食べよう」と言ったかと思うと、蛇女が現れて若者と一緒に楽しそうにご飯を食べた。ご飯が済むと、蛇女はやって来た時と同じように、かき消す如くふっと見えなくなった。若者は、女が恋しくて堪らないので、どうにかして、探し出そうと決心した。「あの女はきっと、村の女の中に混っているに違いない」若者はこう考えて、お父さんに向かって、「お父さん、私は踊りが見たくなりました。村の女たちを呼んで、私の前で躍らせてください」と言った。酋長はすぐに使いをやって、村の女たちを呼び集めた。しかし、その中には、蛇女に似た者もいませんでしたので、若者は大変がっかりした。そして、お父さんに向かって、「年を取った女では駄目です。若い女を呼び集めて、私の前で躍らせてください」と言った。酋長はまた使いをやって、村中の若い女を呼び集めた。しかし、今度も蛇女に似た者は一人もみいだっされなかった。若者はいよいよがっかりして、「お父さん、今度はもっと若い娘の子を呼んで躍らせてください」と言った。酋長はまた使いをやって、若い娘の子たちを呼び集めた。しかし、今度も蛇女に似た者は、一人もいなかった。若者は仕方がないので、食事をするたびに、指輪の力で蛇女を呼び出すだけで満足していなければならなかった。ある日、一人の女の子が酋長の家の前を通りかかった。そして、若者が楽しそうに話している声を漏れ聞いて、そっとのぞき込むと、若者は一人の麗しい乙女と一緒にご飯を食べていた。女の子は驚いて、酋長にそのことを話したので、「お頭の息子さんは、他国の女と結婚したらしい」という噂が村中に広がった。若者は蛇女が食事の時だけしか一緒にいてくれないので、自分の村の乙女と結婚しようと思った。しかし、村中の者は首長の息子がもはや結婚をしているという噂を聞き込んでいるので、誰一人自分の娘をやろうというものがなかった。ある日、若者はいつものように指輪をテーブルにおいて、「さあ、一緒に食事をしよう」と言った。しかし、蛇女は現れなかった。若者は非常に驚いて、女を探しに出掛けようと決心した。「お父さん、私はもう一度狩に出掛けようと思います」若者がこういうと、首長はまた立派な着物を着せて、馬に鞍を置いてやった。若者は馬に乗って、いつぞやの泉の側に来てみると、蛇女が通った足跡がついていた。足跡をたどって進んでいくと、一軒のあばら家の前に出た。戸口のところに、ぼろぼろの着物を着た老人が座り込んでいたので、若者は可哀想だと思って、「私の着物と取り換えてあげよう。その着物をお脱ぎなさい」と言った。老司名hすぐに着物を取り換えた。そして、若者に向かって、「お前さんは私に良いことをしてやったと思っているだろうが、よいことをしているのはお前さんではなくて私だよ。お前さんが探している女は、海の向こうに行ってしまったんだよ。早く探しに行くがいい」と言って、帽子と剣と年を取った跛の馬をくれた。若者は帽子を唖kぶって、剣をつけて跛の馬に乗って歩き出すと、老人もその後について来た。暫くすると、大きな海の端に出た。若者は溜息をついて、「こんな大きな海は、とても渡り切れそうにない」と独り言を言うと、老司名hからからと笑って、「なに、そんなことは何でもないよ。眼をつぶっておくれ」と言った。若者が目をつぶると、老人は何やら口の中で呪文を唱え始めた。と思うと、いつの間にか、若者は海の向こうに来ていた。海の端には、一軒の家があって、その中に年を取った二人の雷神が住んでいた。「あいつらは人間を食う怪物に違いない。とんだ所に来てしまった」と若者は大変心配したが、頭にかぶっているのは隠形の帽子であったので、若者の姿は雷神の目に止まらなかった。若者もそれを悟ると、急に気が落ち着いた。若者は雷神たちの側に歩み寄って、一人の雷神の口から煙管を奪い取って、その手に押し付けた。雷神はびっくりして「おお、熱い。これはいったいどうしたんだろう。誰が煙管を俺の手に押し付けたのかしらん」と不思議がっている。若者はおかしくなって、ちょっと帽子を取った。「やあ、見知らぬ若造が目の前に突っ立っている。此奴だな、あんな悪戯をしたのは」来示名hこう言って、すさまじい勢いで若者に飛びかかって来た。若者はひらりと身をかわして、帽子をかぶった。雷神は驚いて、「おや、どうしたんだろう。若造の姿が急に見えなくなった。」と言うと、もう一人の雷神もびっくりして、「本当に不思議だね。兄弟が帰って来たとき、人の子が一人消えてなくなったと何度話しても、本当にしてくれないだろうね」と言った。まもなく三番目の雷神が一人の男を殺して、その体をぶら下げながら帰って来た。二人の雷神がいま起こった不思議な出来事の話をしますと、三番目の雷神はせせら笑って、「そんな馬鹿な事があるもんか。よし、あったとしても、私がここに射たら、その若僧を取り逃がすことはなかったんだがね」と言った。途端に若者がその雷神の唇から煙管を奪い取って、手の甲に押し付けた。雷神は飛び上がって、「おお、熱い。火傷をしてしまった。お前たちだろう。こんな悪戯をしたのは」と言いながら、仲間の雷神たちを睨み付けた。「私じゃないよ」と雷神が言った。「私でもないよ」と他の雷神が言った。そのとき、若者が帽子を脱いで姿を現した。そして、雷神たちに向かって、「悪戯をしたのは私だよ。お前さんたちは、何をぐずぐず話しているのかね。私がここにいるじゃないか。話している通りにしたらいいだろう」と言うと、雷神どもはその勢いに恐れて、「私たちは、何も話していませんでしたよ」と答えた。若者は、また帽子をかぶって姿を隠してしまった。三人の雷神は口を揃えて、「ああ、口惜しい。あんな若僧にひどい悪戯をされながら、みすみす逃してしまうとは。兄弟が帰って来て、このことを聞いたらなんというだろう」と話し合っていた。
暫くすると四番目の雷神が叩き殺した子供の体をぶら下げて帰って来た。そして、三人の仲間からいままでの出来事の話を聞くと、大変に腹を立てて、「お前たちは何という腰抜けだろう。私がいたら、その若僧を引っ捕まえて、ひどい目に遇わせてやるはずだったのに」と怒鳴った。途端に、若者がその雷神の唇から煙管を奪い取って、手の甲にひどく押し付けた。雷神は大騒ぎをして、あたりを見回したが、人間らしい者はさらに見えなかった。こうして、若者を脅しつけてしまった後で、帽子wお脱いで、姿を現して、「人間を食うのは間違っている。人間の代わりに水牛を殺して食べるがいい。私は今から食べに出掛けるが、暫くしたら、またここに訪ねてくるつもりだ。そのとき、お前たちが水牛の肉を食べていたら、それでよいが、もし人間を食べていたら、一人残らず殺してしまうから、そう思うがいい」と言った。雷神たちは、恐れ入って、「承知しました。今後は水牛の肉を食べることにします」と約束した。若者は蛇女を探して、旅に出掛けた。そして、とうとうある村で、女を探し当てたが、女はほかの人と結婚をしていた。若者は火のように怒り出して、老人から貰った剣を引き抜くなり、蛇女もその夫も、それから村中の人々も、すっかり斬り殺した。そして、雷神たちの住んでいるところに訪ねて来てみると、雷神たちは約束に背いて、やあり人間の肉を食べていた。若者は、非常に腹を立てて、「お前多胎は私の言いつけを守らなかったから、天上界に追いやることにする。いままでさんざん人間を殺した報いとして、今後は人間たちに涼しい雨を送ってやるがいい」と言って、雷神たちを空に追いやってしまった。雷神たちは雲になった。そして、ときどき涼しい雨を降らしては、人間を喜ばせるようになった。
若者は帽子や剣を貰った老人のところに帰って来た。そして、「私は、雷神たちを天上界に追いやってしまいました。人間を食べることをやめなかったからです。どうです、私のしたことはよいことでしょうか」と尋ねた。「大変結構なことだ。私がお前に剣を与えたのも、そういうことをさせるためだったのだ」と老人が言った。若者は自分の村に帰って、村の乙女と結婚した。

解釈

この物語は息子が親に働くように言われ、働き、女に恋をする話であるが、蛇女は不思議な感性を見せている。ここでは、酋長の息子が泉に近づいているが、蛇女はおそらく自らの泉を汚すものと思って若者を襲っている。しかし、喉が渇いていただけであると気づくと、優しく水を差しだしている。そして、この若者の期待に応えようと思ったのだろうか、若者の恋心に答えることになっている。そのために指輪を差し出した。しかし、おそらく蛇女はただでこの期待を呑んだわけではないようである。と言うのも、なぜ、食事の時だけなのだろうか。ここに蛇女の利益につながる意味があるようである。ここにも水の神の融通の利かなさが現れているような気がする。(これはベトナムの神話と対照的に感じ取られる)この融通の利かなさは若者の恋心を見事に壊している。すなわち、若者の期待は女と一緒に居たいというもののようにとらえられているが、その実は結婚して家庭を作ることにある。しかし、女は知ってか知らずにか、時の進行のないある一つの事象としての男の要求にこたえている。この点に水の問題点を見出すのであるが、思うところに物ありとでもいうべきか。思いは時を動かさないのだろうか、それにこたえる者が動かすというのだろうか。または思いは流れなのだろうか。しかし、思いを発する者は人である。ここに物的な静止した印象を受けるというのだろうか。その時の状態を物的に叶えている。そして、男は結婚をもくろみ再び狩に出る。若者は怠け者と言うことである。ここにもまた、文化的な(ここではすなわち川獺や鼬のような)障害を感じる。酋長の富は息子にとって、愛を見失わせるに等しい力を持っていたのではないかと言うことである。また、ここから、鼬や川獺についても同様のことが言えるのではないだろうか。すなわち、ある親たるものの力ゆえに擁護されるため、それ以上の成長を見込まないという点で、運命を脱却することが困難となる。この作用については特に太平洋地帯における難問となっている。ただ、このために若者は遠回りをしている。しかし、彼には重要な使命があったと思われる。ここでは食人鬼である雷神を天上界へ追いやるという仕事を担っている。すなわち、引き起こされた恋心もすべてこのために存在するのである。ここに前述の難点を克服する、性的リビドーを感じるのである。すなわち、怠けるほど、生活に簡単さを見出す環境で、このような恋心によって、働こうとする力を利用して自らの使命を自覚するのである。そして、道中ではおそらくはユングのいうところのガイスト元型となる老人の力を借りている。老人の言いぐさにも注目したい。老人は若者の好意について、よいことをしようとしているのはお前ではないと言っている。この文面からは富が自らの使命を邪魔する場合にはその冨によって享受してもそれは善行とは言えないということである。そして、富より大事なことを成している老人の方が善行を働いていると言っているのである。しかし、ここでは老人は若者にとっても親身な存在であるゆえに若者もこれを受容することが可能である。しかし、そのような者以外のこの言葉は単なる説教者の愚禿である。相手の命を包み導くものにのみこのような矛盾した発言を許される。それは歴史的生命を運ぶ者にとって矛盾ではないからである。そして、気がかりなのは女はなぜ指輪を渡したのかであるが、ここには女の魔力以外に特別な力が働いている気がしなくもないが、キーワードとしてとらえるにとどめたい。そのほか雷神についてであるが、これは日本でいうタケミカズチと関係があるのだろうかと疑問に思う。また、雷鳥に代表される雷から生まれた巨人と思われるが、この手の雷にまつわる者の話も北アメリカには多いことを指摘しておきたい。

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白馬の救い

あらすじ

ある村に一人の酋長が住んでいた。二人の男の子と一人の女の子とを持っていたが、まだみんな結婚をしていなかった。二人の男の子は、毎日のように狩に出掛けていた。ある日、大きな水牛を見つけたので、兄弟の一人が一生懸命にそれを追っかけていると、馬もろともに大きな穴に落ち込んでしまった。仲間の狩人たちは、酋長の息子が一人見えなくなったのを怪しんで、あちらこちらと探し回ったが、どうしても見つからないので、帰ってそのことを酋長に話した。酋長は非常に心配して、大勢の者を八方に送り出して、「誰でもお頭の息子さんの行方を知っているものがあったら、知らせてもらいたい」と触れ回らせた。すると、一人の若者がやって来て、「私が丘の上に立っていると、お頭の息子さんが馬を走らせて、丘の下を通り過ぎた。そして、平地に出たかと思うと、出し抜けに見えなくなりました」と話した。人々がこのことを酋長に話すと、酋長は大急ぎで平地に人をやって、若者の行方を探させた。人々は、やがて、若者の足跡を見つけ出したので、その跡について行くと、足跡は大きな穴の縁で見えなくなっていた。それを聞くと、酋長はすぐに穴の側に駆け付けて来た。そして、人々に向かって「誰でもよいから、お前たちのうちに大胆な人がいたら、穴の中に入ってもらいたい」と言った。しかし、誰も返答をする者がなかった。酋長は気をいらだてて、「穴の中に入ってくれるものがあったら、沢山の宝をやることにする」と言った。しかし、人々はやはり黙りこくっていた。酋長はますます焦りだして、「誰でもよい、穴の中に入ってくれるものがあったら、私の娘をやることにする」と言った。人々はそれを聞くと、俄かにざわめき始めた。と思うと、やがて、一人の若門が進み出て、「私が入っていきましょう」と言った。酋長はたいへんに喜んで、人々に言いつけて、丈夫な縄を造らせて、その端を若者の体に結び付けた。若者は毛皮でこしらえた袋を手にして、だんだんと穴の中に降って行った。
穴の底は真っ暗であった。しかし、目が闇に慣れると、若者は水牛と馬と酋長の息子とが折り重なって、気を失っているのを見つけた。若者は酋長の息子の体を袋の中に入れて、自分の体に結び付けてあった縄を解いて、その端に袋を縛り付けた。そして、合図に縄を少し引っ張ると、穴の縁にいた人たちは、「それ、合図があったぞ」と叫んで、ぐんぐん縄をたぐった。縄の端には酋長の息子の入っている袋が結び付けてあったので、酋長も人々も大ヨロ漕いで村に帰って行った。彼らは嬉しさの余りに、穴の中に残っている若者のことには、少しも気が付かなかった。穴の中の若者は、縄の降りてくるのを、いまかいまかと待っていた。しかし、いくら待っていても、綱は降りてこなかったので、大きな声で、「早く綱を下ろしてくれないか。こんな所に放っておいては困るよ」と幾度も叫んだ。しかし、それでもやはり綱が降りてこなかったので、若者は真っ暗い穴の中を手探りで、歩いているうちに、年を取った一人の女に出会った。
「こんなところに取り残されて、大変困っています。どうかわたしを助けて村に帰らしてください。」と若者が頼むと、年を取った女は気の毒そうに頭を振って、「いや、私にはそんなことはできないよ。でも、この角を曲がると、一人の賢い男が住んでいる。その男に言ったら、たぶんお前さんを穴からだしてくれるだろう」と言って骨だらけの指で、賢い男の住んでいる方角を教えてくれた。若者は教わった通りに、角を曲がると、一軒の家の前に出た。腹が減って疲れ切っているのを我慢して、戸を叩いてみたが、何の返答もなかった。「困ったな。誰もいないのかしら」と言いながら、前よりもひどく戸を叩くと、家の中で人の動く気配がして、やがて、咎開いた。現れて来たのは一人の女でしたが、若者の姿を見ると、「おはいりなさい」と言った。家の中には女の夫が座り込んでいたが、いかにも塞ぎ込んだような様子をして、若者が挨拶をしても、立ち上がろうともしなかった。それを見ると、女は気の毒に思ったのか、詫びるように、「私たちはたった一人の息子を亡くして、たいへん嘆き悲しんでいるところです」と言った。夫は、若者の姿をじろじろと眺めていたが、いきなり立ち上がって、あ若者の体を抱きしめながら、「お前さんは亡くなった子供にそっくりだ。私たちは、お前さんを家の子供にしよう」と言った。若者はそれには何とも答えないで、村の人たちのために穴の中に置き去りにされた顛末を話した。すると、賢い人は気の毒そうな顔をして、「お前さんは、もう私たちの子供になったんだから、なんでもいうことを聞いてあげるよ。村に帰りたければ、帰してあげよう」と言った。若者は「では、白い馬をください」と言った。賢い男は、すぐに白い馬を引き出してくれた。そして、懐から小さな鉄の片を取り出して、「これも一緒にやることにしよう。これには魔力が籠っているんで、なんでもお前さんが欲しいと思う物を手に入れることが出来る。堅い岩でも、これで触れると、すぐに解けてしまうという調法なものだ。大切にしまっておくがよい」と言いながら、若者にくれた。
若者は、鉄の片を懐に入れて、白い馬にまたがって、賢い男に教わった方角に進んでいくと、まもなく大地の上に出ることが出来た。村の人たちは、若者の帰って来たのを大変喜んでくれた。結婚が済んだ明くる日に、村の人たちは若い酋長のお供をして、水牛狩に出掛けた。若い酋長は、魔力の籠った鉄の片を使って、水牛を動けなくしては、どんどん射殺すので、村の人たちはみんな驚き呆れていた。その話を聞くと、酋長の息子は心から妬ましくなった。そして、「自分というれっきとした男の子がいるのに、あの若者の奴が酋長になるとはどうもけしからん」と言って、とうとう若い主張を殺してしまおうと決心した。しかし、白い馬が早くもそれを悟って、若い酋長に向かって、気をおつけなさい。酋長の息子があなたを殺そうと思っています。」と教えてくれたので、若い酋長はその手に掛からぬように、一生懸命に用心をしていた。暫くすると、また水牛狩が行われた。酋長の息子は、「さあ、いよいよあの男をやっつける時が来たぞ」と言って、水牛の群に近づいて、激しく衣を打ち振った。水牛どもはお土置いて、一散に若い酋長の方に駆け寄って来た。若い酋長の姿は、見る間に水牛の群れに取り囲まれて、濛々と立ち上る砂煙の内に見えなくなってしまった。酋長の息子は、「こうなればもうしめたものだ。彼奴はきっと水牛に踏みつぶされてしまったんだろう」と言って、手を叩いて喜んだ。しかし、水牛の群れが四方に散ってしまって、砂煙が治まった後を見ると、若い酋長は影も形もなくなっていた。酋長の息子は驚き怪しんで、「おや、どうしたんだろう。確かにここらあたりで踏みつぶされたはずだがな」と言いながら、ぼんやりと突っ立っていた。若い酋長は白い馬に救われて、大地の下の世界に行ってしまったのであった。

解釈

この話はロシアのスヴャトゴールが地に埋まった結果できた地下を意味するように思う。この話は酋長の息子が穴に落ちたのを助けるために穴に入った若者がそこで夫婦の祝福を受けることによっているが、この地下の世界がまさにスヴャトゴールによって空いた大地の穴と思うからである。この穴にはおそらくドワーフと呼ばれる者も住んでいるはずである。また、ロシア(フスジャッチン、ガリチア地方)にあったスヴャトヴィートの立像に示されているものが、その、ロシアから見た世界の仕組みを忠実に表していると考えるからである。これは、すなわち、地下に小人が住んでいるということであり、また、ここからアルベリッヒをも連想せざるを得ない。すなわち小人世界が地下にあり、それが北アメリカのこの神話群とも密接な関係があるということが思い浮かぶのである。また、ロシアの勇者ポトークにも表れている、地の下の世界を連想させるのである。このことから、またアイヌの神話から昭島鯨は鴉のための長靴で、これはロシアからアメリカを通って、足を下ろされたその神格のものと考えられる。ロシアではこれを暗示するような内容があり、また北アメリカではこれを肯定する内容が多いと考えられる。そして、地の中の夫婦の息子とは誰なのだろうか。そして、この夫婦は誰なのだろうか。また、白馬はペガサスなのだろうか。無論この穴はカトブレパス(獏)ともつながっていると思われる。そして、そこにゴーゴンの姉妹が住んでいたはずである。

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白羽の持主

あらすじ

大きな森のただ中に、一人の老人と、孫とが住んでいた。孫はお祖父さんの他に親戚がいないのを不思議に思って、「お祖父さん、どうしてこのあたりには、私たちの他に誰も住んでいないのです。」と尋ねた。すると、お祖父さんは悲しそうな顔をして、「六人の巨人がやって来て、村の人たちをみんな殺してしまったんだよ、お前もめったに遠出をしないようにしなくてはいけない。巨人どもに見つかると大変だからね」と言って聞かせた。
ある日、男の子は獲物を追っかけて、広野の端まで行った。すると、そこにはつい近頃まで誰かが住んでいたと見えて、村を立てた穴の跡や、火を燃やした後の灰などが、ありありと残っていた。男の子は家に帰って、「お祖父さん、私は今日柱を立てた穴や、火をたいたあとの灰などを見つけましたよ。どうしたんでしょう」と尋ねた。それを聞くと、お祖父さんは驚いたような顔をしたが、それを押しかくして、「そんなことがあるものか、それはお前の気のせいだよ」と言った。あくる日、男の子は昨日と違った方角に出掛けて行った。すると、どこからとなく人声がして、「白羽の持主。白羽の持主」と呼びかけた。男の子hの住んでいる村には、古くから一つの言い伝えがあって、いつかは白い羽根を身に着けた偉い男が現れて、さまざまの勇ましい仕事を成し遂げると信ぜられていた。しかし、男の子はそんな言い伝えなんか夢にも知らなかったので、その声を聴くと、驚き怪しんで、あたりを見回した。といつの間にか、自分のすぐそばに、一人の男が突っ立っていた。その男は、体中が木でできていて、ただ頭だけが普通の肉をつけていた。男の子は、大変にびっくりして、不思議な男の姿をじろじろと見上げていた。男はにこにこ笑いながら、「お前はまだ白い羽根を身に着けていないね。でも、いまにそうなるよ。早く帰って眠るがよい。そうすると、夢の中に、パイプと袋と大きな白い羽根が現れる。目を覚ますと、三つの品ががちゃんと枕元に置いてあるから、その羽根を取って頭に挿すがよい。それでお前はもうひとかどの偉い戦士になりすますのだ。嘘だと思ったら、パイプで煙草を呑んでみるがよい。たちまち煙が鳩に変わってしまうから」と言った。男の子は、あまり変な話を聞くので、何とも言えないで、やはり不思議な男を見上げているだけだった。男はまた言葉を次いで「お前の両親は、巨人どもに殺されたんだ。早く偉くなって、敵討ちをしなくてはいけない。巨人どもは お前の両親に競争を申し込んで、殺してしまったんだよ。お前を見たらきっとまた競争をしようと言うに違いない。それには・・・」と言いかけて、懐から一本の葡萄の枝を取り出して、「これで巨人どもの脚を叩くがよい。そうすれば、きっと競争に勝てるから」と言った。男の子は、葡萄の枝を貰って、急いで家に帰った。すると、その夜、パイプと袋と白い羽根の夢を見た。眼が覚めると、三つの品がちゃんと枕元に横たわっていた。男の子は白い羽根を頭に挿して、袋の中の煙草をパイプに詰めて、ふっと煙を吹き出すと、たちまち数知れぬ鳩が空中に現れた。それを見ると、お祖父さんはすぐに古い言い伝えを思い出して、「とうとう白い羽根を身に着けた偉い男が現れた」と大変喜んだが、「こうなると、孫はきっと巨人退治に出掛けるだろう。もしか巨人に殺されでもしたら大変だ」と考えると、なんとなく悲しい気持ちになるのであった。果たして男の子は、すぐに巨人を探しに出掛けた。深い森の中に入り込んで行くと、大きな家が一軒建っていて、その中に巨人どもが座り込んでいた。巨人どもは、男の子の姿を見ると、心の中で「なんだ、変な若造がやって来たぞ」と嘲り笑ったが、うわべは慇懃な様子をして、「よく来ましたね。私たちは、駆けるのが大好きですが、一つ競争をしてみませんか」と言った。男の子は、にやりと笑って、「面白いですね。やりましょう」と答えた。すると、一番若い巨人が進み出て、「私が相手をしよう。勝った方が相手の首を切り落とすんですが、それでいいんですかね」と言った。男の子は「いいんですとも。早くやりましょう」と答えた。すぐに競争が始まった。が、駆けだす途端に、男の子が葡萄の枝で、巨人の足を殴ったので、巨人は力を失ってしまって、手もなく競争に負けた。男の子は、「約束通りにするよ」と言って、相手の首を切り落とした。こうして、男の子は一日に一人ずつ巨人を殺していった。六日目に、「今日でいよいよおしまいか。残っているのは、たった一人なのだからな」と勇んで出掛けると、途中で木でできている不思議な男に出会った。男は、にこにこ笑いながら、「巨人の家に出掛けているんだね。途中で非常にきれいな女に出会うんだが、決してその女に気を取られてはいけないよ。お前を殺そうとたくらんでいるんだから。その女を見たら、すぐに鹿の姿に変わるがよい。そしたら、性質の悪い女も手の出しようがないんだから」と教えてくれた。男の子が、道を急いでいると、まもなく非常にきれいな女に出会った。男の子は、不思議な男に教わった通り、すぐに鹿の姿に変わった。すると、女は鹿の側に歩み寄って、「まあ、何ということだろう。せっかくあなたの妻になろうと思って、遠い所から訪ねてきましたのに」とひどく嘆き悲しんだ。男の子はそれを聞くと、可哀想な気になって、元の姿に返った。そして、優しい言葉をかけて慰めていると、女は俄かに巨人の姿になって、己を取り上げるなり、男の子の背を叩き砕いた。そして、犬に姿を変えさせて、「おい、俺についてこい」と荒々しく声を掛けた。犬になった男の子は、仕方がないので、巨人の跡についてのそのそと歩き出した。巨人は、男の子から白い羽根を奪い取って、自分の頭に挿した。巨人は犬を連れて、とある村に差し掛かった。すると、その村の首長の二人の娘が、巨人の頭に挿さっている白い羽根を目ざとく見つけて「昔からの言い伝えが本当になった。城羽根の偉い人が現れた」と言って、巨人の側に駆け寄って来た。そして、姉の方が妹を押しのけるようにして、巨人に向かって、「どうか私の家にお出で下さい」と言って、連れて行ってしまった。妹は仕方がないので、巨人の後からついて来た犬を抱き上げて、自分の家に連れ帰って、親切に養ってやった。
ある日、巨人が狩に出掛けると、犬がしきりに水の中に石を投げ込んでいた。投げ込まれた医師は、すぐに海狸に変わった。そして、犬がそれを追っかけて、一匹一匹と殺していくのであった。巨人は「なんだ、あんなことなら俺にでもできる」と言って、水の中に石を投げ込むと、すぐに海狸に変わった。巨人はそれを殺して、家に持って帰ったが、戸口の前に来ると、元の石になっていた。あくる日、巨人はまた狩に出掛けた。すると、犬が木の枝を大地の上に投げ出して、それが鹿に変わるのを待っては、一匹一匹殺していた。巨人は「なんだ、あんなことなら俺にでもできる」と言って、木の枝を大地に投げ出すと、すぐに鹿に変わった。巨人は、それを殺して家に持って帰ったが、戸口の前に来ると、元の木の枝になっていた。主張の姉娘は、妹の家に飼ってある犬が不思議なことをするという噂を聞きつけて、酋長にこのことを話した。酋長は、犬が魔法を使っているのだろうと思ったので、使いをやって妹娘と犬とを呼び寄せることにした。使いの者が妹娘の家に行ってみると、犬はいなくて、凛々しい姿をした一人の若い戦士が座り込んでいた。使いの者は大変に驚いたが、そのまま二人を連れて酋長の家に帰って来た。そこには、もう巨人や姉娘やたくさんの戦士たちが集まっていた。酋長は巨人に向かって、「お前さんは、不思議なパイプを持っているそうだが、一つみんなに呑ませてくれないか」と言った。巨人は、さも得意そうに、パイプを取り出して、「このパイプには、魔力が籠っているから、煙を吐き出すと、たちまちたくさんの鳩が現れるんですよ。」と言った。戦士多胎は、驚き怪しみながら、代わる代わるそのパイプで煙草を呑んでみたが、いくら煙を吐き出しても、鳩の姿は現れなかった。巨人は変な顔をして、「おかしいな、呑み方が悪いんだろう。私がやってみよう」と言って、自分で煙草をふかして見たが、やはりだめだった。酋長は、それを見ると、妹娘の側に座っている若い戦士に、「今度はお前がやって見るがいい」と言った。若い戦士は、人間の姿には帰りましたが、まだ口が利けませんでしたので、黙りこくってパイプを取り上げた。そして、空中に煙を吐き出すと、みるみる一群れの鳩に変わった。そして、その途端に、物が言えるようになった。若い戦士は酋長に向かって、今までのことを詳しく話した。すると、酋長はひどく腹を立てて、巨人を睨み付けながら、「ひどい奴だ。早くこの男を叩き殺してしまえ」と言った。戦士どもはすぐに立ち上がって、巨人をねじ倒して、大きな石でたたき殺してしまった。若い戦士は、酋長に頼んで、その妹娘を妻にもらい受けた。そして、二人でお祖父さんのところに帰って来ると、お祖父さんは大変に喜んで、「お前の働きで、にくい巨人どもが死んでしまって、こんなうれしいことはない」と言った。

解釈

北アメリカの神話でも巨人というキーワードはよく出て来るようだ。ここでは六人の巨人が若者の両親を殺しているが、それはいったい誰だったのだろうか。ここでは、ネフィリムの子孫が関係していそうであるが、それを善が上回るようにこの白い羽根の言い伝えがあるように思う。しかし、この言い伝えがどこから生まれたかまでは不明である。しかし、パイプを呑むと白い鳩が現れる所を見ると、鳥に関する話と思われる。ここでは鳥は善であると思われる。しかし、男の子は悪い女の誘惑に乗ってしまう。この問題がいかなるものなのかが鍵となっていると考えられる。そして、男の子に現れる木でできた体の不思議な男は誰だろう。モンダミンだろうか。しかし、この男の役割はトリックスター元型に近いものを感じる。男の子はこの男の忠告があったにもかかわらず罠にはまる。そして、行きついた村の酋長の娘二人の内、巨人に騙されたのは姉の方である。また、ここにも姉妹すなわち女にとっての秩序に関する問題が挙げられている。北アメリカの神話にはこのような姉妹間の女性秩序に関するものがよく表れている。(ギリシャでは有名なデメテルの神話がある)この点を鑑みると、やはり、女性においては男の兄弟におけるような関係よりもはるかに年上が過ちを引き起こす確率が高いようにも感じる。しかし、この原因がどこにあるのか定かではない。ただ、確かに女性は愛における満足を得てこそ、公で一人前にふるまえるということを示唆していると言えそうである。女性同士が年功序列を考慮できない理由が、上下関係を受容し上に立つことで愛における行為を誘発する要求により判断を狂わせる傾向を制御しづらい点にあると考えられる。それから、巨人が犬となった若者の力を完全に使うことが出来なかった理由にも注目したい。この点はこの若者の生まれ持ったものとしての能力が、単なる物質によるものではないという暗示があると思われる。若者の誘惑に負けた弱さが優しさであった点はそれに似た性格であろう妹と結ばれる定めとなったが、果たしてこの組み合わせが正しかったかは不明である。少なくともその時点では最善だったと思う他にはない。

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あらすじ

昔、兎男がお祖父さんと一緒に住んでいた。兎男は毎朝早くに狩に出るが、どんなに早く出掛けても、自分のか通る道に、いつも大きな足跡がついていた。兎男は「一体誰だろう、こんなに早く狩に出るのは、どうにかして見届けてやりたいものだな」と思ったので、ある朝、非常に早く起きて、狩に出掛けたが、それでもやはり、もう足跡がついていた。兎男はなんだか気が苛々して来た。そこで家に帰って、「お祖父さん、私がどんなに早く狩に出掛けても、私より先に誰かがやって来ていて、獲物を追い散らしてしまうのですよ。あまり癪だから、罠を掛けて、そいつを捕まえようと思いますが」と言った。
「なぜ、そんなことをしなくてはならないのかね。何もその人がお前に害を加えたというのではないじゃないか」とお祖父さんが言った。兎男は「だって、憎らしくてたまらないんですもの」と言って、家を出た。そして、藪の中に隠れて、夜になるのを待っていた。夜になると、足跡の欲ついているところに罠をかけて、素知らぬ顔をして家に帰って来た。夜が明けると、「今日こそきっと、俺の狩の邪魔をする奴を見つけてやるぞ」と言いながら、勢い込んで家を出た。そして、罠のところに来てみると、太陽がそれに引っかかっていた。兎男は大変に驚いて、一散に自分の家に駆け戻った。そして、「お祖父さん大変です。なんだか変なものが罠にかかりましたよ。」と言った。お祖父さんは「変な物って、お前はよく見なかったのかね」と尋ねた。兎男は「ええ、あんまりびっくりしたので、よく見なかったんですよ。なんでも嫌にぴかぴか光っている物でしたよ」と答えた。お祖父さんは「じゃあ、もう一度言ってよく見てお出で」と言った。
兎男は、再び罠のところに行った。そして、引っかかっている物をよく見ると、それは太陽だった。太陽は非常に腹を立てて、「お前はほんとに不届きな男だ。なぜ、私を罠にかけたのかね。早くここに来て罠を外してもらいたい」と叫んだ。兎男は罠の側に歩み寄ったが、熱くて堪らないので、あちらこちらに歩き回っているだけだった。太陽は、気を焦って、「早く罠を切らないか」と叫んだ。仕方がないので、兎男は太陽のそばに駆け寄るなり、大急ぎで罠を断ち切った。しかし、ちょっとの間に肩のところを焼き焦がされてしまった。だから兎は、今日でも肩の毛が黄色くなっている。

解釈

太陽を罠に掛けてしまうという話は英領北アメリカの神話にもある。また、マウイが太陽の動きを止める際にも罠が用いられた話もある。この手の神話はどちらも太陽に関する生物的な、または人間的な不具合を解決するために太陽に逆らった形跡を示すものであるが、これが擁護されるべきものかが不明である。本来太陽は時を誤らず運航する者として神によって創造されたものである。また、この手の太陽に対する冒涜は月の運航に関する話であると考えられるのであるが、そこに兎が関与しているというのは確かに興味深い。これは兎が時を誤ることを示唆しており、月はそれを擁護しているのかもしれない。月の運航に関係してこの手の話が引き起こされたのであれば、この事象は確かに擁護の対象となるだろう。
しかし、上述の月による理由を仮定して、なぜ月は太陽の運行を遅めようと試みるのだろうか。

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人を食う岩

あらすじ

昔々、ある所に一つの不思議な岩があった。人間がそのそばを通ると、大きな口を開いて、食い殺してしまうのであった。その岩から遠くない所に、兎男がお祖母さんと一緒に住んでいた。お祖母さんは兎男に向かって口癖のように「決してあの人食岩の側に行ってはいけないよ」と言っていた。しかし、兎男は、気が荒くてわがままで遇ったので、行くなと言われると、なおさら行ってみたくなるのであった。そこで、ある日、人食岩の側に行って、嘲るような口調で「おい、岩公、お前の口に私をはめ込んでみたらどうだ」と言った。しかし、人食岩は兎男を見知っていたので、「近くに住んでいる物を取って食うのは気の毒だ」と思って、そのままじっとしていた。暫くすると、一群の狩人が通りかかった。人食岩がたちまちパクリと大きな口を開いたので、狩人たちは洞穴だと思い込んで、どやどやとその中に入って行った。兎男は「しめた。俺も入ってやろう」と言って、狩人たちの後に続いて、人食岩の口の中に飛び込んだ。そして、腹の中に飲み込まれるのを待って、一生懸命に荒れまわったので、人食岩は、「これは堪らない。何という乱暴な奴だろう」と言って、兎男だけを吐き出してしまtった。暫くすると、また一群の狩人が通りかかった。そして、大きく開いている人食岩の口を洞穴と間違えて、その中に入り込んだ。兎男も、そのあとに続いて、また岩の腹に飛び込んだ。兎男は「さあ、もう一度困らしてやるぞ」と言いながら、兎男は、前よりも一層ひどく荒れまわった。しかし、人食岩は、今度はどうしても吐き出してくれなかったので、懐から小刀を取り出して、岩の腹を切り裂いた。途端に、吞み込まれていた狩人たちが、大地の上に踊りだして、兎男を取り囲んで、「どうも有難う。おかげで危ない命を助かりました」と厚くお礼を言った。そのうちに、一人の狩人が、「この方はなかなか勇気があるんだから、私たちの酋長にしようではないか」と言い出した。みんな、それがいい、と言って、すぐに賛成した。しかし、兎男は頭を振って、「酋長なんかになるのはまっぴら御免だ。面倒臭くていけないや」と言って、人食岩の腹の中にたまっていた脂肪の塊を抱えって、のこのこと家に帰って行った。

解釈

この人食岩はオパニムと関係があるだろうか。また、月と関係があるのだろうか。ここでは兎が人食岩の中に自ら呑まれて人々を助けているが、人食岩は兎にとって不都合なことだろうか。人を食うことをやめさせるために行っているので、これもネフィリムの子孫によるもので阻止すべき事象であったのかもしれない。この話も兎が大きくかかわっていることから、また、月との関連を想起するのである。北アメリカの神話には兎に関する神話も多いようである。ブラジルの神話では兎が猫にしっぽを取られた話があるが、月の運行は兎が食べ物を求めることによって時や空間が小さくなることと関連してその時を伸び縮みさせているかもしれない。

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